第三節④
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何かを感じ取ったのだろう、ランステッドは大きく溜め息を吐くと、目付きを変えた。
戦闘に挑む『昏きもの』のそれへと。
「あの娘……狙われてる」
「!?」
「『月牙の民』は絶滅したって、ボク言ったよね?覚えてる?」
確か、ミャリアの依頼の説明を受けている時に。
「その理由がね――ボク達、『昏きもの』が虐殺したからなんだよ」
「……え?」
言葉を失うロウレニスにランステッドは苦笑を見せる。
「細かく言えば一部の奴等がやったんだけど、仲間がやったことには変わりない」
「理由は分かんないんだけどね」淡々と言うランステッドだったが、自分を責めている風にロウレニスは感じた。ハルハットにフウコと共にいる覚悟を問うたのも、当事者としてフウコの幸せを願ってのことだったのだろう。
ランステッドは続ける。
「で、だよロウ。狩り尽くしたと思っていた獲物が生きてたと知った狩人は一体どう思うかな?」
ランステッドの言わんとしている事を理解したのか、ロウレニスは拳を握り締める。
「それが、今ここに?」
ランステッドは首肯で答える。
「外から微かだけど血の臭いがしたから、院内の人は既に何人か――」
ロウレニスは怒りを露にし、下降を続ける昇降機の壁を殴り付ける。
病院内にいる人達は人外の存在など知らぬ人達だ。ましてや怪我人と、それを世話している医師や看護士達だ。
その命が理不尽に奪われている。ロウレニスでなくとも、許しがたいことだろう。
昇降機は2階に差し掛かったところで、間も無く目的地の一階に辿り着くはずだ。
「ロウ……どうする?」
ランステッドが真っ直ぐにロウレニスを見据え、尋ねる。
聞かれなくても分かっているだろうに、とロウレニスは溜め息を吐くが、それが彼女だ。
『ランステッド=シェル=アルナカルタ』という『昏きもの』だ。
「ランス、これ以上被害を出さないようにする!それで、こんな事してる奴を止める!フウコちゃん達も助ける!」
堂々と言い放つロウレニスに満足そうに笑いながら、ランステッドは言う。
「りょーかい」
「あと、分かってると思うけど――」
「分かってるよ。誰も殺すな、でしょ」
ランステッドの返答に頷くロウレニス。
「手加減て難しいんだからね?」
「うん、分かってる。でも、ランスにも人殺しにはなって欲しくないから」
迷いない表情で言うロウレニスに顔を赤くしたランステッドは、背を向けた。
「ま、ボクくらいになれば?その辺の奴等なんて雑魚同然だし、手加減するくらいが丁度良いよね」
言いながらランステッドは指を打ち鳴らす。
「エリク」
名を呼ぶが早いか、二人きりだった昇降機に老人の姿が顕れる。
「御呼びでございますか姫様」
「エリクはそのままロウと6階に行ってあの娘達の保護とロウの護衛、任せて良い?」
そう指示するとエリクライトは一礼してから問う。
「姫様は如何致します?」
「ボクは一階から上がっていって、こんな事をしてるバカを探す―――そのバカの使い魔駆逐しながらだけど」
ランステッドが好戦的な笑みを浮かべると、鐘の音が到着を知らせ昇降機の扉が開いた。
「じゃ、行ってくるよ」
「御武運を」
「き、気を付けてね!」
ロウレニス達に見送られ、ランステッドは鉄の臭気に満ちた院内へと足を踏み入れた。
ロウレニスは素早く昇降機の操作盤に行き先を入力し、再び6階を目指すのだった。
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ハルハットと感動的な再会を果たし、幸福感に満たされていたフウコだったが、それは長くは続かなかった。
鼻を突く鉄の臭い。
僅かに聞こえてくる断末魔。
そして身も凍るような殺気に、フウコは身を震わせた。
