七人の妹 第三章 兄の役割 3



          * 3 *



 ――今日の夕食は何にするかな。

 そんなことを考えながらたどり着いた家のあるプレート。

 ホウキに乗った美縁とユニアと一緒に敷地プレートの発着スペースに着地し、バイクのタンデムシートに座る遥奈に先に降りてもらう。

 飛行魔術から浮遊魔術に切り換えたスカイバイクを引っ張って、学校帰りの俺たちは家へと歩き始めた。

「今日の夕食は何するつもり?」

 歩き始めてすぐに訊いてきたのは、美縁。

 兄妹でお互い食事担当なだけあって、このタイミングで考えることは同じらしい。

「昨日マーケットで買ってきたアジがあるからな。それの塩焼きがメインかなぁ」

 停蔵庫があるから鮮魚でも急いで食べる必要はないが、せっかくだから早く食べたい。

「アジって、お魚ですか?」

「えぇ。こんな形です。塩焼きにするとこう」

 道幅があるから並んで歩く遥奈が口にした疑問に、ユニアがエーテルモニタを開いて答えていた。

「骨、あるんですよね? うぅ……」

「食べ方はわたくしが実践して見せますよ」

「お願いします……」

 かなり上手くなったけど、遥奈はまだまだ箸の扱いをマスターしきれていない。

 結奈のことで彼女のわだかまりが残っているだろうに、世話好きのユニアはいつも手を差し伸べていた。

 ――いつも通りだな。

 そう思えることが嬉しい。

 課題は残っているが、遥奈を加えた七人の妹との日常が続いている。シス婚推進委員会襲来からのこの数日は、平穏だった。

 それがずっと、もう少し大人になるまで続くんじゃないかと思えるくらいに、当たり前に感じていた。

 それなのに――。

「警戒を」

 家の前まで着いて、バイクをガレージの方に引っ張っていこうと思ったとき、ユニアが腕で行く手を制した。

 見回してみると、近くに人の気配がない。この辺は住宅街だから、割と敷地に余裕があって家の間は離れてると言っても、人っ子ひとり見かけないなんておかしい。

 どうやら、また人払いの結界が張られているらしい。

「鋭いな、スフィアドールのお嬢ちゃん」

 そんなことを言いながら家の影から姿を見せたのは、鞘に納めた日本刀らしきもので自分の肩を叩く男。

 頬に十字に走る古傷はファッションなのか、それとも歴戦の勲章を消さずに残しているのか。いまの時代、見た目で年齢を判断するのは難しいが、三〇後半かそれくらいに見える男は、カジュアルジャケットに綿パンという普通の格好だが、普通の人とは思えなかった。

 ファントムである武速が放っていた独特の野性味と似ていて、けれど研ぎ澄まされた感じのある男の雰囲気は、まさに剣客。

「また、シス婚推進委員会の人?」

「なんだ? あいつらも動いてるのか? あんな変態集団とは違うさ。まぁ、狙いは同じだがな」

 美縁がつぶやいた疑問に剣客が答えたのと同時に、俺たちの家の玄関が乱暴に開かれ、中から六人の黒装束たちが現れた。

「どうせそのお嬢さんを素直に渡す気はないんだろ? 実力行使といかせてもらうぜ」

 道の前後に黒装束たちが三人ずつ。取り囲まれた。

 ――マズいな。

 羽月と紗月は朝から仕事に出かけていて、たぶん夕方まで帰らない。

 バーシャは、ちょうど俺たちが学校を出たとき、イズンの近くで宇宙怪獣の出現を感知したとかで、魔法少女として出撃するとメッセージが入っていた。帰りがいつになるのか不明だ。

 いま戦えそうなのは、剣客と睨み合ってるユニアしかいない。

 ――いや、待て。

「姫乃はどうした?!」

 家にいたはずの彼女のことを思い出して、俺はユニアの腕を押し退けるように前に出る。

「家にいたお嬢ちゃんか? あの子なら中で眠ってもらってる。標的以外に手荒なまねをするのは主義に反するからな、動けないようにはしたが、他は何もしてないぜ」

 日本刀で肩を叩きながら、剣客は事も無げに言う。

 小さくエーテルモニタを開いてメッセージを飛ばそうとしてみるが、姫乃はもちろん、バーシャや羽月、紗月にも連絡できない。人払いの結界と同時に、通信妨害も張っているんだろう。

