第21話 兄、女教師(中身は弟)に惚れる
「ほんで?」
放課後、五十六と環は保健室でまた会議、反省会をしていた。
「バレたりはしないだろうけど・・・相当、怪しいと思われてるっぽい・・・」
「あのさあ、先生・・・。朝から魚の定食どーんと出して、弁当まで持たせたら、そらーおかしいと思われるっつうの・・・」
だって。朝、自分の分と五十六の分の弁当を作っていたら、それは誰の分かと聞かれたのだ。
「お兄さんの分ですと言うしかないじゃない・・・・」
なので、今日の昼は、自分の弁当は五十六にとられたので、適当に作ったサンドイッチを食べた。
「絶対怪しいと思われてる・・・。あんた、メールかラインかでフォローしといてよ」
了解、と五十六は軽く頷いた。
「で、なんで昨日、連絡くれなかったわけ・・・」
「ああ。そうそれ。実はさー、昨日、ユカパイと、ケーキバイキング行ったんだよ」
嬉しそうにスマホの画像を見せてきた。
ホテルのラウンジで楽しそうに、山のようなケーキにがっつく環・・・ではなく、五十六。
紫も楽しそうに、あれこれとケーキを選んでいる。
「・・・最高だったー。一回行ってみたかったんだよねえ。二時間食べ放題で、四千円。超うまかったっ。ま、こんなかっこだけど、ユカパイとデートしちまったっ」
私が・・・おまえの家であたふたしている間に・・・スイーツブッフェに・・・。
「ホテルのラウンジでよ。最後にパティシエのにいちゃんが出てきて、あーだこーだ言うわけ。ユカパイ、キャーキャー言ってライン交換してたしよー。さすがユカパイ、ビッチだよなー、アハハ・・・。アンケートに、他にどんなのがあったらいいかって書いてあったから、焼きそばと寿司って書いてきたわ。甘いもんばっかだと、しょっぺーもん食いたくなるじゃん?」
だったら普通のバイキングに行けよ・・・・。
「・・・ああもう、いい。頭痛い・・・。ほんと・・・ビルから飛び降りたら、体戻んないかな・・・」
「早まんなよな・・・頼むから・・・」
内線が鳴った。
「ユカパイかな?今度はフルーツバイキングに行く約束したんだよねえ・・・。ねー、知ってる?銀座の千疋屋、要予約で果物食い放題やってるんだって。・・・はいはーい・・・。え?・・・ええ?・・・なんで?!・・は、はい・・・わかりました」
フラれたか、ザマーミロと、環はほくそ笑んだ。
千疋屋のフルースバイキングだと・・・、羨ましい。テレビでしか見たことがない。
妬んでいると、五十六がガチャンと受話器を慌てた様子だ。
「・・・ヤベー、センセイ。ガチでヤバい!」
「何がよ?」
「・・・ニイちゃんが、来る・・・!」
なんでよ?!と環は立ち上がった。
高久一三は、木箱に入ったカステラ十本を抱えて、弟の通う学舎を訪れていた。
今晩には支社のある名古屋に帰るし、明後日からは仙台出張だ。なかなかこういう機会を持つことはできないだろう。
事務室で、兄である旨を伝え、担任の金沢先生は保健室にいる、という答えだった。
保健室の先生も担任を持つ珍しさにちょっと驚いたが、別にこれは人員削減の一環で、本来はどこの学校も一年中健康診断で忙しい養護教諭になかなか担任などの話は回ってこない。
おばちゃん先生も大変な時代だなあ・・・。
自分が高校生の時は、おばちゃん以上おばあちゃん未満な養護教諭が、案外のんびりと仕事をしていたものだが。
ああ、やっぱり最中か羊羹の方が良かっただろうか・・・。
カステラが喉に詰まって誤嚥でもされたら大変だ。
と思いながら、ドアをノックした。
「失礼します。・・・高久五十六の兄ですが・・・・」
ドアを開けると、見知った顔が椅子に座っていた。
弟だ。
「なんだ。いそ、いたのか・・・」
なんだか緊張した面持ちでこちらを見ている。
さては、また何か悪さでもして説教されていたのだろうか。
・・・・となれば、手土産を持参して誠に良かった。挨拶というかお詫びになってしまったが。
その横に、白衣を着た女性が立っていた。
「・・・はじめまして。担任の、金沢環です」
彼女もまたわずかに緊張した様子だったが、ぺこりと頭を下げた。
意外だった。五十六が、いつもおばちゃん先生だと言うから、大体五十代くらいなのだと思っていた。
どう見ても、目の前の女性は二十代後半か三十代前半だろう。
男子ばかりのクラスを受け持ち、しかも養護教諭で保健体育を教えているというのか。危篤な・・・。前世に何か悪いことをして今世修行をさせられているとしか一三には思えない。
「兄ちゃん・・・、ど、どうしたのかなー・・・なんて・・・」
黙っている兄を不思議に思ったのか、五十六が声をかけてきた。
「ああ。ごめん。いや、もっと年配の先生だと思ってたから・・・。あの、これ」
どん、と机の上に紙袋を置く。
