第二節②
(昨日の化物の件もある……もし依頼の狼が襲われでもしたら……)
最悪の展開が頭を過る。
「ランスッ!」
「ん……そう言うと思ったよ!」
言うが早いか、二人は駆け出した。ランステッドが根を避けながらロウレニスを音の方向へと誘導していく。
「戦闘音って言ったけど、どんな感じなの?」
「何か追いかけ回してる感じかな……丁度昨日のボク達みたいな?」
それを聞き、昨夜遭遇した化物の事を思い出す。
もしかしたらまた対峙することになるかもしれない。
嫌な予感がしつつも、フウコが襲われている可能性があること、広大な森を宛もなく行くより少なくても遭遇するだろう、という予測からロウレニスは走った。走って――走って――走って。音の方向へと近付いていく。
聞き覚えのある木が倒れる音と獣咆哮、それらがロウレニスの耳にも確かに聞こえてくる。
「ロウ! やっぱ昨日の奴だよ!」
「やっぱり……相手は?」
ロウレニスにはまだ黙視は出来ず、ランステッドに尋ねる。
「あー……」
言葉を濁すランステッドに首を傾げるロウレニス。
「多分ビンゴ……かな」
ランステッドは言うと、ロウレニスの目にも化物と、逃げる少女の姿が飛び込んできた。
銀色の短髪を揺らす小柄な少女が化物の攻撃を上手く避けながら、森の中を逃げていた。
ランステッドが言うビンゴ、という意味もすぐに理解出来た。
少女には、普通の人間には無いものがあった。獣……犬、否、狼を思わせる耳が頭から生えており、腰からは柔らかそうな尻尾が伸びていたのだ。
獣人と呼ぶに相応しいその姿に、ロウレニスも件の『月牙の民』なのだろうと予想する。
「お願いランス!」
「はあ……昨日もうちょいダメージ与えとくべきだったね」
言いながらランステッドは速度を上げ、化物と少女の間に割って入っていった。
「!?」
ランステッドに気付き、少女は驚きの表情を浮かべた。立ち止まる少女にランステッドは不敵な笑みを返す。
「キミに用があるから、ちょっとそこで待っててよ」
「え?」
ランステッドは少女に言うが早いか、半刻振りの怪物と対峙する。
「また襲われでも面倒だし、ちょーっと本気出しちゃおうかなっ!?」
そう口にするランステッドは獰猛な笑みを浮かべ、右手を化物の方へと向けた。
掌が真紅の光が放たれ、化物の顔面を穿つ。
『昏きもの』には位階があり、下級、中級、そして上級。
上級の『昏きもの』には固有の能力が備わっており、能力の有無が重要視される。
ランステッドは上級の『昏きもの』で、能力は『紅い雷の操作』である。
自然界には存在し得ない真紅の雷は、不規則な軌道を描いて化物へと伸びていき、顔面に直撃する。
紅雷が当たったことで化物は怯み、追走を止めた。
「良い子だね。じゃ、そのまま眠ってね!」
言い終えるより早くランステッドは疾駆し、距離を詰める。
放出した雷を今度は右手に纏わせ、拳に力を込めた。
「せーのっ!」
渾身の力で怪物の横っ面に――昨夜ランステッドが回し蹴りを食らわせた箇所――気合いと共に真紅の光を纏った拳を叩き込んだ。
耳を裂くような雷鳴が鳴り響き、その一撃で化物は白目を剥いて倒れ伏した。
「これで丸一日くらいは立てないでしょ」
完全に沈黙した化物に背を向け、ランステッドは体の埃を手で払った。
その様子を見ていた銀色の少女は――。
「す、すごーい!」
羨望の眼差しをランステッドに向けていた。
興奮する少女に呼応してか、頭の耳と、腰の尻尾が世話しなく動かしている姿はなんとも可愛らしい。
「お……つかれ……ランス」
「はは、ロウの方がお疲れって感じだけどね」
息を切らせながらロウレニスに、ランステッドが労いの言葉を掛ける。
一般的な成人男性として平均程度の体力はあると自負するロウレニスだが、相手は人ではないので比べるのは野暮と言うものだ。
息を整え、ロウレニスはフウコと思わしき少女に向き直った。
幼い少女だった。
小柄で、(見た目だけなら)十代半ばのランステッドより幼い印象を受ける。
光輝く銀髪にちょこんと生える狼の耳に、腰からは柔らかそうな尻尾が世話しなく動いていた。
彼女が人狼、『月牙の民』という何よりの証拠なのだが、ロウレニスはある事実に気付き、慌てて目を閉じた。
「ご、ごめんなさい!」
「?」
幼くも女性的な柔らかさを持った肢体に、真珠のように白い肌。
美少女と言って差し支えない少女の、あられもない姿が目の前にあった。
「ロウのえっちぃ」
意地の悪そうに言うランステッドにロウレニスは慌てて上着を脱いだ。
「ランス、これ着せてあげて!」
「はいはい」
ランステッドはロウレニスから上着を引ったくると、少女に着せていく。
「しかし、キミ羞恥心も獣レベルなのかな?」
「しゅーちしん?」
されるがままに服を着せられる少女は、ランステッドの問いに首を傾げる。
どうやら意味が理解出来なかったらしい。
「ロウ、良いよ」
合図があったことに安堵し、ロウレニスは目を開いた。
肌を晒け出していた先程と違い、ロウレニスの上着を着たことで、隠すべき部分が隠れていることに、肩を撫で下ろす。
「うー、ゴワゴワするぅ」
「それくらいは我慢しなよ。人間の姿になってるときくらいはさ」
不満そうに袖で隠れた手をぶらつかせる少女をランステッドがたしなめる。
『ロウ、この娘最近人間態になれるようになったっぽい』
『なるほど……ミャリアさんも人間態になったって言ってはなかったもんね』
