七人の妹 第二章 妹模様 3



          * 3 *



「そろそろ出かけるぞー」

「待って! 兄さん、もう少し待ってっ」

 共有フロアでそう声をかけると、真っ先にそんな返事をしてきたのは、美縁。

 半開きの扉からは部屋の中は見えないが、どうやらまだ着替えてるらしい雰囲気がある。

 週末の今日は、買い物に出かける予定になってる。

 一階にある居室は六つ。うちひとつは羽月と紗月がふたりで使ってるから、空いていた部屋を遥奈のにして、造りつけと家で余っていたのと、急遽手配したので一応家具は揃っているが、通販と学校帰りの買い物で揃えていた日用品は、直接目で見て買うべきものがけっこうあった。

 だから今日は、直接店に出向いて買い物をしようという話になった。

 そんな相談をユニアと遥奈としていたら、美縁も行きたいと言うから、久しぶりに妹たちと出かけることにしたという顛末だ。

「お待たせしました、兄様」

「佳弥さん、えっと……。お待たせ、しました……」

 ユニアの部屋から出てきたのは、こんな日だというのに、たぶんポリシーか何かなのだろうけど、メイド服姿のユニア。

 それから、遥奈。

 白のブラウスに合わせた濃い赤のジャンパードレスは、ふんわりと広がったスカートの裾に飾りがあったりする程度で控えめ。静かな雰囲気のある彼女によく似合っていた。

「ユニアさんに選んでもらったのですが、その……、どう、ですか?」

「ん……。似合ってるよ、遥奈」

「――ありがとうございますっ」

 嬉しそうに笑みを漏らし、遥奈は少しうつむいて俺の感想に応えていた。

 そんな彼女を見て、こちらも笑みが零れてくるのを止められない。

「兄様?」

「うっ」

 鋭い声とともにユニアの視線が突き刺さってきて、俺は表情を凍りつかせる。

 ユニアだって着飾れば可愛いと思うのに、制服かメイド服しか頑なに着ない。濃い緑の髪をポニーテールに結い上げているのも同じだ。

 それはそれで彼女らしく可愛いとは思うんだが、怒ったような視線を向けられても、答える言葉が見つからない。

「えぇっと……、そう思えば羽月と紗月は今日はどうするんだ? ちょっと聞いてくるっ」

 逃げるように俺は羽月と紗月の部屋へと向かう。

「入るぞ」

 ノックして答えを待たずに扉を開け、中へと踏み込む。

「羽月? 紗月? 俺たちは買い物に出かけるが、お前たちはどうする?」

 ふたりには今日のことは伝えてあったが、どうするかは聞いていなかった。

 何かと忙しく、週末でも仕事に出かけてることが多いふたりは、何をしているかは知らないが、一緒に買い物とかに行く機会はあまり多くない。

「羽月? 紗月?」

 偏光ガラスの濃度を一番濃くして、薄暗い部屋の真ん中に立っているふたり。

 うつむいて、返事をする様子のないふたりに、俺は眉を顰めた。

「うぉっ」

 誰も閉めてないのに、扉が閉まった。

 途端に部屋の中を満たしたのは、冷気。

『久しぶりよの、佳弥』

 顔を上げ、俺のことを見た羽月と紗月は、ふたつの口でひとつの言葉を紡ぎ出す。

 いつもの、声がハモるのとは違う。完全に同一の言葉を喋っているふたりは、普段の彼女たちではなかった。

「貴女は……」

『あぁ、テラじゃ』

「お、お久しぶりです」

 姿形はいつも通りの羽月と紗月。

 けれどいまふたりから放たれる雰囲気は、いつもの彼女たちじゃない。長い時を経た風格が備わっているように見える。

 羽月と紗月に出会ってからほんの数回だけ会ったことがある、たぶんふたりにとっての本来の神格。本当の名前は教えてもらっていないが、彼女はテラと名乗っていた。

 かなり高い神格なのだろうテラは、いままで会ったことがあるどんなファントムよりも圧倒的な威圧感がある。

 羽月と紗月については、住民登録のためにいろんな検査を行ったが、偶然としか思えない事故によりひとつの神格がふたつに別れているため、本来の神格の正体をつかむことができなかった。

