第5話 男子校生のひみつ

高久は若い女教師と同室で浮かれていたが、こっちは男子高生との共同生活だなんて不安だ。部屋に入ると、環の予感は現実となった。

水着一枚で、全員が逆立ちしている。

「遅かったじゃん、高久」

「風邪薬もらえたかー?」

「・・・うん、貰えた」

環は頷くと、荷物の前に座り込んだ。

とにかく、シャツと薬だ。

「飯の前にプールで遊んでいいっていうから、早くしろよー」

「うん」

言いながら、水着を引っ張り出すと、レオパード柄のブーメランパンツだった。

そのまましまい直す。

「あのバカ・・・こんなの、どこで買ってくんだよ・・・」

「なんだって?」

「なんでもない。・・・ええと、あと薬は・・・」

あったあった。防水のビニール袋に、三錠。

これだけ?貧血か、血圧か、アレルギー?何の薬か確かめようとビニール袋から出した。

「え、これって・・・」

見覚えがあった。心臓の悪い祖母が、たまに口の中に入れていた。

ニトロだ。

ということは。

「先行っててっ。風邪薬飲んでから行くから」

「えー。じゃ、あとでなー」

早くプールに行きたくてうずうずしていたクラスメイトたちは、部屋のカギをテーブルに置くと、我先に部屋を出ていった。

環は一人になると、洗面所に向かった。

上着を脱ぐと、鏡の前で恐る恐る胸を見た。

高久は腹と言ったが、胸の真ん中より少し下。縦に走る、傷跡。

バイパス手術だ。

ああ、そうか。そういうことか。

体育、特にプールの授業に出ないのも。人の目のある場所でプールにも風呂にも入らないのも。

環は、シャツを着ると、リュックに入っていたパーカーを羽織り、ジッパーを首元まで上げた。


 プールサイドの店ではハワイ風の土産物や、食べ物が売っている。

学生たちは、食事前だというのに、陽気なハワイアンミュージックの中、各々がハンバーガーを食べたり、パイナップルをくりぬいたジュースをすすったりしていた。

「泳ぐとさ、腹減るよなー」

「うっめーこのロコモコ丼。つーか、これって、ハンバーグ丼と何が違うんだろな?」

「バッカこのハンバーグにロコモ粉つうのが入ってんだろ。高久も早く来りゃあいいのにな。あいつ、ハンバーグ大好きじゃん」

「だよなあ」

と、高橋が顔を上げた時。

レオパード地に赤いハイビスカス柄のド派手なビキニとレイまで首から下げた担任がロコモコ丼と巨大なかき氷を両手に持って立っていたのだ。

当然のように同じテーブルの椅子に座る。

「おっ。食ってんなっ。うまそーだよな、このハンバーグ丼」

「・・・キンタ・・・じゃない、金沢、先生・・・」

「うおっ、超うめー、このハンバーグっ。米に合うなあー、オイ!・・・なんだよー。こっち見んじゃねえーよー。スケベ」

「いや・・・なんか、雰囲気違うなあと思って・・・」

「えっ。ああ、そう。そうなんだよ。アタシィ、持ってきてた水着ダサかったから、さっきそこの売店で買ったのヨッ」

金沢のアホ、思った通り、地味な競泳用の水着だった。せっかくのハワイだというのに。

だから、自分好みの水着を買ったのだ。

特に強調したいのは、胸とビキニラインだ。

「キミ達にわかるかなっ。この食い込みがたまんないヨネッ」

「ですよねー。うっわー写メ撮っていいですかっ」

「んー、撮れ撮れー。動画で撮って後で使えー」

いい気になってポーズを取っていたら、後ろから布を投げつけられた。

高久の姿をした環が、激怒で赤を通り越してどす紫色の顔で立っていた。

「センセイ、・・・そんなことしたら、また白鳥先生に怒られるんじゃないですかあー」

「あ、高久ク~ン・・・・・見つかっちゃったーあ・・・・・・」

「やっぱり、頭打ったんじゃないんですか~。それ、差し上げますよ~」

売店でなるだけまともなサーフパンツを探していると、とんでもない水着を着て横スキップでプールへ向かう自分の姿を見つけたのだ。慌てて一番大判のパレオも買い求めた。

「なんかボク、やっぱり風邪ひいたみたいでー」

「あー、だからパーカーきたんだあー。・・・あっれー、なんか水着ダサくない?」

二人はバカバカしくも小芝居を続けた。

