第7話 貞操の危機

夕飯と入浴を済ませると、スマホに高久たかくからメッセージが入っていた。

園長に呼ばれたからちょっと行ってくる、という短い文章を確認すると、たまきは風呂に忘れ物をしたらしいと同室のクラスメイトに言って、慌てて部屋を飛び出した。

俺も風呂また行こうかな、と数人に言われてギョッとしたが、実際はウォータースライダー含めプールに5時間、バイキングの食事を怪獣の如く腹一杯たいらげ、施設の全ての風呂を回ったクラスメイト達には、実際はその気力もないようだったのが助かった。

「ええと、確か、園長先生は、別の棟一番角部屋の・・・」

土産物屋の観光客をかき分けかき分け、エレベーターを上がり、ああ、ここはどこだ、と気ばかり焦る。

その時、いるはずのない学生の姿を見つけて、学年主任の白鳥しらとりが近づいてきた。

高久たかくくん?迷ったんですか」

「あ、あの。・・・ちょっと、用事が」

「なんですか。この棟には先生方の部屋しかありませんが」

白鳥の神経質そうな糸目が更に細くなった。

「いやええと・・・。風邪ひいたので、金沢かなざわ先生に薬、貰おうと思って・・・」

そう言われて、白鳥しらとりは気まずそうな顔をした。

「・・・高久たかく君、改めて、申し訳なかった。あの、後で園長先生からもお話があると思いますが・・・」

「はあ・・・」

やはり生徒を沼に落としたなどとと言ったら、責任問題であろう。

菓子折り持って園長と白鳥しらとりとで自宅に謝罪にでも行く計画でもしているのだろう。

その際は、担任の自分も当然行くべきだろう。

いや、自分も落ちた被害者ではあるが、一応担任なのだから、そこは当然、謝罪すべきだ。

だが、ええと、謝罪に行くのは、たまきの姿の高久たかくであって。謝罪を受けるのは、高久たかくの姿の自分であって。

ああ、なんかこんがらがってきた・・・。

とにかく。どんな姿であろうが、学校の責任者がご両親には、謝らねばならない。

「・・・この件は、お父様には穏便に・・・つまり、黙っていて欲しいんです」

驚いて、まじまじと白鳥しらとりを見てしまった。

「お父様も心配されるでしょうし。今だって、十分、心配しているのでしょうし。君に何か問題がないなら、それも親孝行かな、と思うんです、先生」

こいつら。高久たかくの体の事、知ってるんだ。

自分に担任持たせといて、伝えていなかったくせに。

それで、逃げやがってるんだ。

「・・・わかりました」

「そう、そう。よかった。じゃ、後で園長先生にも言っておきます」

「いえ、帰宅したら、事故の後遺症が心配なので、精密検査を受けに主治医のもとに行きますと父に言います」

「・・・はァッ?!」

慌てた白鳥しらとりに腕を引っ張られた。

カッとした。

廊下に響き渡る声で、たまきは叫んだ。

こんな事今までしたこともやろうと思った事もない。

「触んないでよ!・・・あーーーいったーーーい!!!具合わるくなってきたーーー。白鳥先生に押されて沼に落ちたからだーーーえんちょーーせんせーーーっ。行きますからねーー、でっかい病院にせいみつけんさーーー」

「や、やめなさいっ」

突然、壁の向こうから、何か大きな物が引っくり返ったような音がした。

「はなせ・・・・!」

「逃げんじゃねえ、タコ、おらぁぁぁっ」

バターン!!と目の前のドアが勢い良く開いた。

半裸の自分の姿をした高久たかくと。

半殺しの園長が廊下に転がり出てきた。

 

 しばし、時間は戻る。

園長である一ノ瀬幸太郎いちのせこうたろうは、椅子に座って、正面の養護教諭ようごきょうゆを見据えた。

「金沢先生。今日の行動は目に余るものがあります。・・・我が校は男子校だといつも申し上げていますよね。一般のお客様もいるわけですし。あまり生徒達に刺激を与えてほしくないんです」

うつむいた金沢の口から、はい、と小さな声が漏れた。

「・・自覚はおありだと思いますが。先生は特に何か実績があるわけじゃないでしょう。まあ、養護教諭ということを差し引いても、あなたは特に部活の顧問として何か学校の為に貢献している訳ではない。それで結構。あなたは、保健のおばちゃんのままでいればいいんです。・・・わかりますね?今、自分の立場が危ういことに」

ガバッとたまきが両手をテーブルに置いた。

深々と頭を下げた。

「・・・申し訳、ありません」

声が震えていた。

ゆっくりと顔を上げたたまきの目が赤い。

「・・・・まあ、いいでしょう。・・・今後、今日、今現在から、行動を改めてください」

それと、と続ける。

「今日、A組の高久くんと白鳥しらとり先生が沼に落ちた件の説明を・・・」

「あ、それは、雷に驚いた、白鳥しらとり・・・先生が、キンタ・・・じゃなくて、私を押してですね、その弾みで、オレ、じゃない、高久たかく君も落ちた、ということです」

「それは、白鳥しらとり先生にも先ほど、伺いました。そしてその件はもう喋らないで頂きたい。他の生徒や先生方に何か言われても、蒸し返さないで頂きたいんです。・・・特に高久たかくや、高久たかくと仲の良いA組の生徒には箝口令かんこうれいです。もしまた騒ぎになれば、貴女には責任を取っていただきます」