 ただ確実に、ミュートス級の神格であることだけはわかる。

『あの娘、遥奈だったか? あれを正式な妹として迎え入れるつもりか?』

「それは……、何とも言えません」

『ハルーナなる寄生生物故、判断がつかんと?』

「えぇ、そうです。遥奈はたぶん、遠くなくこの家を出て行くことになると思いますから」

 声だけでなく、表情すらも同一に、唇の端をつり上げて笑う羽月と紗月。いや、テラは、俺のことを値踏みするように見つめてくる。

 血の繋がった妹である美縁や結奈の次に妹暦の長いふたりだけど、テラを含めてわかっていないことの方が多い。

 テラがどんなことを思い、考えているのかなんてのは、俺の想像の範疇を遥かに超える。

 ただ、羽月と紗月はどうかわからないが、少なくともテラは、遥奈の催眠能力が効いていないこと。それだけはわかった。

「俺は……、最終宿主が見つかるまでは、遥奈を家族として、扱おうと思っています」

『いつ、どのような形でその最終宿主とやらが見つかるともわからないのに、か?』

「うっ――」

『お主が考えているほど、ハルーナという生物は生易しい存在ではない。あれは必ずや他の家族に迷惑をかけることになるぞ?』

「それは……」

 テラの指摘はたぶん正しい。

 生易しい存在ではない、というのがどう言うことなのかはわからない。しかしユニアにはすでに迷惑を掛けてしまっているし、これから先、先日の襲撃と同様のことがないとも限らない。

 ――でも、俺は遥奈を……。

 テラの言葉にうつむいてしまった俺は、自分の想いを告げようと顔を上げる。

 けれど俺が口を開くより先に、テラが言った。

『佳弥は妹という存在に甘すぎる。その甘さは、優男の優柔不断だ』

「ぐっ」

 反論もできず、俺は言葉を詰まらせる。

 ユニアにも言われたことだが、確かに俺は妹たちに甘い。

 妹たちはみんな可愛い。美縁はもちろん、バーシャも、ユニアも、姫乃も、それから羽月と紗月だってそうだ。

 そして遥奈も、いまは可愛い俺の妹のひとりだ。

 そう思える。

 だからテラの言葉に反論のできない俺は、彼女に真っ直ぐに言葉をぶつける。

「遥奈が、俺の妹として現れたのは、何かの縁だと思う」

『ほう?』

「言われてる通り、俺は妹たちに甘い。縁があって妹になったみんなのことが好きなんだ。遥奈との縁は、結奈が繋いだ羽月と紗月との縁と、近いものがあると思うんだ」

 俺が見つめる羽月と紗月――テラは、笑みを浮かべている。

 口を挟まず、楽しそうに笑んでいる彼女に、俺は言葉を続ける。

「自分の行くべき場所を持たない遥奈は、あのときの羽月と紗月に近い立場だと思う」

 ひとつの神格がふたつの身体で顕現した羽月と紗月は、本当に何も持っていなかった。

 行くべき場所も、やるべきことも、自分自身すらも。

 巨大な神格の顕現を察知した結奈が、警戒のために魔法少女として出撃して、ふたりを発見した。連れて帰ってきたふたりを、あのときの結奈は家族にしたいと言ったんだ。

 両親も美縁も反対したが、結奈は一歩も引かなかった。だから俺は、あのとき結奈の側について、みんなを説得した。

 そうして、ふたりは俺の妹に、俺たちの家族になった。

 俺には結奈ほど思い切ったことも、彼女ほどの力も持たない。でも彼女が結んでくれた縁を手放す気はなかったし、遥奈にも、羽月と紗月と同じ縁を感じたんだ。

 テラが何と言おうと、最終宿主を見つけるまで、遥奈は俺の妹だ。

『くくくっ。くくくくくっ』

 唇に指を添えて笑い声を漏らし始めたテラ。

『まったく、お主という男は……。しようのない妹たらしだな』

「……自覚してるよ」

『少々意味が違うのだが、まぁいいだろう』

 厳しく細められていた目に優しげな色を浮かべ、身体は幼く見える羽月と紗月なのに、大人びた笑みを浮かべるテラは言う。

『仕方がない。この子たちが世話になっているのだ、必要があれば陰ながら協力しよう』

「ありがとう。だけど――」

『新しい家族を迎え入れるのだ。佳弥、お前の覚悟だけは確認しておかなければならなかったからな』

 ニヤニヤと笑うテラに、俺はどうやら試されていたらしい。

 全部ひっくるめてひとりのファントムだが、テラは羽月と紗月の保護者みたいなものだ。仕方ないと言えば仕方ない。

『先にも言った通り、遥奈をつけ狙う輩はまだ残って、お主たちにちょっかいを掛けてくる。お主の妹たちに手間をかけることになるだろう。そしてその輩は、相当な力を持っているはずだ』