「フウ……コ?」
恐らく気付いていないであろうハルハットは、急に震えだしたフウコを案じていた。
宥めようと優しくフウコを撫でる、フウコの大好きな撫で方で。
そのまま身を委ねてしまいたかった。
しかし、それは許されない。
此処に居座れば、ハルハットにも危害が及ぶだろう。
向けられた殺気から、フウコは自分が狙われているのだと理解したからだ。
確信は無いが、身体の奥に眠る本能がそう告げていた。
フウコは震える身体を叱咤し、立ち上がる。
「ハルちゃん……フウコ、お兄ちゃん達探してくる」
出来るだけ、穏やかに、そう言ったつもりだったが、ハルハットに強がりは通じなかった。
「何か……あった……の?」
心配そうに言うハルハットに心を痛めながら、フウコは踵を返す。
「フウ、コ?」
「ハルちゃん、大丈夫だよ……すぐに戻るから」
言うが早いかフウコは病室を飛び出す。
背中からフウコを呼ぶ声が聞こえたが、振り向くことはしない。
抱き付きたくて仕方無くなってしまうから。
病室を出ると、一層濃くなる血の臭いに、顔をしかめた。
これでは嗅覚も十全にその能力を発揮することは出来ないだろう。
「ここから、離れなきゃ」
ハルハットから出来るだけ遠ざけるために。
でも、それだけじゃ駄目なのはフウコも理解していた。
『自分を狙う何者かを、引き付けた状態』でなければハルハットも危ないのは変わらないだろう。
自分の心臓が物凄い勢いで鳴っているのが分かる。
――怖い。
――逃げたい。
だが、ハルハットを守る、その想いで恐怖心を無理矢理押さえ付け、フウコはゆっくりと通路を進んでいく。
ハルハットの病室は通路の一番端で、そこに通じる通路も一本だけである。
つまりは、フウコがいる通路を通らなければ、ハルハットの元へと辿り着く事はできない。
此処を歩いていれば騒ぎの元凶と、ハルハットの身の安全は確保できると踏んだのだ。
この階層に足を踏み入れる手段は二つ。
階同士を繋ぐ階段と、ハルハットの部屋と反対側に位置する昇降機のみ。
どうやら昇降機は起動しており、ゆっくりと上がってきているようだ。
丁度階の中腹となる階段で待ち構えていれば、どちらから来ても嫌が応でも遭遇する事だろう。
五感を冴え渡らせ、足音すら立てずに階段に近付いていく。
階段が目と鼻の先となった、その刹那である。
――見ぃ付けたぁ
纏わり付くような殺気を帯びた声を感じ取り、フウコは咄嗟に後ろに飛び退いた。
それと同時に炸裂する破砕音。
フウコの真横の無人病室の扉が破られ、黒い影が襲い掛かる。
退いていなければ……そう感じると、フウコは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「えっと……フウコに用があるのはあなたかな?」
フウコが対峙するのは獣だ。
犬のようだが、頭部には鋭利な槍とも見紛う仮面を着けた異質な空気を纏っていた。
四足で立つその獣は、フウコの問いに唸り声を上げるだけ。
しかし、獣の放つ殺気が言葉よりわかりやすい返事となっていた。
「ッ……」
野生の動物とは違う、強烈な殺意にフウコの小さな身体が震え出す。
だが、自分の後ろにはハルハットが、大好きな人が居る。
退くわけには行かなかった。
(戦いながら、出来るだけ遠くに――)
ハルハットから引き離すための戦いかたを考えていた、その思考の隙を突き、獣が動いた。
一瞬でフウコとの距離を詰め、鋭い仮面を突きだしてくる。
「わッ!?」
反応が遅れたフウコは身を捻るしか回避行動が取れなかったが。
穂先が肩を掠める程度でやり過ごす。
「このッ」
捻った勢いで獣の首を掴んで反転。通路の奥へと投げ飛ばす。
空中で体勢を立て直す獣に、着地の隙は与えない。
疾走し獣の落下地点に潜り込んだフウコは、獣の腹を思い切り蹴り上げた。
――ゴァ