 敵の言葉を信じていいものかはわからないが、いまは信じることにする。悪い事態を想像して落ち込んだりしてる状況じゃない。

 周到に準備してきてる敵をやり過ごし、とにかく時間を稼がないといけない。

 バーシャか、羽月と紗月のどちらかが帰ってくれば、まだやりようはある。

「さて、遥奈ちゃんだったかな? を渡してもらおうか。拒否するってんなら、少し痛い目を見てもらうことになる」

 殺気。

 それまで不穏な空気を纏っていた剣客は、言葉と同時に刺すような殺気を放ち始める。

 やり過ごすにしても、家の中にたどり着かなければ始まらない。

 じりじりと距離を詰めてくる黒装束たちに焦りを感じ始めていたとき、動いたのはユニアだった。

「遥奈を渡すわけには参りません」

 剣客の方に大きく踏み出す彼女。

「一瞬だけ、隙をつくります。家の中へ」

 すれ違い様、俺に視線すら合わせず耳元で彼女はそう言った。

「お嬢ちゃんが相手か。多少やるとは聞いてるが、相手にならんと思うぜ」

「さて、それはどうでしょうね」

 ユニアからの一瞬の目配せ。

 構えを取る動作の間に、制服の袖口から転がり出て彼女の手に収まった、小さな球体。

 手だけを振って空中に投げられた球を見て、俺は動いた。

「走るぞ!」

 顔を強張らせてる美縁と遥奈の手を取り、玄関へと走り始める。

 黒装束がこちらに走り寄ってくるのが見えた瞬間、ユニアが投げた球体が地面で跳ね、弾けた。

 立ち上る赤い煙。

 俺はそれを無視して突っ切り、玄関に飛び込み開きっ放しだった扉を閉めて鍵をかけた。

 さらに奥に進んだ俺は、横をすり抜けて美縁と遥奈が共有フロアにたどり着いたのを確認し、廊下の壁を手のひらで叩いた。

 ロックが外れる重々しい音の後、天井から降るような速度で落ちてきて廊下を塞いだのは、隔壁。

 何かとトラブルに巻き込まれることがある我が家の防護手段のひとつ。

 姫乃によって設置された隔壁は、分厚い金属でできてるだけじゃなく、素材硬化や防御の魔術がかけられ、軍用武器でもそう簡単に破れるものじゃない。

 安心とは言えないが、これでしばらくは保つはずだ。

「美縁、姫乃の様子を見てきてくれ」

「あ、うん。わかった」

 シス婚推進委員会のときとは比べものにならない緊迫感を飲み込み切れないのか、呆然と立っているだけだった美縁に声をかけると、我に返った彼女はすぐさま姫乃の部屋に駆け込んでいった。

