七人の妹 第一章 七人目の妹 4



          * 4 *



 金属製の扉を開けた先には、空があった。

 トウキョウの学校の中では一番大きく、義務教育期間は三年だけど、もっと勉強したいとか、研究目的とかで残る人も多いCNGの校舎は、ネオナカノの中でもけっこうな割合を占めるほどに大きい。当然校舎の数も多い。

 俺がやってきたのは、そんな多くある校舎のひとつの屋上だった。

 放課後になり、俺は美縁とユニアに先に帰るように言って、携帯端末で申請して占有許可を取った屋上に、遥奈とともに来ていた。空には家に帰るため、ホウキに乗ったりスラスターを背負った生徒たちがぞくぞくと舞い上がっているが、近くにはいない。

 占有許可を取った屋上は、家でもできない話をするにはうってつけの場所だ。

 いまはまだ、他の妹たちには遥奈のことは知らせたくなかったから。

「話を聞かせてもらおうか」

「はい……」

 バーシャや、姫乃ほどではないが、注目したくなるほどのサイズを持った胸を右手の拳で押さえながら、目を細めた遥奈は頷いた。

「お前が、友康が話してた寄生生物なんだな?」

「はい。わたしは、地球ではハルーナと呼ばれている、寄生生物です」

「ってことは、俺が中間宿主に選ばれたってことか」

「はい……。えっと、済みません」

 うつむいて、遥奈は胸の前で右手を左手で包み込み、小さくなっている。

 俺の方でも授業の合間にハルーナについて調べてみたが、友康も言ってた通り、報告例は本当に少なく、あんまり詳しいことはわからなかった。

 わかった以上のことは、遥奈に聞いてみる以外にはない。

「遥奈は、俺に寄生してどうするつもりなんだ?」

「わたしは……、わたしで意志がありますが、ハルーナの本能としては、最終宿主を探して――。佳弥さん、何か、おかしくありませんか?」

 言葉を切ってそう言った遥奈は、空を見回し始めた。

 俺も一緒に空を見てみると、とくにおかしいところは見当たらない。

 いや、そんなことはなかった。

 帰宅のために空を飛んでいる生徒が、妙に遠い。

 空路でないCNGの敷地内は、速度制限こそ厳しいものの、放課後になればどこを飛んでいても注意されることはない。だからかなりの生徒数がいるCNGでは、放課後のこれくらいの時間になると、校舎の周りには空を飛ぶ生徒でいっぱいになる。

 それなのにいまは、この屋上の近くにはひとりとして生徒の姿はなく、遠く、声が届かないほどの距離を飛んでるだけだ。

 ――確かにおかしい。

 そう感じた俺は、半分無意識に遥奈の腰に腕を回して、引き寄せる。これから何か起こるのか、何も起こらないのかはわからないが、警戒するに越したことはない。

 そのとき、俺たちが出てきた階段室の扉が開かれる音が聞こえた。

 見るとそこからは、ローブのような黒装束姿の、明らかに怪しい奴らが三人、出てくるところだった。

 反対側の階段室を見てみると、そちらからも三人の黒装束が出てきている。

 ――何が起きてる?

 怪しい黒装束たちの狙いは、たぶん遥奈。

 友康も言っていたが、ハルーナを探してトウキョウ周辺にはいろんなところから人が集まってる。いまのタイミングで現れるとしたら、遥奈狙いであることは疑いようがない。

 ――それだけじゃないな。

 この屋上に生徒が近づいてこないのは、おそらく人払いの結界が使われてる。

 そうした結界を張る魔術が存在してるのは知ってるが、一般人が使えるものじゃない。

 一般人が購入可能なマナジュエルとエーテルアンプは、カテゴリー三のものまで。何らかの事情があって自治体から許可が出た場合でも、カテゴリー四が限界。

 当然魔術の方もカテゴリー三か四までしか使えないわけだが、詳しくない俺が知ってる限りでは、結界系の魔術はよほど小規模のものを除けば、カテゴリー五は下らない。

 その規模の魔術となると自治体関係でなければ使うことは通常はできないし、いまの結界の範囲と規模から想像するに、もしかしたらカテゴリー七以上の、軍事兵器レベルの魔術かも知れない。

