第18話 女教師の抱える問題

 翌日早朝。

環は惣菜が入ったタッパーを保冷バッグに入れ、弁当も二つ用意し、家を出た。

教室のロッカーに無理やり突っ込み、昼時に保健室を訪れた。

すっかり昼飯は届くものと思い込んでいる高久たかくが腹をすかして待っていた。

「遅いよー!腹減ったー」

言われた通り、化粧控えめにしたらしい高久が、足をバタつかせて抗議した。

そして、またストッキングは履いてくれないようだ・・・。

意地でも履くもんか!とならないように、無理強いはやめよう。と決めた。

たまきは、弁当と保冷バッグを渡した。

「保冷剤入ってるから。持って行って。冷凍庫に入れて一週間くらいで食べきって」

「お。どーもどーも」

素直に受け取る。

きっと、インスタントやコンビニ弁当ばかりの食事なのだろう。

今までしなのさんの作るあんなにおいしい食事を毎日食べていたのに、いきなり食生活がレベルダウンしてしまったのだと申し訳無く思った。

そういえば、ちょっとむくんでいるようだ。

そうではなく、実際の高久たかくの食生活は有名パティシエ作のスイーツ三昧の日々で、太ったのだ。

高久たかくは、ちょっとしょっぱいのも食べたかったんだよね。米くらいは炊こうかな。

なんて呑気な事を考えている。

「そういやさあ、昨日ダンナにちょっと会ったんだよ」

「ええ?・・・思ったより早いなあ・・・。だ、大丈夫だった?」

予想だと来月くらいだと思っていたが。

「着替え取りに来ただけで、またすぐ戻ったけど。来週帰って来るって。案外いいやつじゃん。いろいろ教えてくれたしさ。剣道やってたんだってな。あの木刀、土産のチョイス、俺バッチリじゃん。・・・ま、おっさんだけど。けっこうカッコ良かったし」

「・・・あんた変なこと言わなかったでしょうね」

「ぜーんぜん。怪しまれてもいないはずだもんね」

自信満々にそう言う高久たかくに、たまきは余計不安を覚えた。

「あ、でもあっちは変なこと言ってたなあ・・・。ケンカしたのかよ?時間くれとかなんとか。なんか深刻な顔しちゃってさあ。なんだよ、教えろよ!」

「・・・何でもないから、ほっといて」

「何だよー、いいじゃないかよー教えろよー。どうせ、リョータとまた会うんだし!」

興味津々という顔だ。

突っぱねたりごまかしたら、夫の方にあれこれ探りを入れそうだ。

「わかった。・・・じゃ、あんたも私の質問に答えてよね」

「オッケー」

たまきは、丸椅子から近くのソファに座りなおした。

「あのね。私、どうも不妊症なんだわ。で、不妊治療するかどうかで揉めてて」

いきなりの告白に、軽くショックを受けたのか、おお、と高久は小さく唸った。

「・・・聞いたことはあるな。最近多いって」

「うん。不妊治療をする人も増えてるからね」

治療は別として、不妊に関しては、実際は昔のほうが多かったのじゃないかと思うのだ。

不妊に関わる感染症だって昔はそうそう完治は難しかったはずだし。

昔の人は多産だったとよく聞くが、あれは産める機能がある人が早くから数を生んでいたということなんだろう。

「・・・それって、治療すりゃいいんだろ?」

「うん。まあ、どうなるかはわかんないけどね・・・」

煮え切らないたまきに高久は首を傾げた。

「なんでやんないんだよ」

「本格的に治療するってことは、夫も参加しなきゃいけないわけよ。昔はね、こういう場合、女の人だけに原因があると思われてる事多かったんだけどさ。今は、どうも男の人の方にも原因があるってわかったのね。で、病院に行って検査してくれないかって言ったのよ。それが本人はね、嫌よね。気持ちも分からなくもないけど・・・」

「いや、すげーわかるよ。あちこち調べられて、結果ダメ出しってすげえヘコむよな」

「だよね・・・」

「でもよ。センセーはそれやって来たんだろ。ダンナは知ってたんだろ」

「うん。まあね」

「だったら、今度はダンナの番じゃんか。はっきりした方がいいんじゃねえ。つうか、そしたら離婚するとかそういうこと?」

「そこまで話してない。考えるのが嫌で話し合うのも先延ばしにしてるんだから、彼」

「でもさあ。実際子供がそんなに欲しいわけ?」

「・・・え?」

「あんたもリョータも別段子供好きじゃねえだろ。子育ての自信もねえだろ。すげー子供好きだったら、保育園とか幼稚園の先生になってるはずだしな」

「私で普通くらいじゃないの?そんな誰も彼も熱烈に子供好きで産むとかじゃないんじゃない・・・?」

「・・・うーん。わっかんねえなあ。出来婚じゃねんだから、結婚するキッカケが子供じゃねえのに、子供できねえと離婚すんのかよ?何もかもドンピシャで行くわけないじゃん!?」