「わかった」

 顔を引き締めて言うテラの言葉を、俺はしっかりと受け止める。

『充分に心せよ』

 そう言ったテラは、目をつむった。

 ふたりが目を開けたとき、そこにあったのはあどけないいつもの羽月と紗月の瞳だった。

「あれ? にぃに?」

「にぃや? どうしたの?」

「あぁ、もう買い物に出かけるけど、羽月と紗月はどうする?」

 テラが現れてるときの記憶は、ふたりには残らないらしい。いつもそうだった。

 うっすらと憶えてることもあるみたいだが、その程度なので、俺はいままでテラと話していたことを胸に仕舞って買い物について問うた。

「用事があるんだよねー」

「これから出かけるんだー」

「そっか」

「だからまた今度!」「だからまた今度!」

 少し残念そうな表情を見せるふたりは、声を揃えて言う。

「行ってきまーすっ」「行ってきまーすっ」

 そう言い残して、羽月と紗月は部屋を出ていった。

 見送った俺は、テラの言葉を胸の中で反芻する。

 ――気をつけないといけないな。

 最初の一回だけで、いまのところ姿を見せていない敵。

 相当な力を持つというそいつのために、警戒を強めないといけないと俺は考えていた。



            *



 提げられている服ひとつひとつを真剣な目つきで確認しているのは、美縁。

 彼女がそんな状態になってから、もう一〇分以上が経っている。いつになく真剣に服を選んでいる彼女に、俺は声を掛けられないでいた。

「もう少し待ちましょう、兄様」

「そうだな」

 ユニアの声に、俺は美縁の側を離れた。

 小規模店舗の外、ひっきりなしに人が行き交う通路で待っていたのは、ユニアと遥奈、それからバーシャと姫乃。

 四人の側に近寄った俺は、行き交う人の邪魔にならないよう壁に背を預けた。

 今日俺たちがやってきたのは、ハイパーブロードウェイ。ネオナカノの中にある小規模な店が無数に集まる大型ショッピングモールだ。

 服とかの日用品だったらイズンでも、すぐ隣のヘブンズピークスでも揃うが、俺たちの年代くらい向けの品揃えだと、一番強いのはシブヤだ。

 ただシブヤは、ブランドものとか比較的高級なものを扱った店が多いため、そこそこの値段で品揃えを見て回ろうとすると、CNGという巨大な学校を擁するネオナカノのハイパーブロードウェイが適してる。

 メイド服姿のユニアと、野暮ったいツナギに顔を覆うくらいのグラスギアを被る姫乃のふたりには奇異の目が向けられているが、遥奈とバーシャには主に男たちからの視線が向けられている。

 清楚な感じの服でニコニコと笑っている遥奈はもちろんのこと、外出用のキャミソールとショートパンツに丈の長い上着を羽織るバーシャは、いつもとそう変わらないはずなのに、いつになく可愛らしい。