 そもそも、公共の場で人払いの結界を理由なく発動するような行為は、自治体法でも禁止されている。

 結界を張ってる装置なり、魔法使いかファントムなりの姿は六人の中にはいるように見えないが、こいつらはまっとうな人間じゃないことだけは確かだ。

 じりじりと迫ってくる黒装束たち。

 遥奈を背中に守る俺は、屋上のフェンスの方に後退していくことしかできない。

 空いてる右手を振ってエーテルモニタを表示し、バーシャに連絡を取ろうとするが、通信エラーの表示が現れるだけだった。

 ――ハルーナを捕獲しに来ただけの妹スキーってわけじゃなさそうだな。

 どうにか遥奈だけでも逃がしたいと思うが、囲まれてる状況じゃ難しい。もしこの結界を張ってる魔法使いが近くに隠れたりしてるなら、そいつが俺たちのことを素直に逃がしてくれるとは思えない。

「お前たちはいったい何者だ!」

 無駄だとわかっているけど、できるだけ遠くまで届くよう声を張り上げて問いかける。

 だが目深にフードを被って、口元さえ布で隠している黒装束が答えてくれる様子はない。

 フェンスまで追いつめられたとき、彼らが服の下から取り出したのは、銃。

 口径が大きく、けれど割とコンパクトなサイズのそれがどんな弾丸を発射するものなのかは、わからない。

 けれど銃ならさほど怖くない。

 魔導が発展した地球では、人はとにかく死ににくくなった。

 それは服には標準的に、防御魔術が付与されてるからってのが大きい。

 兵器レベルの武器だとさすがに無理だが、個人が携帯できるサイズの、ナイフとか銃なら、防御魔術で充分に防げる。

 いまの時代はすでに、昔はいたという通り魔なんてことをやる奴は絶滅している。刺されようが撃たれようが、高いところから落ちようが、痛みは多少あっても怪我することなんてほぼあり得ないんだから。

 ――でもこいつらは、たぶんプロだよな。

 怪我をする可能性が低いと言っても、用意周到なプロらしい黒装束たちが、銃なんかで殺しに来る可能性は低いように思えた。警戒は解けない。

 そして、半円を描くようにして俺と遥奈を取り囲んだ彼らが、一斉に引鉄を絞った。

 発射されたのは、ネット。

 防御魔術が発動しない程度に低速で殺到するネットが、俺と遥奈を包み込む。

 だけどフェンスを背にしてる俺たちを完全に覆い尽くすことはできない。

 CNGの教師をしているファントムも、そこそこ以上の魔法力を持つ魔法使いもいるんだ、長時間人払いの結界を張り続ければ誰かが気づく。このまま連れて行かれずに耐えていれば、活路はある。

