七人の妹 第二章 妹模様 4
* 4 *
食事も風呂も終わり、夜はすっかり更けていた。
静かに部屋の扉を開けた遥奈は、首だけ出して照明の落とされた共有フロアを見回した。
人影はなく、中央に並べられたソファにも人の気配はない。
少しためらいつつもフロアに出て、扉を閉める。
寝るとき用にユニアに手配してもらった、レースの多い薄手のワンピースを着た遥奈は、忍び足でフロアを横切り、二階へと続く階段に足を掛けた。
足音に気をつけながら階段を上がった彼女が向かったのは、二階に上がってすぐの扉。
佳弥の部屋。
扉に耳を近づけて、中で人が動いている気配がするのを確かめてから、軽くノックした。
「まだ、起きていますか? 佳弥さん」
「ん? 遥奈? 大丈夫だけど」
「少し、いいですか?」
「構わないが」
Tシャツにハーフパンツと、すっかり寝る姿で扉を開けてくれた佳弥の部屋に入る。
何か調べ事でもしていたらしい部屋の中には、壁に寄せられた机のところに大小いくつかのエーテルモニタが開かれていた。
「どうかしたのか? 遥奈」
指を振ってエーテルモニタを消した佳弥に勧められて。遥奈はベッドに腰掛ける。
「夜遅くに済みません」
「いや、いいんだが、何かあったのか?」
少し距離を取ってベッドに座り、事も無げに聞いてくる佳弥。
シス婚推進委員会の人々に取り囲まれたのは、今日の昼間。
彼を中間宿主に選んで身体を生成し、黒装束の者たちに襲われてからもまだ二週間と経っていない。
けれどもいま不思議そうに首を傾げている佳弥からは、そのことを気にしている様子は微塵も感じられなかった。
「あの……、わたしは佳弥さんに、迷惑を掛けてばかりいますよね」
「なるほど、そのことか」
納得したように頷く佳弥の顔を、遥奈は直視できない。
自分でも調べてみたが、ハルーナはその希少性から狙われることが多いようだった。
妹好きの人はもちろん、希少生物を収集している好事家や、そうした人々に引き渡すためのハンターなど、狙ってくる人も様々だ。
その星の知的生命体に偽装し、催眠能力で中間宿主や最終宿主の家に溶け込むため、発見される可能性が低いことも知られている。実際、ハルーナが地球に落下した可能性があるという情報で集まった人々は、見つけられずに大半がすでに引き上げていた。
けれども今日のシス婚推進委員会の代表は、遥奈がハルーナであることに気づいている様子だったし、黒装束の者たちも同様だと思われた。
自分を狙う者はこれからも現れるだろうと考えると、そしてそのときユニアや、佳弥に迷惑を掛けるだろうと考える遥奈は、このままこの家にいてはいけないと思えていた。
自分を妹だと言ってくれた佳弥に、これ以上迷惑は掛けたくなかった。
「わたしは早めに家を出た方が――。例えば、今日のあの代表の方のところとかに――」
「んーっ」
そう言った遥奈の言葉を遮るように、胸の前で腕を組んだ佳弥は、深くうつむいてうなり声を上げる。
「あの、佳弥さんっ」
話を聞いてくれていないらしい佳弥の名を呼ぶと、彼は顔を上げ、遥奈の瞳を真っ直ぐに見つめてきた。
「いまのこの家を親父とお袋が買って移り住んだのは八年近く前なんだが、それは前の家が粉々に砕け散ったからなんだ」
「え? どうしてそんなことに……」
話そうとしていることにどう関連するのかわからなかったが、いきなり突飛な話をされて、遥奈は思わず問うてしまっていた。
「あんときゃ羽月と紗月が俺の妹になって、まだ間もない頃でな。本来の神格を見失って本当にただの子供みたいなふたりは、高位のファントムだってのに手加減なんてもの知らなかった。結奈と喧嘩して暴れて、俺が叱って、ふたりして反発して暴れたもんだから、さぁ大変」
