第32話 少年、在りし日を知る

「・・・・な、なんで・・・?」

追跡アプリでもいれられてるのかと不安になる。

久しぶりに見る兄は、自分が今まで見たことが無いほど血色がいい。

環がいろいろ食わせているからだろう。

「環先生。これは奇遇ですねえ」

「ほんとに・・・」

こんな暗い夜道で、しかも車の中からよくわかったものだ。

呆れるやら感心するやら。

「今お帰りですか?」

「ええ・・・あの。食事の帰りで・・・」

「ああ。お友達とですか?」

・・・・ダンナとだとかは考えないのか、こいつ・・・。

「ええ・・・まあ・・・」

「もう遅いですから、ご自宅までお送りしますよ」

「ええっ?!結構ですっ」

オメー何考えてんだ、と叫ぼうかと思った。

環の自宅まで知られてはたまらない。

「では、せめて駅まで」

そういうと、一三は助手席のドアを開けた。

・・・・仕方ねえかあ・・・。

五十六はどうも、と微笑むと、体をかがめた。

じっと、兄が見ているのに気づく。

おい、運転手がぼさっとしてんじゃねえよと思い、顔を見上げた。

一三が、まいった、と呟きながら、手を額に当てていた。

「す・・・すてきな装いです。環先生・・・」

兄弟だなあ。趣味のツボが一緒だ。

屈んだ際に、チラリズムでもかましたか。

これはお前用じゃねえんだっつーのっ。

五十六は胸元を掻き合わせた。

「ああっ。すみません。今車出しますので・・・」

・・・・釣れたのはこっちかよ。

そうだ、と一三は後部座席にあった紙袋を手渡した。

「これ。お土産です。いやー、丁度、今日まで出張だったんですよー」

紙袋には、巨大な黄色いドッチボールが三つも入っていた。

くまもんのイラストが描いてある。

「お好きですか?晩白柚」

そうか。出張で熊本に行っていたのか。

「食べたことないです・・・」

「そうでしたかー。じゃあぜひ。サクサクしておいしいですよー」

上機嫌の一三を五十六は見上げた。

しかし。本当にこんなに顔色が良く、機嫌が良い兄を見たことはない。

母が出て行って以来、兄はいつも眉間にシワが寄っていたのだ。

朝も、夜も、寝ている時も、食事中も。

「・・・あの、最近、ご家庭の様子は、いかがですか?」

兄も久しぶりだが、父ともすっかりご無沙汰だ。

「私も一週間ぶりですが。うん、とてもいいですよ。家庭っていうのはこういうことだっけ、と思います」

「・・・は?」

「お恥ずかしい話なんですが。うちは、崩壊とまでは行きませんけど、解散状態に近いものだったんです。担任の先生でいらっしゃるからご存知とは思いますが。弟が小さいうちに母親が父親と離婚して出て行ったので。それ以来、おのおのが自分のエリアとスペースで生きてきたというか」

確かに、それぞれが自分を守るのに精一杯だったのだ。お互いに興味がないわけではなかったのだが。

「父も私も、弟には申し訳なく思っています」

あのマイペースな父がそう思っていたのか、と意外だった。

「そうですか・・・」

「だからですかねえ。いそは昔から何だか変な格好をしたり、生意気なことを言ったりしていたんですけど。それが最近、人が変わったようにすっかり素行がよくなって」

ドキッとして、はあ、えぇ、と適当に頷いた。

そうなんだよ、中の人が変わってんだよ・・・。

「あ、そう、そうですわね。先月の中間テストの結果も、全校7位ですしね。保健委員の仕事もとてもよく手伝ってくださって。非常に優秀です」

ちょっと大げさに褒めておこう。

「7位!?・・・な、なにかの間違いじゃなく?・・・いやあ。そりゃすごい。どうしちゃったんですかねえ、いそ。今までは。下から数えた方が早かったのに」

「ほら、能ある鷹はなんとかと申しますし・・・」

自分の手柄ではないのに、得意気に微笑んだ。

ちなみに、なんとかの部分は謙遜してぼやかしたのではない。本当になんとか、としかわからなかった。

「はは。そうなのかなあ。出番待ってたのかなあ。いやなんだかね、ちょっと寂しい気もしてね」

「え?」

「全く馬鹿馬鹿しいんですけどね。まるでチンパンジーのイタズラ叱りつけてるような日々が懐かしくなったりしてね。本当にアホなんですよ。あいつ、本気で、バナナの皮を廊下中に撒いて、俺が帰ってきて転ぶのバナナ食いながら待ってたりしますからねー。しかも、子供の頃じゃなくて、去年の話ですよ?アホでしょー、アハハ・・・。まあ、可愛いんです」

