第一節②


 『吸血鬼』と言えば、どんな存在を思い浮かべるであろうか。

――人の象(かたち)を持ちながら人の血を吸う不老不死の怪物。

 というのが一般的であろうか。

 様々な文献や創作で目にするそれは、多くの弱点を内包する存在として描かれている。

――曰く、日光の下では灰になる。

――曰く、十字架やにんにくを嫌う。

――曰く、流れる水を渡れない。

――曰く、招かれなければ扉を潜れない。

 これらの弱点は彼等が伝承されていく中で、創作での演出や宗教上の悪役として描かれたために付け加えられたものだ。

 故に、実在する吸血鬼の実態とは程遠い。


 結論を言おう。


 吸血鬼は存在する。


 彼等は日の光を一身に浴びてプールに入り、十字架のアクセサリを物色し、最後にはにんにくの入った料理を美味しそうに頬張るのだ。

 ただ、人の血を糧とし、人の10倍程の長命で特異な力があるというだけで、人間と変わらず生活を送る事が出来るのだ。

 その事実を、ルナヴィスのしがない探偵、ロウレニスは誰よりも知っている。

 彼にとって、吸血鬼という存在は身近なものであり、家族のようなものなのだから。

           

           


           

「ん……」

 どれだけ眠っていたのか、ロウレニスは意識を取り戻した。

「あ、ロウ。 起きた?」

 ロウレニスの意識が戻ったのに気付いたランステッドの笑顔が、ロウレニスの視界に広がる。

 肌は陶器のように白く、血のように紅い長髪をひとつに纏めた少女。

 美少女と呼ぶに抵抗はなく、精巧な人形だと言われれば納得してしまいそうな、人間離れした容姿をしていた。

 人間離れした……それもそうだろう。


 彼女は人では無いのだから。


 『昏きもの』、吸血鬼として遥か昔から語り継がれる存在、それが彼女の正体である。

 夜のなかに有って尚、妖艶な光を放つ真紅の瞳は『昏きもの』の証であり、異様な存在感を以てロウレニスを見つめていた。

「お、おはよう」

「ん、元気そうだね!」

 ロウレニスの間の抜けた挨拶に、満足そうに笑うランステッドにつられてロウレニスも口元を緩めた。

「ボクの膝枕が気持ち良すぎて起きてこないかと思ったよ」

 言われてロウレニスは自分の置かれている状況を把握した。

 目の前にはランステッドの顔と、満天の星空。

 後頭部はひんやりとした柔らかな感触。

 ロウレニスは顔を紅潮させ、慌てて上体を起こした。

「ランスご、ごめ――むぐっ」

「ロウちーがうー。 そこはありがとう、でしょ?」

 謝るロウレニスの口を抑え、ランステッドは悪戯っぽく笑い、こくこくと頷くロウレニスを見て笑みを濃くしながら、手を離した。

「ありがと、ランス」

「どーいたしまして!」

 そもそもロウレニスが気絶した原因はランステッドが会心のアッパーカットなのだが、ロウレニスは深く考えないことにした。

 話がこじれるのは目に見えていたし、目の前の笑顔を眺めていたかったのである。

「よし、依頼の猫も見つかったし、帰ろうか」

 ロウレニスは立ち上がり、提案する。

 二人が森に来た理由、それは行方不明の猫を捜索する、という依頼を完遂するためだ。

 幸い、気絶しながらも猫の入った檻はロウレニスが死守していたようで、中の猫も無事であった。

 ロウレニスのプロ根性が垣間見える。

「早くこの子を飼い主さんの所に帰してあげないとね」

「ね、ロウ……」

 檻を覗き込みながら、微笑むロウレニスとは反対にランステッドの表情は曇っていた。

「どうしたのランス?」

「んとさ、わざわざこんな辺鄙なとこまで家出するような猫が、家に戻りたいと思うかな?」

 ロウレニスは固まった。

 猫の気持ちになってみれば、それもそうだろう。

 ようやく手にした自由を、何も知らない第三者が台無しにしていくのだ。

 猫にとっては迷惑な話だろう。

