第24話 夫の秘密
諒太に車に押し込まれ、連れてこられた夜間救急の廊下で、高久はむっつりと押し黙っていた。
「会計は今は出来ないから、明日以降に来てくださいって・・・」
ほっとした様子の諒太が、隣に座った。
不審な出血に、死ぬんじゃないかと思ったのだが、どうも女性の生理というやつらしい。
腹が痛かったのも、最近スカートがますますきついのにも、イライラしたのもそのせいのようだ。
看護師も、きついスカートを見て、生理の時ってお腹張るわよね、スーツ着なきゃなんだろうけど、苦しい時は無理しないで、ゴムズボンよ。と言ってくれていたから。
普段の食い過ぎももちろんあるが、腹が出たのもそのせいらしい。
「生理不順なタイプだと気付きづらいものね」
と看護師はかばってくれたが。
・・・・最悪だ。
そもそもなんで、環はこの事を教えておかないのだ。
逆恨みだが、ラインの返事も無い。
「たまちゃん・・・大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよ・・・。ボサッとしねぇで、何か飲むもんでも買ってこいよ。気が利かねえなっ」
「あ、ごめん・・・」
ミルクティーと、自分には缶コーヒーを買って、彼は再び隣に座った。
「いや、良かったよ・・・。一瞬、流産でもしたのかと・・・」
「バッカ、おめー。妊娠するようなことしてねえんだろうが・・・」
「いや、そうだけど・・・。そ、それはたまちゃんが・・・」
「はあ?人のせいにする気かよ・・・」
「だって、ここ最近だって、避けてたよな。・・・大体、ふ、夫婦ならば、当然・・・」
「はあああ?当然?ダンナはオクさんに無理やりやっていいのかよ?・・・よし、わかった。・・・・すいませーん、ここに変態がいるんでケーサツ呼んでくださーい・・・あ、こいつおまわりだった。すいませーん、ここに変態のおまわりが・・・!」
「ちょっ・・ちょっと、・・・違います、違いますよっ。ほんと止めろよっ」
諒太も若干キレたようだ。
しかし、高久のキレメーターはもう振り切っている。
「何が違うんだよっ。そもそもおめーのせいじゃねえのか!今度またあんなことしてみろ。木刀でボコボコにしてやっかんなっ。合意のない性行為は犯罪だって、聞いたことねえのかよっ」
「犯罪って・・・だから、それは夫婦・・・」
「ほー、夫婦に法律関係ねえのか?頭冷やしやがれ、この、すだれハゲッ」
雷に打たれたように諒太が停止した。
「・・・な、なんで知って・・・・」
「わかるわ。・・・っとによー・・・」
がっと諒太の頭の髪の毛を掴んでむしり取った。頭頂部が、パカッと取れた。
「あ!ああ!やめろよ・・・」
諒太の手は虚しくあわあわと宙を舞った。
「いいじゃねぇかよ!ほら」
高久の手に、こんもりとした増毛部が握られていた。
当然のように、諒太の頭頂部には地肌が現れていた。
「おお。見事なザビエルハゲ。あはは。これでフリスビーできんな。ズラスビーだ」
「・・・・か、かえしてくれぇぇぇ・・・」
泣きべそかきそうになりながら、諒太がカツラを奪った。
「隠してんじゃねぇよ。なんもねえ方が、ほら、よっぽどいいわ!」
「・・・え?」
「こっちのほうがずっと男前だってっ。な、帰り、床屋で髪切って行かね?渡辺謙みたいにしてもらおーぜっ」
「俺、俺・・・・・・おかしくないか・・・?」
「何言ってんだよ。不自然にこんもり隠してる方がダッセーってっ。なっ、カッパっ」
高久が亮太の背中を思いっきり叩いた。
その頃、環は。
良いところを見せようと、高久邸のキッチンで唐揚げを揚げまくっていた。
なので、高久からの連絡にもとんと気づかなかった。
それぞれ孤食が当然だった食卓に、皿がいくつも並べられていた。
