第三節③


 ロウレニスの問いにハルハットは固まってしまった。

 言い方が不味かっただろうか、とロウレニスは考える。

 病室に入る前、ランステッドから頼まれたのだ。

 ハルハットへの人外に対する最終勧告と、共に生きていくことへの覚悟を聞いてほしい、と。

 フウコは早くハルハットに会いたがっていたし、ロウレニスも会わせてあげたかったが、いつになく真剣なランステッドの勢いに押され、今質問をしたというわけだ。

 ランステッドとフウコは扉の脇で隠れている。

 【聞いた】手前、ロウレニスも後には退けない。

 ロウレニスは続ける。

「人在らざるものは世界に確かに存在します。でもその存在は世界の裏側に潜むもの達です。 彼等と接触して破滅する者もいると聞きます……」

 ランステッドと知り合ってから人外という存在を何度か見てきたロウレニス。

 存在に魅入られ、命を落とす人間も見たことがある。

「それでも……それでも貴女は、フウコちゃんとの再開を望みますか?」

 話しながら、ランステッドが頼んだ理由はなんとなく分かった。人外に関われば元の生活には戻れない、引き返すのならば今この瞬間だけなのだ。

 ハルハットは一瞬俯いたが、すぐにロウレニスに視線を向けた。

 弱々しい表情からは想像もつかない程、強い意思を感じさせる目だった。

「会い……たい……です。フウコが、隣に居て、欲しいんです。だから……」

 今すぐに掻き消えてしまいそうな、か細い声だったがしっかりと、はっきりと言う姿にロウレニスは微笑を浮かべ、扉の向こうにいるフウコに声を掛ける。

「だってさ……フウコちゃん」

 ロウレニスの言葉にハルハットは目を見開いた。

 よもや既に見付けているとは思っても居なかったのだろう。

 扉が開き、ニット帽を被った少女がハルハットの視界に現れた。

 ハルハットはきょとんとした表情でフウコを見詰めていたが、フウコが人狼であることに気が付き、目を潤ませていた。

「フウ、コ……なの?」

 フウコは頷く。

 彼女の瞳もまた涙を湛えていた。

「ハルちゃん!」

 言うが早いか、フウコは駆け出しハルハットに近付くと、ベッドの側で座った。

 抱き付きたかったろう、撫でてもらいたかったろう、しかしフウコはハルハットの姿を見て思い止まった。

 涙を浮かべて、ハルハットの手を握る。

「ハルちゃんフウコ、帰ってきたよ」

 言ってフウコはニット帽を脱ぎ、自身の耳をハルハットに見せる。

 ピョコピョコと世話しなく動く耳を見て確信したのか、ハルハットは驚きの表情を懐かしむものへと変化させた。

「フウ、コ」

「うん?」

 ハルハットはゆっくりと、その瞬間を味わうように持ち上げ、フウコの頭に乗せた。

 そして愛おしそうに撫でる。

 フウコも気持ち良さそうに目を細めていた。

 二人とも涙を湛えながら。

「フウ……コ、ごめんね?」

 言いながらハルハットはフウコを抱き寄せた。

 もう離したくないと願を掛けるように。

「ハルちゃんも、お母さんも悪くないよ?謝らないでよハルちゃん」

 フウコは枯れてしまいそうな涙声で返し、ハルハットに強く抱き付いた。

 しばらくそうしていただろうか、どちらともなく身を離し、お互いの顔を見て微笑んだ。

 二人とも、涙で濡らした顔は美しかった。

「フウコ、おかえり」

 ハルハットの言葉に、フウコの顔は更にくしゃくしゃになる。

「ただいまぁ!」

 涙で濡らした笑顔でフウコは言った。

 初めて見せる人間の姿、それでも二人は遠慮なく、戸惑いなく言葉を交わすのであった。

「あ、ハルちゃん!ロウお兄ちゃんがここまで――あれ?」

 ハルハットとの再開を果たし、自分を見付けてくれた探偵をもっと話をしようと振り返ったフウコだったが。


――ロウレニスの姿は既になく、病室にはフウコとハルハットだけが残されていた。

 