「・・・沼に落ちたことで?なんでそんなことくらいで・・・」

さっぱりわからないと眉を寄せたのに、苛立ったように一ノ瀬いちのせは舌打ちした。

高久たかくの父親は高久商事の取締役です。進学に関しても、彼の父が望むレベルの推薦枠は確保することになっています。転入時にそのような話になっていると以前も申し送りしましたよね。今回の件が原因で、もしくはそうでなかったとしても今後、彼の体調が悪くなったら、我が校の責任になるわけです」

女教師は口をぽかんと半開きにして見上げていた。

「頭の回転が遅いようですね。・・・万が一、高久たかくの父親の耳に入った場合、貴女の責任ということにして貰いますから」

「は・・・だって、押したのは白鳥しらとりで・・・?」

白鳥しらとり、先生でしょう。・・・いいえ、貴女が足を滑らせて、たまたま近くにいた高久たかくが巻き込まれて落ちたと言うことにします」

信じられないという顔で、一ノ瀬いちのせを見上げた。

白鳥しらとり先生にもそう伝えてあります」

「・・・おれ、じゃない、高久たかく君が父親に言いますよね、普通に考えて」

高久たかくには、言わないで貰うように白鳥しらとり先生から伝えておきます。・・・全部、整っていますから、先生はご心配なく指示に従ってください」

「・・・高久たかくが、嘘を言うのは嫌だとは、思いませんか・・・?」

はあ、と心底呆れたように一ノ瀬いちのせは、顔をしかめて片目でたまきを見た。

「先生、あなた、高久たかくに信頼されてるとでも思っているんですか。おめでたいですね。高久たかくだけじゃない。担任とは名ばかりで何もできない、特に優秀でもないあなたを、どうして生徒達が好きだなどと思うんですか。勘違いもはなはだしい。特にA組の生徒達は、そんなことは期待できませんよ。だからあなたを担任にしたんだし」

まあ、と一ノ瀬いちのせが、言葉を切った。

「・・・先生も、反省してらっしゃるようだし・・・まあよろしい」

そろそろ放免ということか。

高久たかくは、椅子から立ち上がろうとした。

「・・・金沢かなざわ先生が、申し訳ないので自分から、私に謝罪してくださる、というのであれば・・」

一ノ瀬の手が、太ももをなぞり上げた。

そのまま下着を引っ張られた。

「え!?・・・う、わわ・・・・っ」

驚いて高久たかくは立ち上がった。

女の体は持久力はあるが作動が遅い気がする。まだ慣れない。

うまく立ち上がれずにドタンと椅子ごとひっくり返り、腰をしたたか打った。

「いッでぇぇぇぇ・・・」

床はカーペット敷きだが、それでも痛い。

「・・・・金沢かなざわ、先生・・・」

手に布きれを持った一ノ瀬いちのせが中途半端な体勢でこちらを見ていた。

「・・・これ・・・男物の下着ですよね・・・?」

高久たかく愛用のブランドのトランクスが握られていた。

水着はいいのだが、日常的に身につける下着は、女物の面積の小さい下着ではどうも落ち着かなくて、売店で買って来たのだ。

「・・・ああ?・・あ、いや、やっぱパンツはちょっと慣れなくて・・・じゃねえよっっっ!」

と、高久たかくは椅子を持ち上げて振り上げた。

一ノ瀬いちのせは腰を抜かした。

「うあああああっ。あ、危ないっっっ!」

「アブネーのは、てめえだっ、このエロガッパ!」

「・・・え、・・えろがっ・・・」

高久たかくはその辺にある灰皿やリモコンやファイルを一ノ瀬に次々投げつけた。

突然の罵倒と暴力に驚いて、一ノ瀬は床に這いつくばった。

「・・・このヤロウ、女のパンツ脱がせて何やろうっつんだよっっっ・・・これは、男のパンツだけどよっ。おら、返せよっ!」

「え・・・ああ・・・」

「返せっつうのっっっ!」

乱暴に下着をもぎ取った。

揉み合った拍子に、股間部分から破けてしまっていた。

「・・・あーっ!てめえ、このヤロウッ。もーガチキレたかんなっ。おめーなんか公開処刑してやるっ。来いよ、オラッ」

乱暴に尻を蹴り上げて、腕を掴んで引きずった。

「な、何する気だ・・・・?」

「何する気はてめーだろうが。丸裸にして女のパンツ頭からかぶせて、流れるプールの真ん中のヤシの木にくくりつけてやる!」

「な・・・・っ」

あまりのことに、一ノ瀬いちのせは絶句した。

とんでもない。冗談じゃない。そんなことが知れたら・・・・。

「安心しろ。そのデッカい腹に、名前と住所と職業と電話番号、マジックで書いてやっからよ。SNSにもあらかた上げてやっからよっ」

「ふ、ぶさけるのはやめろっ。いいか、金沢っ!そんなことしてみろ。お前、クビだからなっ」

高久たかく一ノ瀬いちのせの腕をひねって後ろから掴んだ。

「は、はなせ・・・」

「逃げんじゃねえよ、タコッ!」

抵抗する一ノ瀬いちのせの尻をもう一度蹴ると、体が転がってドアにぶつかった。

二人はその勢いで開いたドアから廊下に倒れこんだ。

「・・・うわああああっ」

悲鳴が聞こえた。

「いってーな・・・」

顔を上げると、白鳥しらとりと自分が立っていた。

自分の顔をしたたまきが、目玉をひんむいて見下ろしていた。

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