実際お前すっ転んだじゃねえかよ・・・。

五十六は、思わず泣けて、鼻水をすすった。

「・・・ど、どうされたんですか。泣いてるんですか・・・」

慌てた様子の一三に、首を振った。

泣いているなんて知られたらいけない。ひどく恥ずかしかった。

「いえ、あのっ、蓄膿ですっ。・・・あの、聞き辛いんですけど・・・」

「はい。なんでも」

五十六は心を落ち着けると、思い切って口を開いた。

「お母さんは、なぜ出て行ったんですか。自由になりたくて出て行ったんですよね?」

あの日、そう言って出ていったじゃないか。

突然子供を置いて、海外に逃げ出して。

あんなに幸せそうに、牧場で新しく出来た子供と、夫と暮らしている姿を見て。

元気なのだとほっとした反面、まるで自分を否定されたようで。

あの子たち産んだ人生間違っていたから、ほら。私やり直したの。こっちが正しいの。だってほら、今私こんなに満足だわ。

と、言われているようで。

一三は驚いて助手席の環を見つめた。

そこまで、あの頑なな弟が打ち明けたのか。

「・・・いそがそう言ったんですか。そうですね。悩み事を聞いてくださっているとは伺っていましたけど」

少し考えてから、一三は口を開いた。

「簡単に言うと、母は離婚させられたんです。原因は、父の両親。祖父母です」

「え?おじいちゃんとおばあちゃんが?」

今でも正月と夏休みに遊びに行くと、優しく迎えてくれるあの祖父母が?

仕事を引退し、今では山梨のワイナリーのあるブドウ農園で暮らしているのだ。

「でも。お父さんとお母さんてお見合いですよね」

「まあ、はい。ハッキリ言えば、政略結婚ですけどね」

ますますわからない。じゃあなんでわざわざ結婚させて離婚させるんだ。

破局しそうになった夫婦をなんとか維持させるのに必死になるならまだしも。

「政略結婚だからです」

また、兄の眉に縦じわが出来ていた。

「いそは、物心ついてからの記憶しかないので、最悪な夫婦仲だったとしか思っていないでしょうが。私の子供の頃は、こっちが面食らうぐらい仲の良い夫婦でしたよ」

まだ二十代前半同士で結婚した二人で。それまで面識もろくにないのだから、結婚してから恋愛中のようなものだったのだろう。

「まるで江戸時代みたいな話ですよねえ。初めて会った者同士で結婚だなんて。・・・私は、そういうのは人権侵害だと思うので・・・、お互いに、よく理解して信頼した方と結婚するべきだと、思っているんですが・・・」

思わせぶりにチラチラと環の様子を見た。

五十六はうつむいてずっと考えていたが、はっとして顔をあげた。

「・・・・生まれた、次の子が・・・病気だったからですか?」

しばらく黙っていたが、一三が頷いた。

「いそは、父と母が長く不妊治療して産まれた子なんです。私はすぐに産まれたのに、不思議ですよね。いその心臓に問題があるとわかった時、母も父も必死でしたよ。でも、それが、なかなか思うように治療が進まず、経過が安定したとしても治ることはないとわかった時。父方の祖父母が、母に離婚するように勧めたわけです。・・・そして、父は受け入れた。簡単に言ってしまうと、母は求められた勤めを果たせなかったということです」

「はあ?」

「長く不妊治療を続けて、更に産まれた子が大病でしょう。当時、母は精神的に不安定で。その原因から離れた方が楽ではないかという判断でしたしね。父もその方が母の為にいいと言って」

「なら原因って・・・」

自分か。原因は、祖父母ではなく、自分じゃないか。

「まあ、その後、父はすぐ祖父母の進める後妻と結婚する約束だったんですが、結局無視しましてね。その間も何人かとおつきあいはしていたようですが。それが全部、母になんとなく似てるんですよー。未練たらたらですよね・・・」