「大丈夫だったんですか?」
「まぁ、そのときもう結奈は魔法少女の魔法具引き継いでいたからな、人的被害はなかった。代わりに、家が消し飛んだ」
「……」
「いまでもいたずらは好きだが、あのとき無茶苦茶怒って、そのあと結奈と一緒に学校に通うようになって、まぁちったぁ落ち着いてるな」
いつも元気にしている羽月と紗月は、確かに佳弥にいたずらをしているのは見るが、実際の年齢やファントムとしての存在の大小はともかく、見た目通りの可愛らしい女の子のようにしか見えていなかった。
懐かしげに遠くを見ながら、佳弥は微笑む。
「その後に妹になった姫乃は最初部屋から出てこなくって、一時はこんな時代だってのに餓死寸前になったし、そこからマシになったかと思えば、実験の失敗でボヤ騒ぎは一度や二度じゃないしな」
「そんなことが……」
部屋に籠もっていることが多い姫乃と話す機会はあまりなかった。そんな彼女だけれど、食事のときの様子を思い出すと、全員に気を配っているような余裕が感じられていた。
「ユニアのときもなぁ、結奈が消えて、あいつは元々魔法具だったから、次の魔法少女を選ばないといけないって本人はわかってるのに、待ちたいって言うんだよな。だから待てる方法を調べたり、スフィアドールの身体を用意したりで大変だったし、そのすぐ後に玄関のとこに行き倒れてる女の子がいると思ったら、バーシャだったし」
遥奈のことを見、佳弥はニッコリと笑いかけてくれる。
「結奈は甘えん坊でけっこう独占欲が強くて大変だったし、いまでこそまとめ役になってる美縁も、幼い頃は相当わがままだったからなぁ」
手を伸ばして髪を撫でてくれる佳弥。
優しげな色を瞳に浮かべ、微笑んでくれる彼に、遥奈は泣きそうな気持ちが身体の中でわき上がっていた。
「俺の妹は全員が全員、ひと癖もふた癖もある奴ばっかりだよ」
「でも、わたしの場合は――」
「遥奈のことも、俺は家族の一員だと、妹のひとりだと思ってるよ。正直、俺はたいしたことができるわけじゃないが、家族の問題は家族で解決する。それがこの家の方針だ」
そう言ってもらえても、遥奈には納得ができなかった。
その人の性質の問題だった他の妹と違い、遥奈は明確に敵に狙われている。そして佳弥はあくまで中間宿主で、最終宿主を見つけ次第、遥奈はこの家を出ていくことになる。
佳弥が望んで妹にしたのではなく、偶然寄生し、迷惑だけを掛けてしまっている存在だ。
それがわかっているいま、遥奈は自分がこの家にいるべきではないと考えていた。
「この家を出るべきだと思っているのは、ハルーナの本能なのか?」
「いいえ、違います。最終宿主を見つけたいという気持ちは、たぶん本能です。ですが佳弥さんに迷惑を掛けたくないと考えているのは、この身体になってから、わたしが考えるようになったことです。わたしの、この地球人の身体を持つわたしの想いです」
「そっか」
何故か楽しそうに笑う佳弥。
彼は遥奈の頭を抱き寄せ、自分の胸に押しつけた。
突然で、驚きはしたが、彼の胸から伝わってくる暖かさに、遥奈はすべてを預けたくなるような、でも泣きたくなるような気持ちが湧き起こっていた。
「俺や、妹たちのことを想いやれるなら、お前はもう充分家族だよ、遥奈」
「でもっ」
「いいんだ、遥奈。お前が最終宿主を見つけるまでどれくらいかかるかはわからない。ユニア以外には正体を明かさずに嫁いでもらうのが一番じゃないかと思ってたけど、いまは、近いうちにみんなに説明した方がいいと思ってる」
「佳弥さん?」
顔を上げると、溢れるほどの優しさを湛えた瞳に見つめられていた。
それは美縁や羽月や紗月、姫乃やユニアやバーシャに向けていることがある優しさ。
兄としての、佳弥の眼差し。
――あれ?
