七人の妹 第三章 兄の役割 4



            * 4 *



 目が覚めると、布団ほどではないが、ずいぶん柔らかい感触を頬に感じた。

 手を縛られ、不自由ながらも俺は身体を起こす。

 執務室らしい広い部屋。

 暗いと言えるくらい弱められた照明の下に見えるのは、重厚な木の扉と、正面の大きな執務机。それから、俺に背を向けている、たぶん天然革製だろう椅子。

 椅子の側には、左右ひとりずつ人影がある。

 なんでか不機嫌そうな顔を見せている右に立つ剣客は、さっきまで俺の家を襲撃してきてた奴だからわかってる。もうひとりの、六人いた黒装束とは違う黒ずくめで、黒い兜の奴は初見だ。

 雰囲気から察するに、たぶん最初と今日、人払いの結界を張っていたファントムだろう。

 防御魔術を斬り裂くような刀を持つ剣客と、雰囲気だけじゃよくわからないが、レジェンド級くらいはあるだろうファントムが、なぜ遥奈を狙ってきたのかはわからない。命令されたからだろうか。

 ため息を吐いた俺は、背を向けている部屋の主に声をかけた。

「なんで貴方が遥奈を狙うんだ? ――芒原さん」

「さてね」

 応えてこちらに椅子を回したのは、確かに芒原さん。

 イズンの地下深く、基部に近いひとつのフロアすべてを自分の敷地として住んでいる芒原さんは、いつも通り優しげな笑顔で俺のことを見つめていた。

 ほんの二度ほどだが、俺はこの部屋に来たことがあった。年齢に関係なく俺の両親を師事している彼に招かれて。

 彼が遥奈を狙う理由は、まったくわからない。

 エンシェントエイジの芒原さんは、旧世界からずっと、人生の大半をイケブクロ自治区の政治家として生きてきた人だ。自治区長の期間だけでも、一世紀近くなる。

 その発言力は一線を退いていると言っても、イケブクロ自治区ではもちろん、日本でも、世界でも決して小さいものじゃない。

 個人としての資産はその年齢相応にとんでもなく、直接の血縁はすっかりいないらしいが、いまも存続している親族が経営する建設会社は、世界的な企業となっている。

 地球には宇宙的な資産家となっている人もいるので、上には上がいるが、芒原さんなら望めばたいていのことが実現できるくらい、その力は強大なはずだ。

 武速のように妹スキーだったりとか切実な願いがあるのかも知れないが、少なくとも俺の知る限り、彼はそういうタイプの人じゃない。もしそうだったとしても、そんなものですらも権力と資産を使えばどうにでもなるはずだ。

 芒原さんが遥奈を狙う理由を、俺は思いつけなかった。

 俺のことを解放する気がないらしい彼は、机に両肘を着いて手を組み、年相応の凄みのある、文字通り悪役染みた笑みを向けてくる。

「君はハルーナの能力について、どこまで知っている?」

「催眠能力のことですか?」

「採取した遺伝子情報からその星の知的生命体と同様の身体を形成したり、孵化前だけのようだが中間宿主の記憶を読み取ったりといった能力もかなりのものなのだがね」

「他にも、あるってことですか?」

 唇をつり上げて笑う芒原さんは、それを語ってくれそうにはない。

 思い当たるものはあった。

 遥奈の住民登録。

 どこの自治体でも住民登録に関する情報は、最高レベルのセキュリティがかかっているものだ。それへのハッキングは、やることはないだろうが姫乃でもかなり難しいという話を聞いたことがある。

