七人の妹 第三章 兄の役割 2
* 2 *
――どうしたもんかな。
今日もらってきた自然栽培の食材にあったにんじんを、手早く切っていく。
比較的小食の奴が多いとは言え、俺を含めて八人分となるとその量は相当になる。
昼間に武速に言われた「妹に負担をかける」って言葉は、俺には重い。
具材を準備しながら、俺は思い悩んでしまっていた。
俺には何の能力もない。
バーシャのように凄まじい魔法力も、姫乃のような才能も、ユニアのような強さも持っていない。何もしてないように見える羽月と紗月だって、自治体の依頼を受けて仕事をしてて、収入を家計に入れてくれている。
妹たちの世話はしてるし、いまじゃ学校の実習以外で包丁を触らないのも当たり前のこの世の中で、ひと通り料理をつくれるが、それだって職業にできるほどのものじゃない。
いまはまだ学生だから将来について悩む時期じゃないが、自分の無能さには辟易する。
最終宿主が決まるまで遥奈を妹として扱うなんて言っちゃいるが、襲撃されたときは妹たちの力に頼るしかない。
俺自身が守るなんてこと、できやしない。
「どうするのが正解なんだろうな」
そんなことを考えながら、俺は深くため息を吐いていた。
「今日の夕食はぁ?」
「おいしいのできるぅ?」
そう口々に言ってキッチンに入ってきたのは、羽月と紗月。
右に左に結ったサイドテールを揺らしながら背伸びして手元を覗き込んでくるふたりに、俺は笑みを零しながら言う。
「今日はカレーだよ。北野のとこからにんじんとかジャガイモ分けてもらえたからな」
「カレーだ!」
「カレーだっ!」
「にぃにのカレーだ!!」「にぃやのカレーだ!!」
両手を繋いで小躍りしているふたりに噴き出しそうになる。
「これから煮込むからもう少しかかるぞ。先にお風呂でも入ってこい」
「そうしようか?」
「どうしようか?」
顔を見合わせてなにやら相談を始めたらしいふたりを横目で見つつ、炒めてあった具材を寸胴鍋に入れ、水を注いで火を点けた。
「ねぇ、にぃに」「ねぇ、にぃや」
「なんだ?」
「最近、疲れてる?」
「最近、悩んでる?」
「……まぁ、遥奈がここんところヘンなのに尾け回されてるからなぁ」
羽月と紗月の問いに、俺はそう言って鼻から息を吐いていた。
さすがにみんなで買い物中のハイパーブロードウェイで、シス婚推進委員会の襲撃を受けたわけだから、全員に遥奈がストーカーにつけ狙われてるという形では話をしていた。
テラは、遥奈の正体に気づいている様子があったが、羽月と紗月はわからない。
ふたりとテラの間でどの程度記憶や情報が共有されているのかは知らない。ただふたりははっきりと訊いてきたりはしないので、俺の方から話すことはやめておいた。
お日様のようにも見える、金色の瞳が四つ、心配するような色を浮かべて俺のことを見つめてきていた。
できるだけふたりに安心してもらえるよう、俺は笑みでそれに応える。
守りたい、と思っていても、俺にできることなんてたいしてない。妹に頼ってばかりだ。
「にぃやはね、凄いんだよ」
「にぃにはね、他の人にできないことができるんだよ」
「……なんだよ、突然」
小さな身体で抱きついてきた羽月と紗月。
沸騰を始めた鍋の火を小さくして、俺はコンロから少し距離を取る。
お腹の辺りから、四つの金色の瞳が、俺のことを真っ直ぐに見つめてきていた。
「生きるだけなら放っておかれても大丈夫だったの。羽月と――」
「紗月はファントムだから。区役所に連れてってもらえれば、どうにかなった」
「でも結奈が誘ってくれた」
「家族になって、って」
「……そうだったな」
あのとき、まだ幼い結奈がどんなことを思って、羽月と紗月を家族にしようと言い出したのかはわからない。
優しく、博愛主義的なところがあった結奈だが、俺や美縁よりも頭が凄まじく良かったし、魔法少女をしていたこともあって、予感めいたものを抱いていたのかも知れない。
「でもね? にぃに。羽月はね」
「紗月はね、にぃやがいたから、この家にずっといるんだよ?」
「どういうことだ?」
突然そんなことを言い出したふたりに問うと、にっこりと笑顔を浮かべた。
「羽月はね」
「紗月はね」
「にぃにのことが大好き!」「にぃやのことが大好き!」
言ってふたりは、力一杯俺に抱きついてくる。