胸に、凄く暖かいものが溢れてきた。
泣きそうなくらい、嬉しい気持ちが零れそうだった。
それなのに何故か、遥奈の胸の奥では、チクリと小さな痛みがあった。
その痛みの正体はわからなかった。でもいまは、自分を本当に妹のひとりとして認めてくれている佳弥に、甘えていたかった。
両腕を彼の身体に回して抱きつく。もう一度その胸に顔を埋め、深く、深く息を吐いた。
「意外と甘えん坊だな、遥奈は」
「うぅ……」
含み笑いを漏らす佳弥の言葉に、頬が熱くなるのを感じていたが、抱きつくのを止められない。包まれるような胸の暖かさを、髪を撫でてくれる手の優しさを、ずっと感じていたかった。
「まぁでも、このままってわけにはいかないよな。黒装束の奴らと、今日のシス婚推進委員会は別々だろう。遥奈の正体を知る奴らが少なくともふたつはいるってことは、警戒を強めないといけないし、いざというときの対策も必要だな」
言って佳弥は遥奈の肩に手を置いて、身体を離す。
もっと彼の暖かさに包まれていたかったが、ためらいのないその行動は、妹のひとりとして扱ってくれている証拠でもあるように思えた。
佳弥は、自分だけの兄ではない。
「どうされるのですか?」
小さく息を吐いて気持ちを調え、遥奈は問う。
「ちょっと姫乃のとこに行ってくる。情報関係とかは、あいつが家族の中で一番だからな」
ベッドから立ち上がり、佳弥は扉に向かう。
「遥奈は早く自分の部屋に戻って寝ろよ。明日は学校だからな」
「……はい」
優しげな笑みを残して、佳弥は扉を閉めて行ってしまった。
一緒に部屋を出ようと思ったが、できなかった。
胸の中に溢れる暖かさと、小さく、けれど鋭い痛みが、それをさせてくれなかった。
「これはなんなのでしょう」
身体を得てからまだたいした時間は経っていない。
その短い間に、何かが変わってきているような気がしていた。
けれどそれが何なのかわからなくて、遥奈はベッドに倒れ込む。
布団に顔を埋めると、佳弥の匂いがして、彼に抱き締められているように思えた。
*
「姫乃、起きてるか?」
そろそろ美縁や羽月や紗月は寝ている時間だから、潜めた声で扉の向こうに呼びかけるが、返事はない。代わりになんだかバタバタと修羅場らしい音が聞こえてきていた。
「入るぞ」
何かあったらと思って返事を待たずに部屋に入ると、文字通り修羅場のようだった。
いつもだったら二、三枚のエーテルモニタを開いてることが多いが、いまは大小含めて二〇近く開いている。首を巡らせてそれぞれのモニタを見ながら、手元に置いた古風なハードウェアキーボードで何かを高速に打ち込んでいる姫乃。
顔を覆うように被っているグラスモニタにも情報が表示されてるはずで、姫乃はいまいったいどれだけの量の情報を見て処理してるのかは俺には想像もできない。
「兄貴か。ちょっと待ってヤ。厄介なデータ齟齬が起こっててナァ。もうちょいでひと段落するから」
「わかった」
相変わらず機械や機材で足の踏み場もない姫乃の部屋は、薄暗い。
そんな部屋の主である彼女は、一種の天才だ。
正確には、人才。
人の手により遺伝子を弄られて生まれた彼女は、いわゆるデザイナーズチャイルド。魔導科学による遺伝子操作の申し子だ。
記録上の父親はいることになっているが、俺はもちろん、姫乃も会ったことはない。彼女は、実業家である母親によってデザインされ、人の手により才能を与えられた、人才。
姫乃と最初に会ったのは、まだ三歳の時。父方の親戚の集まりがあったときに、はとこに当たる彼女を一瞬見かけただけだった。それから時間が経ち、姫乃が八歳のとき、親戚の集まりに母親とともに現れた彼女は、そこに置いていかれた。
母親に、捨てられた。
宇宙を股に掛けた実業家をやっている姫乃の母親は、自分の夢であった宇宙的アイドルにするために、遺伝子を操作して姫乃をつくった。優秀な男と母親の遺伝子をかけ合わせ、さらに操作を行い、様々な才能を植えつけた。宇宙的アイドルになるための。