「……わたしの、せいで」

 表情を凍りつかせた遥奈は、そう言って崩れ落ちた。

 足を投げ出し、手を着いてうつむき、肩を震わせている遥奈。

 そんな彼女の前に跪き、肩に手を置いて俺は言う。

「そんなこと言うな。遥奈は俺の妹だ。俺たちの家族だ。そんなことは気にするな」

「でも! あの人たちの目的はわたしです!!」

 顔を上げた遥奈の目から、涙が散った。

 ふわりと舞う栗色の髪と、照明を受けて光る涙は、美しかった。こんなときなのに、俺はそんなことを感じていた。

「わたしさえいなければ、あの人たちはもう二度と佳弥さんたちの前には現れませんっ。いますぐわたしをこの家から放り出して――」

 意外と大きな音がした。

 俺は遥奈の頬を、平手で叩いていた。

 うっすらと赤くなってる頬に触れ、泣き顔を驚きに染めている遥奈。

 そんな彼女のことを、俺は抱き締めた。強く、強く抱き締めた。

「家族のことは家族で守る。俺には何の力もないが、お前がこの家にいたいと言うなら、家族でいたいと望むなら、俺の妹でいたいと思ってくれるなら――」

 一度身体を離し、遥奈の顔を見つめる。

 揺れている彼女の瞳を覗き込み、笑む。

「俺は遥奈を、遥奈の想いを、守る」

 遥奈は息を飲んだ。

 急速にその顔が赤くなる。

「遥奈は、何を望む?」

「わたしは――」



            *



 煙幕はアッという間に拡散し、黒装束たちは玄関から家の中に入っていった。

 だが出てくる様子はない。

 家の中で、佳弥が隔壁を閉めているだろうことはわかっていた。堅固な隔壁は、そう簡単に突破できないだろうと、ユニアはいまはそちらに注意を払うことを止めた。

「やってくれたな。時間稼ぎにしかならんだろうが」

「時間が稼げれば充分ですよ」

 慌てている様子もなく、ゆったりと立っている剣客。

 通学用の鞄を投げ捨てたユニアは、両手の手刀を構えた。

 ――さて、どれくらいの強さなのか。

 日本刀はそれほど恐れる必要があるものではない。

 いまは学校の制服しか着ていないが、それに付与された防御魔術は充分に優秀で、人間が振るう刃物が貫通する可能性は皆無。金属製のただの棒きれと違いはなかった。

 しかしながら剣客の纏う雰囲気と、わずかながら見えた足運びは、素人のそれではない。下着にすら防御魔術が付与されている現在、スポーツ以外で争い事を経験する人はほとんどいないけれど、剣客はおそらくどこかで実戦経験を積んでいると思えた。

「こんな街中で、長い時間結界を張り続けるわけにもいかんしな。さっさとやろう」

 言って剣客は鞘から刀を抜いた。

 直刀と言っても差し支えのない、ほぼ反りのない刀の長さは、日本刀としてはごく普通。飾りのようなものはなく、何か仕掛けでもあるのかと思っていたが、マナジュエルがはめ込まれている様子もなかった。

 ただ、想像よりも陽の光を反射する輝きが強い。

 いまでは映像作品にしか登場しない、絶滅危惧種になっているチンピラ程度の強さならば問題はない。

 スフィアドールであるユニアは、たいていの人間よりも運動能力も、反射神経も高い。早めに倒して黒装束たちの後を追って叩きのめせば事は終わる。

 剣客がファントムということもない。メカニカルアイで感知できる限りでは、彼はただの人間だ。

 しかしユニアは、不精ヒゲを生やした口元に浮かぶ笑みに、不穏なものを感じていた。

「行きます」

 そう声を出した直後、ユニアは地を蹴った。

 低く、剣客の身体の下に滑り込むようにして放った蹴り。

 剣客の服に付与された防御魔術が発動し、微かに青い光を放つ。

 人間サイズで、お互い防御魔術を張っている同士で戦う場合、相手にダメージを与えるにはコツがいる。衝撃を緩和する防御魔術越しにダメージを与えるには、緩和しきれないほどの打撃を加えてやれば良い。

 しかし大口径の銃から放たれた弾丸すら受け止める防御魔術には、生半可な打撃は通用しない。体重を乗せた拳でも、高速な蹴りでも足りない。

 ダメージを与える方法はふたつ。

 地をつかむか、相手の身体をつかむか。

 ユニアはその両方を使い、防御魔術を張った敵とも戦えるよう、鍛えてきた。

 防御魔術越しに命中させた蹴りは、剣客の身体を浮き上がらせる。

 飛行魔術を組み込んだ魔法具を身につけていると意味はないが、そんなものを使わせる隙を与えるつもりはない。身動きのできない空中で、相手の身体をホールドして攻撃を加える。それで終わりだ。

「え?」

 追撃のためにジャンプしようとしたユニアは、それを諦めることになった。

 数メートルは浮き上がると思っていた剣客の身体は、彼の身長ほども浮き上がらず、静かに着地した。

 ――魔術格闘戦に長けている?!