 罪悪感が芽生え始めたロウレニスを察したのか、ランステッドは表情を変えて、立ち上がった。

「ま、ボク達も生活懸かってるし? 大人しく捕まってもらおっ! ミッションコンプリート、だね」

「……なんだかなあ」

 あっけらかんと言うランステッドに苦笑しながら、ロウレニスは森の出口の方へと歩き出した。

 入り口に二輪車を停めており、しばらく歩くことになる。

「そういえばあの大きい化物は何だったんだろうね」

 その途中、森の中で気を失っている化物について、ロウレニスはランステッドに尋ねてみた。

 明らかに普通の野性動物ではなく、異質な存在だったのは人間であるロウレニスでも感じ取れた。

 しかし、頼みの人在らざる者のランステッドも首を傾げるだけだった。

「使い魔みたいな気配もしなかったし、周りに使役者も居なかったみたいだから……野良の化物ってしか言えないね」

「そっか……」

 人外に対するランステッドの感覚や勘の鋭さはロウレニスもよく知っている。故に疑うことなくその意見を受け入れる。

「一応手加減はしといたから、死ぬことはないと思うけど……」

 一度溜め息を交えてから、ランステッドは口を開く。

「襲われた相手も殺すな、なんて優しすぎない?」

「そ、そうかな?」

 ランステッドの問いにロウレニスは苦笑を浮かべる。

「まあ、ロウらしいっちゃあロウらしいんだけどさ」

 呆れながらも笑みを返すランステッド。

 そう話している内に目的の二輪車の場所までたどり着いた。

 知人に譲ってもらった年代物だが、整備が行き届いており、大切にされているのが伺えた。

 ランステッドに檻を託し、ロウレニスは鍵を差し込み、捻る。

 そこで目を覚ました二輪車は、計器達の駆動を始め、それを確認したロウレニスがエンジンを入れたことで、力強い唸り声を上げた。

「はい、ランス」

 ランステッドにヘルメットを渡し、ロウレニスも自身のヘルメットを被り、二輪に跨がる。

 それに倣い、ランステッドもヘルメットを着用し、後部シートに跨がった。

「帰ったらごほーび、忘れないでよ~?」

 ヘルメット越しのくぐもった声でランステッドは言う。

 先程の化け物と交戦する時の約束の事だろう。

「分かってるよ。 血で良いんだよね?」

 血を糧とする『昏きもの』であるランスの要求する御褒美と言うと、想像するものはひとつであろう。

「そだね……あとー」

「え!? まだ何かあるの!?」

「ロウの手料理食べたいなー、なんてぇ」

 明るい声音で料理をねだるランステッドに、固まるロウレニス。

「あのー、ランステッドさん」

「ん?」

「事務所の懐事情がどうなっているかご存知です?」

 恐る恐る尋ねるロウレニスに、ランステッドは少し首を捻った後――。

「ちょっと前まで水道と電気止められてたね」

 稼ぎの少ないペット探しの依頼ばかりで、ロウレニス探偵事務所の経営は何時でも火の車であった。

 故に、血だけで済むのなら少しでも食費を浮かせたいロウレニスなのだが。

 それがどうかしたか、と言わんばかりにランステッドは顔を綻ばせた。

「ロウのごはんは世界一美味しいからさ~。 今から楽しみだよ」

 真っ直ぐに笑顔を向けてくるランステッドに、そんなこと言えるはずもなく……ロウレニスは一つ大きな溜め息を吐くのであった。

 世界一と言われて悪い気はしなかったというのも、理由としては小さくない。

「じゃあ今日はもう遅いし、明日の朝でいいかな?」

「うん、いいよ…………チョロいね」

「? 何か言った?」

「ううん何もーほらほら早く行こッ」

 ランステッドの最後の言葉が気になったが、恐らく答えてはくれないだろうと判断したロウレニスは、アクセルを回してずっと待ち惚けを食らっていた二輪車を発進させた。

 彼等の家であり、職場である事務所がある『ルナヴィス』に向かって。         

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