 そんな四人の間に立つ俺は、男子からも女子からも眉を顰められてるわけだが、そういう反応によって妹たちのことを誇らしくも感じていた。

 まぁ、何度もナンパに遭って、俺が止めたり、ユニアの手刀が飛んでいたりもしたが。

「しかし、いつになく美縁は真剣だな。どうしたんだ? 好きな人でもできたのか?」

 気になってつぶやきを漏らした俺に、視線が突き刺さった。

 目尻をつり上げたユニアのと、目を丸くしてる姫乃のと、じっとりとしたバーシャの視線が。

「相変わらずっちゃ相変わらずだけどナァ、兄貴は」

「わかってはいるのですが、さすがに……」

「それがお兄ちゃんなんだけど、ねぇ……」

 美縁のことを心配しただけなのに、何故か三者三様に俺を責めてくる。

「どうかされたのですか?」

 ひとりだけ首を傾げて問うてくる遥奈に、三人は彼女の顔を見つめた後、大きなため息を吐いた。

「ゴメン、お待たせっ」

 店の袋を手に小走りに店から出てきた美縁。

 そこまで焦る必要もないのに、軽く息を切れてしまった息を、深呼吸をして整えている。

「兄さん、こんなのは、どう?」

 買った服を早速店で着てきた彼女は、俺の前でくるりと回って見せてくれる。

 飾りの多いデザインの、膝上丈のワンピースは、パステル系の色が多いいつもの彼女の服と違い、茶系の落ち着いた色合いで、印象は違ってもよく似合っていた。

 色合いは落ち着いてるのに、胸元はけっこう大胆に開いていて、そこそこのサイズがあって、なだらかながら谷間ができてるそこから、俺は目を逸らしてしまう。

「……うん、いつもと違う感じだけど、そういうのも良いな」

「もっとちゃんと見てから言ってほしいんだけどな」

「いや、まぁ、なぁ」

 胸元もそうだけど、改めてこういうことを問われると何となく気恥ずかしくて、俺は美縁から目を逸らしてしまう。

 ――デートしてるみたいじゃないか。

 美縁も俺の妹だし、他の妹もいるんだからそんな感じではないんだが、そんなことが頭を過ぎる。

 気合いを入れて選んだんだろう服を着た彼女は、血の繋がった妹だというのに可愛らしくて、不満で顔を膨らませてるのも視界の隅に見えているが、直視できなかった。

「ふふふっ。買い物もこれでひと段落ですね。そろそろどこかで食事にしましょう」

 あらぬ方向を見る俺のことを、少し前屈みになって睨みつけてくる美縁という構図を打ち破ったのは、微妙な含み笑いを漏らしたユニア。

「そうだな」

「ん……。そろそろそんな時間だね」

「はい。行きましょう」

「そうやナ」

「……眠い」

 それぞれの返事に、俺たちはユニアの先導で通路を歩き始める。

 少し遠回りになるが人混みを避けて、シャッターが閉まっていたり、立ち入り禁止の札が下がる小型店舗スペースの多い整理区画を歩いているときだった。

「兄様、止まってください」

 腕で俺たちの行く手を遮ったのは、先頭を歩くユニア。

 緊張した声と横顔に、危険が迫っていることを悟る。

 後ろの四人が固まってるのをちらりと確認した俺は、すぐ動けるように腰を落とす。

 周囲に気を配ってみると、整理区画とは言え、人気がまったく感じられない。人混みを避けて食道街に向かうならこの道が一番近いはずなのに、俺たちの他に人影がなかった。

「隠れてないで出てきなさい」

 冷たく、感情の籠もらない、けれど通路に響き渡る声をユニアは張り上げた。

「俺様の結界に気がつくたぁ厄介だな」

 言いながら立ち入り禁止の札がかかった工事中らしい店舗から現れたのは、ひとりの男。

 この前の黒装束たちと違い、浅黒い肌の精悍なつくりの顔をさらしている男は、もう暖かい季節だというのに格好つけらしいコートを羽織り、ジーンズのポケットに揃えた指を突っ込んで、ニヤニヤと笑っている。