「いつもお世話になっております。良かったら・・・」
ソファを勧められ、一三が少し緊張して、座った。
「で、いそ、なんでいるんだ」
「こっちのセリフだけどね・・・。いやあの、最近、いろいろ相談に乗っていただいておりまして・・・」
「あ、ハイ。そう、そうなんです」
「ありがとうございます。お手数おかけしております。この度もいろいろとご面倒をおかけしたようで。その、食事の作り方など・・・」
一三はぺこりと頭を下げた。
「いえそんな・・・いつものばばくさいものですから」
言いながら、アイスミルクティをテーブルに並べながら、にこやかに微笑んだ。
朗らかな先生のようだ。一三はほっとした。
なぜか五十六は憮然としていたが。
「それで、兄ちゃん。どうしたの。三者面談は十一月始めの第一週から開始なんだけど」
「いや、いつもお世話になっているから。お礼と、普段の様子を聞いてみたくて」
「・・・そうですか。・・・でも何も今日来なくたっていいんじゃない・・・?」
「いやいや、こういう機会もなかなかないから。それで、先生」
「あ、はい。はいあの・・・高久くんは、最近とても、いい子で・・・。成績も、下から5番目だったのが、上から7番目になりまして・・・」
一三が首をかしげた。
「それ本当なんですか・・・今までこいつより下がいたのもびっくりですが・・・」
「いたんですよ。ほんとに。・・・ええと、学校行事にもきちんと参加するようになりまして・・・服装も、生徒会の規範になるぐらいきちんとしています」
職員会議で教師達に言われていることをそっくり言ってみたりして。
まるで人が変わったようだと評判なのだ。実際変わっているのだが。
「ですので、お兄さんが心配すること、ほんとにない、ですから・・・」
「そう言って頂けると・・・体が弱い子供でしたし。母とも早く別れて、父も忙しくて、私も大学進学から実家を出まして・・・。実際、誰がこの子を育てたのかわからないようなかわいそうな事をしてしまいまして。自分でここまで育ってくれた子なんです。だから、申し訳ないですし、ずいぶん可愛いんですよ、父も私も」
わかります。ですよね、となぜ弟が涙ぐんでいた。
驚いて金沢先生を見ると、彼女もまた泣いているようで。
「いやなんか・・・ちょっと改めて聞いたらかわいそうになっちゃって・・・」
そういえばそうだ。母と別れて以来、誰かに育てられたか、と言われたら甚だ疑問なのだ。強いて言えば、面倒を見てくれたのはしなのだが、彼女だってやはり親ではない。
「大丈夫です。お兄さんっ。高久くん、進路も決まりましたし、がんばるって言ってましたっ」
「え?!そうなんですか・・・?!」
「えぇ!?」
兄弟が驚いて立ち上がった。
「うん。前から薄々は思っていたけど警察官になるそうです」
「はあ?!」
机の引き出しから、ノートを取り出す。
環はノートを覗き込んだ。見覚えがある几帳面な字が書いてあった。夫の字だ。
「教えてもらったそうです。警察官になるには、エート、まず警察官になるための公務員試験というものを受けて、警察学校に入学し、半年ほど勉強。その後、卒業したら、配属が決まるそうです」
なんで、夫がわざわざそんなことを高久のノートに書いたんだろう。
「・・・警察官・・・それはものすごく意外ですが・・・」
ちょっと前まで、マジ南の島で遊んで暮らしてーとか言っていたのに・・・。警察官のような社会の規範となるような職業に憧れを抱いていたとは・・・。
「反対ですか?!」
「いや、実際なれるかどうかは別として、応援したいですが・・・」
良かった、とほっとしたように金沢先生は微笑んだ。
思わず見とれてしまって、一三ははっとした。
「・・・今日はありがとうございました。私も一度会社に戻りますので、弟を送っていこうと思います。そろそろ失礼します」
「は?あ、いえいえ。・・・こちらこそ、どうもありがとうございます・・・」
ぺこりと頭をさげる。
五十六もリュックを持つと、ぺこりと頭を下げた。
なにか言いたそうだったが、そのまま二人は保健室を出た。
「知らなかったなあ・・・、いそ、警察官になりたかったのかあ・・・」
一三がしみじみと言った。
私も全然知らなかった・・・。
不良少年が警察官になるなんて、昔のドラマのようだが・・・。
警察官試験・・・どのくらい難しいんだろう・・・。
ちょっと過去問見てみないとわからないな。
まさかそれまで自分が受ける事になるとは思いたくないが・・・。
「なあ、いそ・・・」
「は、はい!?」
ぼんやりした様子の一三が保健室のドアを眺めていた。
「金沢先生って・・・彼氏いるのかなあ・・・」
「はあ・・・!?」
環は驚いて、隣のはにかんだ笑顔の男を見上げた。