『月牙の民』であるフウコの強靭な脚から放たれる威力は凄まじく、獣の体が天井に叩きつけられるほどであった。
獣は、落下して廊下の床に体を打ち付け、数秒痙攣を起こすとやがて事切れた。
「ふう……ごんね」
横たわる獣を見て安堵するフウコは、小さく謝罪の言葉を告げる。
「いやー、中々やるじゃねえの」
「ッ!?」
突如として耳に入った男の声に、フウコは反応し振り向く。
階段から上がってきたのだろう、一人の男がフウコの背後に立っていた。
髪から靴まで黒い、影のような男だが、その中にある深紅の光が妖しく揺らめいている。
「お兄さん……誰?」
尋ねながらフウコは警戒し、身構えた。
「おいおい、初対面の人を睨むなって教わってねえの?」
愉しそうに笑う男に、フウコは一層警戒を強くする。
男が纏う死と鉄の臭いは、彼を一般人だということを否定するのに十分だった。
「ま、その方が話早くて助かるんだけどなあ!」
狂喜の笑みを浮かべ、男がコートを翻すと、中から先程の獣が飛び出して来る。
「!?」
辛うじて半歩横にずれて突進を避けることが出来たが、着ていたパーカーの袖が微かに裂けた。
「フェンインネール!」
獣の名なのか、呼ばれた獣は雄叫びで返事をすると方向を変え、フウコの背後を狙う。
槍面での刺突、それは致命傷になるような一撃で。
フウコの柔肌に突き刺さる、その瞬間。
フェンインネールの身体が吹き飛び、壁に叩き付けられた。
「ナニィ?」
「あ、危ない……」
フウコは本能的に動き、フェンインネールの頭部に回し蹴りを見舞った結果だ。
力無く倒れるフェンインネールを一瞥すると、男はフウコに称賛の拍手を送った。
「そうだよなあ。それくらいはしてもらわねえとなあ」
楽しそうに、愉しそうに言う男に、フウコは身を震わせた。
この男が放つ狂気と狂喜、それら内包する殺気が、フウコを襲う。
「一体じゃ駄目なら、これならどうだよ犬っころ」
男がそう言うと、倒れた二匹の獣が形を崩していき、泥の塊のようになると男の元へと帰ってくる。
泥は微かに蠢くと、盛り上がり形を形成していく。
倒したはずの獣が……4体。
「ッ……」
フウコは歯噛みする。
個体ならばなんとか対処出来そうだったが、複数に襲い掛かられたらどうなるか――。
それも狭い病院の通路では逃げ場も無い。
(このままじゃ――!?)
フウコは階段のあるものに気付くと、動いた。
風のように疾く、最上階であるはずの6階、その上へ繋がる階段を駆け昇る。
フェンインネール達が獲物を追って駆け上がっていく。
「あぁ……なるほど屋上ね。せめて広い場所に逃げようってか?」
フウコの思惑を察した男は、嘲笑を浮かべるとゆったりとした足取りで階段に足を掛けたとき、ふと微かな違和感を感じた。
「……下の奴等の気配が消えた?」
下の階に残しておいたフェンインネールの気配が消失しているのだ。
半日はその姿を保っていられるように力は注いでおいたはずで、自然消滅の可能性は万が一にもないはず。
誰かやられたか、その可能性を考える。
だが、一体誰に?
ただの人間に使い魔が太刀打ち出来るはずはない。
(『陰契課(おんけいか)』か?いや『戦鬼』か?……)
双方ともに『昏きもの』を中心とする人外に対抗するための組織で、実在を知る者達からは恐れられる存在だ。
(『陰契課』みたいな事後処理班はともかく……『戦鬼』なら厄介だな」
『昏きもの』には下級、中級、上級とランク付けされるが、戦鬼と呼ばれる者達は、強大な力を持つ上級をも打ち倒す力を持つと噂されている。
「チッ……面倒くせぇ……手早くすませるか」
苦虫を噛み潰したような表情を見せると、男はフウコとそれを追っていったフェンインネールの待つ屋上へと歩を進めるのだった。
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