第18話 女の敵
環は、高久から聞き出した店へと向かった。
突然殴り込みかけるのはやめてくれと言われて約束したが、その前に一度どんな顔か見てみたかった。
どうしようもない話だが、同僚を傷つけ、大事な生徒の身を危険に晒した男だ。
あまり新宿界隈には来た事がないから、不案内だが、スマホの道案内を頼りに進む。
ちょっと迷ったらしい。
「・・・サロン・ド・ルピン・トロワ。・・・ルパン三世ってことか・・・。名前だけじゃ何屋なんだかわっかんないじゃないのよ。バッカじゃないのその男っ!女の敵!」
怒りも収まらぬまま、どんどん歩いていく。
と、ふと空気がふわりと動いた。
あれ、こんなとこに・・・。お寺なんか、あったっけ。
赤い伽藍が異世界に誘うように黄昏の街を見下ろしていた。
風もないのに、提灯が揺れている。
寺社仏閣でよく見かける、太字の筆書き書体を目で追った。
「毘沙門天・・・」
はっとした。
か、かみさま・・・。じゃない、ほとけさま!?
気づくと、環は、階段を駆け上っていた。
こんなに派手な寺は・・・確かに、この街にふさわしい。
提灯が並んだ伽藍をくぐり抜けた。
時間も遅いし、他の参拝客はまばらだった。
「と、とりあえず、おまいり・・・」
財布から、五円・・・いや、思い切って千円を出して、奉献とかいてある木箱に入れた。
思わず柏手を打ちそうになった手を止めて、環は頭を下げた。
びしゃもんさま、びしゃもんさま。以前、毘沙門沼で命を助けてもらった者です。
どうかどうかもう一度現れてください・・・。
・・・しかし、静かなものだった。
環はがっくりと肩を落とした。
「だよねえ・・・こんな簡単に・・・。ドリフじゃないんだからさあ・・・」
かみさまも仏様も出て来るわけないっつうの・・・。
狛犬が、じっとこちらを見て、にたりと笑ったような気がした。
しかし、これ。狛犬っつうか・・・犬?
「なんか・・・犬っていうより、でっかい猫みたい・・・」
こんな狛犬見たことない。
こういう場所って、犬か、狐が相場だろうと思っていたのだが・・・。
「馬鹿者。虎だ」
は?と環は声がした方向を見た。
「・・・あ、虎かあ・・・え、虎ぁ?」
いつの間にか、あたりに霧が立ち込めていた。
「少年。我が主の気を身につけているな」
ぴょい、と目の前の石の虎が石畳に降り立った。
白い虎が優雅な肢体を煌々と輝やかせていた。
「ここはわが主人の領内につき。縁のある者は我が取り継ごう・・・千円貰ったし。最近では、賽銭箱に札を入れていく者など珍しい。・・・まだ不景気なのか。バブル崩壊、リーマンショック・・・いろいろ見てきたが、長い不況だのう。アベノミクスはどーなったのじゃ。実感のない好景気など麻薬にもならぬ」
しゅるん、しゅるんと長い尻尾がまるで新体操のリボンのように宙で踊った。
「うむ・・・。しかし、不思議だのう、そなた随分、我と通りがいいのう」
・・・チャンネルが合う、ということだろうか。
「するりと入ってきおった」
「・・・あ、私、寅年です。だからかも」
白虎は、はあ?と目を寄らせた。
「いや、計算が合わんだろう」
サバ読むんじゃねえよ、という顔をしている。
「それが・・・この体、生徒の・・・ああ、私、教師なんですけど。生徒のものなんです。で、私、今年三十一になるんですが。私の体に、生徒が入ってしまっていて・・・」
虎が皿のように目を剥いた。
「・・・なんでまた」
「それが、沼に落っこちた時、毘沙門様に助けて頂いて。その時に生き返らせて貰ったんですが、毘沙門様の手違いで体取り違ってしまったらしくて・・・」
虎が突然、飛びかかってきた。
食われるっと環は体をこわばらせた。
しかし、虎は慌てた様子で、分厚い手のひらで環の口を抑えただけだった。
「・・・いかん。いかんぞ・・・少年。いや、ご新造。そんなことがまことであれば、わが主人に咎が及ぶ・・・」
「ですから、本人に戻して頂きたいんですっ。間違ったんだから、当然でしょっ」
「ああもう、わかったっ。でっかい声を出すなっ。さてはお前、田舎者だなっ?」
カチンときた。これだから都会の人間ってっ・・・って人間じゃないけど。
「毘沙門様、これなるご新造が、拝謁賜りたいそうでございます」
本堂を振り仰いだ虎が、咆哮めいた声でそう告げた。
「うむ。・・・儂が毘沙門天である」
本堂が音もなく開いて、現れたのは・・・見覚えのある姿。