しかし姫乃は学校に通うようになると、芸能活動よりも機械や魔術に興味を引かれ、八歳になった彼女は自分の進路をアイドルではなく、魔導科学の研究方面に決めてしまう。
人才により魔導科学方面にも強かったが、それを快く思っていなかった彼女の母親は、進路のことで姫乃を捨てることを決めた。
母親の失踪は実に見事なもので、引っ越しはもちろん、住民登録も地球の外に移して追跡不能にし、完全に姿を眩ませた。
まさか母親に捨てられるとは思っていなくて、泣くこともできなかった姫乃に結奈が声をかけて、彼女は俺の妹になった。
家に来た頃は部屋に引きこもっていた姫乃は、結奈や美縁、俺や俺の両親のケアで立ち直り、いまでは魔導科学方面でバリバリ仕事をするまでになった。
「ふぅ。一応大丈夫やナ」
「何があったんだ?」
一枚を残してエーテルモニタを閉じ、被っていたグラスモニタを脱ぎ捨てた。
セミロングのピンク色の髪が、さらさらと舞った。
「いやぁ、手元のデータとバックアップデータとで、メチャクチャな齟齬が発生しててナ。原因の究明と正確なデータへの書き戻しをしてたんヤ」
椅子を回して振り向いた姫乃は、作業着の胸ポケットに挿してあった眼鏡――簡易なグラスモニタをかけた。
「そりゃまた大変だな」
「まぁ、どうにかなったけどナァ」
苦笑いを浮かべてる姫乃は、薄暗い中でも疲れた様子が見えるから、たぶん言葉以上に大変な事態だったんだろうことはわかる。
日を改めようかと思ったとき、先んじて姫乃が口を開いた。
「兄貴がわざわざウチんとこ来たんは、これが気になってヤロ?」
言って姫乃はエーテルモニタを開き、見せてくれる。
そこに表示されたのは、シス婚推進委員会の公式情報ページ。
「……自治体公認?」
「そうなんヤ。ウチも調べてみたんやけど、イズンはもちろん、関東だけでなく日本の多くの自治体で公認されてる活動組織なんヨ。WSMの認証は受けてないみたいやけど、活動は世界中に広がってるんよネ」
自分用のモニタを開いて内容を確認する姫乃は、そう解説してくれる。
WSM、世界システム会議は、魔導世界となり、国家というまとまりが限りなく薄くなり、都市を中心とする自治体の規模と存在が大きくなったいまの時代で、世界全体のルール、システムをまとめることを目的として設立された機関。
警察権や、防衛権も自治体が持つようになってからは、自治体間で共有される法律の基準を決めたり、自治体間の調整を行う組織としてとても重要だ。
同性婚や近親婚はすべての自治体で認められているわけではなく、自治体法によって認可されるもの。認可されていない自治体ももちろんある。
情報ページによると、シス婚推進委員会ではそうした同性婚、近親婚を現在認めていない自治体に認可を呼びかけたり、結婚を考えている兄妹の相談に乗ったりといった活動をしているそうだ。
「……あんな強硬な組織が、自治体の認可を受けてるなんて信じられないな」
「活動規模が小さくてあんまり噂はないんやけどナ、表向きはまっとうに活動してるし、細かいトラブルはあるようやけど、何かあればあの代表さんの力で治めてるらしいんよネ」
どこかで時代後れのチンピラでもやってると言われた方が信じられる、今日遥奈を狙ってきたシス婚推進委員会の代表の顔を思い出す。
バーシャが魔法少女に変身してまで彼が暴れるのを止めようとしたんだ、ファントムというだけでなく相当の力があったんだろうと思う。俺たち家族が狙われたからってのもあるかも知れないが、自治体の警務隊では、もしかしたら防衛隊でも対処できないほどの力だった可能性がある。
そんな奴が代表をやってる組織だ、活動内容は時代に合ったまっとうなものでも、実体は暴力的な組織なのかも知れない。