数日後、環宛に、笹かまと牛タンとずんだ餅等、山のような仙台土産が届いた。
「あいつ、何考えてんだぁ?」
高久は兄の真意を測りかねながらも、笹かまを二個いっぺんに口の中に放り込んだ。
「しょっちゅうメールくんだよな。金沢先生がどーたらこーたら・・・」
警察官の筆記試験の過去問を開いていた環が顔を上げた。
「これ以上話を複雑にしないでちょうだいよ?・・・ね、本気で警察官になりたいわけ?」
警察官試験の過去問を解きつつ、環が尋ねた。
「ああ、やっぱり、私ここ間違ってた。苦手なのよね、放物線の問題って。・・・・ちょっと、この試験、結構難しいよ。時事問題多いし。あんた新聞読んだりニュース見てるる?・・・・あのさ、どう考えても、私が勉強しても仕方ないんだけど・・・」
「だってよ。万が一、試験までに体戻らなかったらどーすんだよ?」
「私に警察官なんか務まるわけないじゃないのよ・・・」
婦人警官ならまだしも。機動隊になんか配属されたらどうしたらいいのだ。
「兄ちゃんには、先生に旦那いるって言ったからさ。ダイジョーブダイジョーブ」
「そう?ならいいけど。・・・えーと、警察官になるにはね、高校卒業程度、大学卒業程度って試験が別れてるんだけど・・・。うーん、大学進学は考えてないの?」
「なんか俺、もうベンキョーとかより、仕事を覚えたいんだよねー。警察官か、大工さんとかやってみてえ」
「大工さんかあ。手先器用だもんねぇ・・・。職業訓練学校っていうのがあるんだよなあ・・・。一回見学行って来ようかなあ・・」
技術職を育てるためのかなり実践的な学校だ。
「俺も行く!」
「そうね。本人が見るのが一番だからね」
職業訓練学校に、見学者随時募集という垂れ幕がかかっているのを見たことがある。
「かっけぇなあ。親方とかいんのかなあ・・・」
「東海林君はJR受けたいらしいし・・・。結構みんな、意外なんだよね・・・」
「えー。だって、東海林、マジ鉄道オタクじゃん。休みになると、青春18きっぷで一人であっちこっちの鉄道乗りに行くんだ。ほんでどっかの駅のネコ駅長とかの画像送ってきたりするし」
「へえ・・・。そうなんだ・・・」
「たださ、あそこんち、病院じゃん。うちも父ちゃん会社やってるけどさ。兄ちゃんいるし、俺には全く向いてないからうるさくないけど。あいつ医大行かなくていいんかねえ」
「うん、だよねえ・・・・。理解あるお母さんみたいだけど・・・」
三者面談までに話を聞いておかなければ・・・。
「って、私この姿じゃ聞けないしなぁ・・・・」
もうなんでこんなことに・・・。不甲斐ない・・・。
三者面談なんて大役をこんなアホに任せなければならないなんて・・・。
「あ、まただ。ウッゼーなあ」
高久が舌打ちをした。
「また兄ちゃんからだ。あー、笹かまうめーよ・・・。再来週また実家帰るから、今度は先生に名古屋土産持って行くってよ。先生、ういろうと、味噌カツどっち好き?」
「え・・・味噌カツ?」
「はいはいっと」
「じゃなくてさあ。・・・なんで?ちゃんと説明したんでしょ?」
「ああ?旦那いるって?言ったよー。しかも警察官だって。感謝のつもりなんじゃねえ?あいつ、父ちゃんに転勤ばっかさせられて、友達少ないし」
二年に一度のペースで、東と西を行ったり来たりしているのだ。来年あたりは、北海道か九州に転勤じゃない?と他人事のように父が言っていた。
高久は煮込みハンバーグをチンしながら、カステラを一本食いしていた。
「うっめーー。このザラメ入ってるカステラうめーよなあー」
一三の持参したカステラは、職員室で一切れずつ皆で食べ、残りは高久が持ち帰った。
「全部同じ味つうのが気が利かねえよなー。抹茶とか、大納言とかあるのによー。おっ」
また、メールが入った。
「・・・また先生の話か・・・。いいかげん、キモいよな・・・」
自分の身内がこうだとひくわ・・・。
先生の様子だとか、好きな物だとかをいちいち聞いてくるのだ。
「ま、スリーサイズぐらいなら教えてやれるけど・・・。先生にバレたら殺されるな・・・」
週毎に腹がきつくなり、ウェストのサイズが大幅アップになったことは環には伏せておこう。
女の消費カロリーはかなり少ないのだろうか。ちょっと食べるとすぐに体が重く感じる。
「いい加減にしろ。何のつもりだよ。・・・送信っと」
二本目のカステラを食べようと桐の箱を開けた。
「・・・返事速っ・・・どれどれ・・・?」
高久は、蓋を持った手を取り落とした。
「いやいやいやいや・・・。無理だろーーー」
《結婚を前提におつきあいしたいと思っている。ハート》
という浮かれた文章と、ハートを抱いたパンダのスタンプが躍っていた。
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