そんなふたりが愛おしくて、しゃがんだ俺は小さな身体に腕を回して、抱き締め返した。
「だからね、にぃにが元気ないのはダメなんだよ?」
「にぃやが元気ないのは、イヤなんだよ?」
「なんだよ、そりゃ」
ふたりして頬ずりしてくるのが、何だか胸にくすぐったい。
「にぃにが大好きだから、元気を上げるね!」
「にぃやが元気出るように頑張るね!」
もう一度強く抱きついてきたふたりは、そう言って俺から離れた。
「カレーができたら呼ぶからな」
「うんー」
「わかったー」
何を考えて何をするつもりかはわからないが、ニコニコしながらキッチンを出ていくふたりを見送った。
「なんなんだかな」
比べられるものじゃないが、どの妹よりも妹らしく、可愛らしい羽月と紗月に苦笑いを浮かべながら、俺は鍋の元に戻った。
「はーるなっ」
「遥奈!」
ユニアの部屋から自分の部屋に戻ろうとしたとき、遥奈はニコニコ笑っている羽月と紗月に声をかけられた。
サイドテールが右にあるか左にあるかの違いの他は、服もたいてい同じものを着ているふたりは、相変わらずぱっと見では判別が難しい。
「どうかされましたか?」
「うんっ!」
「ちょっと相談ー」
ノブに手をかけ開きかけた扉に押し込まれるように、羽月と紗月と一緒に部屋に入った。
「あのね、あのね?」
「うんとね、うんとね?」
声を潜めるように口元に手を寄せているふたりに、遥奈はしゃがんで耳を近づける。
「え? 夕食のとき、みんなに?」
「そうそう! みんなにっ」
「やってほしいんだぁー」
「いや、あのっ。そ、それって……」
耳元でささやかれた言葉に、遥奈は動揺して後退ってしまう。
「にぃやがね、元気ないからさぁ」
「美縁もね、悩んでるみたいだからさぁ」
「お願いね!」「お願いね!」
「あ、はいっ! わかりました……」
満面の笑みで勢いよく言われて、遥奈は思わずそう返事をしてしまった。
「それじゃあね!」
「よろしくね!」
「いや! あのっ」
声をかけたときには、ふたりは扉を開けて部屋の外に出て行ってしまっていた。
呆然と立ち尽くす遥奈は、追っていくことができなかった。
「佳弥さんも、美縁さんも、元気がないんですね……」
その原因が自分にあることは、明白だった。
――わたしが、皆さんに迷惑をかけているからですね……。
それを考えると、自分にできることをしたいと思えた。
羽月と紗月にお願いされたことの真意は、いまひとつわからなかった。そんなことで佳弥や美縁が元気になるという確信がない。
――それでもわたしは、できることがあるならやりたい。
「――頑張ろう!」
顔を上げた遥奈は、そう声に出して、両手を握りしめていた。
*
「ん? そろそろ、かな?」
夕食のカレーを食べ過ぎて自分の部屋でベッドに寝転がって、エーテルモニタの内容を読んでいた俺は、表示の隅にある時間を見て身体を起こした。
「あれ、あってたよな?」
何だか自信がなくて曜日を再確認してから、エーテルモニタを閉じる。
「まぁ大丈夫だろう」
つぶやきながらベッドを出て、チェストから着替えを出して脇に抱え、部屋を出た。
階段を下りて向かったのは、玄関に向かう扉とは逆の、キッチンの奥にある扉。
停蔵庫に入れるようなものじゃない調味料をストックしてある造りつけの収納とか、タオルとかを収めた収納がある短い廊下の先にあるのは、地下へと続く階段。
地下にあるのは軽いトレーニングができるような機材が置かれたスペースと、両開きの大きな引き戸だ。
スモークになって中が見えなくなってるガラス張りの扉の向こうにあるのは、大浴場。
様々な魔術が普及し、それを使っての生活が当たり前になったいまの時代、設備の設置や維持、掃除の手間などから、風呂場のない家が増えている。
清潔さを保つには生活系魔術が充実しているし、美容魔術だって各種ある。風呂を設置するよりそういった魔術を使う方が時間も手間も取られず、家の費用もスペースも有利だ。
個人宅に風呂場が減った分、街には大浴場のある銭湯とかスパがたくさんあるし、家で入る代わりに使う個室風呂を提供してる店も多い。普段は生活魔術を使い、週に何度か銭湯に行ったり、観光で温泉に行ったり、ってのがいまの時代の風呂事情だ。
そんな時代に逆行して、俺の家には風呂が、それも大浴場がある。