 

    

               +


「いてててて」

 ロウレニスは赤くなった耳を押さえながら通路を歩いていた。

 ランステッドに耳を、半ば引っ張られる形で病室を出たのだ。耳の一つも痛むだろう。

「全く……ロウはデリカシーが無いんだから」

 ご立腹、といった様子のランステッドにロウレニスは苦笑する。

「でも、もうすぐ面会時間終わっちゃうし――」

 流石にフウコを置いて帰るのは色々と問題があるだろう。

 気が済んだら撤収するつもりで、フウコ達を見守っていたのだが。

「だったら時間いっぱいまで二人きりにしてあげるのが普通だよ!」

「うっ……」

 人外に普通を説かれるのは、些かロウレニスにも堪える。

 確かにロウレニスの選択には配慮は足りなかったかもしれない。

「分かればよろしい」

 ニヤリと笑うランステッドにロウレニスは溜め息を吐くが、不思議と嫌いではない感覚だった。

 彼女と居ると大抵そんな感覚になるのがロウレニスにも不思議で仕方がなかった。

 ランステッドの美徳だろう。

「ねえ、ロウ。ボク喉乾いちゃったなあ」

 階段を降りながら、ランステッドは甘えた声を出す。

 何かをねだる時の癖である。

 そして『喉が乾いた』というランステッドは、別に血を欲しているわけではない。血が欲しいときは『お腹が空いた』と言うからだ。

 喉が乾いたとき、それは読んで字のごとく何か飲みたいときの合図だ。

「この病院に『アレ』あればいいけどね」

 苦笑しながらロウレニスは言う。

 アレとは、ランステッドが愛好して止まない飲料で、彼女が飲み物を要求する場合のほとんどが同じものになる。

「ん、あったよ。ロビーの自販機に」

 一階のロビーに入った時からチェック済みだったようで、ロウレニスも少し呆れてしまった。

「そ、そっか」

「今から降りて、買って飲んだら丁度良い時間になるんじゃない?」

 ロウレニスは腕時計を見やると、確かに一階に降りて飲み物を飲むくらいの余裕はありそうだった。

 幸い、ミャリアから受け取った前金のお陰で懐は潤っている。飲み物くらいは余裕で買えるだろう。

 期待の眼差しを送り続けるランステッドに根負けした形で、ロウレニスは頷いた。

「やった!じゃあボクエレベーターがいいな!」

 行きはフウコが狭い空間に閉じ込められるのを拒否したため、階段を使用した。

 ランステッドは人間の造った機械や乗り物に強い関心を持っていて、利用したがることがある。

 長い年月、人間の文化や技術の発展を見守ってきた身として、好奇心や尊敬の念を込めて、のことらしい。(前者の方が強いと思われる)

 自分が開発したわけではないが、興味を持ってくれている事は喜ばしく、(資金が許す限り)わがままに付き合うことにしている。

「そうだね。ちょっと楽しちゃおっか」

「やった!」

 ガッツポーズを見せるランステッドに笑みを向けながら、ロウレニス達は階の突き当たり――ハルハットの病室の真向かい――へと進んでいった。

「そういえば、もうほとんど人が居ないね」

 辺りを見回したランステッドの所感に、ロウレニスも頷いた。

「もうすぐ時間だからね。早めに出てるんじゃないかな」

 そもそも空室が多い様で、6階の患者には数名おり、それ以外の10以上の病室に名前は書かれていなかった。

 そんなことを話していると、ほどなくして目的地の昇降機の場所へと着き、下降のボタンを押して到着を待つ。

 一階で停止していたのか、ランプが1Fから徐々に2、3と上がっていき、ロウレニス達の居る6階へと辿り着いた。

 到着を知らせる鐘の音が響き、扉が重々しく開くのを確認して、搭乗する。目的地である一階のボタンを押し、ドアを閉鎖させると、昇降機は重い駆動音を鳴らしながら下降を開始した。