 そう思った俺だったが、ネットから伸びたワイヤーが銃口の中に繋がっているのを見て、とっさに体勢を変えた。

「俺に触るなよ、遥奈!」

 両手をフェンスに伸ばして遥奈から身体を離し、ネットに触れさせないようにする。

 直後、予想通りのことが起こった。

「がぁーーーーっ!!」

 電撃。

 ワイヤーを通してネットに放たれたのは、火花が散るほどの強い電気だった。

 防御魔術は正常に発動し、俺のことを守っているが、強力な電撃を完全に無効化することができず、身体に痛みが走る。

「佳弥さん!」

「ダメだ! 目的はたぶんお前だ。そこに座ってすぐに逃げ出せるようにしておけ、遥奈っ」

 泣きそうな顔で俺の名を呼ぶ遥奈にそう言いつけて、電気ショックで震える筋肉を酷使し、俺は彼女を守るために立ち続ける。

「クソッ」

 フェンスをつかんでる右手の指だけを動かしてエーテルモニタを開いた俺は、携帯端末の中に入れてある、服に付与されてるのよりも強力な防御魔術を張ろうとする。

「ぐぅぅぅぅ!」

 しかし、再び放たれた電撃で、その操作を続けることができない。

 ――マズい、な。

 脂汗をかき始めてはいるが、痛みは耐えられるレベルだ。

 筋肉も震え始めちゃいるけど、まだまだ踏ん張っていられる。

 けれど、服に付与された防御魔術は、連続した攻撃に耐えられるほど複雑なものじゃない。あと二回か、最悪一回の電撃を一斉に食らえば、効力を失って消し飛ぶ。

 民間人が持てる代物じゃない、警務を請け負う組織か、軍隊でもなければ所持できないだろう捕縛用のネットガンの電撃は、普通の防御魔術で耐えきれるものじゃなかった。

「なんで……、佳弥さん……」

 つらそうな顔をし、小さくなって身体を震わせてる遥奈に、俺は微笑みかけてやる。

 なんでと問われても、自分だって彼女のことを守ってる理由はよくわかってない。

 ただ、ひとつだけはっきりしてることがある。

「遥奈、お前は俺の妹なんだろ? だったら兄貴の俺に、守られとけ」

 目を見開いて言葉もなく驚く遥奈に、俺は笑みを見せる。

 偶然かも知れないが、俺の妹としての立場を選んだハルーナの遥奈。

 彼女を守る理由は、俺が彼女の兄だから。それで充分だった。

 二度目の電撃から考えると三度目はもうすぐ。チャージが終わり次第、放たれるはずだ。

「くっ」

 これから来るだろう痛みに歯を食いしばったときだった。

 ガツンッ、という、柔らかいものが硬いものにぶち当たるような音が聞こえた。

 首だけ振り向いて見ると、俺たちが出てきた階段室の一番近くにいる黒装束が、屋上の床を割って身体をめり込ませ、動かなくなっていた。

 そいつの側に手刀を振り下ろした格好で立っているのは、ひとりの女の子。

「ユニア!」

「遅くなりました、兄様」

 制服姿のままのユニアは、俺の方は見ずに、動揺している様子の黒装束たちを、怒りの色を湛えたメカニカルアイで睨みつける。

「ちっ」

 初めて黒装束が見せた感情的な反応は、舌打ち。

 ユニアを無視して俺たちの方を見、電撃を放とうとしたときには、遅い。

「これ以上兄様に危害を加えることは、わたくしが許しません」

 目にもとまらぬ速度で動いたユニアは、黒装束たちが手にしているネットガンから伸びるワイヤーを、手刀によって切断していた。

 いつも填めている白い長手袋の下は、メカメカしい腕。

 筋肉や内臓などはバイオ素材のユニアだが、腕や脚、骨格などは強靱な素材を使った、機械だ。ユニアは手刀による攻撃で、ワイヤーを切断していた。

「あなた方の相手は、わたくしです」

 その声で五人になった黒装束たちは、標的を完全にユニアに変えた。

 ワイヤーを切断されたネットガンを捨て、新たに懐からネットガンを取り出して構える。

「助かった……」

「佳弥さんっ」

 残りの力で身体を覆っていたネットを剥ぎ取り、俺は膝を突く。

 心配してくれた遥奈が、泣きそうな顔でそのまま倒れていく俺の身体を支えてくれる。

「ユニアさんは、大丈夫なのですか? あの人たちもたぶん、防御魔術を服などに付与していますよね?」

「大丈夫だ、ユニアなら」

 まだ残るシビレに顔を引きつらせながら、俺は振り返っていままさに始まろうとしているユニアと黒装束のバトルを見る。

 たいていの服に付与されてる防御魔術は、万能じゃないがけっこう強力だ。街の中にいればエーテルアンプなしでも発動でき、連続して負荷をかけるとかしない限り、効力が切れることもない。

 けれど、怪我まではしなくても、衝撃による痛みを完全に消せるほどには強力じゃない。

 ネットガンの引鉄が絞られようとしたとき、ユニアが動いた。

 動くとわかっていて見ているからかろうじて捕らえられた彼女は、メカニカルな右腕を大きく振り被り、銃口から広がろうとしているネットを紙一重で躱して一番近い黒装束に接近した。