「何者だ!」

「俺様か? 俺様はな――」

 俺の問いにもったいつけたような口調で言い、深くうつむく男。

 唇の両端をつり上げて顔を上げた彼は言った。

「俺様は、シス婚推進委員会、代表」

 どや顔をしている男に、俺は意味がわからず硬直していた。

 いや、たぶん俺以外の妹たちも全員、反応できずにいた。





「……シスコン?」

「あぁ、それはこう書く」

 言って代表はエーテルモニタを開き、大きく引き延ばして「シス婚推進委員会」という文字を見せてくれた。

「つまりあんたは、妹との結婚を推進する団体の代表ってことか?」

「理解が早くて助かる。まぁ、委員会としては妹に限定はしていないが、個人的な趣味により兄と妹との結婚を推進してるメンバーが多いな」

 腰に手を当て、つんつんと立てた髪を揺らしながら顎を反らした代表は、得意気に笑む。

 代表に注意を払いつつも、視線だけこちらに向けてくるユニアと見つめ合う。

 先日の黒装束の仲間かと思ったが、違ったらしい。ただの妹スキーの類いのようだ。

「間に合ってる。俺が妹の誰かと結婚するような男――、ひょっ」

 言いかけたところで、前からはユニアに、後ろからは美縁と姫乃に睨まれ、妙な声を上げてしまう。いったいなんだってんだ。

「あぁ。わかってる。てめぇは非常に羨ま――もとい、妹想いのいい兄貴だが、同時に妹を不幸にする男だ。せっかくそれだけたくさんの、魅力的な妹を持ちながら、シス婚を望まないなんてな!」

「放っておいてくれ」

「ふんっ。俺様たちとしては、世の中の妹という立場の女の子が、ひとりでも幸せになるよう活動してるんだ、放っておけないな。ただ――」

 そこで代表は一度言葉を切り、唇の端をつり上げつつも、俺に鋭い視線を向けてくる。

「今日の用事はそいつだ」

 言って彼が指さす先にいたのは、遥奈。

「わたし、ですか?」

「もしかして、この人が兄さんの言ってたストーカー?」

「遥奈に何の用だ?!」

 美縁の言葉には応えず、代表から見えなくなるよう、俺は両腕を広げて遥奈の前に立つ。

「遥奈、か。また安易な名前だな」

「なっ?!」

 つぶやくように言った代表の言葉に、彼が遥奈の正体を知っていることを悟る。

「悪いことは言わない。そいつはお前のとこにいるより、俺様の側にいた方が安全だ」

「……妹がほしいだけだろう!」

「ほしい! 切実にほしい!! 俺様は素敵な妹がほしくてたまらないっ」

 両の拳を握って、代表は自分の欲望を露わにする。

 しかし次の瞬間、鋭い視線が戻り、俺を射貫くように見つめてくる。

「だが、それだけじゃない。その理由についてはてめぇらは知らない方が身のためだろ」

 言いながら近づいてくる代表に、俺は後ろにいる妹たちに目配せを飛ばす。

 前から現れた代表は、ひとりだ。

 反対方向に逃げればどうにでもなる。

「逃げようったってそうはいかねぇ。渡す気がないなら、実力行使と行かせてもらうぜ」

 どこの三流小悪党だろうと思うような代表の台詞と同時に、閉められていたシャッターが開き、人影が飛び出てきた。

 前方からだけじゃなく、背後からも。

 飛び出てきた男たちの様相は、異様だった。

 別に人間の姿はしている。けれど極端に太っていたり、ガリガリに痩せていたり、女の子が描かれたり意味不明な言葉が書かれたシャツを着ていたりと、方向性はバラバラだが、何となく似た雰囲気がある。

 いわゆる、オタクファッション。

 肥満も痩身も、薬や施術でどうにでもなるのがいまのメルヘニック・パンクだ。筋骨隆々だって難しくはない。そこまで望まぬとも、健康的な身体を維持するのはたいした努力も必要がない。

 それなのに代表以外の男たちが異様な姿をしているのは、体型なども含めて旧世界のオタクファッションを踏襲しているからだろう。

 何のポリシーがあってそんな姿をしているのかは、欠片も理解できないが。

 同意できるかどうかはともかく、シス婚推進委員会なんて少しはマシな名前をしている団体だが、実体には疑問を抱かざるを得ない。

 当然、遥奈を渡すなんてことは考えられない。

「遥奈。あぁいうのを選ぶ気は、あるか?」

「い、いいえ……」

 念のためと思って、俺の背中で小さくなってる遥奈にささやき声で訊いてみたが、栗色の髪を激しく揺らして拒絶していた。

 オタクファッションの男たちはもちろん、代表も遥奈の最終宿主にはなり得ないらしい。

「捕らえろ」

 代表の言葉に、オタクファッションズはそれぞれの道具を手に取る。

「いったい何なんだ? お前らは」

「……いろいろ、済まんな」

 オタクファッションたちの持つ、手錠やロープ、目隠し辺りまではまだわかるとして、ロウソクや鞭や首輪は理解不能だ。もし遥奈が拉致されたりしたら、なんてことは想像したくもない。

