第9話 入れ替わりの学校生活

翌朝、登校すると環はそろりと後ろの出入り口から教室に入った。  

普段は前方のドアを開けて、教壇に立つのだが。

高久の席は、真ん中の列、一番後ろ。あいうえお順で、本来は高久が前の方だったのだが、目の悪い東海林と勝手に席替えしてしまったのだ。

それ以降、勝手に席替えが横行し、今ではあいうえお順に出席を取ると、あちこちてんでばらばに手が挙がるようになってしまった。

指導力の無さの表れ、と白鳥に指摘されたが、目が悪い生徒が前方に数名いるのも確かなで、仕方なしとしたのだが。

「あ、キンタマ来たー」

びくっとして環は姿勢を正した。

担任の金沢環の姿、今は高久が入っているのは誰も知る由も無いが。

ガラリ、と当然のように扉を開けて入ってきた。

高久は椅子に座ると、ほっとして胸をなでおろした。

割にまともな姿だ。

髪の毛はどうしようもなかったのだろう、つたないながらもゴムで後ろに一本に束ねてあり。スーツはちょっと明るめのグレー。インナーがブラウスやシャツではなくティーシャツなのが残念だが、中身は男子高校生なのである。

がんばった方だ。そうだ、褒めて伸ばさねばならぬ。

お前はよくやったと環は高久の健闘を讃えた。

クラス委員の一本杉が、立ち上がった。

「起立、礼、おはようございます」

号令と共に全員が従った。

「おはようございます」

高久も、挨拶をすると当然のようにクラス名簿を開いた。

「では、出席を取ります。・・・麻生君」

「はい」

「安藤君・・・、笠井君・・・橘内君・・・」

はい、とあちこちから手が上がった。

「・・・高久くん」

はい、とハラハラしながら手を挙げた。

目が合った。

高久はにこりともしなかったが、目が笑い出しそうなのを堪えているのが分かった。

「・・・高橋君・・・土田君・・・天童君・・・」

全員、合計三十人の名前を呼んで、高久はぱたんと名簿を閉じた。

「全員出席ですね。・・・今日は、避難訓練がありますから、放送があったら速やかに行動してください」

どうした。すごいまともだ。

環は感動を覚えていた。

「それでは、クラス目標唱和」

高久がそう言うと、全員が昌和した。

「本気、元気、勇気!」

これこそ四月に皆で決めた目標なのである。

他のクラスは「真摯・努力・達成」や「精神一到」や「ボーイズビーアンビシャス」等、それぞれ個性が表れている。

クラス目標が決定して、学年会議で学年主任の白鳥に、小学生かと一度却下されたのだが、環が食い下がったのである。

自分たちで一番最初に決めたことを、ダメだと言いたくはなかったから。

全員が着席して、一限目の現代文の準備を始めた時、高久が声を上げた。

「高久くーん、保健委員でしょー。あとでクラス分の保健だより渡したいから、保健室に来てください」

「は、はい」

そうだ。高久は保健委員であった。

生き物委員か放送委員が良かったのだが、まさかのジャンケン三連敗で決まったのだ。

経緯はどうあれ、高久と話せる機会が多いのは助かった。

しかし、午前の授業が終わり、昼食の合図の音楽が放送された時にはもうぐったりで・・・。内容自体は、まあ遠い昔とはいえ、知らぬことではないし、わからないとか戸惑いなどということはない。だが、座ってほぼ四時間授業を受けるのがこんなにしんどいとは・・・・。

「高久、パン買ってくっからっ」

「あー、保健室行って保健だよりもらってくるから、食べてて」

「オッケー。ほら、高橋、売り切れる!」

財布を握りしめた東海林と高橋が飛び出して行った。 

環は、しなのが持たせてくれた弁当を取り出すと、立ち上がった。


 一階の保健室のドアをノックした。

「・・・失礼します・・・」

遠慮がちに開けると、よっと高久が手を上げた。

机の上に山のようなパンが積まれていた。リットルパックのままホースのようにぶっといストローをさしてコーヒー牛乳を飲んでいる。

「学生、けっこうサマになってんじゃん」

高久が素直に感想を述べた。

「いや、あんただって・・・。三十歳やらせちゃって、悪いなあと思ってるわよ」

大変さの比重は、絶対的に高校生をやるより社会人のほうだろう。

「これ、食べなさいね」

弁当箱を差し出す。

「俺の弁当箱じゃん」

嬉しそうに受け取る。

「しなのさん、私より、あんたに食べて欲しいはずだしね」

「マジか。いいの。・・・んじゃ、これ、パン食ったら。あ、オレ、パンも食うから。焼そばパンとあんバタメロンとっといて。・・・あー、やっぱ、うめー。すげーだろ、しなのさん、チョー仕事出来るんだよ」