 拳の一撃。

 青い障壁光を放って発動した防御魔術。

 しかしただ立っていただけの黒装束は、防御が発動しても振り抜かれた拳によって、吹き飛んで行った。

 バキンッ、という音を立てて、黒装束は一〇メートルは先の階段室の壁に、背中側に発動した防御魔術と一緒に身体を食い込ませ、動かなくなった。

 ざわめく黒装束たち。

 振り抜いた拳を引き、すっくと立ったユニアは、三度動いた。

 屋上の床を蹴って跳んだユニア。標的は一番遠くにいた黒装束。

 跳んだ勢いのまま黒装束の肩を両手でつかんだ彼女は、腕を引くのと同時に、膝を胸の真ん中に叩き込んだ。

 防御魔術が悲鳴のような軋みを上げ、激しすぎる衝撃が黒装束の身体を突き抜ける。

 ユニアが着地したとき、力を失った黒装束の身体は伏して痙攣するだけだった。

「まだ、やりますか?」

 着地した体勢のまま、顎を引いて目だけで睨みつけるユニアに、残った三人は一瞬身体を震わせ、ネットガンを懐に仕舞った。そして倒れたまま動かない三人を肩に担ぎ、そそくさと階段室の扉の向こうに消えていった。

「助かったよ、ユニア」

「いいえ。わたくしが兄様を助けるのは当然のことです」

 彼女が鼻から息を吐き、戦闘態勢を解くのとほとんど同時に、これまで人ひとり飛んでいなかった空に、ホウキに乗った生徒が姿を見せた。人払いの結界も解かれたらしい。

 遥奈に肩を支えられて立つ俺を、近づいてきたユニアが反対側から支えてくれる。

「一度家に帰りましょう。家ならば安全です」

「そうだな」

「それから、ここで話すはずだったことを、わたくしにも聞かせてもらいます。そこの、ハルーナの話を」

「ユニア! お前……」

 緑のメカニカルアイに怒りの色を浮かべたユニアは、俺の瞳を睨みつけてくる。

「わたくしを、誰だと思っているのですか? 兄様」

「うっ……」

「わたくしは魔法少女ユーナのパートナー、魔法具ユニア。たった一度とは言え、彼女の名を、結奈と名を騙った彼女のことを、わたくしが許すとでもお思いですか?」

「そうだな。そうだったな」

 魔法少女ユーナと名乗っていた俺の妹、結奈。

 個性を持っていた彼女の魔法具は、いまスフィアドールになることを望み、ユニアとして俺の妹になっている。

 俺が遥奈のことを結奈でないと気づいたように、ユニアもまた、気づかないはずがなかった。

「とにかく、一度家に帰ろう。遥奈、話はそれからだ」

「……はい。わかりました」

 遥奈に不快そうな、険しい視線を向けてるユニアと、深刻そうに顔を歪ませている遥奈に支えられ、俺は家に帰るため階段室の扉を潜った。



            *



「今晩の食事、頼めるか?」

「いいけど……。どうかしたの?」

「ちょっとな。今度埋め合わせするから」

 帰宅して治療魔術でまだ残っていた電撃の影響を消し私服に着替えた俺は、共有フロアのソファでくつろいで、エーテルモニタで何かを見ている美縁にそう声をかけた。

 シンプルなロングシャツと、ジーンズを穿いてるとよくわかる意外に長い脚を見せる美縁は、俺に不審そうな顔を向けている。

 見てみた限り、羽月と紗月はまだ帰っておらず、朝ほど無防備ではないようだが、キャミにハーフパンツ姿のバーシャは美縁の向かいのソファで寝息を立てている。

 美縁の「絶対だよ」という言葉に背中を押されながら、俺はユニアの部屋に入った。

「待たせたな」

「いえ、準備が整ったところですので」

 彼女の趣味なのか、それとも結奈に仕える存在だという主張なのか、家だとメイド服姿でいることが多いユニアに出迎えられる。

 ユニアの部屋は、元々結奈が使っていた。

 可愛らしい小物やヌイグルミで飾られた、女の子らしいメルヘンチックな統一感がある室内は、結奈が使っていた頃とあまり変わっていない。いつでも結奈が帰ってきてもいいよう、ユニアが維持しているからだ。