 ハルーナは何らかの方法で、その情報を操作する能力を持っている。

 電子情報への干渉能力かと思ったが、最高レベルのセキュリティを突破できるのは凄いと思うけど、その程度のものが芒原さんの求めるものなのかと考えると、疑問だった。

 それに武速は俺に、ハルーナの能力について教えてくれなかった。教えられないくらい、重大なものなのかも知れないとは思っていた。

「君はまだ気づいていないようだね。ハルーナの力は、とてつもなく大きなものだ。宇宙でも希に見るほどに。僕が欲しているのは、その力だ」

「貴方なら、望めばたいていのことができるのでは?」

 そう声をかけた俺に、笑みを浮かべる芒原さんは椅子から立ち上がる。

「何でも、というわけではないがね。確かにいまある状況から望むものであれば、ほとんどのものは手に入るし、多くのことは実現できるよ」

 大げさに両腕を広げ、演技染みた表情で笑う彼は語る。

「僕は、イケブクロの発展のために尽力してきた。イケブクロだけでなく、日本を、そして世界を、地球のさらなる未来のために、多くのことをしてきたと自負しているよ。無数の障害が立ち塞がったものだがね」

 いまでこそイケブクロの帝王なんて呼ばれている芒原さんの行く道は、決して順風満帆なものだったわけじゃない。

 魔導世界となった世の中で、新しいものを嫌う保守的な流れは強く、旧世界から魔導世界への移行期は相当苦労したという話は聞いていた。

 すっかり魔導世界となった後も、サンライズシティの壊滅、再建したサンライズノヴァによる負債、隣接するシンジュク自治区との争いなど、大きな波乱は他にも数多くあった。

 敵は外だけでなく、異なる主張を行う派閥や、長期政権を嫌う人々たちも常にいたし、芒原さんが一線を退いたのはそうした内部抗争で敗北したからと噂されている。

 やってきたことの多くは成功しているが、失敗も数多く積み重ねてきている人だ。最初に身体を弄る前の写真を見たことあるが、彼の額には年齢によるもの以上の深いシワが刻まれているのが印象的だった。

 それでもいまの世界は、ある意味で理想郷に一番近い時代だと言われている。

 マナとエーテル場の実証から始まった魔導世界は、科学をも恐ろしい速度で進歩させ、エネルギー問題はほぼ解決している。食料は素材さえあれば製造できるスティックフードやゼリーフードが、たいていの自治体では申請すれば配給される状況だ。住居も贅沢を言わなければ自治体に住民登録があれば確保できる。義務としての労働はあれど、少し身体を動かせば最低限のサービスは受けられる。

 事故や事件でも死ぬどころか滅多に怪我をすることもなく、病気の多くは治療でき、障害なども先天的に、最悪でも後天的に何らかの方法で対処できる。長生きしたいと思えば、薬や肉体のすげ替え、機械の身体など、方法はいくらでもある。