「遥奈ちゃんだけを狙ってきてたよナァ、あの代表さん」
「そうだな」
「また来るんかネ?」
「たぶんな」
エーテルモニタから視線を上げると、姫乃の眼鏡越しの視線が、俺を見透かすように向けられていた。
「何を隠してるんヤ? 兄貴」
「……」
「嘘吐くのがヘタなんは、兄貴の良いとこなんか、悪いとこなんかネ」
「……ストーカーに狙われるようなことは、美縁やお前もあったことだろ?」
兄の俺から見ても可愛い妹たちは、過去に何度かストーカーの被害に遭ったことがある。
その度に撃退してきたが、妹の中でもトラブルの被害者になった回数が多いのは、隠していても正体が敵にバレてトラブルが起こったりする魔法少女のバーシャよりも、姫乃の方だ。
才能を使ってすでに親父やお袋よりも稼いでる姫乃は、個人としては珍しいカテゴリー六以上の魔術や、魔術語に精通した技術を持ってる。
大きな企業や自治体の請負仕事をしてるわけだが、ヘッドハンティングの声はひっきりなしにあるし、軍関係ともなると強引な手段を使うところもあった。
そんな事件があって以来、うちには姫乃の手により個人宅とは思えない防御機構とか、監視機能とかが取りつけられていたりする。
「調べたり対策を立てたりはいいんやけど、何を悩んでるんヤ? 兄貴」
「……そりゃあまぁ、悩みはいろいろあるけどな」
勘の良い美縁にも、あんまり隠し事ができてる気はしないが、人付き合いがけっこうヘタな姫乃にも、嘘を吐くのは難しい。いまの家にいる家族の中で、妹になる前の期間も含めれば、美縁の次に長くつき合いのある妹なんだから。
不満そうに眉を顰める姫乃は、無言のまま手招きをする。
何だろうと思って近づくと、椅子から立ち上がる彼女。
そして俺は、抱き締められた。
両腕を回された頭が、姫乃の胸に強く押しつけられる。
いつも野暮ったい格好をして、女の子らしくない姫乃だが、それは実用の意味合いも大きいけれど、一種の変装でもある。
アイドルになるべくデザインされた彼女は、本当は絶世の美少女と言っても過言じゃないほどの美形だ。髪も服も少しマシにするだけで、すれ違う人みんなが振り向くくらいに。
姫乃をつけ狙うのは企業や軍のスカウトマンよりも、彼女の美貌を偶然とかで知ってしまった人の方が多い。
部屋に引きこもって仕事や研究に没頭してると言っても、女の子として気を遣うところは習慣としてやってる。消しきれない油と焼けた金属の匂いよりも、風呂上がりの匂いと、ほどよく大きい胸の柔らかさに俺は包まれる。
突然のことで身体も思考も硬直してしまった俺に、姫乃は言う。
「家族にも話せないことがあるのはしゃーない。嘘を吐くのも、時と場合によっては許すヨ。でもな? 兄貴。ウチじゃ相談相手にはならんか? 確かにウチはバーシャやユニアほど強くない。んでも、美縁の次に長いつき合いの妹にも、話せんカ?」
「妹と言っても、三ヶ月しか違わないだろ、俺と姫乃じゃ」
「それでも妹ヤ。兄貴もそう思ってるヤロ?」
「まぁ、な」
俺と姫乃の誕生日は三ヶ月しか違わない。年齢的にはほとんど同じだ。
登録上は妹ってことになってるが、二卵性の双子に近い感覚もあったりする。
「いまはまだ、話せない。話していいかどうか、判断がつかない。調査と、あのファントムをしばらく凌げるくらいの防備の強化を頼む」
「わかったワ」
完全に納得してる口調ではなかったが、そう答えてくれる姫乃。
――早く、話すべきなんだろうがな。
そう思いながら身体を離そうとしたとき、さらに強く抱き締められた。
窒息するほどじゃないが、柔らかい胸から顔を離せない。
「……いつまで、こうしてるつもりだ?」
「ウチはこのままずっとでもええヨ」
「妹だろ、姫乃は」
「妹やヨ、ウチは。でも結婚だってできるし、兄貴は自分で一〇年前に言った台詞、憶えてるヤロ?」
「ぐっ……」
