第19話 魂の規格

「マジかよ」

また保健室である。

昨夜あったことを話すと、高久は目玉をまん丸にして目を瞬かせた。

「そっか。ちゃんとあちこち営業所があんだな。俺も今日行くよ。千円持って行けばいいのか?」

「ついでに、その美容室連れてってよ。結局、迷うし、毘沙門様のとこ行っちゃったでしで、行けてないのよ」

「うん。あとさあ、ユカパイが病院行ってきたらしい」

「そうだ。どうだって?」

「カンジたらしい」

「何を?」

「違うよ。カンジタってやつ。そんな病気があんだろ。おっかねー。なんなんだそれ」

恥ずかしそうに、今朝、紫がそう言ってきたのだ。

「ああ・・・まあ、カンジタくらいだったら・・・。体力落ちてる時に抗生物質とか、プールとかでもらっちゃったりもするし。薬で治るし。よかったじゃない」

「な、なあなあ、それってなんなんだよ。俺、大丈夫なのかよ・・・」

「ああ。男性はあんまり発症しないらしいんだけど。だから女性にうつしちゃうの。自覚がないから」

おお、と真面目に高久は話を聞いていた。

このくらい真面目に授業も聞いて欲しかった。

「何かウィルスなのか?インフルエンザみたいな・・・」

「ウィルスじゃなくて、カビ」

「カビ!?あ、あんなとこにカビが生えんのかよ・・・。おっかねー・・・」

想像して、高久は震える思いだった。

「少なくとも、カンジタの可能性はあるわけね、そのアキラは」

「だな。アキラだってよ、早く病院行かねーと大変なことになっちまうぞ。カビだらけになってもげちゃうんだろ・・・」

まあ、カンジタだというなら、泌尿器科に行きやすい。

というか、待った無しな状況だとわかった今、それより先に循環器科に行きたいんだけど・・・。


 高久が指差した先に、赤い伽藍が輝いていた。

ネットで調べたら、やはり有名な寺院らしかった。

「江戸時代中期にできたんだって。立派よね。こうして見ても」

「ふーん・・・。すげえじゃん。神様・・・じゃなくて。びしゃもんさまか」

よっしゃ、と高久が駆け上がった。

バッグから財布を取り出した。

「全部千円にしてきた」

ばっと札束を取り出そうとするのを環が制した。

「ちょ、ちょっとまってよ。入れすぎ、入れすぎ・・・」

「なんだよ、ケチくせえなあ」

五十六は無造作に千円札を三枚賽銭箱に入れた。

柏手があたりに響き渡った。

「びしゃもんさまっ。来るのが遅くなってすいませんっ。出てきてくださいっ」

あまりの無作法と大声に、環は柱に寄りかかってその様子を眺めていた。

と、体が突然沈み込んだ。

「おおっと・・・?」

柱だと思っていたものは、突如輝く虎の形に変わっていた。

「一万円札でもよいのだぞ」

ナンのように巨大な舌で、ぺろりと舌なめずりをする。

「う、おおおおおおっ、スッゲーッ」

高久が興奮して、輝く虎を見つめた。

「うっわーー。あ、でも熱くない・・・」

眩しいが、温度は感じない。

「LEDみてえだなあ・・・」

ほほお。と虎は五十六をまじまじと見て、尻尾を動かした。

「・・・ふむ。こちらがもとの体か。まこと、中身は少年が入っておる・・・」

信じがたい、と虎は唸った。

「まさか、わが主がしでかすとは・・・。やはり、昨今の過重労働が原因であろうか。・・・その上、毎度のように上の方にお叱りを受けておられて・・・」

「なんだよ、パワハラまであんのかよ・・・ブラック企業だなあ」

環は紙袋から、どん、と一升瓶を取り出した。

おお、と虎の目が輝いた。

実家の父にメールをして地元の銘酒を送ってもらったのだ。

「ほう。これは・・・飛露喜ではないかぁっ。・・・よく手に入ったのぉおっっ。なるほど。よい香りだ。ちゃんと奉献の熨斗までついておるのう。存外たしなみの身に付いたおなごではないか」