 平均寿命はすでに集計されなくなり、人間の一番の死因は尊厳死となった。

 そんな理想に大きく近づいた世界で、一番の問題は、いまから約一〇〇〇年後に訪れると予言されている、人類の滅亡くらいだ。

 その予言は、最初は下らないと言われていたけれど、いまではその予兆が観測されるようになり、近親婚や同性婚解禁の一因となっている。

 完璧とは言えないまでも、ほとんどの問題が解決したこの世界で、芒原さんが言う地球のさらなる未来なんて、想像することができなかった。

「貴方は何故、いまさらそんな力を求めるんだ?」

「成したいことがあるからだよ」

「成したいこと?」

「そうだ」

 どこか遠くを見つめる芒原さんは、胸の前で強く右手の拳を握りしめる。

「僕は常にイケブクロのため、地球人類のためと思うことを行ってきた。偶然の飛来だったが、ハルーナは地球人類がより良い発展のために必要な能力を持っているのだ」

「いったい何をするつもりなんだ!」

「それは君には言えないな。しかし、僕はこれまでも地球人類のため、根本的な解決を求めて尽力してきた。失敗ばかりではあったがね」

 背中に、ぞくぞくと寒気を感じる。

 俺のことを見て微笑みを浮かべている芒原さんは、俺の知ってる彼のように思えるが、どこか違って見えた。

 瞳に、尋常ではない色が浮かんでいる。

「いったい、どんなことをしてきたんだ?」

「本当に色々だよ。世界を大きく変えるためには、大きな力がいる。去年などは、最もこれまでで期待をしていた実験を行ったが、上手くいかなくてね。非常に残念だったよ」

「……去年?」

 芒原さんが望んでいることは、俺は少しも理解できてない。

 けれどここに来て、彼が何をしてきたかについて、少しだけ推測できることがあった。

「あぁ。実験の結果、暴走が起きてしまってね。我々では制御ができなくて、僕に協力してくれているそこのファントムにも多大な負担をかけてしまった。ただまぁ、魔法少女ひとりの命で収められたのは、幸運と言え、犠牲が大きかったな」

「あんたが……、あんたが俺から、俺たち家族から結奈を奪ったのか!!」

 後ろで手を縛られたまま無理矢理立ち上がり、机に走り寄る。芒原さんののど笛に噛みつこうと絨毯を蹴って飛びつく。

 でも、そこまでだった。

 剣客が振るった鞘に収まったままの刀で小突かれ、俺は無様に床に転がった。

「人類がこの先、一〇〇〇年でも、一〇〇〇〇年でも発展し続けるためには、必要な犠牲だったのだよ」

 俺のことを見下ろす芒原さんは、笑っていた。

 彼だって結奈とは面識があったのだ。結奈のことを可愛がってくれていたのだ。

 それを、必要な犠牲なんて言葉で切って捨てた。

 そんなこと許せるはずがなかった。

 立ち上がることもできず、俺は全身に入った力を目に集中させ、芒原さんを睨みつける。

 俺の視線も気にした風もなく、彼は涼やかな笑みを浮かべていた。

「ハルーナが手に入れば、最小限のエネルギーで望む結果が得られるはずだ。多少面倒なことにはなっているが、まだ間に合う段階で良かったよ」

 狂気など一片も含まれていないのに、狂っているとしか思えない芒原さんの瞳を、俺は何も言えないまま、ただ睨み返していた。



            *



 共有フロアの真ん中に置いたテーブルの左右には、六人の妹が着いていた。

 いつもは佳弥がいる上座に座り、美縁は左右六人の顔を見つめる。

 身体を急いで修理したユニアは、険しく目を細めていた。

 姫乃は美縁に視線を飛ばしながらも、エーテルモニタに向かって何かを打ち込んでいる。

 いつもは元気な羽月と紗月も、さすがに表情を曇らせていた。

 常に眠そうにしているバーシャは、いまは眉根にシワを寄せて真剣な、魔法少女としての目つきをしていた。

 ただひとり、不安そうに、悲しそうに、遥奈は顔をうつむかせている。

「もうみんな知ってる通り、兄さんが掠われました。救出しなければなりません」

 テーブルを叩いて立ち上がった美縁は、そうみんなに宣言した。

 頷きを返してくる五人の妹。

 けれど遥奈は、さらに表情を歪めるだけだった。

「わたしが! わたしのせいで佳弥さんがっ! わたしを差し出せば――」

「黙りなさい、遥奈」

 冷たいほどに静かな声で、美縁は遥奈の言葉を制した。

 泣きそうな顔をして口をつぐむ彼女を、美縁は睨みつける。

「これは私たち家族の問題。兄さんの妹である私たち全員で対処しないといけないことだよ、遥奈」

「ですけどっ」

「問題の発端は遥奈かも知れない。でもね? 遥奈。貴女のことは兄さんが守ろうとしてた。だったら兄さんの妹である私たち全員の問題なの。誰かひとりじゃない、全員の。だからこれ以上同じこと言ったら、怒るよ」

