第7話 男子校生の事情

バスを降りた一行は、学校の最寄りの駅で解散式を行っていた。

いつもは白鳥の役目なのに、なぜか今日は養護教諭がハンドマイクを握って進行役をしていた。隣にはいつもよりも硬い表情の学園長が棒切れのように突っ立っている。

「ではー、ここで解散となります。それとー、ここに、ハワイアンズおすすめの豆グラッセとダックワーズがありまーす。これは学園長先生から皆さんへのお土産でーす。ご家族と修学旅行のお話をしながら食べてくださーい」

うおおおおっと歓声が上がった。

すげえ学園長、フトッパラ~。

どーしたんだよ、ケチのくせによ。

と、あちこちでヤジが飛んだ。

「ではみなさん、学園長先生にお礼を言いましょーう」

「あざーーーっす」

と野太い声が響き渡った。

「ではー学園長先生から一言でーす・・・・」

早くしろよ、短くな、とぼそっと環が呟いたのに、一ノ瀬は無言で頷いた。

「みなさんお疲れ様でした。とても実りの多い旅だったと思います。一回りも二回りも成長した姿をご家族に見せてあげてください。それでは、みなさん。無事に自宅に帰るまでが旅です。気をつけて各々帰宅してください」

「はあーい、ありがとうございまーす。それでは、みなさん解散でーす」

と環が言うと、生徒達はわらわらと散った。

保護者が迎えに来ている者も多い。

高久もそうかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。

さり気なく高久の姿を目で追うと、ラインが入ってきていた。

『東海林んちに乗せてもらって。こそこそしてっと怪しいから、このまま解散』

と書いてあった。

顔を上げると、高久が手を振っていた。

『うちは夫が当直だから。そのまま帰って、お土産はお義母さんに手渡して』と返信すると、『了解』と入っていた。

「高久、こっちー」

という声がして、高久が手招いていた。

隣に、小さくて丸っこい感じの女性が立っていた。

「いっくん、後ろ乗ってー」

可愛らしい笑顔で後部座席に促した。

東海林は大病院の院長の息子なはずだ。彼女は院長夫人ということになる。だが、ドラマに出てくるようなセレブ然と取り澄ましたタイプではないのが救いだった。

保護者会で一度だけ会ったきりだが、その時もにこにことして、他の母親たちと少し違うようだった。

小柄な彼女には意外なランドクルーザーの大型車で、運転も手馴れたものだ。

十年以上ペーパードライバーの環は感心してしまった。

「運転、うまいんですね」

「だってほら、おばちゃん、パパが無医村にいた頃は、ずいぶん運転したものー。パパが免許ないもんだからねぇ。往診して、救急車もなかなか来ないから、そんな時は緊急車両に早変わりなのよ。もー、ごんちゃんがぎゃあぎゃあ泣いて、奥さん、これじゃうるさくて死ねないってよく患者さんに言われたっけねえ」

「・・・ごんちゃんって言うなよ」

「いいじゃない。だって、いちいち、ごんざぶろうって言った方がいーい?」

「いいわけねえだろっ」

東海林が悲し気に叫んだ。

ここの家もなかなかのネーミングセンスらしい。

思わず、環は吹き出した。

つられて、院長夫人も笑い出した。

「ね、変よねえ。うちは男の子はみーんな三郎ってつけなきゃなんないから。三男でもないのによー。ママのお父さんが真三郎、おじいちゃんが義三郎。そしたらパパが、昔飼ってた犬がゴンだったから権三郎なんてつけて・・・。全く、医者って皆変わってるー。変よねえー」

変わってる、でも一番パパが変わってる、と繰り返してる。

「へえ・・・。あ、あのー・・・どうしてそんな旦那さまと結婚されたんですか?」

嬉しそうに東海林夫人は頬を染めた。

「やだもう、いっくん。それは、出会っちゃったら好きになっちゃったんですものー」

「ただ単にお見合い中にトイレに行くって中座して、途中階段から落ちて頭割って血だらけになってたのを治してもらったんだろ?」

驚いたホテルの従業店達がお医者様いらっしゃいませんかと探し回り、断れなくて行ってみたら先程まで自分と不機嫌そうに飯を食っていた見合い相手の女だったというわけだ。

環はたまらず吹き出した。

衝撃的な出会いだ。

「さっき、ごんちゃんといっくんの担任の金沢先生に本当はあいさつしたかったんだけど、ごんちゃんが恥ずかしいからやめてとか言うのよ。若い女の先生だから恥ずかしいのかしらねー」