声を弾ませながら言う姫乃に、俺は返す言葉がない。
十年前、俺は隙を見て姫乃とふたりきりになり、言った。
告白の言葉を。
そのときはまだ姫乃は精神的に母親の支配下にあって、無表情の彼女は興味なさそうに、返事もせずに行ってしまった。そのあと妹になって、部屋に引きこもった彼女のケアを頑張ったのは、下心がゼロだったと言えば嘘になる。
それでもいまは家族として思えるようになった姫乃は、すっかり妹のひとりだ。
完全に、とまでは言えなかったが。
いつまでもこんな体勢でいるわけにもいかなくて、俺は無理矢理身体を引き剥がした。
「冗談はそれくらいにしてくれ」
「冗談だと思うとるン?」
俺とほとんど変わらない位置から、意地悪そうな、得意げな表情を向けてくる姫乃の瞳は、笑っていなかった。
「ウチは家族の中で、一番兄貴に感謝してるんヨ」
「お前を家族にするって譲らなかったのは、結奈だったろ」
「うん。わかっとル」
笑みを零し、喜びや、嬉しさや、それよりも真っ直ぐな気持ちを瞳に湛える姫乃は、綺麗だ。
俺がひと目惚れしたときの、どこか人間離れした、無機質な美しさとは違う、暖かみのある可愛らしさ。
「暗いとこに沈んでなんもできなくなってたウチを引っ張りあげてくれたのは、兄貴だよ」
「それだって結奈が――」
反論を発しようとした口は、姫乃の人差し指で塞がれる。
「ウチは、結奈に縁を結んでもらった。でもナ? 兄貴はウチを救ってくれたんヨ」
そのとき姫乃が見せた笑みに、俺は心臓が大きく脈打つのを感じた。
「ウチは兄貴が――、佳弥が好きヨ」
「くっ」
何も言えず、解放された俺の口からはうめき声しか出てこない。
「くくくっ。本当に楽しいナッ、兄貴は!」
噴き出しながら椅子に座って背を向け、姫乃は肩を震わせる。
「冗談は――」
「冗談だと思うノ?」
振り向いて俺の言葉を遮った姫乃の、爽やかな笑みに、言葉もない。
「まぁそれはそれとして、みんな焦ってがっついてるからネ、いまは」
「何の話だ」
「それはこっちの話。ともあれサ、話せないのはいいんやけど、あんまり蚊帳の外に置かれると、拗ねる子も出てくるんヨ」
そんなことを言った姫乃は、新しいエーテルモニタを開いて見せてくれる。
監視カメラの映像らしいそれに映っているのは、美縁。
薄暗い玄関に立ち、靴を履いた彼女は、立てかけられたホウキを手に取って、外に出ていった。
「兄貴の妹たちは、みんな兄貴のことが好きなんヤ。話せないことがあるのも仕方ないと思ってても、寂しがり屋ばっかりなんヨ」
「そうだったな」
一緒に暮らしてる妹たちのことは、充分以上に知ってるつもりだった。
でもいまは遥奈のことに気を取られてばかりで、目が行き届いていなかったことを知る。
「ひと段落し次第、全部話すよ」
「うん、頼むワ」
ニッコリと笑ってくれた姫乃に背を向け、俺は扉に向かう。
「ちょっと寂しがり屋を迎えに行ってくる」
「頑張りヤ、兄貴」
「あぁ」
姫乃の言葉を背に受けて、俺は小走りに玄関に向かった。
*
空にはすっかり星が瞬いていた。
満天の星空に輝いているのは、宝石をばらまいたような冬の星座。
白く流れる天の川とともに、西に傾いていく煌びやかな星たちに見つめられているのは、岩や瓦礫が方々に転がった、広大な荒れ地だった。
流星の如く、音もなくホウキに乗って荒れ地に降り立ったひとりの少女。
美縁。
ホウキの先端についたライトを消した彼女は、元々は建物だったろう、磨かれた石の瓦礫に背中を預けた。
遠く輝いているのは、いびつな積層都市からひと際伸びるイズンの最高峰であるサンシャイン六〇〇と、そのすぐ近くのシンジュク自治区の主都市ヘブンズピークスの剣山のようなビル群。
反対側には、空の内側から光を放っているように見える、上から強く押しつぶした卵のような形をした都市、ネオナカノ。
