第15話 淡い恋心の思い出
放課後、日直から日誌を受け取り、高久は職員室の自分のデスクへと戻った。
思った通り、午後一番で学園長に呼び出され、紫のことを根掘り葉掘り聞かれたが、知らないし、知っていても誰にも何も言うつもりもないとだけ繰り返した。
出された玄米茶を七杯飲んだ所で、根負けしたのは学園長だった。
三十代よりも五十代の膀胱はヤワだったらしい。
いずれの理由にしろ、どちらかが耐えきれず席を立ったことが、解散の合図となった。
ふふん。ざまあねえな。
最近、ミルクティー2リットル一気飲みしてから寝ているが、就寝中に起きるなんてことは一度もない。繰り返すうちに知らず知らずに膀胱が鍛えられて容量が増えたのかもしれない。
「金沢先生」
え、と顔を上げると、一ノ瀬紫が立っていた。
「私のこと。言わなかったってね。叔父さ・・・、学園長先生にいろいろ聞かれたんでしょ。学園長先生、金沢先生のこと問い詰めたけど答えなかったって」
それは環本人に口止めされていたからだ。
環め、あの後ダメ押しでラインでも口止めの釘を刺してきたのだ。
絶対言うな、知らないで通せ。もし言ったら、おまえの作品全部メルカリで売ってやると脅されたのだ。
「いやまあ・・・。あのほんと。いいんです。もう」
いろんな意味で。・・・もう。忘れたいんで。死にそうなんで。
「・・・ありがとう」
ぽつりとそう言われ、高久は驚いた。
関係があった時もそうでない時も、しらっとした言葉しか聞いたことはなかったから。先輩であるはずの環に対しても、小馬鹿にしたような態度ばかりだった。
紫が名刺大のカードを差し出した。
「これ。私の行ってる美容室の商品券」
「・・・はあ・・・」
「服とか化粧品変えたみたいだけど。まず髪型を変えたほうがいいと思うんですけど。ダサいから」
相変わらず、先輩とも思わない口調だが、彼女なりのお礼のつもりなのだろう。
「あと。なんでストッキングはかないの、最近?」
「いや・・・苦手で・・・」
「ああ、蒸れるもんね。じゃ、これ、良かったら。けっこういいですよ」
机の引き出しから、なにか取り出す。
「これだと蒸れないでしょ」
ラッピングされているのは、黒のレースとピンクの小さなリボンがあしらわれている布の塊と、ストッキング。
まさかこんな形で、紫と関係があった時に見せられて以来、朝な夕なに、夢にまでも見た、ガーターベルトが手に入るとは・・・。
高久の手が思わず震えた。
「・・・・ありがとう、ございますぅ・・・。思い出にしますぅ・・・」
紫は大袈裟にそう言われて、ちょっと眉を寄せたが、じゃあ、と言って部活へと向かった。
とにかく、行ってみるか、と高久は美容室へと向かうことにした。
紫の御用達だという美容室は、なかなか話題の美容室のようで、飛び入り初めての客だとわかると、予約がいっぱいでと体良く追い返されそうになったが、商品券があるとわかると、どこをどうしたものなのかすぐに椅子に通された。店に貼ってあるやたら小洒落た広告を見ると、どうやらVIPの客のみが購入できる商品券らしい。
「年間さんじゅうまんえんいじょうごりようされたお客様だけに・・・うえっ?!頭の毛に年間三十万!?・・・ええと、五万円分の商品券を特別に四万五千円で・・・。年間三十万も使ってんだからよー、もうちーっとまけろよなあー・・・」
ブツブツ言っといると、奥からニット帽とサングラスをかけた長身の男がやって来た。
「はじめまして、アキラです」
店にいた他の女性客が羨望の眼差しを向けた。
冬でもないのに室内でニット帽とサングラス。
これが、女の思う、おしゃれな男というやつか。もうちょっとガタイがいい方がいいんじゃないか。細っちいなと、ついやっかんで見てしまう。
「どーも。・・・なあ。ユカリ、よく来んの?」
「週一くらいでご来店いただいてます。先週も来てくれてね」
ユカパイの事だから、この手の男にも媚び媚びでアピールしているのだろうか。
「彼女、物静かな子だよね」
「はあ?」
どこがだよあのビッチ、と言いそうになって。鏡を見返した。
アキラの目と合った。無意識になのだろう、彼はにっこりと微笑むと、また手元を動かし始めた。
そうか。紫は、この男が好きなんだ。
分かったところで、別にもうショックじゃないのが不思議だった。
「・・・金沢さん、この後の予定は?」
「デパ地下でケーキ買って帰る」
アシスタントの女の子が差し出してくれた女性誌なんて興味は無いし、グラビア誌もマンガも無いと言う。寝ちまおうかなと考えていたのだが、アキラがちょくちょく話しかけてしてくるのがウザかった。
子供の頃から通っている床屋の料金表を眺めながら、大人の男になってパーマネントを当てるなら、細かいパンチだなとひそかに思っていたのだが、まさか美容室で、こんな太巻やらカッパ巻程あるロットでデジタルなパーマをかける日がくるとは。
「さて。どうかな」
髪を短くしたせいか、表情がよく見えるようになった。
心なしか、若返ったようだし、顔色も明るく見える。
「おー、いいじゃん」
極太ロットを出された時は、サザエさんみたいになったらどうしようと思っていた。
「・・・うん、すごくいいな」
アキラも満足そうだった。
よし、と環は立ち上がった。
紫から貰った商品券だけでは足らず、手出し分の会計を済ませていると、アキラがカウンターにやってきた。
バッグを取り、肩にかけた。
「・・・お荷物外までお持ちします」
「いやいいよ。重いから・・」
「またそんな・・・」
よくわからないがそれが美容院ルールなのだろうか。
「んじゃ頼むわ」
高久はトートバッグをアキラに手渡した。
「では、・・うっ・・・・。こ、これ、何入ってんですか・・・?」
ボーリングの玉でも入ってるかのように重い。彼女は軽々と持っていたではないか。
「タッパーと七個と保冷剤」
「・・・そ、そうですか・・・」
財布にレシートとカードをしまいながら、アキラと店を出た。
すっかり暗くなっていて、これは急がねばデパートが閉まる。
「良かったら。ケーキ、プレゼントしましょうか」
「はあ?」
「これからケーキ買いに行くんでしょう。それとも、お店終わるまで待ってくれれば、もっとおいしいものなんでもご馳走するよ」
ああ、ナンパかよ。
意図に気付いて、高久は笑った。
「いや結構。あんたじゃ破産しちまう」
ブラックカードを見せた。
「それともあんたで破産させたい?・・・それも無理だな。じゃ、どうもね」
そう言うと、高久は踵を返した。
アキラはしばらく環の後ろ姿を眺めていた。
ふられたのは久しぶりだ。
店に戻ると、アシスタントが次の予約の客が間もなく来店だと告げた。
子猫のようにじゃれつく二人を仕事場に戻すと、アキラは伝票と顧客名簿を持って控え室に向かった。
初めて来店した客には、簡単なアンケートと一緒に、氏名や住所をカードに書いてもらっているのだ。それがそのまま名簿になっている。
一番上のページに、環のカードがあった。
「金沢環さん、ね。・・・ふーん・・」
スマホに何件かお誘いのメールやラインが届いていた。
モデルやアナウンサーとしてけっこう売れて来ている子からもいくつか。
「美容師やってて良かったことは・・・こういうとこだよねえ」
アキラは満足そうに笑った。
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