「・・・そりゃそうだけど・・・・」

案外まともな事を言われて、戸惑った。

高久たかくが、言い訳してみろよ、と顎を上げた。

「・・・・なんというか、ですね・・・」

「おう、なんだよ」

「・・・そりゃ、保育士さんになれる適性も才能とかもないよ?でも、子供いたら、楽しいだろうなーとかさ・・・。可愛いだろうなあとかさあ・・・。まあ、毎年帰省するたびに親からまだ子供産まないのとかせっつかれてるのもあるけれど・・・」

妹はさっさと結婚して、娘を二人も生んでいるもんだから、比べられてこっちへの風当たりは強い。

「こう・・・生き物として、命を繋げないということに、ですね。なんか、私ってダメなやつなんだなあ・・・とか思っちゃう部分がある・・・」

自分の遺伝子は地球上には必要じゃないから、何か大いなるものに選別されて産むことができないのかな、とか。

多分、夫もそう思っている部分もあるんだと思う。

だけれど、彼は、「おいおいね」とか「流れでいいんじゃない」という受容する事が出来るのだ。

それが自分にはなかなか出来ないわけで。

「そんなことはねえだろ。だってよ、生き物の一番の目的は次の世代に命をつなぐことですってよく聞くけどよ。それってその分野のやつらが言い出したんだよな?」

「はい?」

「だって、そいつらそういう仕事だもんな。そう言うしかないじゃん。でもさ、そいつら、全員子供いるわけ?欲しいわけ?だとしたらよ、この世の生き物は全部、ミジンコからシロナガスクジラまで、子供産むまで死なないはずだし、死ねねえはずじゃん。つまり、勝手に増えてるやつらが居るってだけじゃねえ?」

高久は見てきたのだ。

入院していたのは小児病棟だったから、新生児から十代の子供まで年代はいろいろだったが。

自分と同じくらい、いや、自分より小さな子供達の呼吸が止まるのも何度も見てきた。

昨日まで一緒に遊んでいた友達が、もう起きて来なくて、存在がなくなってしまうのを。

「子供産んである程度したじーさんばーさんも、子供産んでねえじーさんばーさんも皆さっさと死ぬはずかと思えばそうでもねえし。外来も病棟も病気で元気なジジババでいっぱいだったし。つうことは、だ。その優秀な遺伝子うんぬんて考えは間違ってる」

確かに、生物として優れているものが生き残り、そうでないものは淘汰されるのだと、ずっと習ってきた。野生とはそうであると。本来生き物の姿はそうなのであると。

自分が死にそうなもんだから、いわゆる淘汰される側なんだろうと子供の時ずっと思っていた。

自分も、必要ないから死にそうなのかな、と子供の時に何度も思った。

たまきも多分似たようなことそうぐるぐる思い悩んでいるわけだ。

「世の中の為になるようなすごいやつとかも独身とかでも死ぬじゃん。俺より全然頭いいやつで、学校なんかさ、病院の中のたまにある小さい分校みてぇなとこしか行ってねぇのに、すっげえ頭良かった友達とかも、死んじまったわけだよ。どー考えたって、そいつが無事に大人になって子供いっぱい作ったほうがいい遺伝子残るはずじゃん?」

確かに、その理屈が正しくて、全てに優れた遺伝子だけが今現在残ってるとは思えない。

子供を残すこと、自分の遺伝子をつなぐことだけが生き物の目的で真理だとするなら・・・。

「人間だって結構長いこと生きてんだからさ、世の中今頃、すっげえやつばっかなはずなんだよ。でもそうでもないじゃん。バカ多いよ?」

「うーん・・・・?」

「なあ?!」

「・・・確かに納得はいかないけど・・・」

優れた遺伝子、子供を産み、育てる能力に長けた個体がたくさん存在しているとしたら、多くの子供が出来ない個体が生まれるというのもおかしな話で。虐待も起きないはずだ。

「だろ!?ほら!納得できねえこと、納得すんなよ」

「・・・・確かに、私が浅はかだったかもしれないけど・・・」

私の方が間違っていたかもしれないと、教師にそう言わせて、我が意を得たりと高久たかくは得意気になった。

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