第四節②
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「オラオラ上手に逃げねえとサクッと殺しちまうぞォ」
屋上を逃げ回るフウコを嘲笑うような男の叫び声が、フウコの耳に嫌でも響いてくる。
「うぅ……」
障害物がないことで自由に動けるようになったが、それは相手にとっても同じ事で。
獣達はフウコの退路を塞ぐように立ち回り、次第に追い詰めていく。
徐々に徐々に屋上の柵が背中に近付いてくる事にフウコは、焦りを感じ始める。
「さあって、こっちもあんまし時間ねえからな。そろそろ終わらせてもらうぜ?」
男が口元を歪めると、獣達の動きに変化が起こる。
フウコを取り囲む動きから、仕止めにかかる動きへと。
一匹がフウコを串刺しにしようと突進する。
「ッ……」
なんとか体を捻り避けるが――。
脇腹に強烈な痛みと熱を感じた。
「え……」
何が起こったか分からず呆然としていたフウコだが、自分に食らい付いている獣の姿を見て状況を理解する。
「――――――」
理解し、増大する痛みに耐えながら、脇腹に食い付いている獣に拳を振り上げるが――。
「あぅ」
先程避けた獣だろう、背後からフウコの腕に噛み付き無力化する。
初めてフウコを捉えた事に歓喜の雄叫びを上げた獣達は、次々とフウコの四肢に牙を剥き、地に倒れ込ませた。
「この――っつぅ!?」
拘束を解こうともがこうとするが、動かす度に牙が深く手足を抉り、悲痛な声が漏れるだけだった。
「はっ、案外呆気なかったな……久々の狩りだったから楽しみだったんだけどなァ?」
うつ伏せに組み敷かれているフウコを見下すように男は座り込み、嘲笑を浮かべる。
「いや、まあ折角生き残ったってのに残念だったな犬っころ。同情するぜ」
「生き残っ……た?」
「あァ?若ぇとは思ったがまさか知らねえのか?」
呆気に取られた表情を見せた後、憐憫色を湛えた笑みを向けた。
「仕方ねえ冥土の土産に教えてやるよ」
言いながらフウコの顎を引き寄せ顔を近付ける。
「テメェ等『月牙の民』は数年前俺達に虐殺されてもうこの世には居ないんだよ」
男の言葉にフウコは目を見開いた。
自分が人間とも普通の動物とも違うのは分かっている。
分かっているからこそ、何処かに仲間が居るのだと思っていたが。
もう、この世には自分と同じ存在は……。
「どう、して?」
今すぐにでも消えてしまいそうな声に男は笑みを濃くした。
「どうして?どうして、かァ。そォだなあァ。命令されたから、ってのはあるが、言ってみれば趣味みたいなもんだ」
趣味で生き物の命を虐げる存在をフウコは今まで見たことはなかった。
フウコも動物を狩った事はあるが、それは生きるためにである。
「ううぅ!……っッ」
込み上げてきた怒りに任せ、体を動かそうとするが、それを許す獣ではない。
「ハハッ可愛い鳴き声だなァ!思わず興奮しちまうよ!」
声を大にしながら男は品定めでもするようにフウコを見る。
その視線にフウコは背筋が冷たくなるのを感じた。
「すぐ殺っちまうのも勿体ねぇか?ハハッ」
何をされるか理解は出来ないフウコだったが、決していいことは起こらない事は感じ取れた。
何も出来ない自分の不甲斐なさに涙する。
(ハルちゃん!)
大切な友達の無事を祈り、目を伏せた、その刹那。
「一人で良く耐えたね」
凛とした少女の声がフウコの耳に届き、目を見開く。
網膜を焼くような、紅い光が瞬きフウコを取り押さえる獣達を穿ち、消滅させる。
「アァ!?」
突然の出来事に後退る男に立ち塞がるように、声の主である少女が降り立った。
「おかげでなんとか間に合ったよ」
フウコも見知った、紅い髪の少女ランステッドが立っていた。
+
「屋上、ね……」
ロウレニスとの念話が終わると、ランステッドは獣を相手取りながら4階の階段を登り切り、追い掛けてきた獣を斬り捨てる。
上の階段へ差し掛かることなく、ランステッドは4階の通路へと進入し、飛ぶように床を蹴る。
当然数匹が追ってくるが――。
「遅い、相手全部任せたからねエリク」
「御意に」
階段から降りてきたのであろうエリクライトが獣の背後に立ち、横薙ぎに腕を振るう。
振るわれた腕から伸びるのは真紅の鉄線、血晶術によって造られた糸である。
糸は意思を持っているかのように飛んでいき、獣の首に巻き付いた。
「ふっ」
短い呼吸と共に腕を引く。
肉を断ち切る音すらなく、糸は獣の首と胴体を分断させる。
物言わぬ肉塊と化した獣の崩れ落ちる音を背に、ランステッドは通路の奥、行き止まりが近付いてもランステッドは減速する気配はない。
むしろ速度を上げていく。
「せーの!」
行き止まり、そこに填められた窓へ向かって、ランステッドは手にした血剣を投擲する。
小気味の良い音と共に硝子が割れると、ランステッドは勢いのまま穴から飛び出した。
四階の高さから、である。
本格的に落下が始まるより早くランステッドは反転、星が瞬く夜空へと向き直った。
(屋上……あそこか!)