 ……ヌイグルミの数が、結奈がいたときより二倍近くに増えている理由は、物静かで控えめなユニアには訊きづらかったが。

 部屋の真ん中に置かれたアンティーク調の小さく四角いティーテーブルには、いままさにユニアが紅茶を注いでくれたカップが三つ置かれ、いまの主役である遥奈は、窓のある壁に寄せて置かれたパステルピンクのシーツが掛けられたベッドに、不安そうな顔をして所在なさげに座っている。

「どうぞ」

「ありがと」

 テーブルとセットの椅子に遥奈と向き合って座り、勧めてくれたユニアは俺の脇に立つ。

 そして、話し合いが始まった。

「もう一度訊くけど、遥奈は寄生生物ハルーナで間違いないんだよな?」

「はい、間違いありません」

「遥奈の目的は、最終宿主を見つけて、繁殖すること?」

「それは……、そうなのですが、繁殖の欲求はハルーナの本能です。佳弥さんのような地球人や、この星で生きている他の動物が持っている本能とそう大きく変わるものではないと思います。ただ、ハルーナのそれは、人間などの知的生命体のものより、野生動物に近い強さなのだと思います。比較は、難しいのですが」

「ふむ……」

 屋上から家に帰ってくるまでにどんな質問をされて、どう答えるか考えていたんだろう。

 遥奈は硬い表情をしながらも、はっきりした口調で答えていた。

「他にわかることは?」

「他は……、わたしにもわからないことは多いので。瞳で相手の視覚を通して、環境に順応するための情報、と言えば良いでしょうか。それを送ることができるのはわかっています。本能の部分は欲求があるのでわかるのですが、それ以上と言うと、たぶん佳弥さんと大きな違いはないのだと思います」

「わたくしの方でも簡単に検査と調査を行いましたので、これをご覧ください」

 俺の隣に立っていたユニアは、そう言ってエーテルモニタを開いて渡してくれる。

 内容は、ハルーナに関する情報のまとめと、遥奈の検査などの結果だ。

 情報については友康が話していたこと以上の情報はそれほど多くない。少ない発見報告と、そのときの調査結果が付記されている程度。

 検査結果は、たぶんユニアのメカニカルアイとスフィアドールの身体に内蔵してる機能を使った簡易なものだと思うけど、驚くべき結果となっていた。

「ほぼ、人間?」

「それだけではありません。兄様の生体情報を元に身体を構成したからだと思われますが、遺伝子は血縁関係を認められるほど近接しています。医療機関で検査をしても、ハルーナと特定することは困難だと思われます。マナ波動はさすがに大きく異なりますが、これは親族でもあり得ることですし」

 この辺りになると専門分野に入ってくるので、細かいデータについては基礎インプリンティング学習を施した程度では読み解くことはできない。ユニアが解説を添えてくれているので、どういうことなのかかろうじてわかる。

 ――ハルーナの報告例が少ないわけだ。

 あらゆる物質から放出されるマナは、もちろん人間の身体からも放出されている。魔法使いとか魔法少女みたいに凄まじい量でなくても、ごく少量が。

 生物が放つマナは、指紋や虹彩のように個人ごとに特徴があって、その波動を取ると親族間ではある程度似ることが知られている。

 似ないこともけっこう多いため、マナ波動は家族関係の補強には使われても、証拠とはならない。例えば、マナ放出量が常人レベルの俺と、魔法少女の結奈とでは、マナ波動は似ても似つかない。