と言うより、羽月と紗月が前の家をぶっ壊した後、新しい家を探してここに決めたのは、立地や広さや部屋数とかではなく、親父とお袋の趣味により、大浴場の存在が大きかった。
引き戸を開けて、銭湯ほどではないが俺の家族全員が同時に着替えてもまだ余裕のある広さの脱衣所に入る。いつもより妙に湯気が多くて、脱衣所ですら視界が悪いのは、妹たちが先に入っていたからだろう。
俺の家の風呂は、妹たちと俺とで、時間交代制になっている。水とか湧かす費用がけっこうかかるから毎日じゃなく、風呂は隔日となっていて、曜日によって俺と妹たちのどっちが先に入るかを決めてあった。
風呂は後で入る方が長く浸かっていられるし、考え事をしたいときは長風呂になる。
脱衣所の隅の棚からタオルなんかを持ってきて、俺は簡素な棚に置かれた籠に着替えと、脱いだ服を入れた。
――早めにひと段落つけて、遥奈のことをみんなに説明しないとな。
そんなことを考えながら大浴場の扉を開けると、前が見えないほどの湯気に包まれた。
「換気扇が止まってるのか?」
妹の誰かが風呂から出るときに止めたのかも、と思いつつ中に踏み込んで見えてきたもの。
壁面にどこかの風景だろう、星空を映した大浴場は、地下にありながらもまるで露天風呂のようだった。
そうした装飾があるだけだったら良かったんだが、床に埋め込まれる形の、泳ぐにはちょっと狭いくらいの湯船には、人影があった。
その数、七つ。
「にぃや、やっと来たぁ」
「にぃに、こっちこっちー」
言って湯船から上がり俺の両手を取ったのは、羽月と紗月。もちろん、ふたりは裸だ。
「どうしたんヤ? 兄貴」
「お兄ちゃん、一緒に入るの?」
俺に気づいて、ニヤニヤしながらノンキに言うのは姫乃。驚きも慌ててもいないバーシャは、湯船の縁に上半身を出して寝そべっている。
美縁とユニアは、まだ状況の理解が追いつかない俺と同じように、驚いた顔のまま湯船に浸かって固まっている。
何となくこんなことになった理由に気がついて、遥奈の方を見てみると、栗色の濡れ髪を乱しながらぶんぶんと首を左右に振っていた。
「今日はみんなで入ろう? にぃや」
「たまには家族水入らずもいいよね? にぃに」
湯船に引っ張っていこうとする羽月と紗月に、同意したい俺だった。
可愛い妹たちと一緒に風呂なんてのは幸せだろう。
いまここは、天国のような空間だ。
だが同時に、悽惨な殺害現場にもなる。
立ち上がったのはユニア。
胸を左腕で隠して、半身を向けて立つ彼女は、スフィアドールのボディだけど人間と遜色なく、そのピンク色に染まった身体は美しい。
だけど彼女は、右手の手刀を構えた。
――あぁ、死んだかも。
裸の俺は魔術による防御なんてない。ワイヤーを切断する手刀から身を守る手段はない。
「ご覚悟」
言って湯船の縁に足をかけたユニアを見て、俺はいろいろ覚悟を決めた。
でもそれより先に動いたのは、美縁だった。
「兄さんの、莫迦ーーーーっ!!」
叫びながら湯船を走る美縁は、そこにあった風呂場用の椅子を取り、投げた。
「ぐがっ」
顔面に命中した椅子。
倒れ込む途中、鬼のように赤い怒り顔の美縁が、まぶたの裏に焼きついた。
*
正座をさせられて、もうずいぶん経っている。
共有フロアにいるのは、妹たち全員。ただし、俺と羽月と紗月は、美縁に睨みつけられながら正座をしていた。
あの後、妹たちはすぐに風呂から出たようだった。
脱衣所に転がされていた俺は、残されたエーテルモニタで共有フロアに召喚された。風呂にはまだ入れていない。
風呂上がりの妹たちの香りは、それはそれでいまの俺には毒だが、できるだけ神妙な顔をしてうつむき加減でいる。
「なんでこんなことしたの? 羽月、紗月」
「だって……、にぃにが最近元気ないみたいだから」
「にぃやに元気出してもらいたかったんだぁ」
「羽月……、紗月……」
俺を想ってくれてることが嬉しくて、ニコニコと笑うふたりの顔に涙が零れそうになる。
「だからってこんな方法はないでしょう? こんな……、お風呂に一緒に入るなんて……」
思い出したのか、怒りとは違う色に顔を染める美縁。
最後に美縁と一緒に風呂に入ったのは何歳のときだったか。久しぶりに見てしまった美縁と、他の妹たちの裸に、思い出してしまった俺も恥ずかしくなってしまう。
「兄さん! 鼻の下を伸ばさない!!」
「いや、そんなつもりはないんだが……」