そのあたりから兄の話はもう聞こえてこなかった。

五十六は駅前で車を降りた。

晩白柚の入った紙袋を受け取り、いつも世話になっているからと、豚足の包みを一つ渡した。感激した様子で、一三は包みを胸に抱いた。

「・・・ありがとうございます。あの、環先生、今度、ぜひ一緒に、お食事でも・・・」

一三は胸が一杯で、それ以上は言えなかった。

今度会ったらと、もっともっともっと、言いたいことはあったのに。

「ああ。はい。・・・今度」

五十六はショックで一杯だった。静かにそう返した。

実は弟の入っている環の姿が駅の中に消えていくのを見届けてから、一三は車をまた発進させた。


五十六は、帰宅すると、無言のままソファに体を横たえた。

兄にもらった紙袋も、豚足の紙袋も、テーブルの上にとりあえず置いたまま。

考えたことが無かった。

母が出て行ったのは、自分が原因だったなんて。

いや、よく考えてみれば、わかることだったのに。

夫婦仲が悪くて子供が苦労させられたと思っていた。

自分勝手な母親と、家庭に興味がない父親なのだと思っていた。

だが、実際は、違うのではないか。

全ての原因は自分にあったとしたら。

祖父母だって、自分が居なければ、母に離婚を迫ったりはしなかったろうし。

兄だって。母親を失うことはなかったのに。

「・・・うわぁ・・・・ヘコむわ・・・」

五十六は顔を覆った。

劣等感は昔からあった。この体だもの。

だが、罪悪感にのこみまれて一歩も動けないのは、初めてだった。

しばらくそうしていた。

携帯の着信音に気づいて、のろのろと手を伸ばした。

ああ、環だろうか。

メールに驚いて連絡してきたのかもしれない。

画面を見ると、青柳からだった。

「・・・・はい」

「・・・すみません。夜分に。あの、ひとこと、お礼をと思いまして・・・」

お礼?お詫びの間違いだろう。

「あの、ほら。環先生が言っていた、キャラメル」

「・・え、ああ。・・・はい」

「おじいちゃんに渡してきました。そしたら、なんだか納得してくれたみたいで。ここ最近ないくらい大人しくお休みになりました」

アドバイスを早速実践したようだ。

そうか。じいちゃん、寝たか。

「そっか・・・おつかれさまです」

「いえいえ。・・・あと。すみませんでした」

「こっちこそ。ごちそうになっちゃって。あの後、パフェまで出してもらって。お土産も貰いました」

「ああ。あそこのご夫婦、すごくいい方なんです。僕が気が利かないから、気を使ってくれたんですねえ」

帰り際、女将に、女性を一人残して途中で帰るなんて。せめてちょっとしたプレゼントか手土産ぐらい持ってこなきゃダメでしょうと、なじられたのだ。

見かねた主人に、取り成してもらって。

「環先生。・・・あの、また、会って頂けますか?」

青柳にとったら勇気を出して発した言葉だということが、五十六にはよく分かった。

「はい。ぜひ」

「そうですか!・・・ありがとうございます」

心からほっとしたような声。

こいつ、こんなチョロくて大丈夫なのかな、と五十六は苦笑した。

「・・・あともう少しだけ、お話よろしいですか」

「はい」

「いっくんのことなんですが・・・」

「・・・え?」

突然の自分の話に、驚いた。

「本来であれば、守秘義務があるので外部の方に申し上げるのは憚らられることなんですが・・・、生活のほとんどを学校で過ごすわけですし、担任の先生に伝えておこうと思いまして。今まで以上に学校生活が無理のないよう気を配って頂きたいんです」

ああ。検査結果が、悪かったのだ。

五十六は唇をかんだ。

「・・・悪いん、ですか」

「良くはないです」

「・・・10でいうと?」

「・・・そうですね。7、あるいは8」

五十六は止めていた息を吐き出した。

初めて聞いた。そんな数字。

子供の時から、難しい話の順番や重要度を大人に説明を求めるとき等、10で言うと、と聞いていたのだが。

子供の時にも似た様な病状の状態を青柳に聞いた時、帰ってくるのは大体2か3だった。

子供だから手加減していてくれたのかもしれないが。

「ああでも、普通にしていて、突然倒れたりはしませんよ、大丈夫」

なんだ。怖がらせやがって。

「なら、心配ないと思います。体育はずっと休んでるし、特に激しい運動もしてないし」

「ああ。なら安心です。体にも気持ちにも無理はしないこと」

子供の頃から言われていたセリフだ。

ふと、五十六はひっかった。

「あのぅ・・・無理っていうのは・・・」

「はい?」

「例えば、何時間もご飯作ったり、朝まで受験勉強したり・・・?」

「ええ?なんですかそれ。ダメですよ!それが無理って言うんです」

あーー、ヤッベー・・・。

体が入れ替わって以来、環はずっとそんな調子の生活だ。

こりゃ楽チンだ、もっとがんばって猛勉強しろ、などと囃し立てていたが・・・

うわー、寿命縮めてんの、俺かも・・・。

明日、環にちょっと安静にしてくれと言わねばなるまい。

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