七人の妹 第二章 妹模様 2
* 2 *
「どうしたんだ?」
学校が終わり、遥奈を後ろに乗せたバイクで俺たちの家があるプレートの発着場まで来たとき、人がたくさん集まってるのに気がついた。
「どうしたんだろうね?」
「見知った顔が多いようですが」
またがっていたホウキから降りて美縁はショートの髪を揺らしながら首を傾げ、メカニカルアイの目を細めながらユニアは警戒する。
ユニアが指摘してる通り、発着場から続く舗装路に出てきている人々のほとんどには、見覚えがあった。このプレートに住んでる人たちだ。
プレート住人以外にもたくさん人が来ているようだったが、イズンの住人でない人は少ない様子。集まってる人たちの表情から察するに、有名人でもいる感じだった。
「あぁ、なるほど」
人並みを避けバイクを押して道の端を進んでいくと、人が集まっている理由がわかった。
家が近づくに連れて増えてく野次馬が注目してるのは、魔導士や戦闘用サイボーグだろう黒いスーツの護衛に囲まれた、ロマンスグレーという言葉がぴったりな、ひとりの男性。
グレーのスーツをピシリと着こなし、柔和な笑みを浮かべて集まった人ひとりひとりと話しているその男性は、芒原真誠(すすきはらまこと)。
通称、イズンの帝王。
「挨拶しないとな」
「そうだね。でも久しぶりだね、うちまで来るの」
「何かあったのかね」
美縁とそんな言葉を交わし、俺たちはいったん家にバイクやホウキを置いてくる。
それから家の前の道路まで進んできた人垣の隙間から、四人で芒原さんの元に向かう。
アイドルとかじゃないが、護衛が必要なくらい有名人で、人気のある彼は俺たち家族の知人。側に近づく人を制限してる護衛の人も、俺たち四人のことは顔パスで通してくれる。
「お久しぶりです、芒原さん」
「久しぶりだね、佳弥君。君たちはいま、学校に通っているのだったね。すっかり失念していたよ」
白が混じってグレーになってる髪の芒原さんは、五〇歳前後に見える。
俺はもちろんのこと、美縁やユニア、遥奈にも優しさの籠もった笑みをかけてくれる彼は、見た目よりも年寄りだ。
確か、三五〇歳前後。
原初の魔女エジソナがマナとエーテル場の存在を実証して始まった魔導世界。芒原さんはそれ以前の、旧世界から生きてる、いわゆるエンシェントエイジと呼ばれる世代の人だ。
魔導科学の恩恵を受け、いまも生きていると伝えられるエジソナの他、もうそれほど残っていないというエンシェントエイジの彼は、まさに旧世界の生き証人。
「その目、どうかされたんですか?」
「いやちょっと、新しく入れた目の調子が悪くてね。機能補助用なんだ」
そう言って目を細めて笑う芒原さんの目はオレンジ色のグラスバイザーで覆われている。
視力が低下したりすることは事故や眼球の劣化でもあることだけど、自分の細胞を培養したり、メカニカルアイだったり、高機能細胞製とかの代用品に簡単に交換が利くし、多機能コンタクトレンズだってある。
エンシェントエイジの芒原さんの場合、三世紀以上生きる間に、その身体は脳を含めて余すところなく手が加わっているという。先進的なものが好きな彼の場合、一時は脳を四角い水槽の中に入れ、それに簡易な手足を生やしたような姿にまでなったことがあるらしい。
新しいものに目がない芒原さんだが、まだ検証が充分でない新商品に飛びついて、不具合でも食らったんだろう。
「それでまた、今日はなんでこんなところに?」
「こんなところと言うが、僕が住んでいる穴蔵よりもここはマシさ。まぁ今日は視察だよ。ここのところ街が騒がしいようなのでね」
ニコニコと笑ってる彼の住まいは、イズンのジオエリア。都市の基部に近い階層にある。
そのフロアほぼすべてを自分の敷地としている、非常識とも言える自宅を持っている芒原さんは、ただ有名人というわけではなく、イズンの父と言える人。イズン、イケブクロ・サンライズ・ノヴァの名前は、彼が名付けたと言っても過言ではない。
旧世界から政治家をしていた芒原さんは、魔導世界になるのと同時に、イケブクロの発展を目指して新しい技術を積極的に取り入れた。日本では最も早く積層型都市の建造を立ち上げたのも彼だし、自治区長になり様々な改革を押し進めたのも彼だ。