「・・か、かみさま・・・じゃない、毘沙門さまっ。ここにいたのね・・・っ」
こっちは感激の再会だと言うのに、当の本人は、しばらくぽかんと環を見詰めていた。
だれだっけ。と顔に書いてある。
「ちょっと・・・」
「・・・ああっ。思い出した。少年。息災であったか」
今まで忘れてたのかよ。
環は、違うっと否定した。
「私、環です」
「・・・はあ~?」
またまた、という顔をしたが、次の瞬間、さあっと血の気が引いたようだった。
彼には、高久の体の中の環の姿が見えたのだろう。
「・・・た、確かに。この界隈では見かけぬ地味な女子が、見える・・・」
「ここらへんは昔から別嬪の姐さん方が多うございますからねえ」
自慢気に虎が胸を張った。
・・・地味で悪かったな。
「とにかく、早く戻して下さい。でないともういろいろ不都合が出てきてるんです」
「・・・・うむむ。うむーー。それは・・・ちょっと、難しい」
「難しい?何でですか・・・」
「本来、その、あまり、人間の生き死に関わってはならんのだ。その上、儂の過失にて候となれば・・・」
「だって。もともとポカやったの、そっちでしょっ」
環がぐいぐいと迫った。
「ううむ・・・・・・そなた、けっこうおっかないのう・・・」
「寅年のおなごです。毘沙門様」
こそこそと虎が毘沙門天に耳打ちした。
「性格の強い者は庚の寅の女だけではないのか・・・この者は、丙寅の生まれのはず・・・おてんとさまのように優しい生まれではないのか・・・」
「まあ、同じ、タイガーでございますから」
「そうか・・・。やっぱりおなごは、草食動物の干支の生まれのおなごがいいのうー。星座も穏やかな者がいいのうー。卯年乙女座A型とか・・・いいのう・・・」
「すみませんねえっ、寅年獅子座O型の女で」
おおう・・・と毘沙門天が顔をしかめた。
「もうそんなのどうでもいいから早くしてよねっ。これだから男ってイザっていう時役に立たないんだからっ」
毘沙門天が鎧の上から胸を押さえた。
「それさっきも言われてきたから。勘弁して・・・」
女の上司に罵倒されて来たらしい。
「うむ。しばし待て。環刀自古。そうか。その体では、確かに・・・時がないな。このままでは、まずかろうな」
「・・・え・・・」
「うむ。その五十六少年の体は、もうもたん」
「いや、困ります困ります。私、来週にでも性病検査して、再来週には、心臓の検査行こうと思ってるんですから」
「・・・なんじゃい、そりゃ・・・」
「同僚と生徒の不始末です。昨今の若者の性の乱れが問題だっては度々問題になって知ってたんですけど・・・まさか、自分の担任の生徒と同僚がとか・・・。もうあきれてしまって・・・」
「うむ。セーフティセックスじゃ。・・・まあとにかく・・・のんびり性病で死ぬ前に、心の臓がもたんわい」
「・・・・そんな・・・何とかならないんですかっ」
「あのな。受験だって、何ともならないのに、生死なんかそう簡単に考えてもらっちゃ困る」
え。受験てそうなの。
「え、運つけてくれるわけじゃないんですか?じゃあ。神さまや仏さまは何やるんですか?」
「そうじゃのう・・・管理、運営、見守りってとこか。交通安全、家内安全、出産祈願、受験合格。これらすべからく、見守っておる。というわけで、見守ることしか我らは出来ないのじゃ。・・・わかってくれたか、環刀自古」
威厳たっぷりに言う。
「・・・・理解はしました」
「そうか・・・」
「でも、納得できませんっ」
「えっ・・・」
「私、何回でも来ますから!」
宣言すると、きっと虎を睨んだ。
「次も絶対取り次いでよ。それがあんたの仕事でしょ」
「・・・え・・・っ。こ、困る・・・」
「千円貰っといて何言ってんのよ!職務怠慢じゃないの!これだから男って無責任なのよっ」
環の剣幕に、縋るように虎が毘沙門天を見た。
神仏を脅すとは、なんと恐ろしいおなごじゃ・・・・。おなごは恐ろしい・・・。
そう、先ほど怒鳴り散らされて来た上司も、もとは生首を首から数珠繋ぎに下げ、髪を振り乱し、腕が何本もあり、鉈を持ち、血まみれになって夫を踏みつけにした姿で描かれた女神であったはずだ。
とんでもない。まさに奇縁に巻き込まれてしまったことを、彼は嘆いた。
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