先週も帰ってきたはずの兄と、ふらりと飯時にやってくるようになった父が、箸を持って、待っていた。
「いそ、俺、鶏皮嫌いなんだけど・・・」
「あ、お兄さんの分は、皮はずしてあります。梅のお花描いてある和皿の方です」
「お。サンキュ。・・・うまいな、これー」
「勿体ないな・・・。俺は皮好きなのに・・・」
「お父さんは、鶏皮をきんかんと甘く煮たものもあります」
「気がきくなあー。ん、ほんとにうまいな、これ。・・・むむ、唐揚げ味違うな」
「塩味と醤油味です。二キロ揚げたのでまだまだあるのでどんどん食べてください」
「あ、父さん、勝手にレモンしぼるなよ」
「いいじゃないかよ」
「それ、カボスです。ご飯、はらこ飯なんですけど、イクラ食べれますか?」
鶏肉二キロを揚げ、やりきった充実感に、明日五十六にに報告してやろうと環は気分も良かった。
五十六と諒太は、車に乗ってしまってから、床屋がもう営業終了している時間であると気づいた。
「たまちゃん、床屋なんか閉まってるよ、もう」
「だよなあ・・・」
夜の九時になろうとしていた。
諒太の車に乗りながら、高久は少し考えて、思いついた。
「ある。知り合いの美容室」
確か、アキラの店は夜十時まで営業しているはずだ。
「ええっ。美容室なんて、行ったことないし・・・」
「大丈夫、大丈夫。知り合いの店だからよっ」
アキラと店の様子もちょっと偵察して来よう。
お、忘れるところだった。と、五十六は手に持っていたカツラを諒太の頭に乗っけた。
そのまま車を近くの駐車場に駐めて、二人は店に向かった。
「こんな華やかな店、場違いだよ・・・」
「そんなことねえって。早くしろよ!モタモタすんな、ほら!」
ドアを開けると、受付のスタッフが出迎えた。
「いらっしゃいませ。・・私、今日が初日で。すみません、ご予約のお客様ですか」
環よりも五、六歳年上のショートカットの女性だった。
スタッフのメンツも以前と違うようだった。
客も、他には一人しかいない。
「ええと。前に一度来たことがあって。出来たら、お願いしたいなあって・・」
ずいっと諒太を押した。
「大丈夫ですよ」
にこやかに彼女はそう言うと、諒太を鏡の前に案内した。
「ご指名はございますか」
高久が頷いた。
「アキラさんで!」
五十六が言うと、気づいたアキラが奥から出てきた。
一瞬、ギョッとしたようだったが、さすがの客商売で、すぐににこやかに会釈した。
「・・・先日はお世話になりました」
「うん、どうもな。・・・その後、どうした?」
「・・・通院中です」
「そりゃ良かった。大丈夫そう?」
「ええ。薬飲めば治るそうで」
「よかったじゃん」
二人の小声の会話を、不思議そうに聞いていた諒太が目を泳がせていた。
「ああ。なんでもねえよ。ここのオーナーのアキラさん。ちょっと具合悪いらしくて。病院に行くように勧めたんだ。ほら、保健の先生だから」
「そうなんです。こちらはご主人ですか?いつもお世話になってます。オーナーの三条です。今日はどうされますか」
「渡辺謙みたいにしてやってよ。じゃ、よろしくな」
五十六は受付の横の小さなラウンジに向かった。
以前あった、ジャングルのような観葉植物は撤去されて、代わりにゆったりと寛げるようなソファが用意されていた。
受付にいた女性が、ハーブティーにするかスムージーにするかジュースにするかと聞きに来た。
「・・・失礼ですけど、金沢様、あの、オーナーに病院行くように勧めてくださった方ですか?」
「え?・・・ああ、まあ、はい・・」
何度も恫喝めいた電話をしていたのは事実で・・・。
「そうですか。ありがとうございます。私、妻なんです」
「・・・えっ。お、おくさん・・?」
彼女は頷いた。