けれどそんな急進的な動きは区議会内でも反発があったそうだ。
最初に建造されたイケブクロ・サンライズ・シティはテロに遭い、落成式直前に都市構造のほぼすべてが崩落し、壊滅してしまった。かろうじて人的被害をほとんど出さずに済んだサンライズ・シティの落下地点は、イズンとネオナカノの間に、いまは地上の記念公園として残されている。
その事件の後、彼は私財をも投入し、親族が経営する建設会社を倒産の危機にさらしながらも新しい都市を建造し、彼が言った「今度は超新生のように消えないでくれよ」という冗談からイケブクロ・サンライズ・ノヴァという都市名になった。
半世紀ほど前にも色々あったらしく、政治家としては引退したが、その後も積極的に、貪欲に活動する彼は、学校で教師をしていた俺の両親を師事し、それが縁で、年に一度も会わないが、いまも俺や妹たち含めて親交がある。
エジソナが予言した人類滅亡にいち早く同意し、宇宙人やファントムとの異生物婚こそ否定的なものの、同性婚や親族婚を認める自治体法を施行したり、妊娠以外の方法で子供をつくる許可が出るようになったのも、日本ではイケブクロ自治区が早かった。
イケブクロの、そして地球人類の発展と繁栄を謳うが、その強引さと革新的過ぎるやり方もあって、皮肉を込めて「イズンの帝王」という呼び名が定着している。けれどもいまのイケブクロ自治区があるのは、彼がいたからこそだ。
一線を退いているものの、オオクボ・タカダノババ地区の領有を巡って一時は戦争に突入しそうだった、すぐ隣のシンジュク自治区との交渉役をやっていたり、手腕はもちろん、人気も健在だ。
そんな有名で、凄い人物だというのに、親が不在の俺たち家族を気に掛けてくれたり、気さくに話しかけてくれる芒原さんは、両親の次に目指したい大人の姿だった。
「街が騒がしいって、どうかしたんですか?」
「うん。なんでも希少な寄生生物が地球に飛来したというので、各地から関東に人が集まっているようでね」
友康ですら知っていたことなんだ、ハルーナのことを芒原さんが知らないわけがない。
遥奈は緊張したようにぎこちない表情になってるが、わかっていない美縁と、わかっていても冷静なユニアは涼しい顔をしているだけだ。
俺も表情には出さず、怖い話を聞いたみたいに眉を顰めて、もう少し話を聞き出してみることにした。
「その話は噂で聞きましたね。警務隊が捕獲に乗り出してるとかですか?」
「いや、もう二週間近く経っていて、発見したという情報は出ていなくってね。飛来の情報自体不確かなものだったから、ガセということで終息しつつあるよ。ただ、僕としてはいまも残って捜索を続けてる輩が、イケブクロで問題を起こしてるか、起こす可能性があるかを確認して回ってるだけさ。イズンが平穏であることが、僕の望みだからね」
「なるほど」
爽やかな笑みを浮かべる芒原さんの様子からは、ハルーナ自体に興味を持っている感じはしなかった。ただしファントム顔負けの年齢であるエンシェントエイジの彼の真意を、たった一五歳の俺が表情や口調から読み取ることはできてる気がしなかったが。
――芒原さんみたいな人が、遥奈の中間宿主か、最終宿主だったら、良かったのかもな。
権力や財力はもちろん、護衛などの武力も持っている芒原さん。
たくさんの人に捜され、追われている遥奈のことを考えたら、俺よりも彼の側の方が安全なように思えた。
ちらりと遥奈の方を見てみると、まだ表情を強ばらせてる彼女は、俺の服の袖をこっそりつかんできていた。
――遥奈にその気がないなら、勝手に話を進めるわけにはいかないな。
いくら安全と言っても本人の意思を確認せず、こんな人目があるところで話すこともできなくて、俺は遥奈の髪を撫でてやるだけにした。
「しかし、相変わらず君の妹たちは、素敵な女性たちだね。羨ましいくらいだよ」
「いやぁ、口うるさいのが多いし、いろいろ大変で――痛い、痛いっ」
「はははっ」
言葉を最後まで言えず、美縁とユニアに背中をつねられて悲鳴を上げる俺は、芒原さんに笑われてしまった。