「この一瞬宙に浮く感じがボク好きだなあ」

 エレベーターが動いた時の、なんとも言えない浮遊感、苦手である者もいるがランステッドにとっては好ましい様だ。

 軽い衝撃を断続的に伝えながら、昇降機の下降は続いていく。

「フウコちゃん達……幸せになれると良いね」

 誰にも聞こえない空間だからこそ、ロウレニスは口にする。

 あまり人に人外の話を聞かれるのは良くないと思ったのだ。

 二人の少女が元気に過ごしている姿を思い浮かべるロウレニスを、ランステッドは鼻で笑った。

「フン、ボクとロウが関わったんだもん。そうなってくれなかったらぶっ飛ばしてやるんだから」

 やけに自信満々なランステッドに苦笑するロウレニス。

 きっとハルハットは手術を受け、回復したらフウコと共に過ごすのだろう、そしてそれはずっと、ずっと続いていくのだ。

 と、ロウレニスが物思いに耽っていると、ランステッドの険しい表情に気付く。

「ランス、どうし――」

「ロウ……ごめん、やっぱ降りなきゃ良かったよ」




 日が落ち、暗く様相を変えた病院に、一つの人影が訪れた。

 闇に溶けるような黒衣を纏った黒髪のそれは、何食わぬ顔で病院の中へと足を踏み入れた。

 深紅の瞳が動き、ロビーを見回す。

 受付では世話しなく職員が働いており、異形の来訪に気付いた様子はない。

 否、気付いていても構う余裕がないのかも知れなかった。

 漆黒の異形、イェーガーにとってはその方が都合が良いわけだが――。

 通路を進み、昇降機を見付けるが、運悪く上に登り始めたらしい。

 舌打ちを一つすると、階段を登り始めた。

「しっかし……『月牙の民』が生きてるとはねえ」

 イェーガーは嗤う。

 楽しげに愉しげに、嘲笑を浮かべる。

「また、楽しい狼狩りが出来るとなると、ワクワクしてくるなぁ!そう思うだろ相棒?」

 一人だったはずのイェーガーの後ろをぴったりと歩く獣が姿を顕し、唸り声を上げて返事をする。

 奇妙な獣であった。体躯はイェーガーの腰程で、地面を四つ足は細いながらも力強さを感じさせた。

 犬、むしろ狼のような外見だが、耳は無く槍の穂先を思わせる仮面を着けている。

 仮面から覗く牙からはおびただしいほどの涎が滴り、飼い主の命を今か今かと待っていた。

「久々の狩りだぁ……存分に食い散らせよ?『フェンインネール』!」

 名を呼ばれフェンインネールは咆哮を上げ、嬉々として階段を駆け上る。

 居場所が分からない人狼を、獣で索敵し追い詰める、それがイェーガーの考えた手段だった。

 それともう一つ――。

「使い魔使役するには腹拵えが必要だよなあ?」

 病院内に悲鳴が響き、フェンインネールが吠え、肉の裂ける音がイェーガーの耳に届く。

 階段を少し上がり踊り場まで来ると、それはあった。

 病院の看護士だったものが転がっていた。

 喉元を噛みきられ、絶命している。

 白衣の天使、とも呼ばれることのある制服は赤く染まり、見る影もない。

 ついさっきまで動いていた人間を見下し、イェーガーの口元が醜く歪む。

「頂きーます♪」

 大きく口を開き、牙を剥き出しにしたイェーガーは死体の辛うじて繋がっている首筋に食らい付き、血を啜る。

 クチュクチュと音を立て、不気味な食事は進み、やがて口を離すと滴る血を拭った。

「さあって、こっからがスタートだぁ」

 邪悪な笑みを浮かべ、イェーガーが言うとイェーガーの影からフェンインネールと同型の獣が、一匹、二匹と這い出てきた。

「狩ってやるから待ってろよ犬っころ」

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