 険しく睨みつける美縁に、遥奈は驚いたように目を見開く。

 それから、少し嬉しそうに、でも泣きそうな顔で笑んだ。

「うん、そうだよねっ」

「その通りだよねっ」

 テーブルに身体を乗りだして笑み、同意したのは羽月と紗月。

「兄貴にはいつも世話になっとるからナァ。こんなときくらい助けてやらにゃあナ」

 エーテルモニタから顔を上げ、姫乃はニヤリと笑みを見せた。

「バーシャはね、お兄ちゃんのこと大好きだから、ちゃんと助けるよぉ」

 ニコニコと笑って、少し首を傾げながらバーシャは言う。

「わたくしは兄様を守ることができませんでした。次は必ず助け出し、守り抜きます」

 瞳に決意を籠めて、ユニアは頷いた。

「もちろん、私も兄さんを助けます」

 五人の表情を確認し、美縁は顔をほころばせた。

 それを聞いてもなお、遥奈はうつむいていた。

「わたしも、佳弥さんを助けたいです。でも――」

 顔を上げた遥奈は泣きそうなほど顔を歪め、椅子から立ち上がる。

「わたしは、みなさんに言わなければならないことがあります」

 テーブルから一歩離れ、みんなに見つめられながら遥奈は胸の前で両手を握り合わせる。

 美縁はもちろん、他の妹たちも、泣きそうな顔している遥奈に何も言うことはなかった。

「わたしは……、佳弥さんの本当の妹ではありません……。だから――、だからこれ以上、みなさん迷惑をかけるわけには――」

「知ってるよ?」

「うん、知ってたよ?」

 不思議そうな顔をして、羽月と紗月は首を傾げた。

「羽月にはヘンな能力は効かないよ?」

「紗月はファントムだからね?」

「え……」

 表情を固めてしまった遥奈。

「わたくしは最初の段階で知っていましたから」

 ストーカーから遥奈を守るとユニアが言ったときから、彼女が真実を知っているだろうことを美縁は予測していた。

 ユニアの厳しい表情と頷きに、驚いた顔をしながらも遥奈も頷きを返している。

「バーシャにもねぇ、催眠とかは効かないよぉ」

 人間であっても、羽月と紗月より魔法力が高いバーシャにも遥奈の能力は効かなかったらしい。

「ウチはなぁ、最初はすっかり騙されとったワ。でもナ、この家に置いてあるデータと、外に置いてあるバックアップデータとで齟齬があるの気づいてナァ。改変されたログは見つからんかったのに、あれはどういう理屈なんやろうナ?」