「さて、そろそろ次の場所に向かうよ。また近いうちに、ゆっくりと話をしよう」
「はい」
「お待ちしています」
「お疲れさまでした」
「はい……」
手を振り、集まった人たちと握手を交わしながら離れていく芒原さんの背中を、俺は何となく不安を覚えながら見送った。
――遥奈にとって一番安全な場所はどこだろうか。
妹のひとりとして定着しつつある遥奈だけど、そんなことを思うことがあった。
俺の妹たちはみんな優秀で、ユニアだけでもそこらのトラブルなら対処できるだけの戦力がある。
それでも最終宿主を見つけるまでの期間を考えると、不安があることは否めなかった。
――でも、なぁ。
一度妹として受け入れてしまった遥奈のことを、手元に置いておきたいという気持ちが自分の中にあることも、俺は気づいていた。
それは、俺のただの傲慢だろう。
――すぐに結論を出さなくてもいいか。
とくに根拠もなく結論を保留にして、俺は振り返る。
不思議そうに見つめてくる美縁。
わずかに険しい表情をしているユニア。
なんだか暗い顔をしている遥奈。
三人の顔を見渡し、言う。
「さぁ、家に入ろう。早めに夕食の準備もしないとな」
「うんっ」
「そうですね」
「……はい」
全員の返事を聞いて頷いた俺は、妹たちの肩を押しながら玄関へと向かった。
*
食事は作業と娯楽に分化したと言われて久しい。
料理はすでに実用的な作業ではなく、芸術か趣味だと言われてる。
申請すれば自治体から支給されるゼリーフードやスティックフードで栄養やエネルギーは摂取できるし、家庭に普及している合成調理器を使えば食感も味も完璧で、ゴミも出さず簡単に食事がつくれる。
それでも外食産業がなくなっていないのは、標準で提供されていないオリジナルの料理情報を合成調理器で作成しているからだったり、家庭以外の場所で友人や仕事仲間と食事するからだったりする。
それ以外にも、完全な趣味として、地上の畑で採れた自然食材を使った旧世界から変わらない料理もあるが、いまではそうしたものは完全に趣味だとされる。
趣味と言われながらも自然食材で料理をつくることや、それを提供する店が残っているのは、おそらく人間の習慣がまだまだ旧世界から変わりきっていないし、完全に変わってしまうことがないからだろう。
「はい、兄さん」
「ありがと」
美縁が手頃なサイズに切ってくれたジャガイモをまな板ごと持ち上げて、俺は鍋の中に投入した。
いまつくっているのはうちの家庭料理、塩スープ。
正式名称はよくわからないが、俺が幼い頃からお袋がつくってくれた、この家の味。
俺はもちろん美縁も好きで、そして結奈も、好きな料理。
この家で自然食材を使って料理をつくることが多いのは、親父やお袋がそうしていたからと言う、習慣だからと言うのが正確だろう。
時間がなければゼリーフードもスティックフードも食べるし、合成調理器だって使う頻度は多い。でも時間がある限りうちでは包丁を持って、自然食材を下ごしらえして、料理をつくる。ガスではなく魔術による火を使うようになってるとか、旧世界とは違ってきてることも多い。
そうして生活してきたからそうしているという、習慣だ。
妹たちが合成調理器のよりも、手で調理した食事を要求してくるから、ってのもあるが。
「ん。こんなもんだな」
お玉でスープを小さな味見皿にとって味見し、俺はもう一度スープを掬って美縁に渡す。
「大丈夫だね」
「んじゃ、あとは煮込むだけだな」
「うん」
返してきた味見皿を流しでさっと洗って水切りに置き、とろ火にしたレンジ台の上の寸胴鍋を、お玉でゆっくりとかき混ぜる。
「どうした? こっちはもういいぞ」
「うん……」
もう手伝ってもらうことじゃなくなったというのに、エプロンを着けた美縁はまだキッチンに立ったままだった。
対面キッチンになっていて、見えている共有フロアには、他の妹たちはいない。ユニアが夕食のためにテーブルを準備するのも、もう少し後だ。
少しうつむき、迷うように視線を彷徨わせている美縁。
意を決したように俺の瞳を見つめてきた彼女は、言った。
