七人の妹 第四章 七人の妹 3



          * 3 *



「クソッ」

 悪態を吐いた剣客は、グラウンドに身体を横たえた。

 彼の右足は何かに食い千切られ、左腕は押しつぶされたようになっていた。服のいくつもの場所には黒い焦げ跡があり、顔の右半分は原型こそ残しているが、焼けただれている。

 胸を大きく上下させ、途切れ途切れの息をする剣客は、それでも右手の斬り裂き丸を手放していない。

「こんちくしょう。勝てねぇ……。物理戦で負けたなぁ本当に久しぶりだ。惚れるぜ……」

 そんな言葉を残した剣客は、目を閉じ、力を失った身体は弛緩した。

 剣客から少し離れた場所にいるユニアは、それを確認し、両膝と両手を着いた。

「心を、折られるかと、思った……。ここまで技量の差が、あるとは……」

 ユニアの周りには、破壊された装備が山のように積み上がっていた。

 空間のルールすら操れるユニアであったが、圧倒的な物量を持ってしても、剣客は手強く、勝利はぎりぎりだった。

「でも、こんなことをしている時間はありません」

 膝に手を着いて立ち上がり、五体こそ揃っているが、あちこちが斬り裂かれたメイド服を纏う身体を引きずるようにして剣客に近づき、彼の右手を蹴飛ばした。

 斬り裂き丸が遠くに飛んでいったのを確認し、いまにも死にそうな格好になっているのに、何故か満足そうな笑みを浮かべて気を失っている剣客の顔を眺めてから、ER空間を解除する。

 途端に薄緑色の壁とともに、瓦礫となった装備は消えた。

 ユニアのメイド服にあった斬られた跡も、剣客の傷も身体の欠損も残らず戦闘前に戻る。

 失われた体力が回復しても、気を失った剣客は目を覚まさない。メカニカルアイに表示されている残存エネルギーが充分なのを見、グラウンドで行われていた他の戦いを確認するために視線を巡らせた。

 巨大な断末魔。

 空中からのそれにユニアが顔を上げると、虹色に光る球体が浮かんでいた。

 中にいるのは、宇宙竜。

 手足のすべてと尻尾を切り取られ、胴体の後ろ半分を斬り落とされている宇宙竜は、それでも生き、球体の中で暴れている。

 グラウンドには、最初に放ったプラズマブレスの跡と、宇宙竜の足跡以外には戦闘の痕跡はひとつもない。魔法少女バーニアが、攻撃のすべてを精密に無効化し、必要最低限の力で攻撃を行った結果だった。

「バーニアは願う、偉大なる竜の癒やしの眠りを!」

 剣帝フラウスをかざして唱えるバーニアの魔法句に応え、虹色の球体は急速に収縮する。

 小さな球となってゆっくりと降りてきたそれは、彼女の手に収まった。

「殺しはしないので?」

「うんー。操られてたってことは、たぶんある程度頭が良い竜だと思うんだぁ。自分の意思で暴れたんじゃないし、タイミングを見てどこかに放してあげればいいかな、って。それに、あそこからでも、宇宙竜を完全に殺すのは凄く大変だし、ワタシじゃ難しいよぉ」