ランステッドの評価にロウレニスは納得する。
「あ、そうだ。助けてくれてありがとう!」
礼をしていないのを思い出して、少女は満面の笑みを浮かべて礼を口にするのだった。
少女の様子にランステッドも毒気を抜かれたのか、顔を逸らして頭を掻くのみだ。
その顔が少し赤くなっているのをロウレニスは気付き、苦笑した。
「お兄ちゃんもありがとう!」
「う、うん」
『お兄ちゃん』という呼称に照れつつ、ロウレニスは少女と向き直る。
「ところで、君はフウコちゃん、でいいのかな?」
ロウレニスの問いにフウコと思わしき少女は目を丸くした。
「どうしてフウコの名前知ってるのお兄ちゃん?」
「僕は探偵をしている『ロウレニス=レンフィールド』。で、こっちが助手の――」
「『ランステッド=シェル=アルナカルタ』」
「たんてい?じょしゅ?」
ロウレニスは軽い自己紹介の後、今回の依頼について話を始めた。
フウコが森に捨てられた経緯と、ミャリアの想い、そしてハルハットの病状が悪化し、手術を行わねば危険な状況にあること。
時折言葉が分からない様子もあったが、真剣に話を聞いていた。
ランステッドの念話での解説曰く、人型になれるようになって日が浅く、人間との関わりもなかったために、過去のハルハットやミャリアと過ごした記憶から言葉を修得したのだろう、との事だった。
全てを聞き終えたフウコは、慌てて手を振りながら口を開いた。
「大変!早くハルちゃんのところに行かなくちゃ!」
表情がころころと変わる様子は可愛らしかったが、一刻も早く連れていった方が良いとロウレニスも感じた。
しかし、ランステッドは不満そうに口を挟む。
「キミ、捨てられたんだよ?憎くんだりしてないの?」
「にく、んだり?お肉?」
苦笑を交えロウレニスが『憎しみ』について説明する。
ランステッドの問いは、ロウレニスも少し聞いてみたかった。
人間に不信感や警戒心を持っていたとしてもおかしくはないと予想はしていたからだ。
蓋を開けてみると、警戒心などまるでなく、至って普通に……否、むしろ友好的に接してきている。
ロウレニスの説明を聞いたフウコは、一度きょとんとした表情を見せた後に、笑顔をランステッドに向けた。
「おかーさんはハルちゃんを助けたいからフウコを捨てたんでしょ?フウコもハルちゃんが危なかったら同じ考えだと思う」
フウコの堂々とした答えに、ランステッドは一度たじろぎ、ロウレニスに涙目を向けて首を横に振った。
『ロウ、駄目だよ。ボクにはこの娘は眩しすぎて直視出来ない』
『いや、それは……』
ランステッドの反応はどうかと思ったが、ロウレニスは感心した。
きっと、飼い主の影響なのだろう、と思い浮かべるのだった。
「それよりお兄ちゃん!早く行こっ!ハルちゃんに会わなきゃ!」
「あ、うんそうだね。行こうか」
急かすフウコにロウレニスも応じ、動き出した。
足場の悪い道をゆっくりと、ロウレニスは歩くが、人外である二人は軽い足取りで進んでいく。
見た目的に少女達が大人のロウレニスに合わせて歩く、というなんとも言えない絵面になっている。
「それに、してもフウコちゃん……結構、端まで来たんだね」
岩や根で段差になっている部分を上りながらフウコに話しかけるロウレニス。
現在ロウレニス達がいる地点は森の端の辺りであり、フウコが捨てられたという中心部から大分遠い場所にある。
「ハルちゃんに会いたい一心で、探してたんだあ」
捨てられたのが数ヵ月前なのを考えると、ずっとハルハットを探し続け、さ迷ってなお人を恨むことなく居続けたフウコは恐ろしく純粋であった。
ロウレニスが上りきるのを待ちながらフウコは続ける。
「最初は怖いだけだったんだけど、やっぱりハルちゃんに会いたくて……そしたらね、昨日の夜! すっごく大きい音がしてね!」
『昨日の夜って……』
『多分ボクらが襲われてた時だね』
「何か分かるかも、って思って急いで近付いていったんだあ」
昨日の化物との一戦がまさか、フウコとの繋がりになろうとは思ってもみなかった二人であった。
『ボクのお手柄だね』
念話での口調も自慢気なランステッドにロウレニスは苦笑する。
「行ってみたらさっきの子が倒れてて、大丈夫って声を掛けたら襲われて逃げてたの」
あの、見るからに凶悪そうな化物に心配して声を掛ける、その行為に驚くロウレニス。
『いや、どんだけ善良だったのその飼い主。ボク軽く引いてるんだけど』
『いや、引かないでよランス……』
二人がそんな事を話しているとは知らず、フウコは天真爛漫な笑顔を向ける。
「でも、ロウお兄ちゃんとランスのお陰でハルちゃんに会えそうだね!」
助けられてよかった、とあらためて思うロウレニスだったが、隣のランステッドは不機嫌そうな表情を見せていた。
体からバチバチと紅い雷を発してすらいる。
「ボクをランスって読んでも良いのはロウだけなんだけど……?てか、なんでロウは『お兄ちゃん』でボクはランスなのかな?」
「?お兄ちゃんはお兄ちゃんみたいな感じだから?ランスは……んー、わかんない!」
ロウレニスは嫌な予感を感じた。
見るからにランステッドが纏う雷の勢いが増していたからだ。
「ランス、どうどう」
「もう!ロウもなんとか言ってやってよ!」
「えぇ……」
ルナヴィスまでの道中が不安になるロウレニスなのであった。
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