 魔導世界となった現在でも剣道などの競技は存在するが、実戦を想定したものではなく、現実の戦いとはかけ離れてしまっている。

 喧嘩の経験がある者はいるだろうが、防御魔術を張っていればお互いにダメージにならずに終わり、防御魔術なしで殴り合えばそれを張った同士の戦闘経験は積めない。

 ユニアの蹴りの衝撃を受け流すよう、体勢を変え、自ら後ろに跳んだ剣客は、失われているに等しい魔術格闘戦の経験者だ。

 ――だとしても、わたくしは早くこの方を叩き伏せ、兄様の元に駆けつけるだけ。

 気持ちを切り換えたユニアは、剣客を改めて睨みつけた。

「今度はこっちから行かせてもらうぜ」

 ニヤニヤと笑う剣客はそう言い、ゆらりと一歩踏み出した。

「くっ」

 動きは見えていたのに、避けるのはぎりぎりとなった袈裟懸けの斬撃。

 避けた動きを利用して身体を沈めたユニアは、両足で地をつかみ、右の拳を剣客の腹へと突き出した。

「なに?!」

 声を上げたのは、ユニア。

 一歩下がった剣客は、振り切った刀を返し、突き出されたユニアの腕に振るった。

 防御魔術の発動は、薄青い膜状の光で、確認できた。

 けれど刀は発動した防御魔術などないかのように、それを超えてきた。

 手首から先が、斬り落とされた。

「くっ……」

 大きく跳んで剣客から距離を取ったユニアは、右膝を突いた。

 戦闘のために機械にしている腕だが、普段の生活に支障がないよう痛覚を含めた感覚はある。

 激しい痛みを堪えつつ、腕の痛覚を遮断したユニアは、メカニカルアイの視界に防御魔術の発動履歴を表示する。

 損害を受けるレベルの衝撃を感知し、防御魔術は正しく発動しているが、ダメージを緩和したという情報がない。発動した防御魔術の障壁を、刀身はすり抜けていた。

 ――そう言うことですか。

 堪えていた痛みの余韻もなくなり、ユニアは残った左手を構えた。

「その刀は、ファントムですね」

「もう気づいちまうか。ただの力自慢のスフィアドールってわけじゃなさそうだな」

 苦々しげに、しかしどこか嬉しげに笑みを見せる剣客。

 彼はただの剣士ではない。

 器物の形を取ったファントムを携えた、魔導剣士だ。

 ――これは厳しいですね……。

 応援を期待できる状況ではない。

 ユニアが少しでも時間を稼いで、佳弥の前に剣客を立たせないようにしなければならなかった。

 ――兄様、お気をつけて。

 心の中で呼びかけて、ユニアは腰を落とした。

「まだやる気か。いいねぇ。久しぶりにまともな敵と戦えて嬉しいぜ」

「負けるわけには参りません。ここで、貴方を倒します」

「期待してるぜ、スフィアドールのお嬢ちゃん」

 しばし睨み合い、ユニアと剣客は同時に動いた。



            *



「わたしは――」

 そこまで言った遥奈は、それ以上言葉が出てこなかった。

 自分を狙った襲撃者に、身体が冷たくなっていた。

 どうにか家に逃げ込んで、佳弥に抱き締められて、鼓動が早くなった。

 どうしたいのかを問われて、身体が熱くなる。

 ――どうして?