「ここのところ、兄さんは何をやってるの?」
「それは……」
真っ直ぐに見つめられて、俺は答えに詰まる。
同い年で、元々親戚だった姫乃より、美縁は俺と出会ってからの時間が長い。何より家族として、一緒に過ごした時間は他の妹たちとは桁違いだ。
そんな彼女に、俺がやってることを気づかれてるだろうことは予想していた。美縁に隠し事なんてできるはずもない。
だけど問われたときどう答えるかは、決めかねていた。
「何か私に隠れて、こそこそやってるよね? ユニアも巻き込んで。遥奈のことで、何かあったんだよね? たぶん」
「……まぁな」
美縁と向き合い、頭を掻きながら俺はいまさらながらに、彼女に問われたときの答えを用意してなかったことを後悔する。
隠しきれない以上、美縁に問われることなんてわかってたことだった。
でも、やっと一週間になる遥奈のことは、落ち着いてきたとは言えまだ多くの課題があるため、そっちに気を取られてばかりいた。
いや、考えることから逃げてたんだ。
遥奈は、いつか家を出て行く妹。
それは他の妹たちも、結婚とか独立とかで出て行くことはわかってる。だけど遥奈についてはそれが最終宿主を発見し次第という、他の妹より早いのは明らかだ。
彼女が出て行くときどうするかについて、ずっと悩んでいて、答えが出ないままでいた。
美縁に説明する言葉を、見つけきれずにいた。
だからいまは、あまり深く説明しないでいることに決める。
「遥奈をつけ狙ってるストーカーがいるみたいでな、ユニアに護衛をお願いしてるんだ」
「ストーカー?」
「あぁ」
俺の言葉に、美縁は眉根にシワを寄せる。
少し前屈みになって下から睨みつけてくるようにしてる彼女は、俺の言葉に納得してるようには見えない。
「あのね、兄さん」
一歩近づいてきて、俺がつけてるエプロンの胸元を、伸ばした右手でつかんできた美縁。
細めた目を彼女は悲しげな色に沈めていた。
「兄妹の間でも、秘密があるのは当然だと思うよ。でもね? 兄さん。嘘を吐かれるのは、イヤだよ」
結奈も、人が隠していること、言わないでいることを、よく見つける奴だった。
美縁にもそうしたところはある。姉妹なのだから、似ている。
誤魔化しきれないのなんて、美縁が生まれてからずっと一緒にいるんだ、充分以上にわかっていた。まだ遥奈のことをどうするか決め切れていない俺は、彼女にすべてを話すことはできない。
すがるような瞳で見つめてくる美縁に、俺は答えた。
「ストーカー、と似たような奴らに遥奈がつけ狙われてるのは本当だ。その理由については、――済まない。話せるようになったら詳しく話す」
「全部?」
「あぁ。最初から最後まで、全部」
「……ん。わかった」
まだ不満そうな色を残しつつも、美縁はエプロンから手を離してくれた。
深くうつむいて考え込む彼女が不満と寂しさを抱えてるのは重々承知してるが、遥奈の秘密は正直に話した方が遥奈自身だけでなく、美縁たちにも悪影響が出る可能性がある。
だから俺は、いまはまだ全部を話すことができなかった。
――でもたぶん、遥奈が家を出るときは、記憶を消さずに全部話すことになりそうだな。
不満顔の美縁が無言のままキッチンを出て行くのを見送って、鍋をかき回す作業に戻った俺は、そんなことを考えていた。
*
「バーシャ、起きてるか?」
軽くノックをして、扉を開ける。
夕食の準備はほぼ終わり、余熱で材料に味が染み込むのを待つばかりになったタイミングで、俺はバーシャの部屋に入った。
美縁は部屋に籠もってるし、羽月と紗月も自分の部屋で何かやってるようだった。
遥奈を手伝いに駆り出し夕食の準備を始めたユニアと視線を交わした俺は、扉を閉める。
「んにゅぅ……」
そんな鳴き声のようなつぶやきを漏らしたバーシャは、ベッドではなくお気に入りのソファに突っ伏しているのが見えた。
家の中だから別に問題ないんだが、女の子としてはどうかと思うような、シャツにショートパンツという、ラフというよりあられもない格好のバーシャ。
ソファの空いてるとこに座って、俺は彼女の背中を軽く叩いて声を掛ける。
「そろそろ夕食だし、ちょっと話があるから起きてくれないか? バーシャ」