屋上までの高さを確認すると、ランステッドは指の腹を爪で傷付けた。
傷口から血が滲み、ランステッドはその指を屋上の柵に向かって伸ばす。
血は一本の糸となり、真っ直ぐに伸びていく。
糸は直ぐ柵に辿り着くと、蔦のように絡み付いた。
「よし!」
柵に絡み付いたのを確信したランステッドは、思い切り糸を引き寄せた。
ランステッドの体は落下することなく宙を舞い、4階の5階、6階を越え、屋上へと到達する。
柵より遥か上で上昇を終えたランステッドは、屋上の様子を把握した。
「見つけた!」
屋上では手足、そして脇腹に食い付かれ、取り押さえられているフウコの姿があった。
「飼い主を守るために一人で逃げたんだろうね……ほんと眩しいんだから……」
溜め息を吐くランステッドの顔に笑みが浮かぶが、侮蔑の色のない穏やかなものだ。
「でも、よく一人で耐えたね」
ランステッドは言うと、掌から雷撃を獣に向けて放つ。
寸分違わず、雷は獣へと走り直撃。
獣の存在を消し去る。
フウコの拘束を解き、ランステッドはフウコと黒衣の異形の間に着々した。
「おかげで間に合ったよ」
「ラン……ス?」
予想だにしない人物にフウコは唖然としているが、助けが来たのだと理解すると大きい瞳が涙を浮かべる。
「チッ……もう来ちまったか……テメェ『戦鬼』か?」
忌々しそうに口を開く男に、ランステッドは首を傾げた。
「『戦鬼』?あー、対人外の戦闘集団だっけ?違う違う」
手を振って否定の意を示すと、男を指差し続ける。
「ボクは勤労意識の高い探偵助手さ」
「探偵、助手だァ?」
訝しげな男にランステッドは不敵な態度を崩さない。
「そ、アフターサービス…いや、報酬受け取ってないから依頼遂行中だね」
男に言い捨てると、ランステッドはフウコの方へ向き直る。
「だからキミのためじゃなくて、お仕事の一環だから……そこんとこ勘違いしないよーに」
「う、後ろ!」
敵に背を向け、呑気に言うランステッドにフウコは必死に警告するが――。
「今ボク喋ってるからさ」
その一言と共に、振り返りもせずに放たれた紅雷が襲い掛かる獣を弾き飛ばした。
「その雷……その髪……『紅』の『血系源』か……」
「そうそう、キミの相手はちゃんとしてあげるから待ってなよ」
「ッ……」
悔しさで顔を歪ませる男を放置して、ランステッドはフウコの前でしゃがみ視線を下げる。
「あと、ランスって言って良いのはロウだけだから、覚えといてね」
窘めるように言うと、ランステッドは血で杭のような物を作り、フウコを囲うように数本打ち込んだ。
「それ、近付くとボクの雷出るようになってるから、動かないでね」
頷くフウコを確かめると、ランステッドは立ち上がり男と視線を合わせる。
「お待たせ。戦ってる間に狙われちゃ堪らないからね。ちょーっと細工させてもらったよ」
悪戯に笑うランステッドに、深紅の双眸を鋭くして男は睨む。
「『イェーガー=マディア=ヘルトカルネ』……名乗れよクソガキが」
敵意を剥き出しにして名乗りを上げる男――イェーガー――に、ランステッドは一瞬目を丸くしたが直ぐに笑みを作る。
敵対した『昏きもの』同士が自身の名を名乗り合った時、命を懸けた闘争の始まり――彼等の中で決められた命を奪う者へ向けた最低限の礼儀。
「ボクはランステッド……『ランステッド=シェル=アルナカルタ』」
ランステッド名を聞き、今度はイェーガーが目を丸くする番だった。
「ランステッド……ハァ!?テメェみてえなガキンチョが『四大霊鬼』だぁ!?」
「お察しの通りだけど?」
ランステッドの返答にイェーガーは可笑しそうに吹き出した。
「テメェが『四大霊鬼』?嘘吐くならもっと上手い嘘考えろよ!」
腹を抱えて笑いだしたイェーガーを見て、ランステッドは不快感を露にする。
「『四大霊鬼』っていやぁ、俺等『昏きもの』のトップ、最強の存在だぞ?相手をビビらせんのにも、名前借りる相手選べッつーの!」
言いながらイェーガーは両手を水平に振り抜く。
それが引き金となり、イェーガーの足元から夥しい量の泥が現出し、蠢き出す。
「四大霊鬼語ったんだ!相応の覚悟は出来てんだろォォなァ!?」
泥は形を成し、10体にも昇る獣を作り出した。
フウコの表情が絶望のそれに変わるが、ランステッドは。
「たまーに、いるけどね……こういう奴……」
平静を保とうとしているが、明らかに爆発する一歩手前、と言った様相で指の骨を鳴らして見せるランステッド。