母が寺や神社に行く時はいつも酒を持って行っていたのを思い出したのだ。

「般若湯でございます。お納め下さい」

「うむ」

神社ではお神酒でいいのだが、寺では酒とは大っぴらに言わず、般若湯と称する。

「で。毘沙門様とお話しがしたいんだけど」

虎が酒を受け取り、大事そうに抱えた。ごろごろと喉を鳴らした。

「また来たのか。・・・酒までもらったのか・・・・」

忽然と姿を現した毘沙門天がため息をついた。

「しかし。こういったものが仕えます者のくらしを支えまする」

「あーわかったわかった。ったく、下の者からは突き上げられ、上からは押さえつけられ・・・」

彼は環の体の中の高久をじっと見た。

「ああああ・・・やはり、入っておる・・・。取り違えておる・・・」

額に手を当てて、がくっと肩を落とした。

「びしゃもんさま !いやー、新宿に居るとは思ってなかったー!」

「・・・久しぶりだのう、少年」

環がじっと見ているのに、しどろもどろで彼は続けた。

環の唇が、ごめんの一言も言えないわけ、と口だけで言っていた。

「あ、あの・・・儂の手違いで、苦労させたようだのう・・・」

「いやいや。結構面白かった。でけえプールにも初めて入ったし、ウォータースライダーもできたし。こないだなんかマラソン大会の練習に付き合って5キロ走った。あ、女湯にも入ったし」

本心だった。まさか、今まで禁忌だった事がこんなにいっぺんにいろいろ出来る日が来るなんて。自分の体ではないのは残念だが。

「でもよ。このままだとよ、先生が死んじゃうんじゃねえの?」

うむ、と毘沙門天が口ごもった。

「自分でも、このままじゃそんなに長生きできるとは思ってねえよ。・・・なあ、もしこのままで死んじゃった場合、中身の俺たちはどうなっちゃうんだ」

「・・・本来。肉体が滅せば魂は回収される。そして、それぞれこの世で身につけた瑕疵や穢れを落とし、必要な徳を身につけ、また次の生に向かうのだが・・・。そなたらの場合、肉体と魂が取り違っておるから、その流れに乗れない」

「ハードの品番とソフトのフォーマットが違うからか・・・・」

本当にパソコンみたいだ。

「然り。そして、回収されない魂は、この世にも、あの世にもいけないままだ」

「つまり、幽霊になっちゃうのか?」

「そうではない。幽霊というものは、どれだけ時が経とうとも、どれだけ未練があろうとも、自分が何者であるかという証がある。良くも悪くも、自分であることに嘘はつけないのだ。そなたの頭でわかりやすくいうと、規格もメーカーもはっきりしている、ということだ。そうすれば、いつかは回収して初期化できるだろう。幽霊としてどんなにこの世をさまよおうがいつかは救われる可能性があるのだ」

「・・・じゃ、証明できない規格外品はメーカーが受け取り拒否するってことか」

「然り」

環は、よくわからないんですけど、口を挟んだ。

「・・・これだからおばちゃんは・・・」

「とってもわかりやすい説明だと思うが・・・これだけはおなごは・・・」

毘沙門天が、ぱん、と軽く手を打った。

「・・・・わわわっ」

驚いて五十六が座り込んだ。

虎が、環と高久を背に乗せた。

突然、周囲が真っ暗になった。

ぐるぐると映像が回りだす。

ぼっと炎が円状にが灯った。

周囲に、光が溢れ、花々が咲き乱れた。

「うっおーーー!すっげーー3Dマッピングじゃんっ」

「うむ。あれは面白いな。これはまあ4Dマッピングというところか」

触れてみよ、と言われて環はそっと花に手を伸ばした。蘭のような花房が瑞々しい。

「本物みたい・・・」

その花はなんとも馥郁たる香りがした。

姿も香りも沖縄で見た月桃の花に似ている。

「美しかろう。・・・ひとつやろう」

りん、と鈴のような小さな音を立てて、花が環の手の中に落ちてきた。

「なんだよ、四次元空間か?ドラえもんかよ。すげーっ。なあ、あんたってほんとは神様とかじゃなくて、未来から来たんじゃねえのー?」

「違う違う・・・。言っておくが、二十二世紀にあんな便利な猫型ロボットはおらんからな。宿題は自分でしろ。寝坊したからと行ってドアオンドアで学校には行けないぞ」

「マジかよっ。じゃ、空とかいつ飛べる?なあなあ?」

「ああもう・・・うるさい・・・」

毘沙門天が手であれ見ろ、と示した。

「暗くて見えない・・・」

環が目を細めた。

見えるのは暗闇ばかり。

何もないじゃないのよ。

うえ・・と、高久が声を漏らした。

違う。何か黒い物が沢山蠢いていて、見えないのだ。

「・・・私、ああいう節足動物みたいの苦手・・・」

「俺も。ゲシゲジとかムカデとかよ。キモいよな。うおー、ザワザワする」

「うむ。儂もじゃ。・・・で、あそこにお主らは行く事になる」

何と言った?