美縁がいま立っているのは、イズンとネオナカノの中間ほどの位置にある、荒れ地。
人間のほとんどがサービスの充実した都市に住むようになり、人の姿がなくなった地上は、畑の他は旧世界の痕跡を飲み込むように広がった森に覆われている。
荒れ地になっているそこは一年前、謎の魔導現象「時空断層」によって森も、隣接するサンライズ・シティ跡地公園の一部も吹き飛ばされた場所。
そして、結奈が姿を消した場所。
魔法具であるユニアを受け継ぎ魔法少女となった結奈の役目は、地球の平穏を守ること。時空断層の対処は、彼女に与えられた役目だった。
破れた紙にできた裂け目のような、世界の裂け目を閉じ、再び開かないよう糊の役目を負うために、結奈は時空断層の中に入り、その魔法力と、身体を捧げた。
死んだわけではないのは、ユニアから聞いて知っている。
けれどもどこにいるのか、この世界にいるのかどうかすらわからず、会う方法もない。
美縁と佳弥の両親は、宇宙の果てで観測された、開いたまま安定している時空断層を調査するために旅立った。
美縁は星空を仰ぎ、白い息を吐き出す。
結奈がその身を捧げて時空断層を閉じなければ、イズンやネオナカノが、ヘタをしたら地球が大変になっていたかも知れないのはわかっている。
それが彼女の役目であることも理解している。
「でも――」
美縁のつぶやきは、冷たくなっていく空気に消えていった。
あと数分、他の魔法少女の到着が早ければ――。
結奈が魔法を使い、時空断層の拡大を食い止めていれば――。
そんなことを思ってしまう。
もし上手くいかなかったら、空間だけでなく時間をも引き裂いてしまうと言われている時空断層は際限なく広がり、太陽系の時間と空間をメチャクチャにしていた可能性が高い。
結奈は、最善の方法で、最高の結果を得るために、断層の中に消えたのだ。
それがわかっていても、美縁の心は安まらない。
優しかった。
いつも笑っていた。
魔法少女をやってるだけで大変なのに、困っている人を放っておくことができなかった。
そんな結奈に、消えてほしくなかった。遠くに行ってほしくなかった。
いまもし彼女がいたら。
そう考えると止まらなくて、あのとき目の前で結奈が消えたこの場所に、美縁は来てしまっていた。
「私は、兄さんのなんなんだろう」
ここのところ、そんなことを考えてしまって、仕方がなかった。
佳弥は生まれたときから美縁の兄だった。
それはいまでも変わらず、そしてずっと変わらないことだとわかっていた。
けれども自分と、そして結奈だけの兄だった佳弥は、いまはもう違ってしまっている。
羽月と紗月と、姫乃と、ユニアと、バーシャの兄でもある。みんなにとって優しく、分け隔てない兄だった。
佳弥がそんな兄であることは、生まれてからずっと彼のことを見てきた美縁は、よく知っていた。
「それでも――」
血の繋がった妹である結奈と自分は、佳弥にとっていま家族となっている他の妹とは違う存在だと、そう思いたかった。
――私のことだけを見てほしい。
いま、佳弥と血の繋がった妹は自分だけ。
自分だけが、あの家の中で特別な妹。
そんなことを考えてしまうのは、妹が兄を想う気持ちなのか。それともそうでないのかは、よくわからなかった。
そんなわがままを、いまの家族の関係にあって、兄の性格があって、彼に対して向けることが難しいのは充分にわかっていた。
そんな、どうして良いのかわからない想いで張り裂けそうになる胸を右手で押さえ、美縁はじっと星空を仰いでいた。
「兄さんにとって、誰が一番なの?」
そんなことをつぶやいたときだった。
夜の闇を斬り裂いて、強い光が美縁の身体を照らし出した。
ほとんど音がすることがない、魔導ホウキのカテゴリー二のエーテルアンプと違い、小さいながらも唸るようなエーテルアンプの駆動音をさせて降りてきたのは、スカイバイク。
