第三節『月の牙を狙うもの』

第三節①

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  栄華の象徴であるルナヴィス中心部を少し外れると、未だ開発途中の区画がいくつか存在する。

 急激な発達を遂げ、人口も増えたルナヴィスにとって、住宅設備や様々な店舗の増築は急務であった。しかし、資金が賄えずに後回しにされてしまう場所も少なくはなかった。

 大型の集合住宅の建設予定地であるこの場所もその一つだった。

 土台となる土地の整地や、鉄筋での骨組み、一部はコンクリートで壁まで造り始めている段階だが、半年間進んでいる様子は見られていない。

 雨風が凌げること、たまに業者が様子を見に来るだけなのを良いことに、昼夜問わず荒くれものや不良学生の溜まり場になる事が多く、いつも賑わっている場所だった。

 しかし、今日は些か雰囲気が異なっていた。

 人で溢れそうなこともあるほどの場所なのだが、今は人一人居らず閑散としている。

 しん、と静まり返る工事跡に『それ』は居た。

 人の姿でありながら人ではない、異形の者。

 黒い髪に黒いコート、黒のデニム、という全身黒の男だ。

 薄暗い工事途中の建物の中に在って、彼の目は深紅色に揺らめいていた。

 男は虚空を睨み、舌打ちをする。

「今さら何の用だよ。琥珀の皇様が」

 男が言うと、何も無かったはずの空間から、焔が沸き上がった。琥珀色の……目を奪われる程の美しさを持つ焔だった。

『貴公に朗報がある』

 男ではない、別の声が周囲に響く。

 あたかも、焔が話しているような錯覚に襲われるが、男は驚きはしなかった。

 目の前の『それ』は、実質焔そのものと言えるのだから。

 焔は次第に規則性を持ち、形を作っていく。

 胴体に頭、そして手足――徐々に人の形を成していく焔を男は険しい表情で見るしかなかった。

 そして完全に人を模倣し終えた焔の中から、一人の男が歩み出てきた。

 散歩でもしているかのような足取りで。

 燃え盛る焔の中から顕れた。

 琥珀色の髪に白い肌、そして黒衣の男と同じ深紅の瞳。

 彼もまた人ではない異形なのだった。

 琥珀の異形は丈の長い黒い衣服を纏い、ゆったりと黒衣な異形へと近付く。

「久しいな『イェーガー』」

 自身がイェーガーと呼んだ男を前に、琥珀の異形は微笑んだ。

 しかし、その笑みに親愛や友好の色は見られず、侮蔑や嘲笑といった感情が見てとれた。

 イェーガーと呼ばれた男は舌打ちで返事を返した。

「朗報ってなんだよ」

「ほう、余が直々に会いに来たというのに、随分と落ち着いているのだな」

 不機嫌そうにしているイェーガーを見て笑みを濃くする異形に、イェーガーは不快感を隠そうともしない。

「アンタがいつもそうやって現れるから、慣れたんだよ」

 と、毒づきながらイェーガーは首筋に嫌な汗を掻くのを感じていた。

 強気の態度を崩さないでいるが、琥珀の異形の放つ威圧感で心臓が押し潰されそうになる。

 顔も整っているし、所作も優雅な青年の姿をしているが、微笑みひとつ取っても、悪意や狂気のようなものを感じさせた。

「まあ、良い。心して聞くと良いイェーガー」

 異形は微笑を湛えて続ける。

「『月牙の民』が生きている」

 その一言にイェーガーの表情が凍り付く。

「あぁ?」

 その反応に気を良くしたのか、異形は笑みを濃くした。

「アイツらは俺等が塵(みなごろし)にしたんだろぉがよ」

 納得のいかない様子で声を荒げるイェーガーを、面白そうに眺める異形。

「如何様な手段を使ったかは知らぬが、事実月の牙は残っている……さて、貴公はどう動く?」

 挑発的な異形の物言いに、眉根を寄せ踵を返すと、歩き始めた。

「どう動くじゃあねぇよ皇帝サマよぉ?どーせ俺には拒否権なんてないんだろぉ?」

 振り返りもせず、イェーガーは異形に向かって言い放つ。

 異形はただ微笑むのみで、返答はない。

 正解だ、と言わんばかりに。

 「クソが」と内心毒づきながら、イェーガーは一度立ち止まり続ける。

「まー、狩ったはずの獲物が生きてるってなっちゃあ、狩人としては名折れだ。引き受けてやるよ」

 言ってイェーガーは獰猛な笑みを浮かべ、その場を後にした。


 残された異形はイェーガーが居た周囲を見回し、呟く。

「退屈しのぎにはなるであろうよ。こんな弱者を相手にするより、ずっとな」

 異形の深紅の瞳が、地面に横たわる『人であった物』を映す。

 その数は一、二、三、四……視線を動かさずとも、十ほど確認できた。

 等しく生気を失い、青ざめた顔色をしており手足一つ動かない。

 それを楽しげに眺めながら、異形は嗤う。

「さあ、貴女はどうするかな、『紅雷の姫君』」

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