 いつもの、ゆったりとした口調のバーニアはそう言い、竜を封印した球を懐に収めた。

「お疲れさん。どうにかなったナ」

 言いながら近づいてきた姫乃。

「あっちも終わったみたいやネ」

 にこやかに笑う彼女が指さした先には、ユニアたちの元に歩いてくる羽月と紗月が見えた。

 並んで歩くふたりは、その後ろに白く細い帯で繋がれた、紡錘形の物体を引っ張っている。時折ビクビクと動くそれは、おそらく黒いファントム。

「久しぶりに思いっきり遊んだー」

「本当、楽しかったねぇ」

 包帯かなにかにしか見えないのに、それなりの強さを持ったファントムが逃げ出すことができないのだ、ただの布ではないのだろう。

 それによって敵を捕らえたにも関わらず、ふたりにとっては遊びに過ぎないらしい。

 ふたりの正体も、その力の底も、ユニアにはわからなかった。

「さぁ、兄様の元に向かいましょう」

 そう言ったユニアの言葉に全員が頷き合ったときだった。

 大きな悲鳴。

 美縁と遥奈による悲鳴は、佳弥のことを呼んでいた。

「急ぎます!」

 言ったユニアは、ファントムを放り出して近づいてきた羽月と紗月を左右の腕に抱き、観客席へと跳ぶ。

 遅れず姫乃を左腕で横抱きにしたバーニアは、VIPルームへと飛んだ。

 バーニアが丸く切り取ったVIPルームのガラスに先に飛び込み、ユニアは部屋の中を見た。

 部屋の隅では、三人の黒装束の男たちに捕まり、それでも逃れようと泣きながら暴れている遥奈と、部屋を出ようとしている芒原。それから、部屋の真ん中辺り、並んでいる椅子の間で崩れるように座っている美縁が見えた。

 彼女の見下ろす先に横たわっているのは、佳弥。

 その胸に突き立っている、脇差。

 ――斬り裂き丸!

 剣客が言っていた太刀である斬り裂き丸の相方、ふたつでひとつなのであろう脇差が、佳弥の胸に深く突き刺さっていた。

「か、回復を!」

 ユニアが言うまでもなく、続いて入ってきたバーニアが姫乃を下ろすと同時に彼に駆け寄り、両手に魔法の光を灯す。

「バーニアは願う! 深き傷を癒せし大いなる力を!!」

 魔法の光を傷口に当てるのと同時に、近寄ったユニアは斬り裂き丸を胸から引き抜いた。

 傷は、瞬時に塞がった。

 佳弥の息が止まってから一分と経過していないはず。

 治療魔術でも絶命から短時間であれば、人は生き返る。

 ――何故!

 傷は塞がったのに、佳弥の息は止まったままだった。

「いや! 佳弥さんっ、佳弥さん!!」

 両腕をつかまれ、頭を押さえつけながらも、必死で暴れる遥奈が叫ぶ。

「生きなさい! 兄様、息をしなさい!!」

 叫びながらユニアは、両腕を彼の胸の上で重ね、心臓マッサージを開始する。加えてバーニアが復活の魔法を唱える。

 それでも、佳弥は息をしない。目を覚まさない。

「ユニア、兄さんは……」

 ぽろぽろと涙を零す美縁から目を逸らして、ユニアは心臓マッサージを続けることしかできなかった。

 ユニアにはわかっていた。

 佳弥が断たれたのは、肉体的な意味での命ではない。

 斬り裂き丸、事象剣が断ち斬ったのは――。

「無駄だよ。僕は事象剣を使って彼の命を――、いや、彼の命脈を断ち斬った。科学でも、魔導でも、彼を生き返らせる手段はない。高宮佳弥は、――死んだ」

 その言葉で、ユニアは座り込んでしまった。

 バーニアも、羽月も紗月も、姫乃も、佳弥を囲んで座り込む。

 なんでなのか、満足そうな表情を浮かべている佳弥。

 服には血がつき、刺された場所には穴が空いてしまっているが、その下の傷はすっかり癒え、目を覚ましてもおかしくないくらいなのに、息を吹き返すことはない、彼。

 目の前が真っ暗になっていくような、そんな錯覚をユニアは感じていた。

「僕が調べた記録の中では、これほど早く最終宿主を見つけたハルーナはいなかった。彼は良い兄で、遥奈にとって良い男だったのだろう。残念だ。さらばだ、佳弥君の妹たちよ。どうせあと数年でこの世界はつくり替えられる。悲しむのはその間だけのことだよ」

 芒原がわけのわからないことを言い、部屋から出て行こうとしているのはわかったが、立ち上がる気力すらなかった。

 他の五人も、ただ佳弥の死に顔を眺めて、遥奈が連れて行かれそうになっているのに、動くこともできなかった。

「行くぞ。遥奈を連れてい――ゲハッ」

 黒装束たちに声をかけた芒原が、奇妙な声を上げた。

 何が起こったのかと顔を上げて見ると、手早く黒装束たちと芒原を縛り上げ、部屋の外に蹴り出している、武速。

「バロールの野郎に睨まれると、分神に過ぎない俺様はこの世界から弾き出されちまうからな。あいつを倒してくれて助かったぜ。せっかく本体から離れてこの世界で好きにできると思ったのに、消滅させられちまったら敵わねぇからな」