 驚きを通り越して呆然となっている遥奈は、ゆっくりと首を振り、美縁の顔を見つめてきた。

 そんな彼女に微笑みかけ、美縁は言う。

「気づいてたよ、私も」

「そんな……。いつから、ですか?」

「たぶん、兄さんと同じタイミング。私にとっても実の妹だよ? 結奈は。間違えると思うの?」

「……」

 驚きと、辛そうな色を瞳に浮かべ、息を飲む遥奈に、それでも美縁は笑む。

「貴女がたった一度だったとしても、結奈だと名乗ったことには、たぶん兄さんと同じで思うところあるけど、いまは言わないことにする」

「皆さん、わたしのことを知ってて……。なんで……」

 驚きすぎているのか、遥奈ははっきりと喋ることができない。

 美縁も、みんなも、そんな彼女を見つめて笑む。

「そんなの決まってるよぉー」

「ねぇ? 当たり前だよね」

「そうですね。当然のことです」

「うんー。みんな思ってることは同じだよぉー」

「そうやナ。みんな一緒ヤ」

「それはどういう……」

 泣きそうな顔をして身体を震わせている遥奈に、美縁は笑い出しそうになっていた。

 ――まだまだだな、遥奈は。

 新しく加わった妹、遥奈。

 彼女はまだ高宮家の、佳弥の妹ということが、どういうことかわかっていない。

 自分を含めて六人の妹にはわかっていることが、まだ妹歴ひと月にも満たない彼女には、実感できていない。

「そんなのね、いまさら当然過ぎるんだよ、遥奈」

 右手の指を立てながらウィンクして、美縁は言う。

「兄さんが、遥奈のことを妹と認めた。妹として扱ってる。だったらもう、私たちにできることは、兄さんの想いに沿うこと。それだけなんだよ」

「佳弥さんが……」

 身体から力が抜けたように、椅子に座り込んでしまった遥奈。そんな彼女の顔には、もう驚きも、悲しさも浮かんではいない。

 嬉しそうな笑みが、零れ始めていた。

「そう。私たち妹にとって、兄さんが基準なんだ。それぞれに考えてることはあるし、想ってることもある。でも私たちはみんな、兄さんのことが、大好き……、なんだよ。だから兄さんが貴女に遥奈と名前をつけて、貴女を守ると決めたときから、遥奈は兄さんの妹で、私たちの家族になったんだよ」

「美縁、さん……」

 嬉しさを噛みしめるように顔を上げた遥奈は、目尻に涙を溜めながら、笑った。

「あぁー、でもナ、遥奈。兄貴の独り占めはダメやからナ」

「そうだよー」

「ダメだよー」

「独り占め、ダメ」

「えぇ、その通りですね」

 姫乃を筆頭に、口々に言うみんなに、美縁も苦笑いを浮かべる。

 美縁も人のことは言えないが、遥奈が家族になったことで、ここのところみんながいつもとは違う動きを見えていたことには、気づいていたから。

「うん。もし遥奈が兄さんのことを本気に好きになっても、独り占めだけは絶対にダメ。……結奈が、帰ってくるまではね」

「――はいっ」

 目尻の涙を指で拭って、遥奈は嬉しそうに笑って力強く頷いていた。

「じゃあ、兄さんを掠っていった人たちから連絡が入ったら、すぐに助けに行くよ。そのための準備、よろしくね」

 みんなからの返事に、美縁は頷きを返していた。

「話はまとまったみてぇだな。あんな男のどこがいいんだか。あぁーーっ、羨ましい! あの妹たらしめっ」

 準備を始めようと席を立ったとき、そんな声とともに現れた男。

「貴方は……」

「遥奈を掠いにきたとかじゃねぇから、警戒はしなくていい。っても無理か。手に入った情報を渡しにきただけだ」

 全員から厳しい目を向けられても怯むことなく、隔壁の破片で閉まらなくなっている玄関に続く扉から現れたのは、シス婚推進委員会の代表。

「あー。てめぇらにはまだ名乗ってなかったな。俺様は武速ってぇもんだ。それはともかくよ、佳弥が掠われたからって、玄関くらいはすぐに直しておいた方がいいと思うぜ?」

 ニヤニヤと笑いながらテーブルに近づいてきた武速は言う。

「てめぇらの敵に関する情報と、そこのハルーナに関することだ。必要だろう? とりあえず茶の一杯くらい出してくれねぇか?」





 美縁の正面、いつもならば遥奈が座っているテーブルの端に座った武速。

 一番近くにいる遥奈が立ち上がり後退ると、メイド服のスカートを揺らして現れたユニアが、彼との間に立った。

「そんなに警戒するな、って言っても無理なのはわかってるがよ。家の中でドンパチするほど非常識じゃあねぇぜ、俺様は」

「信用できません」

 ユニアの鋭い視線にも怯むことなく、テーブルに肘を着いた武速はため息を吐く。

「……ったく。ってかな、最終宿主を見つけてるハルーナを掠う気なんぞないっての」

「最終宿主を、見つけてる?」

「え……」

 呆れたように言う彼の言葉に首を傾げたのは美縁。

 それから一斉に、みんなの視線が遥奈の元に集まった。

 眉根にシワを寄せて警戒の表情を浮かべていた美縁が、武速に向けていたもの以上の険しい表情で見つめてくるのに、遥奈は目を逸らしてうつむくことしかできなかった。

「遥奈が最終宿主を見つけてるって、そんなんどうしてわかるんヤ」

「そんなの、こいつの匂――、グガッ」

 姫乃の問いに答えを言いかけた武速は、振り上げる動作すら見えなかったユニアの拳を脳天に振るわれ、止まった。

「――くうぅ。てめっ、いくら防御魔術があるったって、スフィアドールの全力で殴られりゃ痛ぇんだっ。勘弁してくれよ、頭陥没しちまうぜ。……あぁ、遥奈の、な、――雰囲気見りゃわかるだろ」