厳しい美縁の指摘に、俺は思わず小さくなってしまう。
不安そうにそわそわとしている遥奈。
ソファには座っているが、虫けらでも見るような視線を向けてくるユニア。
眠そうな目をしてるのに、口元には笑みを零しているバーシャ。
明らかに状況を楽しんでる様子の、ニヤけた笑みを隠してない姫乃。
見つめてるだけだった妹たちの中から、救いの手が差し伸べられた。
「美縁だって、兄貴と一緒に風呂入れて嬉しかったノ?」
「う、嬉しくなんてありませんっ」
姫乃の指摘に、何故かたじろぐ美縁。
「えー。にぃにとお風呂入れて楽しかったのにぃ」
「もっとゆっくりにぃやとお風呂入りたかったなぁ」
「……一緒に入ったうちに入らないじゃないか」
「兄さん!」
こっそりつぶやいたら、美縁に睨まれてしまった。
さらに身体を小さく縮めている俺に対し、あまり美縁の怒りが届いていないらしい羽月と紗月は、顔を見合わせて頷き合う。
「それにね? 美縁」
「うん、美縁もね」
「なに?」
声をかけられて、眉根にシワを寄せながらふたりを睨みつける美縁。
「美縁も元気なさそうだったから」「美縁も元気なさそうだったから」
驚いたような表情を見せる美縁は、口を開くけど何も言えず、一歩後退る。
羽月と紗月は、姿も口調も幼くて、いたずら好きで、表面的には子供だけど、美縁の次に妹暦が長い。
家族になった直後ならともかく、いまはふたりも俺たちの家族だ。そう自信を持って言えるくらい、家の中を見回してるし、家族のことを想ってる。
「そ、そもそもは遥奈のストーカーが問題なんでしょ? それについて何かわかったこととかはないの?」
「いまの状況では、まだよくわかってないな」
「そのことは、詳しく話してもらえないの?」
息を詰まらせている遥奈に目配せをし、黙らせる。
今日の今日、話をしたシス婚推進委員会の代表、武速とは、すでにメッセージを軽くやりとりしていた。
彼については、信じられるかどうかの問題はあるが、もうこの前のように襲わないことは約束していたし、その前に襲ってきた黒装束たちと無関係であるという話は聞いている。
シス婚推進委員会との決着は、完全ではないにしてもついている。黒装束に関しては調べてもらっている途中で、遥奈とユニアには軽く報告済みだが、他の妹にまで話せる状況じゃなかった。
武速もそうだったが、黒装束たちも遥奈の正体を知っているんだ、詳しく話すとしたらハルーナのことも話すしかなくなる。
俺が風呂の時間を間違えたのは、たぶん羽月と紗月が遥奈に催眠能力を使うように言ったからだ。ユニアの他にふたりも遥奈の能力に気づいているようだが、他の妹にはまだ話せない。
とくに、美縁には話したくない。
最終宿主を見つけて、結婚とかって形で出て行くならともかく、ハルーナだと知られたことで遥奈が家を追い出されたり、家族の中でギクシャクするのはイヤだった。
「ねぇ、兄さん」
「ん?」
その呼びかけに考え事でうつむいてしまっていた顔を上げると、悲しそうに目を細めた美縁がいた。
「家族のことは、家族みんなで考えて、対処すべきだと思う」
「……そうだな」
「遥奈のことも、みんなで話し合っていくべきなんじゃないかな?」
「……」
そう言われて、俺は思わず口を開いてしまっていた。
美縁の言葉はもっともだ。
両親が不在のいま、俺たち兄妹は何かあれば家族のみんなで話して、物事を決めてきた。遥奈のことも、そうすべきだという美縁に、反論すべき言葉が見つからない。
――だからこそ、話せないよな。
美縁は遥奈を家族の一員だと、俺の妹のひとりだと認識してる。
突然家に入り込んできた寄生生物ハルーナだとは思ってない。
一度家族だと認識した遥奈の正体を話すことは、シチュエーションは違っても、結奈のときのように妹のひとりを失わせることになる。
できれば最終宿主が見つかるまで、それが無理でも黒装束たちのことがひと段落するまで、美縁に遥奈のことを話したくなかった。
「――次、この前みたいなことがあったら、最初から最後まで、全部話してもらうからね」
怒りではなく、悲しそうな色を瞳に浮かべて言う美縁。
話さずにいるのには、限界があるのはわかっていた。
だから俺は美縁の瞳を見つめ、応える。
「わかった」
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