 さきほど情報を持ってきてくれたときと変わらぬ、佳弥が死んだというのにとくに気にしている風のない武速は、嫌らしい笑みを浮かべながら近づいてくる。

「絶望するのはまだ早いぜ、てめぇら。できるかどうかは何とも言えねぇが、佳弥の野郎を復活させるぜ」

 その言葉に、妹たち全員が武速のニヤついた笑みに注目した。





「生き返らせられるの?!」

 真っ先にそう問うたのは、美縁。

「本当に可能なのですか?!」

 続いて遥奈も、武速の側に近寄り、問うた。

「できるとははっきり言えねぇ。でもこれだけのメンツが揃ってるんだ、不可能じゃねぇ。それと、生き返らせるのとは違う。復活させるんだ」

 ニヤついた笑みはそのままに、佳弥の側にしゃがみ込み、武速は彼の顔を眺める。

「てめぇは幸せな兄貴だな。これだけの妹に、こんだけ慕われやがって。羨ましいぜ」

「本当に、本当にできるのですか?!」

「ちょっ、ちょっと落ち着け。これから説明するから!」

 後ろから服を引っ張って、遥奈は武速の身体を揺すぶる。

「ですが何故、貴方はわたくしたちに手を貸してくれようとするのです? 貴方は遥奈を狙ってきた人でしょう。兄様を復活させる理由は、ないのでは?」

「んなこたねぇよ。確かに妹はいまでもほしいが、俺様は妹って立場の女の子全員の幸せを願ってる。これだけの妹が悲しんでるのを見過ごすことなんてできねぇよ」

 ユニアの問いにそう答えた武速は立ち上がった。

 それに合わせて、遥奈たちも立ち上がって武速の顔に注目する。

「さて、ハルーナには世界を変える力がある。それってなぁ因果律の操作能力だ」

「あぁー、なるほどナァ。だから手元とバックアップのデータに齟齬が発生したり、痕跡も残さず住民登録できてたンカ。納得したワ」

「……はい。芒原さんから聞きました。本当にあるのかどうかは、よくわかりませんが」

 姫乃は納得したように頷いていたが、遥奈には自分にそんな能力があるのかどうか、わからなかった。

 佳弥が息をしていないのを確認し、生き返らせることができないと言われてから、身体が冷たくなった気がしていた。守ると佳弥に言われたときに感じた身体の熱さが、下腹に痛みとともに感じた熱が、いまは氷でもあるかのように冷え切ってしまっている。

「でも、その力は成体になったらなくなるって」

「あぁ、そうだ」

 訝しむように目を細める美縁に、武速はニヤリと笑って見せた。

「成体のハルーナからは消滅する能力だ。だが、いまの遥奈は最終宿主を、佳弥を失った。繁殖行為前のハルーナは、最終宿主を失うことで成体から幼体に戻る。新たな最終宿主を見つけるために、な。もちろん、因果律操作能力も戻ってるはずだ」

「にぃに、復活できるの?」

「にぃや、生き返らせられるの?」

「不可能じゃねぇはずなんだ。ただ、俺様たちファントムにもできることじゃない。いや、正確には顕現したファントムには不可能で、顕現してないファントムには可能なはずだ。まぁ顕現してない、相を持たないファントムはその手の望みを持つことはまずないから、やることが奴がいないってだけだが。ともあれ、いまここで佳弥の野郎を復活させられるとしたら、遥奈の因果律操作能力だけがそれを可能にする」

 武速に見つめられ、遥奈は息を飲む。

 美縁たち、佳弥の妹全員にも見つめられた遥奈は、目をつむる。

 ハルーナの本能が、頭の中から、新しい最終宿主を探せと訴えているような気がしていた。

 この場を離れて、新しい中間宿主に寄生し、よりよい最終宿主を見つけるべきだと言っているように思える。

 けれども、目をつむった遥奈の脳裏に浮かぶのは、佳弥の顔。

 笑っていることが多かった。

 結奈と名乗ったときには、突き刺さるような視線を向けられた。

 泣きそうにしていることもあった。

 情けない表情を見せていたりもした。

 それでも、佳弥は優しかった。よく笑いかけてくれた。遥奈を、妹のひとりとして、大切にしてくれた。

 ――わたしは、他の人の妹になんて、なりたくありません!