確かに。しなのの家事能力は素晴らしい。料理だって、びっくりするくらい上手なのだ。

環は、椅子を引っ張ってくると、座って、チョココロネをかじった。

「・・パン、取り合いなのに、よく買えたわね・・・」

「オレ、センセーだもん。先に欲しいのあらかた買ったわけよ」

高久はエビフライを咥えたまま、へっへっへ、と笑った。

今頃、校内中の目当てのパンを変えなかった生徒に恨まれてそうだ。

「大丈夫だった、昨日」

「うん。大丈夫。心配すんなってー。旦那は帰って来てないし、おかーさまにもお土産渡したし」

「そう」

環はほっとした。

「問題はさあ、旦那じゃん。いつ帰ってくんの?」

「んー。捜査本部ができちゃってるからね。事件解決して解散するまでは帰れないの。着替えとか取りには来るんだけど」

「そっか。警察官って大変なんだな。なんか、おまわりさんってもっと暇なイメージだったんだけど。・・・んじゃ、しばらく大丈夫かな。・・・あ、うちの父ちゃんと、兄ちゃんは、マジあんま帰ってこないし、帰ってきても昼間とか。あんまり会わないし」

「・・・ちょっと。うちはまあ仕方ないにしても、あんたんち心配なんだけど・・・。海外に出張に行かれたそうよ。・・・お父さんと顔合わせたの、いつ」

「えーーと、確かお盆。じーちゃんちに行ったんだ。途中で兄ちゃんも合流して、ほうとう食ってぶどう買って信玄餅の詰め放題に行った」

そうか、父親の実家は山梨か。

「だってもう九月も末じゃない。そんなに会ってないの?」

「まあ、用事があれば会うけど、今んとこないし。あのね、そっちだって相当じゃん」

「何がよ」

「単身赴任でもないのに、旦那が全然帰ってこないでさ、地味なおかずばっかりせっせと自分で冷蔵庫にしまって、それ自分でせっせと掘り返して食ってるってどんななわけ。しかも、服も化粧品も下着も全部萎えるようなもんでよー」

「・・・なんで知って・・・。ああ、冷蔵庫見たのね。捨てていいわよ。どうせ誰も食べないもの。いたんじゃうし」

「もう大体食った。なんか、寺で出てくるみたいな飯ばっかだったけど、うまかった」

「・・・あ、そう。ありがと・・・。ていうか、あれ、一週間分なんだけど」

「え、全然足らないんだけど。冷凍庫にある米的なもんも食っちゃった」

なんという食欲だ。何でも食っちゃうんだな・・・。

「冷凍庫に、あと何入ってんの?ガチガチでわかんないんだけど」

「え。えーと。カレーとかシチューとか。ミートソースとか。あ、グラタンもあったな」

「おっ、ラッキー。しばらく食えるじゃーん」

「コンビニとか外食とかしたら・・・?」

「何言ってんだよ。あるうち食わないともったいないじゃん。うまいし」

割と一人暮らし気分を満喫しているようだ。

不満だらけよりはいいが。

「あの・・・お米くらいは炊けるのよね?」

「いや炊いたことないからやってみないとわかんないけど」

環は、米の保管場所と、測り方と炊き方を紙に書いて渡した。

「昔、調理実習でやったっきりだなー。あのコップ、米すくってるだけじゃなくて測れるんだー。すげー」

心配だ。まあ、水加減を失敗したくらいでは、胃腸を悪くしたりはしないだろうから。

高久は足を投げ出してぶらぶらしていた

「あーー、だっりーーー」

パンプスが痛いと、高久はこぼした。

「女って皆こんな痛いの履いてんの?スニーカーじゃだめか?女物ならなんでもいいんだろ?」

「黒とか、目立たないようなスニーカーにしてよ。あのド派手なやつはだめよ。・・・ちょっと、ストッキングは?」」

高久は、なにそれ?と全くわけがわかっていない様子だ。

「だから、パンティーストッキングだっつのっ」

「パ、パンティーなんて!バカ!女のパンティーなんかはけるかよ!」

「パンティーとか言わないでよ!いやらしいっ。あれ、肌色の薄いタイツみたいなやつ」

「あ、あーー、知ってる。あれね。あれ履くのかよ」

「履くのよっ。・・・あんた、下着、今何履いてんの?」

「え?」

「・・・だから、パンツ。女物じゃないなら何履いてんのよ」

「そんなの。男物のパンツに決まってんじゃん」

「・・・・・そんなの履いてたら、おかしいじゃないの・・・」

「何言ってんだよっ。女だって、ショーパン履くじゃんっ。似たようなもんだろ」

環がため息をついた。

「なんだよ、じゃ、アンタは、男物の・・・俺のパンツ履いてんのかようっ」

「当たり前じゃないのっ・・・この格好で、それこそパンティー履けっての!?」

「うわっ。信じらんねー。よく履けるな、女のくせに・・・・。変態っ。だからババアはよう・・・」

変なところで繊細だ。

「面倒くさいわねアンタ。・・・下着はコンビニで買ったわけ?」

「え、いや。それが忘れててさ。旦那の借りた」

「えええええっ。嫌っ。なんで私が旦那のパンツ履かなきゃなんないのよっ」

「な、なんだよっ。今は俺じゃんっ。大体、夫婦なんだし、まあいいじゃんっ」

「良くないってっ。どこに、まあいいやって旦那のパンツ履いてる女がいるのよ・・・」

「お、奥さんのパンツはいてる旦那よりはいいじゃん・・・・!」

「それじゃ丸っきり変態よ・・・・」

ああ、血圧が上がる。

絶対にそんなの履いてるのバレないでよ。絶対に!と念を押す。

「わかった・・・」

といいつつ、高久は、すでに園長にトランクスを見られていることは、黙っておこうと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る