 頭をさすりながら言い直した武速にニヤけた笑みを向けられ、遥奈は身体から力が抜けそうになっていた。

 最終宿主を見つけ、成体となるときのことは、生まれたときはよくわからなかった。

 けれどいまの遥奈には、それがどういうことなのかがわかる。見た目だけではなく、佳弥のことを受け入れられる身体に成長したのだと、自分で気がついた。

 佳弥の言葉に身体が反応したときに感じた、下腹の痛み。

 それはハルーナとして、成体に成長するときのものだと、いまの遥奈にはわかっていた。

 全員の視線を受け、遥奈は何かを言おうと思ったが、何も言うことができなかった。

「えぇっと……、遥奈が最終宿主を見つけたことについては、気になるけどいまは気にしないことにする! 武速さん? 最初は遥奈を掠うつもりで現れたのに、最終宿主を見つけたら掠う気がないって、どういうことなんですか?」

 額を手で押さえて苦々しげな顔をする美縁は、矛先を武速に変え、追求の言葉を発した。

「遥奈が、ってより、妹がほしかったんだがな。可愛い妹が。俺様にゃあ、まぁファントムの神格としてなんだが姉がいるんだ。その姉がひでぇわがままで自分勝手な奴でな。この世界に顕現してる俺様は本体じゃなくて分け身、分神だから関係はそんなに濃くないし、姉貴の奴はこの世界には顕現してねぇみてぇだからいいんだが」

「ふぅーん。そのお姉さんって、どんな神様なの?」

「詳しく知りたいなぁ。た、け、は、やっ」

「んだ? 人が語ってる途中、に――」

 思い出すように語り始めた武速に口を挟んだのは、羽月と紗月。

 ニコニコと笑っているのに、ふたりの目は遥奈には笑っているようには見えなかった。

「――なんだ? てめぇら。佳弥の妹にファントムがいるのはわかってたが、てめぇらみたいな神格、知らねぇぞ……」

「羽月も知らないよぉ。ふたつに別れちゃってるからねっ」

「紗月もわからなぁい。本当はどんな神様なんだろうね?」

「な、なんなんだ……。分神の俺様より強くはなさそうなのに、この圧力は……。い、いやっ、姉貴の話はいい! それより遥奈の話だっ」

 顔に汗を噴き出させた武速は、無理矢理羽月と紗月から視線を外し、話を戻す。

「俺様はシス婚推進委員会の代表だ。自分の妹がほしいっていう個人的な希望とは別に、世の中のできるだけ多くの妹に幸せになってもらいたいと思ってる。最終宿主を、一緒に幸せになりたいって相手を見つけた妹に、手を出したりはしねぇよ」