 目を開けた遥奈は、言った。

「やります。佳弥さんを、復活させます」

「よっしゃ。だったらこいつの胸に手を置け」

「はいっ」

 言われた通りにしゃがんで、にじみ出た血が乾いてきた胸に手を置く。

「因果律の操作は、魔法ですら実現できない正真正銘の奇跡だが、おそらくエーテル場に関係する。操作をするためには大量の魔法力が必要だ。魔法少女、遥奈の背中に手を当てて、魔法力を注ぎ込む準備をしろ。それと、他の奴らもだ」

 武速の指示に従って、遥奈の背にバーニアが手を着く。美縁とユニアと姫乃も、遥奈の背に手を着いた。

「てめぇらは止めておけ」

 同じように手を着こうとした羽月と紗月に、武速はそう声をかけた。

「なんで? お手伝いしたいだけだよ?」

「にぃやを助けたいのは同じなのに?」

「ファントムの身体はこの世界では仮のものに過ぎねぇ。因果律操作に必要な魔法力がどれくらいなのかわからない。ヘタすりゃこの世界での相を失いかねないし、とんでもない量が必要な場合、本体に影響が出る可能性がある」

 武速のそんな指摘に、羽月と紗月は優しく笑った。

「心配してくれてありがとっ」

「うん。でもね? 紗月もにぃやを助けたいんだ」

「羽月もいっぱいにぃににお世話になってるからね!」

「だから美縁や遥奈や姫乃と同じ」

「バーニアとユニアが思ってるのと同じくらい、にぃにが大好き何だよ」

「にぃやのこと、本当に本当に大好きなんだよ。だから、ね?」

「みんなと一緒ににぃにを助けるんだよ」「みんなと一緒ににぃやを助けるんだよ」

 そう言った羽月と紗月は、遥奈の背中に右手を、左手を押し当てた。

「クソッ。なんでそんなんでも強情なのは変わらねぇのかな。仕方ねぇ。俺様も入れば少しは足しになるだろ! ちったぁ消える確率も減るはずだ」

 言って武速は、羽月と紗月が伸ばしている手に、自分の手を繋いだ。

「あとは、どうすればいいのですか?」

「願え。強く、強く願え。佳弥の復活を。それから、想え。佳弥が生きていたときのことを。あいつの姿を。そして、命脈が断ち斬られたことをなかったことにするんだ」

「はい!」

 佳弥の胸に両手を置き、背中に置かれたみんなの手を感じ、遥奈は目をつむった。

 ひと月にも満たない佳弥と過ごした時間。

 自分がハルーナだということは身体を生成し、意志を持った瞬間からわかっていた。中間宿主とその家族を騙して生活に入り込めばいいということもわかった。

 けれど不安でもあった。

 いつかバレるのではないか。いつか嫌われるのではないか。いつか捨てられるのではないか、と。

 寄生を開始したその日にバレてしまっても、佳弥は放り出そうとはしなかった。それどころか、妹のひとりとして受け入れてくれた。

 面倒に巻き込まれたのに、守ってくれようとした。身を挺してまで。

 そんな彼のことが好きだった。

 そんな彼のことを、愛していた。

 果たしてそれはハルーナの本能から来る想いなのか、佳弥と同じ人間の身体を持った遥奈自身の想いなのかは、わからなかった。

 ――でも、わたしは佳弥さんと一緒にいたい。生きていきたい。それだけは、本当だから。

「行きます!」

 想いのすべてを籠めて、遥奈はハルーナの持つ秘められた力を自分の中から掘り起こす。

 背中から流れ込んでくる熱い力。それと同時に、強い想い。

 それを受けながら、遥奈は強く、強く願った。

 ――佳弥さん、わたしはまだ、貴方と生きていきたいんです!!

 遥奈の、そしてみんなの想いが、佳弥の身体に注がれていくのを、遥奈は感じた。



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