「なんか、沼に落ちたら、コイツら仲良くなったな」

高橋が不思議そうに言った。

今までは触らぬ神に祟りなしで、金沢はあまり生徒に関わろうとはしなかった。有り体に言えば、Aクラスの生徒には、ほかの教師たちもそれほど積極的ではない。

だから、担任とはいえ、金沢がこうして自分たちの方に寄ってくる、あまつさえこんな水着を着て現れるというのが、ありえない話であった。

やはり、頭を打ったせいもあるのだろうか。

「よしっ。ハンバーグも食ったしっ。ショーまでまだ時間あるなっ。あれ行こうっ!」

高久が示した先には、ウォータースライダーがとぐろを巻いていた。

その後、三時間。高久は、ウォータースライダーを飽きずに繰り返した。

ほかの友人たちがプールサイドでゲロを吐いているというのに、一人ではしゃいで堪能していた。

「す、すげえ・・・。キンタマ、実は絶叫マシーンとか好きなタイプか・・・」

「あー・・・だめだ俺、きもちわりーー・・・」

「ほらそこー。プールで吐かなーい!」

スタッフにそう促されて、何人かはトイレへ駆け込んでいった。

環はその様子をソフトクリームを食べながら呆れて見ていた。

浮き輪を手に嬉々としてプールから上がってくる高久に、環はスポーツドリンクを差し出した。

一気に飲み干すと、高久は環の隣に座った。

環は、頼むから隠してくれとパレオを頭からかぶせた。

「あー、おもしれえなあー」

「アンタ、こういうの好きなの?」

「ん。いやいや、初めて。ほら、心臓に悪いっつってチャリも禁止だったから。いやー、楽しいわー。テレビで見て、いつかこういうのやりたかったんだよねえ。なあなあっ、すっげえウォータースライダーあるって、あっちかなっ」

心底嬉しそうに高久は言った。

「ジェットコースーターとか、スノボとかさ。みんなすげーじゃん。俺なんて運動会も見学だし、プールだって、庭でビニールプールが精一杯でさあ。ビニールプールにチワワとか金魚を入れて一緒に遊んでたくらいで、つまんねーの」

子供の年齢が小さければ小さいほど、見つかる疾患は深刻だ。

幼年期からの心臓疾患。カテーテル手術を経ても完治しないというのは、おそらく彼が言うほど楽観的なものではないのだろう。

「こんな三十路のオバちゃんの体で申し訳ないけど。私、高校の時、テニス部だったから、まだ少し走ったりもいけると思うから。機会があったら、走っていいけど・・・」

ぶぶっと高久が吹き出した。

「テニス部かよ。なんだー、習字部とか将棋部とかだと思ったー」

こんなに快活に笑う生徒だったのだろうか。

いや、自分ですらこんなに破顔一笑という感じで笑ったことはないだろう。

「ここ、でっかい風呂あんだろ。気にしないででっかい風呂入れんの、いいな。プールも入れたし。あんがとなー」

変なお礼だと思った。

「・・・・私に言われてもねえ」

「だよな。誰だ。あれだな、神様だよな、やっぱあれ」

やっぱり、そうなのか。

夢でも見たのかと思ったのだが・・・。

毘沙門天。つまりは彼が生き返らせてくれたのは良いが、体を取り違えてしまったのではないか。無理な仕事を山のように押し付けるから、ひずみがでて、仕事のスペック下がってどこかで凡ミスするのだ・・・。

「あ、でも白鳥が押したから沼に落ちてこうなったわけで、白鳥にも多少は感謝しねぇとかなあ・・・。せっかくだから、後でサービスしとくか」

「・・・アンタ、何サービスする気よ・・・」

どうやら肩揉みとか、お礼の歌を歌うとかではなさそうだ。

「あの、それ私の体だってこと、忘れないでよ。頼むから・・・」

中身はやはりバカで下品で獣の男子高生なのだ。三十代のオバちゃんの体でそれは悲劇というものだ。考えるだに恐ろしい。

ショーが始まるのだろう、ドラムの音とアナウンスが聞こえてきた。

「おっ。待ってたー。ショー見なっきゃなっ」

まるで子犬・・・いや、ただの若作りの三十代が、太ももも露わに二つの胸肉をぶるんぶるん揺らして大股で走って行くのを見送りながら、環はため息をついた。

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