思ったより落ち着いた女性が妻で驚いた。もっと派手でやたらめったらに若い女と結婚していると思っていた。
「やっぱり。スタッフの若い女の子達はみんな辞めちゃって。今は男性スタッフと、昔からいてくれる年配の女性スタッフと、私でお店回してるんです」
そうか。だから何だか店の雰囲気も違うのか。
「・・・あのー・・・すいませんでした。余計なことして」
「いえ。ありがとうございました。・・・・昔から、あのひとの性格は分かっていたんですけど。今回はさすがに・・・。でも、ほら私も元美容師なんです。だから、私がちゃんと監視して、またがんばります。どうぞ、今後ともよろしくお願いします」
人気商売だから、噂だって立っている。いろいろ揉めはしたが、自分も店に出ることで今後の方針が決まったのだと彼女は言った。
「そうなんですか・・・。こちらこそ、よろしくお願いします」
五十六もぺこりと頭を下げた。
「いえいえ。・・・ちょっと、お店変わったでしょ。前は、あの人目当ての女性のお客様が多かったと思うんですけど。今度は、ここに来て間違いなく良かったっていうお客さんをね、増やして行こうと思うんです。清潔感あって、きれいで明るいイメージで」
だから健康的なフルーツジュースやスムージーなのか。
「前は、なんつうか。ホストクラブっつーか。アキラのオンステージみたいな店だったもんな」
ぷっと彼女は吹き出した。
「ねえ。そんな美容室、怪しげですよねえ。・・・あ、私は、うつってなかったです。ホッとしました」
こそこそと彼女は耳打ちした。
「はい。おかげさまで。・・・あいつ、小児科のお医者さんに丸出しのまま、こっぴどく怒られたそうです」
「かっこわりぃなあ・・・」
「本当!でもあちこちで遊んでた自分が悪いんだしねぇ。私だけなら、まだねえ・・・。バカだなあって離婚も考えたんですけど。もし子供にうつったらって本当に頭来ちゃって。・・・あ、私、エステの資格も持ってますから。良かったら、奥様、いらしてくださいね」
彼女はそう言うと、名刺を手渡した。
鏡の前で諒太はすっかり緊張していた。
アキラが鏡ごしに見つめていた。
「・・・うーん・・・渡辺謙ですか・・・」
好青年の面影を残した諒太には、何となく合わない気がした。
もっと年配になってからでもいいんじゃないだろうか。
自分よりは年下の三十五、六といった所だろう。
「ああ、あの・・・」
諒太が自分の頭頂部に触れて、おもむろに、手を動かした。
アキラは無言で理解すると、その手をそっと止めた。
「私もこういう仕事なので・・・。私は・・・その、増やして、いるんですが。よければ、そちらのサロン紹介しますよ。ダイレクトメールも会社名を変えて送ってくれるから、家族にもわからないですよ」
「・・・・え?そんなものがあるんですか・・・」
「はい。・・・ここだけの話ですけど、俳優の・・・とか、タレントの・・・とか。通ってます」
知名度のある名前だけはこそこそ声で言う。
「ええっ!そ、そうなんですか・・・。道理であの人たち、昔よりもフサフサだ・・・」
諒太の心がちょっと動いたのが分かった。
悲しいかな、カッコつけてなくては成り立たない商売というものを生業としている身分の者は、カッコつけれなくなったら、おしまいなのだ。
しゃべりや面白さで勝負している同業者もいるはいるが。自分にはそういった人間的魅力というものは、低いとアキラは自覚している。
「いえ。・・・いいんです。もう、切っちゃってください。渡辺謙にしてください!」
決断したようだった。
アキラは頷くと、ハサミを取った。
というわけで、夜中、突然送られてきた夫の画像に、また環は驚くことになる。
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