突然自分の話題になり、環はびっくりして顔を上げた。

ミラー越しに目があって、東海林の母親の楽しげに細められた目と目があった。

「わ、若くないし・・」

「あらー。若いわよう。おばちゃんなんてもう五十だもの」

言われて、びっくりした。

どう見ても自分より五つ程上にしか見えない。

「ご、五十ですか?・・・何かしてるんですか、エステとか・・・?」

今度は東海林が笑い出した。

「高久、なんだよ今日は根掘り葉掘り。いつもはお母さんとスイーツ話しかしないくせに。あ、わかった。お母さん、整形とか疑われてるんじゃないのー?」

「やだー。どうせ整形するなら、もっとこう、芸能人みたいにキレイにするでしょー」

母子はまた笑い転げていた。

いいおうちだな、と環は嬉しくなった。

「なんだか、金沢先生、保護者会でお話しした時、少し、寂しそうだったな。心配なの」

え、と環は顔を上げた。

「きっと真面目で疲れてんだよ、キンタマ」

「ごんちゃん、またそんなこと言って・・・」

なんだか自分の話をされているのが不思議だった。

しかも、こんなによく見てくれている人がいるとは。

嬉しい驚きだった。


 初めて見た、高久の家は、豪邸で。寺のような、神社のような、旅館のような。和風住宅というより日本建築だった。 

しばし呆然としていたが、おそるおそる、インターホンを押した。

はい、という女性の声がした。

「ただいま・・・」

「おかえりなさいませ。今お開けします」

ガチャンという音がして、門扉と玄関のドアが解錠されたようだった。

入ってみると、まるで高級旅館のようなつくりで唖然としてしまった。

広い玄関に、秋だというのに大きな桜の枝が生けられてそれが満開なのだ。

「おかえりなさいませ」

六十代くらいの女性がぺこりと頭を下げた。

誰だろう。母親はいないはずだし、祖母にしては若いし。言葉もずいぶん他人行儀だ。

ああもしや。お手伝いさんというやつか・・・。

「お疲れじゃないですか、なんだか。顔色が悪いよう・・・」

「いやいやそんなことないよ・・」

「・・・修学旅行でもし何かあったらと思ったら、気が気じゃなかったですよ」

ともかく無事帰ってきてくれてよかった、と彼女はほっとした様子だった。

「お部屋に、飲み物お持ちしますからね。洗濯物を後で取りに伺います」

促されるまま、奥の部屋へと向かった。

高久に、俺の部屋はまっすぐ行けばすぐわかる、と言われていたものの、奥へ奥へ・・・。

この家の恐ろしいところは、どうも階段がないのだ。

平屋ということであり、それだけの土地がある、ということで。

しばらくすると、ドアに行き当たった。

ここまでずっと襖しかなかったから、突然でびっくりした。

とすると、ここだろうな、多分。

ドアを開けると、見覚えのあるジブリアニメのグッズがところ狭しと並んでいた。

へえ、と思って環は部屋に入った。

アニメ鑑賞が趣味と書いてあったから、ニメートルくらいあるようなバストで幼女顔の萌えアニメ見てたらどうしようと思ったのだが。

部屋のあらゆるところあるジオラマは、よく見ると手作りのようだった。

「・・・うわ、器用・・・」

飛行機が木工で作ってあったり、不思議な植物がこれまた不思議な素材で作ってある。

感心して環はジオラマを、がぶり寄りで観察した。

やかましいとか、落ち着きがないとか思っている生徒も、みんな一人一人こういう内面世界があるのだなあ、すごいなあ、と改めて思った。

それに今頃こうなってみて気づくなんて、教師失格と心から思う。

淫行とか、暴力とか。そんなことしなくても、十分教師失格だ。

しばらくして、先ほどのお手伝いさんが飲み物を持ってきた。

「どうでした、修学旅行は」

「うん、楽しかったよ」

高久がいつもどういう態度なのかわからなかったが、とても楽しんでいた様子だったから間違いはないだろう。

「あら良かった。どうせプールにも温泉にも入れないのにとか、行ってもつまらないなんて言ってたから心配していたんですよ。でも、念願の就学旅行ですものね。遠足にも運動会にも行けなかったいっちゃんが、まさか就学旅行に行けるなんて」