 そんな疑問が、遥奈の中に浮かんだ。

 涙に揺れていた視界が収まってきて、真っ直ぐに自分のことを見つめている佳弥がよく見えるようになっていた。

 静かな彼の瞳に、揺らぎは少しもない。

 どうしてと問われたら、家族だからと、妹だからと佳弥は答えるだろう。

 けれど遥奈には、まだ出会って二週間ほどの自分を、そこまで受け入れられる理由がわからなかった。

 ――佳弥さんは、こういう人なんだ。

 たぶん、それがすべての疑問に対する答え。

 それがわかっていても、訊いてみたかった。

 何度でも彼の口から、自分と彼の関係を言ってほしかった。

 嬉しくて、嬉しすぎて、何も言えなくなった。

 小さく自分の姿を映している佳弥の瞳を、ずっと見つめていたかった。

 ――わたしは、……ほしい。

 心臓が弾けてしまいそうなほどの鼓動。

 脈打つごとに湧き上がってくる、暖かさ。

 強くなるそれは、身体の芯から炎を噴き出しそうなほどになる。

 それから、胸の奥の小さな痛み。

 それよりも激しいのは、下腹に感じる、強い痛み。

「遥奈! どうしたっ」

「大、丈夫です……。う、うぅ……」

 痛みに堪えきれず、遥奈はお腹を抱えて身体を丸める。佳弥の声に応えるのも精一杯だった。

 ――そうか、わたしは……。

 突然の痛みの理由を、遥奈は悟った。

 急速に身体が変化しているのを感じた。

 身体の中に異物を埋め込まれたような痛みに、遥奈はどうなっているのか説明することもできず、うめき声を上げる。

「どうしたの? 遥奈っ」

「いや、わからない。突然痛がりだして」

 そのとき声をかけてきたのは、美縁。

 彼女の言葉に焦った声で答える佳弥に、遥奈は痛みを堪えて身体を起こす。

「もう、大丈夫です……」

「だけどっ」

「もう、収まってきています」

 まだ下腹に痛みが走るが、収まりつつあるのも本当だった。

 額にかいた汗を拭いながら、遥奈は佳弥に微笑む。

「本当に大丈夫? 遥奈。安全になったら病院行こうね」

「はい……」

 最初はぎこちなかったし、迷惑をかけているというのに、家族として扱ってくれる美縁の気持ちが嬉しい。

 もうほとんど痛みはなくなり、遥奈はまだふらつくものの、立ち上がる。

「まぁ、何にせよ、いまは遥奈ちゃんを守らなヤナ」

 そう言って隔壁を睨みつけているのは、姫乃。

 縛られた跡の残る手首をさすりながら、彼女はエーテルモニタを開いた。

「ユニアは?」

「さっきはずいぶん苦戦してたみたいヤ。いまは外に姿は見えんナ」

「バーシャと、羽月と紗月は?」

「連絡がつかんナ。通信妨害は魔術やなくて、回線そのものを遮断されてる気がするんヤ」

「マズいな……」

 身体を寄せてきて遥奈を支えてくれる佳弥は、姫乃の言葉に眉を顰める。

「どうするの? 兄さん」

「このまま立てこもる。ユニアもこっちに連れてきたいが、この状況じゃ難しいな。それにたぶん、人払いの結界を張ってる魔法使いかファントムが別にいるはずだ。ヘタに動いてそいつまで出てきたらどうにもならなくなる」