 額を拭いながらも言った武速に、一瞬遥奈に視線を向けてきた美縁は頷いた。

「それで、情報というのは?」

「てめぇらの兄貴を掠った敵と、そいつの目的についてだ」

 ユニアが持ってきた冷たい麦茶をひと息に飲み干し、武速はテーブルに腕を着いてニヤリと笑う。

「わかるんですか?」

「そりゃあな。妹って立場の奴らの幸せを壊すような奴らのことは、何が何でも調べるさ」

 遥奈の問いに、武速はニヤつきながら答えた。

「誰が、何のために、遥奈を掠おうとしたんですか? 兄さんを、掠っていったんですか?」

「まぁ焦るなって」

「早く、言ってください!」

 正面から睨みつける美縁だけでなく、全員から睨まれて、おどけて肩を竦めた後、武速は言った。

「遥奈を狙い、佳弥の奴を掠ったのは、イズンの帝王、芒原真誠だ。目的はこの世界を、正確にはこの魔導世界を根本から変えること」

「いったい、どうやってそんなことを……」

 武速に言われて、遥奈の方が驚いてしまっていた。

 人間が自分の持てる力のすべてを知らないように、遥奈もハルーナの持つ能力のすべてを把握しているわけではない。

 しかし、世界を変えるなどと言われても、自分にそんなことができるとは思えなかった。

「方法についちゃあここでは伏せさせてもらうぜ。だが実際ハルーナにはそれだけの力がある。それくらいの力がなきゃ、あの芒原なんて世界の重鎮が、遥奈を狙う理由がねぇ」

「そんな話、信じられません」

「だが事実だ。あの妖剣持ちと、人払いの結界を張ってたファントムを飼ってるのは奴だ。てめぇらが信じなくても、早晩奴から呼び出しがあるはずだ。それでわかることさ」

 武速に不審な目を向けていた美縁は、その言葉で黙ることになった。

「ただ解せねぇことがある」

「それは、なんですか?」

「ハルーナの世界を変える力ってのは、詳しいことは言えねぇが、幼体のときにしか使えねぇものなんだ。最終宿主を見つけて、成体になった遥奈からは消えてるはず。だが芒原の奴は佳弥を掠って、たぶんまだ遥奈のことを狙ってる。その理由までは調べ切れてねぇ」

 顔を顰める武速は、エーテルモニタを開き、指で弾いて美縁の方に滑らせた。

「あとわかってることはこれくらいだ。参考にしてくれ」

「ありがとうございます」

 内容を軽く読んだ美縁は、それを姫乃に手渡した。

「……何故、貴方はそこまで協力してくださるのですか?」

 一度は掠おうとして現れた武速が、どうしてそこまで協力してくれるのか、遥奈には理解できなかった。

 ニヤついたものではなく、どこか佳弥にも似ている優しい笑みを浮かべ、彼は言う。

「さっきも言っただろ。俺様は世の妹にできる限り幸せになってほしいと思ってる。てめぇらは、あの佳弥ってなんの取り柄もねぇ男のことが好きなんだろ?」

「兄さんにはいいところもたくさんありますよっ」

「にぃには素敵な男の人だよぉ」

「にぃやはとってもいい男だよぉ」

「お兄ちゃんはバーシャには絶対必要なんだよ?」

「兄貴がいてくれないと困るんやワ」

「兄様は、情けないところもありますが、芯の強い方です」

 口々に言い、笑っている美縁たち。

 改めて問われて、遥奈は胸の中に暖かい気持ちが生まれるのを感じていた。

「わたしは……、佳弥さんのことが、好きです。彼なしでは、生きていけません」

 暖かい胸を手のひらで押さえ、遥奈はそう言って笑った。

「本当に憎たらしいぜ、あの野郎」

 言葉ほど嫌っている様子のない武速も、笑っていた。

 みんなで笑顔を向け合っているとき、美縁が表情を硬くした。

 彼女が開いたエーテルモニタ。それを大きく広げ、みんなに見えるようにテーブルに置いた。

 書かれていたのは、時間と場所。

 遥奈と佳弥を交換するという文面。

「妖剣程度は対処できるが、あのファントムは俺様じゃつらい。それに芒原のことだ、まだ何か隠し球を準備してる可能性が高い。俺様はこれ以上直接協力できないが、頑張れよ」

「ありがとうございます、武速さん。充分です」

 全員で椅子を立ち、顔を見合わせた。

「私たち全員で、兄さんを助けるよ!」

 美縁のかけ声に、全員が力強く応えた。

 遥奈も、妹のひとりとして数えてもらえていることを感じながら、強く「はい」と応えていた。



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