「うぅん……。眠いよ、お兄ちゃん」
言いながら起き上がったバーシャは、そのまま俺にもたれかかり身体を預けてきた。
一三歳の割にいろいろと成長著しいバーシャに密着されると、さすがに俺でもちょっと問題がある。肩をつかんで無理矢理ソファに座らせて、改めてここに来た目的を言う。
「訊きたいことがあるんだ、バーシャ。目を覚ましてくれ。先週の――」
「人払いの結界のこと?」
最後まで言う前に、言われてしまった。
伸びをして大きな欠伸を漏らした彼女は、碧い瞳で俺のことを見つめてくる。
寝癖があってなおふんわりとした、バーシャの金色の髪は美しく、輝いて見える。
いつも寝ているばかりで、ほとんど家にいる彼女は、それでも重要な仕事を任されている。イズンに、そして地球にとって。
魔法少女バーニア。
それがバーシャの在り方であり、俺たち家族だけが知っている彼女の正体だ。
結奈が時空断層に消えた後、バーシャはイケブクロ自治区を守る後任の魔法少女としてこの家の扉を叩いた。
旧世界では存在を隠して、地球の平穏を守るために活動していた魔法少女たち。いまでは正体こそ隠しているが、その存在を隠すことなく、主に大きな自治体ひとつにひとり程度の割合で配置されていて、その地域を守っている。
魔法少女たちがどのような組織をつくり、成り立っているのかはわからない。
俺は結奈、バーシャと魔法少女を身内に持っているから最低限のことは知っているが、どうしてバーシャがこの地域に配置されたのか、誰に命じられたのかといったことは知らない。彼女たちが話してくれることもない。
地球の魔導科学で製造が可能なマナジュエルは、カテゴリー八がせいぜい。
人間が扱える範囲を超える、カテゴリー一〇オーバーの魔法力と、その力が活かせるマナジュエルを供えた魔法具を持つ彼女たちは、主に宇宙怪獣とか暴走ファントムとかを相手にしていて、地球規模の危機でもない限り人間同士の争いには介入しない。
重要な役割を担う魔法少女には、秘密が多い。
バーシャがいつも眠そうにしているのは、彼女の圧倒的とも言える魔法力に関係していることだった。
「そうだ。あのときの人払いを張った奴について知りたい」
「んーとね」
もう眠そうな様子はなく、ショートパンツから伸びた柔らかそうなのに、しなやかに引き締まった脚を組み、可愛らしく小指で唇を撫でるバーシャは答えてくれる。
「あれを張ったのはファントムだよ。結界自体はカテゴリー六か、七くらいかなぁ? ファントム自体はどれくらいだろぉ。距離があったから、そこまではわからなかったんだぁ」
ゆったりとした口調で、内容的にはけっこう凄いことを話すバーシャ。
ファントムには神話に出てくるミュートス級から、伝説に語られるレジェンド級、民間伝承の存在であるフォークロア級など、いくつかの分類がある。
どのクラスに入るかは力の強さに直接関係しないが、たいてい強いファントムは主にミュートス級に集中している。世界創造に関わった神格のファントムなんてのは、魔法少女でも相手にしきれないなんてのまでいる。
結界がカテゴリー六から七だったとしたら、それを張ったファントムはレジェンド級か、ヘタするとミュートス級の奴だ。
「ちなみにね、ファントムが結界を張るくらいじゃ、ワタシは動けないんだ。場所がネオナカノだったから、管轄外だったしね」
口調こそゆっくりなままだが、いつもの眠そうな感じのないバーシャの目は、鋭く細められている。魔法少女のときの彼女の目だ。
「かなりの強さだな、そうすると」
「うん。ユニアはスフィアドールとしてはかなり強いけど、あれくらいのファントムだとつらいかな? どんな神格なのかわかれば、もう少し対処のしようもあると思うけどねぇ」
「この前は直接手を出してこなかったから、まだマシだったってことか」
「んー。どうかなぁ。直接手を出したら、たぶんネオナカノの魔法少女が動くことになると思うんだよね。それを避けたかったんじゃないかなぁ?」
「なるほどな。――ってことは、魔法少女の事情にも精通してる奴ってことになるか」