 奥歯を噛みしめて言う佳弥は、おそらく外に残ったユニアのことを心配しているのだろう。姫乃が開いているエーテルモニタに映った、家の外の映像に視線を走らせていた。

 隔壁を破壊しようとしている音は遥奈にも聞こえてきていたが、どうにかなりそうな感じはしなかった。

 このまま立てこもっていれば、魔法少女のバーシャか、ファントムの羽月と紗月が帰ってきて、事態を好転できると思えた。

 遥奈が少しだけ安堵を覚えたときだった。

 澄み切った金属音。

 共有フロアに響いたそれに玄関に続く廊下を見ると、隔壁にバツの字に線が入り、こちら側に倒れ込んでくるところだった。

「あれを切ったやって?!」

 姫乃の上げた悲鳴と同時に入り込んできたのは、黒装束の男たち。それから、剣客。

「ほらよ」

 言って剣客は、肩に担いでいたユニアを放り投げた。

「ユニア!」

「わたくしは大丈夫、です……、兄様」

 表情を歪めながらも、ユニアはそう答える。

 しかし彼女は右腕を肩から失い、右脚も膝から下を、左腕の手首と左足の足首から先を失っていた。

「頼む」

 怒りを湛えた佳弥の表情。

 ためらいなく踏み出した彼は、剣客たちとの中間の位置に投げ出されているユニアに近づき、その身体を美縁と姫乃に託して下がらせた。

 そして自分自身は、剣客たちの前に立つ。

「まだわからないのか? お前らの戦力はもうないだろ? さっさと遥奈を渡しな」

「妹たちのことは、俺が守る」

 日本刀を右手にぶら下げた剣客の前に、佳弥は両腕を広げて立ち塞がった。

「どかなけれりゃこのまま斬るぞ? 戦えない奴を斬るのは主義じゃないが、こっちにも事情があってな。たとえてめぇを斬ってでも、遥奈ちゃんを掠っていかせてもらうぜ」

「どかない」

 一歩前に出て、佳弥は剣客と黒装束たちの行く手を阻む。

 ――わたしがっ。

 そう思った遥奈が立ち上がろうとするが、姫乃に肩をつかまれた。

 首を左右に振る彼女は、手元に開いたエーテルモニタで何かを打ち込み始める。

「強情な奴だな、ったく。そういう奴は嫌いじゃないが、状況をよく見ろよ。斬られりゃ痛いじゃ済まねぇぞ。――ん?」

 刀を構えた剣客は、鼻をひくつかせて沈黙した。

 顔を顰めつつ迷うように視線を彷徨わせていた彼は、遥奈のことをじっと見つめてきた。

「まさか、こりゃ……。クソッ」

 突然悪態を吐き始めた剣客に、佳弥も美縁も、黒装束たちも首を傾げている。けれど遥奈は、身体を硬直させてしまっていた。

「こんなことになるとはな……。だがまだどうにかなるんだっけか? いいから高宮佳弥! そこをどけ!!」

「ダメだ!」

「佳弥さんっ」

 威嚇するように刀を構える剣客に、それでも立ち塞がったまま動かない佳弥。

 遥奈の声に彼は振り向くが、優しく微笑むだけだった。

「兄貴! 準備完了っ」

「そのままやれ! 遥奈さえ渡さなければこっちの勝ちだっ。――ぐっ」

「兄さん!」

「ちっ」

 姫乃の声に佳弥はそう言い、舌打ちした剣客は立ち塞がる彼の腹に刀の柄をめり込ませて走り寄ってくる。

「ったく!」

 文句を口にした姫乃は、倒れてなお服をつかんで止めようとする佳弥を蹴り飛ばした剣客が近づいてくる前に、エーテルモニタを叩いた。

 青く光る、半円状の光。

 遥奈たちが座り込む共有フロアの真ん中を覆ったそれは、防御魔術の光だった。

「んなろ!」

 佳弥を振り払った剣客が上段から刀を振り下ろすが、防御魔術は破れない。

「無駄ヤ! あんたの刀はカテゴリー六か七のファントムみたいやが、こいつはカテゴリー八の防御結界やからナ! 生半可な攻撃は通用せんでっ」

「軍事レベルの防御魔術だとぉ」

 剣客が再度斬りつけてくるが、斬撃は弾かれて中まで届かない。黒装束たちが取り出した大口径の銃の連射も、すべて防御魔術が受け止めてしまっている。

「クソッ。まさかこんなもん張れるとはな……。だがこんなもん、長くは維持できやしねぇだろ。たいした時間稼ぎにゃならんぜ」

 障壁のぎりぎりまで顔を近づけて、姫乃を睨みつけてくる剣客。

 得意げに鼻で笑い、彼女は答えた。

「そりゃあこんなもん維持し続けるようなエーテルアンプはこの家には置いてないんやけどナ、それでもしばらくは保ツ。軍事レベルの結界、魔法少女が感知できないと思うとるのカ? 直接呼び出せなくても、時間さえ稼げればこっちの勝ちヤ」

 おそらくこんな事態も想定して、姫乃は準備していたのだろう。

 家の危機を感知してバーシャが戻ってくれば、事態は終息する。

 障壁の外にいる佳弥のことが気がかりだったが、遥奈は緊張の糸が途切れて、倒れ込みそうになっていた。

 痛みに顔を顰めながらも、上半身を起こした佳弥が言う。

「俺の妹たちはみんな優秀だからな。お前たちの負けだ。さっさと撤退したらどうだ?」

「ったく。いくら強いっても魔法少女の嬢ちゃんさえいなければどうにかなると思ったのによ、甘く見てたぜ。この分じゃあ外のあいつを引っ張り込んでもどうにもならねぇな。撤退するしかねぇ」

 頭を掻きながら言う剣客は、遥奈たちに背を向けた。

「ただ、状況が変わったんでな。こいつはもらっていくぜ」

 どうにか立ち上がった佳弥に風のような速度で接近した剣客は、腹に拳を叩き込み、昏倒させた。

 黒装束立ちが集まり、彼の身体を抱え上げる。

「兄さん!」

「兄様!」

「佳弥さん! 姫乃さんっ、すぐに結界の解除を!」

「それはできんのヤ。あんたが連れて行かれたら、すべてが無駄ヤッ」

 奥歯を強く噛みしめながらも、姫乃は首を横に振る。

「細かいことは後で連絡させる。こいつを取り戻したくば、遥奈を連れてくるんだな」

「佳弥さんっ。佳弥さん!」

 大声で呼びかけても、気を失った彼が目を覚ますことはなかった。

 守ってくれた彼を、せっかく見つけることができた人を、遥奈は目の前で連れて行かれてしまった。



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