嬉しそうに彼女は言った。

そうか。遠足にも、運動会にも、参加できなかったのか。

今まで、サボりだとばかり思っていた。

「うん。楽しかった。すげー楽しかったよ」

そうだ。高久ならそう答えるだろう。

「ええと、これ」

紙袋にいっぱいのお土産から、環はお菓子を一箱取り出して手渡した。

「お土産です」

箱入りのお菓子。

「まあ・・・」

「え・・・だって、普通、だよね・・・」

「まあまあ、いっちゃんおとなになって・・・」

やり方がおばちゃんだったか、ちょっと。普通は、高校生は箱買いしないかもしれない・・・。悩んだが、熨斗つけなくて良かった。

「ありがとうございます。あとでおいしくいただきますね」

ぺこりと環も頭を下げた。

「洗濯物いただいて行きますね。今日中にはお渡しできますから」

「・・・あの、これからは、自分でやろうと思います」

「あら、そんな。でも私の仕事ですから」

「いえ。ちょっと、やってみさせてください」

「まあ・・・なんだか、修学旅行ってほんとに大人になるんですねえ」

そんなわけないだろう。三泊四日のフルーツ食べ放題とハイキングとプールと温泉入るだけじゃ、大人になんかならないだろう。

それじゃあ、と出て行ったお手伝いさんを見送ると、環はスマホを取り出した。

『今、帰宅しました。お手伝いさんに挨拶しました』

しばらくすると、まだ帰宅していない様子の高久からも返信があった。

『しなのさんて言うの。子供の時からお世話になってる。すごくいいひと』

お手伝いさんというより、高久にとっては、ばあや的存在なのだろう。

『わかった。お父さんとお兄さんのことは何て呼ぶの」

『父ちゃん。兄ちゃん。でもあんまり帰ってこないし。心配しないでOK』

それが心配なのだ。

環はため息をつくと、話題を変えた。

『すごいね、作品。大作ばっかりじゃない』

『まあね!』

ちょっと嬉しそうだ。

『ほんとうにすごい。コンクールとか出したら入賞しそう』

話が鳴った。しなのさんの夕食ですよという声がした。


 感動だった。

座って、ご飯が用意できている。しかも、完璧な食事だ。

「修学旅行でおいしいもの沢山召し上がったでしょうけどね」

いやいやとんでもない。

ビーフシチューに、くるみ入りのパン。スモークサーモンとアボガドの入ったサラダ。小さなババロアまでついている。レストランみたいだ。

「おいしいですー。このビーフシチュー最高ー。クリスマスみたーい」

「まあ、クリスマスはターキーでしょう?今年のクリスマスはシチューがいいんですか」

ターキーって七面鳥か。そんな鳥、見たことも食べたこともない。

うわどうしよう。クリスマスまでここんちの子でいたい気がしてきた。

クリスマスで七面鳥なんだから、お正月はどうなんだろう。鮪でも一匹出てきそうだ。

「・・・えと、父ちゃんと、兄ちゃんは・・・」

「ええと旦那様は、一昨日一度戻っていらして、そのままベルギーに出張に。一三さんは、先週から戻ってらっしゃいません。このまま年末までお忙しいようですよ」

「そっか・・・」

「ご用事でしたか」

「お土産を渡したいなあと思って」

しなのが目を見開いた。

「お土産ですか。それぞれにお買いになったの、いっちゃん。まあー、修学旅行ってほんとにめざましく大人になっちゃうんですねえ」

え、うん。と環は適当に誤魔化して、また食事に没頭した。

男子高生というのは、男家族には土産なんてそれぞれ買ってこないものなんだろうか。

自分が就学旅行に行った時は、クラスメイトとお揃いであれこれ買ったり、それこそ家族や友人一人一人に細々とした土産を買ったものだけれど。

高久に家にお土産は買ったのかと聞いたら、自分には買うが家には買わないと言ったので、慌てて買い求めたのだが。

自分の分は、高久に渡してあるのだが。

ちょっと、まずかったかな・・・。

「いっちゃん。シチューもサラダもおかわりありますよ」

「お、おねがいしまーす・・・」

環はいそいそとお皿を差し出した。

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