「てめぇら、捕獲のための道具を持ってこいって言っておいただろ! もういい、下がってろっ。俺様がやる!」

 そう言ってオタクファッションたちを下がらせ、代表はさらに一歩踏み出してくる。

「わたくしの家族を、連れて行かせなどしません」

 両手の手袋を脱ぎ、ユニアが代表の前に立つ。

「ふんっ、スフィアドールか。そこそこ強そうだが、これでも高位の神格のファントムである俺様を、スフィアドールごときが止められると思ってるのか?」

 戦闘の構えすら取らず、覇気とも言うべき雰囲気を放つ代表は、さらに近づいてくる。

 腰を落としたユニアの横顔には、余裕は見えない。言葉通り、かなり高位のファントムなんだろう。

 息詰まる緊張。

 それを破ったのは、脳天気な姫乃の声。

「確かにユニアちゃんにはつらいかも知れんけどナ、この子ならどうヤ?」

 振り向いたそこにいたのは、意地悪な笑みを浮かべる姫乃。

 彼女が脇にどいた後ろから現れたのは、鎧。

 中世頃の騎士甲冑をモチーフにしたような、しかしスカート状になったヒレのあるそれは、ドレスのようでもあった。

 薄く金色に光る手甲に持つのは、刀身だけでも身長の半分以上はある、実用性など無視した幅の大剣。羽根飾りのついた青い兜の下に伸びる、ふんわりとした金髪を揺らしながら進み出てきたのは、バーシャ。

 いや、いまのバーシャは――。

「魔法少女バーニアァ?!」

 大きな驚きの声を上げる代表。

 いまのバーシャは、魔法少女バーニア。

 地球人類では扱うことのできないカテゴリー一〇オーバーの魔法力を持ち、宇宙怪獣やミュートス級のファントムとも渡り合う、地球の平穏を守る女の子。

「ワタシの目の届く範囲での狼藉は、許しません」

 口調こそいつもと変わらずゆっくりしたものだが、その視線と声には力がある。

 いつも眠そうで気怠げにしているバーシャも本当の彼女だが、バーニアとしての彼女も、本当の彼女だ。

「なっ、なんで微塵切りのバーニアがこんなところに……。高宮佳弥! てめぇ、すげぇ妹が多いと思ったら、それどころじゃねぇとんでもねぇのまで妹にしてるのか! ふざけんなっ、この妹たらしが!」

「言いがかりだ」

「どうされますか? ファントムの方。いまここで暴れるというのであれば、相手になりますよ」

「男ならちゃっちゃと決めぇヤ! タマ着いてるんヤロッ」

「ぐっ」

 バーニアの静かな脅しと、姫乃の下品なヤジに怯んで後退する代表は、先ほどの余裕もなく顔を歪ませる。

「くそっ。この場は引いてやる! だが憶えておけよ、高宮佳弥! 遥奈は俺様に寄越した方が安全だっ。てめぇが妹を大事に思う気持ちはわかる。だがてめぇの妹は遥奈だけじゃねぇんだ。全員の幸せを考えて判断しねぇと、痛い目に遭うことになるぞ!!」

 まるでチンピラのような台詞を残し、踵を返した代表は去って行った。

 その姿が見えなくなり、バーニアの身体が光を放ってバーシャに戻ったとき、人払いの結界が解除されたのか、遠かった喧噪が戻ってきた。通路を通っていく人も現れる。

「兄さん、大丈夫なの?」

「近いうちに決着はつけないといけないかもな」

「そういうことじゃなくって……」

 顔を曇らせてる美縁の頭を撫でてやるが、彼女の気持ちが晴れることはなさそうだった。

「佳弥さん……。あの、済みません……」

「気にするな、遥奈。悪いのはあいつらなんだから」

「……はい」

 泣きそうな顔をしている遥奈の肩を、美縁の頭を撫でていない左腕で抱き寄せた。

 事情を知っているユニアの厳しい視線と、欠伸を漏らしているバーシャはともかく、美縁と姫乃から向けられる視線には、訊きたいことがあると訴えかけてきていた。

「まぁともかく、飯にしよう」

 だけど俺は、そう元気よく言って、この場での説明を避けた。



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