「……これだから三下は」
「フェンインネール!」
ランステッドの呟きを聞くや否や、獣達――フェンインネール――は一斉に飛び掛かる。
「使い魔に全部戦闘任せるから三下なんだよ」
そう吐き捨てると、ランステッドは血剣を作り出し振り抜く。
一閃、ただそれだけで正面から向かってきた二匹を切り裂いた。
「あと8……」
残ったフェンインネールの数を口にしながら、ランステッドは体を捻る。
真横から突進してきた獣を紙一重で避けると、その勢いのまま横っ面に膝を直撃させる。
怯んだ獣の首を容赦なく刎ねた。
「7」
続けざまに四方から襲われるが――。
横から来たモノを剣で斬り伏せ反転、後方から来た獣の頭に手を添えると跳躍。
血の弾丸を作り出し、雷を操作して射出する。
「あと、4」
三発の血弾がフェンインネールを撃ち抜き、存在を霧散させる。
宙を舞ったランステッド、その着地の隙を狙い、残り4匹が動いた。
「邪魔だよ」
その一言と共に血の短剣を精製、その数8本。
指と指の間に持ち、獣に向けて放つ。
当然紅雷を纏った状態で、だ。
投げられた短剣は、紅い閃光となって闇夜を切り裂き、直撃した獣達は跡形もなく吹き飛んだ。
「お?一匹仕留め損ねたか」
狙いが外れたのか、辛うじて動ける一匹が、敵わないと見てフウコに襲い掛かろうと狙うが。
「残念でした」
ランステッドが舌を出しておどけてみせると、フウコの周りの杭が光を発しランステッドが放つものと同じ真紅の雷が放出される。
雷は獣を穿ち、行動不能へと追いやった。
「ふぅ……」
軽く服の埃を落としてからランステッドはイェーガーに向き直り――。
「これで終わりかな?」
薄い笑みすら浮かべた明らかな挑発に、イェーガーは一瞬呆然としていたが、頭に青筋を浮かべ激昂する。
「だったらコイツだァ!」
叫び猛るイェーガーの周囲に泥が集積し、蠢く。
秒単位で肥大化していく泥は、左右に枝分かれ何かを形作っていく。
やがて動きを止めたかと思えば、泥は乾き剥がれ落ちた。
泥の外皮の中から現れたのは鎧のような甲羅を纏った蟲だった。
否、蟲とも言い難いそれは、四本足で立ち、四つの複眼を敵対しているランステッドへと向け、その巨躯にそぐわない異様に短い触覚を動かした。
前足はランステッドの四倍はあるであろう長さと太さを誇り、強靭さを感じさせるには十分だった。
逆に後ろ足は極端に短く、不格好な印象を受けるが、それが不気味とも取れた。
「やっちまえ『エヴィシュ』!」
エヴィシュと呼ばれた化け物は主の号令にしたがって動き、前足をランステッドに向かって振るう。
頭から殴り付けるような動作、ただそれだけで致命傷と成り得る。
だが、ランステッドは軽く地を蹴っただけでエヴィシュの腕をやり過ごした。
直後に炸裂する破砕音。
エヴィシュの腕が屋上のコンクリートを砕いた音だ。
「ヒュゥ、凄い馬鹿力」
「俺の最強の使い魔だァ! やれぇ!」
甲高い咆哮を上げ、エヴィシュは横薙ぎに振るった。
命を刈り取る鎌のように迫る腕に、ランステッドは血弾を数発飛ばした。
先程の獣を一撃で葬り去る威力の弾丸が、エヴィシュの腕に直撃するが――。
「!?」
腕を吹き飛ばすどころか、勢いを緩める事すらない。
咄嗟に上に跳躍したランステッドは、間髪入れずに紅雷をエヴィシュに放つ。
真紅の雷はエヴィシュの顔面を捉えるが――。
――?
ランステッドには怪物が首を傾げたように見えた。
傷はなく丸みを帯びた鎧に弾かれたようだ。
「かったいなあ……」
悪態を吐きながら着地、すぐさま横に跳ぶ。
再び轟くコンクリートが砕かれる音、ランステッドの立っていた場所が陥没する。
「ハッハッハ逃げろ逃げろぉ!」
ランステッドが防戦一方になる様を見て、気をよくしたイェーガーは声を大にして笑う。
(……やりようはいくらでもあるけど)
今のランステッドでは、目の前の怪物を打ち倒すのに火力が足りない。
純粋な一対一で戦えば、対処法はいくつかあるが――。
(コイツ、確実にフウコに近付いてる)
ランステッドに攻撃をしながら、徐々にフウコが倒れてる場所へ歩みを進めていた。
(やるしかないか……)
何か決心したように、ランステッドは頷くとエヴィシュの正面で立ち止まる。
『ロウ!?『封印解除』いける!?』
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