「は?」

「え・・・?あ、あんなとこで何の修行するわけ・・・」

「いやいや。修行ではない。規格外の魂というのは、存在して良いものではないからな。そなたらのわかりやすいイメージで言えば、自然界で野生動物の死骸がいろいろな動物や植物によって淘汰されていくだろう。あれに近い」

高久は絶句して肩で息をするのみだった。

「・・・哀れと言えばまさに哀れじゃ。だがそれが、理というも・・・」

環は、虎の抱えていた一升瓶をもぎ取ると、毘沙門天に向かって投げた。

「ひいっ」

驚いて頭を抱えて転げ回ったおかげて、一升瓶は当たらず、闇の奥に吸い込まれていった。

「冗談じゃないわよっ。そもそもあんたのケアレスミスじゃないのよっ。あんたが行きなさいよっ」

「ああ、ご新造、そんな大きな声で騒いだら、誰かに、き、聞こえる・・・」

虎がグローブのような大きな手で環の口を塞いだ。その合間から、環は口をこじ開けた。

「ちょっと離してよっっっ!口に毛が入るじゃないのよっっっ」

「ご新造、心を静めよ・・・」

「・・・改宗してやる・・・・」

「は?」

「何でもいいっ。こんなアホなこともうたくさんだわっ。ちょっと、どう責任とってくれんのよ。とれないならわかったわよ。他の宗教で熱心に活動してやるわっ」

「な・・・、昨今、仏教離れが叫ばれて久しいのに・・・、それは・・・困る・・・」

「改宗理由は、あんたのせいって言ってやるっ。そうだっ。ウチの学校キリスト教だから、キリスト教にしよう。大手だし、シェア率高いじゃない。私、明日にでも洗礼してもらう。もうお寺も神社も行かないからねっ。もーたくさんっ」

「うわわわわ・・・待ってくれ・・・。神社庁にも何と言えばいいのじゃ・・・」

「自分のせいだって言ったらいいじゃないっ。もうたくさんよっ」

マックユーザーが、不具合の多さにウィンドウズユーザーに転向する一幕のようだ。

しかし。ウィンドウズには、高確率でウィルス感染という懸念もあるのだ。

結局、全てが満たされることはない。

「先生・・・落ち着いて・・」

五十六が珍しく冷静だった。

「落ち着けないわよっ。私、ああいうの嫌って言ったでしょ!キンチョール何本必要なのあの量っ!?」

「・・・キンチョールじゃどうにもならんぞ・・・」

「うるさいっ。自分が出来ないことを、なんで人に押しつけるのよっ」

そう言った環の憤怒の表情に、鬼神のような女上司が重なって、毘沙門天は、ひぃ、と小さく悲鳴を上げた。

PTSDになりそうだ。

「・・・わわわわ、わかった。もう一度、そなたらの魂が体を離れた時にはわしが必ずや元にもどす。約束しよう」

「ほんと!?絶対よっ!?嘘つかないでよっ!!ねえ、ちょっとっ!ちゃんと、私のっ、目を見てっ、言えないのっ!?」

「う、うむ・・・。ああ・・・わかったからそのように追い詰めるな・・・。おなごはそうやって男を追い詰めるから、男はいたたまれなくなって逃げ出したり、心を閉ざすのじゃ・・・」

「うん。それはあるな。先生、おっさんの言うことも一理あるわ。ほんで女って、突然、拒否すんだろ。なんで言わないとわかんないの、もういいとか言って。先生んちも、だから旦那帰ってこねーんじゃねえのー。・・・あ、・・・なんでもないです・・・」

環に睨みつけられて、高久は視線をずらした。

「・・ああ・・地雷を踏むでないわ・・・。帰ろう。な、少年、帰ろう」

ぱん、と毘沙門天がまた手を叩いた。

「あ、お待ちくだされ。先ほどの般若湯を・・・」

と、虎がしゅるんと尻尾を伸ばし、どこかに飛んで行ったはずの一升瓶を取り戻した。

「そうそう。明日から十月じゃな。儂は正月は福の神としての仕事もあるゆえに、神々と共に、出雲様への寄り合いがあるでの。神無月の間は、呼ばれても行けぬので、そのように心得よ」

「ええ!?」

「ま、とにかく、よかったじゃん。で、その体から魂が離れるってのはどうすればいいわけ?」

「それはまあ、各々工夫して欲しい。そこから手を貸すことは、本当にまずいのじゃ・・・いや、本当に、最大限譲歩したわけであるからして・・・」

声が遠くなり、一瞬で、あたりはもとの境内へと変わり。

環が、はあーっとため息をついた。

空高く高層ビルの赤いライトが見えた。

「あのあたりのビルからでも飛び降りてみる?」

五十六がぶんぶんと首を振った。

そんなことしたら、体が元に戻ったとして、そのまま死んでしまうではないか。

「だよねえ・・・」

手に握られていた夢のように美しい花が、りん、とまた音を立てた。

不思議なことにその花は、寺の敷地を出た瞬間に香りだけ残して消えてしまった。 

「・・・消えちゃった。・・・勿体無い。食べちゃえばよかった」

なんとなくそう口から出た。

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