「そういうことだねぇ。ワタシが動ければいいんだけど……。お兄ちゃんや、家族が巻き込まれてるのがわかってるときか、目の前で起こってときでないと、難しいかなぁ」
そう言ったバーシャは、俺の膝に倒れ込んでくる。
魔法少女バーニアとして活動してるときのバーシャは、一三歳と思えないほどに凜々しく、格好いい。
けれども彼女は恐ろしく燃費が悪い。
ユニアと一緒に訓練を積んでいたりはして、身体はかなり引き締まっているわけだが、そうしたときと魔法少女として出撃しているとき以外は、ほとんど家で寝ている。
当然生活能力は皆無に等しく、部屋の掃除は俺かユニアがやってるくらいだ。食事なんかも放っておくとスティックフードしか食べてなかったりして、別にそれでも栄養なんかは問題ないんだが、この家に来るまでどうやって生活していたのか不思議になるほどだった。
表向きの立場として住民登録にある、六歳で海外の学校に入学し、九歳のときに主席で卒業するほどの学力は、たぶん天才の範疇に入る姫乃よりも高い。
魔法少女としてはどれくらいの強さなのかわからないが、それでも常人を遥かに超えるカテゴリー一〇オーバーの魔法力を持つ彼女は、いろんな面で破格な女の子だ。
「お兄ちゃん、大好きぃ」
眠くなってきたらしいバーシャは、そう言いながら脚の間に顔を埋めるようにして、俺の身体に腕を回してくる。
「まったく」
「んー。いい匂い。安心する……」
「寝るなよ、そろそろ夕食なんだから」
お腹の辺りに頬をこすりつけてくるバーシャの柔らかい髪を、調えながら撫でてやる。
甘えん坊で、いろいろダメなところが多くて、でもその実体は凄まじい女の子。
それがバーシャ。
そんな彼女のことが、俺は可愛いと思う。妹として。
「ワタシはね、お兄ちゃんにいつもありがとう、って思ってるよぉ」
「ありがとう?」
「うんー。ワタシはね、ひとりじゃ生きていけないんだぁ。だから、ワタシのことを妹にしてくれて、凄く凄くありがとう、って思ってるよぉ」
お腹のところから俺の顔を見上げて言うバーシャは、頬をほんのり赤く染めながら、笑んでいる。
嬉しいことを言ってくる彼女の髪をさらに撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「もし、ね? お兄ちゃんが夜、ワタシと一緒に寝たくなったら、いつ来てくれても、いいんだよ?」
「――何、言ってんだ」
表情は緩んでいるのに、いつもの眠そうな目ではない、真っ直ぐな瞳でそんなことを言われて、髪を撫でていた手が止まる。
「たまに、俺の部屋に忍び込んできてるじゃないか」
「寝てるときのお兄ちゃんは、何もしてくれないでしょう?」
「何するつもりだよ、バーシャ、は――」
目をつむり、何かを待つように俺に顔を向けてくるバーシャに、今度は全身が硬直してしまった。
ふんわりとした柔らかい金色の髪。
妹の中でも誰よりも女の子らしい身体つき。
日本人とは違う、鼻筋の通った可愛らしい顔立ち。
俺が兄でなければ、欲望に抗えなくなっていたかも知れないほど、バーシャは魅力的な女の子だ。
「も、もう夕食にするぞっ。寝てるんじゃない、バーシャ!」
言って俺は膝の上に乗ってるバーシャの頭から逃れるように立ち上がる。
「ぶーっ」
起き上がって不満そうに口を尖らせる彼女にどんな顔を見せていいのかわからなくて、俺は背を向ける。
「狙われてるのは、遥奈だよね?」
「あ、あぁ。そうだ」
「ん。わかったぁ。ファントムのことは気をつけておくけど、あんまり積極的に動けないかも知れない。ゴメンね」
「いや、まぁ、できる範囲でいい」
鼓動の早い心臓を胸の上から押さえながら、俺は背中に掛けられた言葉に答える。
「ん。わかったぁ。じゃあ夕食にしよー」
「そうだな」
ソファから立ち上がったバーシャは、俺を追い越して部屋を出る。
「ワタシだって、勇気振り絞ったんだよ?」
追い越し様、そんなことをこそりと言われて、俺は踏み出そうとした足が止まってしまっていた。
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