ここのところ後ろに遥奈を乗せて飛んでいるのをよく見るバイクにひとりで乗って、佳弥が降りてきた。
「やっぱりここにいたか」
ライトを消し、エーテルアンプを切った佳弥は、バイクから降りて近づいてくる。
「まだ夜は冷え込むな」
言って差し出してきたのは、バイクに乗るとき彼が羽織っている厚手のジャケット。
「うん、ありがと」
受け取って袖を通すが、美縁はまた瓦礫に背を預ける。
佳弥も、彼女の隣に立って、星空を仰ぎ始めた。
彼がここに来てくれることは、わかっていた。
結奈がここで姿を消して以来、複雑な気持ちになったときにはここに来てしまっていた。その度に、佳弥は迎えに来てくれた。
甘えてしまっているのはわかっている。
妹の中で、自分が一番長く妹をしているわけで、もっとしっかりしないといけないこともわかってる。
でも、どうしても抑えられず、甘えたくなるときもあった。
いまのように。
彼は何も言わない。
帰ろうとも、どうしたんだとも。
どんな想いを抱えてここに来たのかを、全部はわかってはいないと思う。それでもある程度は感づいているだろう。
気づいても問わないのが、彼。それが彼の優しさ。
妹である自分は、その優しさに応えるのが役割だと、美縁は理解していた。
それでも言いたくなかった。
言えなかった。
言うのが、怖かった。
こっそりと、佳弥の顔をしたから覗き込むように見ると、星を見ていたはずの彼は、美縁に優しさが溢れる笑みを降らしてくれていた。
「ゴメン、兄さん」
「あぁ」
くしゃくしゃと、少し乱暴に、でも大きく優しい手で髪を撫でてくれる佳弥。
ここに来てくれて、そうしてくれただけで、美縁は胸の中で膨らんでいた気持ちが晴れていくような気がしていた。
――兄さんにも、私にも、お互い話せないことがある。
そんなこと、わかっていることだった。悩まなくても、知っていることだった。
それなのに抑えきれなくなった自分が、恥ずかしかった。
「ありがとう」
「ん」
美縁の言葉に優しく応えてくれる佳弥の笑みを、真っ直ぐに見ることができない。
嬉しいのに、恥ずかしい。
素っ気ないのに、誰よりも暖かい返事。
――こんなの、兄さんに伝えられる気がしないよ。
いま抱えてる気持ちを、伝えたいのに、伝えたくなくて、伝えきれない気がして、美縁はいまはまだ仕舞っておくことにした。
「俺の方のことは、いまはまだ言えない。でも、ひと段落したら、全部話すつもりだ」
「わかった」
その言葉が指し示しているのが遥奈に関することだと、言われなくても理解していた。
――じゃあ、待とう。
すとんと、それまで聞きたくて、確認したくて仕方なかった気持ちが、胸からお腹に収まった。
だからいまはもう聞かなくていい。
悩むことは何もなくなった。
「帰ろう、兄さん」
「そうだな」
ニッコリとした笑みで頷き、佳弥はスカイバイクへと向かう。
美縁は立てかけていたホウキを手に取り、またがろうとする。
「乗っていけよ」
「え?」
浮遊魔術を起動して側までバイクを引っ張ってきた佳弥が、そう言った。
ホウキの乗っても家には帰れる。
けれどバイクにまたがった佳弥の背中は、広くて温かそうだった。
「うんっ」
応えて美縁は、バイクのフックに乗ってきたホウキを引っかけて固定し、後ろのシートにまたがった。
彼の身体に両腕を回し、背中に強く身体を押しつける。
――暖かいな、兄さんの背中。
頬を押しつけた彼の背中は、広く、暖かく、いつもより早い気がする鼓動が聞こえた。
「落ちたりするなよ」
「大丈夫」
「じゃあ行くぞ」
「うんっ」
ふわりとスカイバイクが浮き上がり、星空が近づいてくる。
――できるだけ長く、こうしていたいな。
そんなことを思いながら、美縁はさらに強く佳弥の背中に抱きついて、目を閉じた。
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