 やはり地球人の家族関係証明には、メルヘニック・パンクないまの時代でも、遺伝子情報が使われることが多かった。

 俺と遥奈の遺伝子情報の差は、俺と美縁の違い程度しかない。つまり、医療的に検査しても、俺と遥奈は兄妹と判定される。

 詳しく検査すれば地球人とハルーナの違いは発見できるかも知れないが、よほど疑ってかからない限りそこまで調べることはないだろう。催眠能力で家族と認識させられていれば、中間宿主に寄生している幼体のハルーナを発見するのは、恐ろしく困難だと思われた。

「ユニア」

「えぇ」

 エーテルモニタの表示をめくって次の項目を表示し、そこに書かれた内容を見た俺は、ユニアに目配せをした。

 学校で出席確認が問題なく取れたことは不思議に思っていたが、遥奈はすでに住民登録が完了していて、CNGの生徒ということになっている。さすがにイケブクロ自治区の登録情報に関するシステムログは閲覧できないが、申請履歴は見ることができる。

 履歴には、遥奈を新しく家族に迎え入れたという情報はなかった。

 ユニアが調べてくれた自治体のパーソナルデータだと、遥奈は結奈と同じ日に生まれた妹として登録されている。

 ――一三歳には、見えないがな。

 エーテルモニタから顔を上げて、緊張した様子で俺の方を見つめてくる遥奈のことを、上から下まで眺めてみる。

 俺より少し小柄なくらいで、ひとつ年下の一四歳の美縁より背が高く、身体の発育も充分に女の子らしい遥奈は、一三歳には思えない。

 ――これも理想の妹像の反映なのかね。

 友康がそんなことを言っていたが、中間宿主に選ばれた俺に取り入るための姿が、いまの遥奈なのかもしれないと思う。

 だけどうちでは、遥奈の設定と同じ一三歳のバーシャが女の子としては一番発育してるわけで、こんなものだと言われればそうかも知れない。

「遥奈。ハルーナには、電子情報に干渉したりする能力もあるのか?」

「えっと……、済みません。それはよくわかりません。催眠能力も、持っていることは自覚できていますし、意識的に使うこともできるのですが、あまり細かく制御しては使えないもののようなので」

「なるほど」

 目を丸くして驚いている様子の遥奈に、嘘は吐いている感じはなかった。

 人間でも手足を動かすことはできても、具体的にどうやって動かしているのか、意識的に脳や手足に信号を送っているという認識はない。ハルーナの催眠能力や、住民登録を行った電子情報への干渉と思われる能力も、そうしたものなのかも知れない、とも思う。

 逆を言えば、俺と同じ人間の身体を持ち、人間の脳で思考しているいまの遥奈の、ハルーナの本能の部分は自分で把握しきれていない可能性が高いということでもある。ユニアがまとめてくれた情報からもわかるが、ハルーナについてはわからないことが多すぎる。

「じゃあとりあえず、遥奈の当面の目的は最終宿主を見つけることなんだな?」

「はい。それについては間違いありません」

 今度はしっかりと視線を合わせて、頷きを返してくる遥奈。

 そんな彼女に、俺はもう少し突っ込んで訊いてみたいことができた。

「その、最終宿主ってのは、どんな基準で選ぶんだ?」

「え? うぅーん……」

 桜色の唇に人差し指を添え、考え込み始めた遥奈。

 エーテルモニタを「ありがと」と言ってユニアに返しつつ、俺はうなり声を上げてる遥奈の答えを待つ。

「――わかりません。最終宿主を探したい、出会いたいという衝動があることはわかるのですが、それがどんな人物なのか、といったことについては、思いつくことができません。しばらく生活を続けていけば、それもわかってくるのかも知れませんが」

「どんな奴かってのはまぁ、ともかくとしよう。とりあえず、恋人か、結婚相手が見つかったら出ていくってことなんだな?」

「その理解で間違いないと思います」

「わかった」

 顎に手を当てた俺は、しばらく考える。

 制服のスカートを両手でつかみ、緊張した面持ちで俺のことを上目遣いに見つめてくる遥奈に返すべき答えを、迷っていた。

「なぁ、ユニア」

「……兄様、これを」

 具体的なことを言う前に、鼻から息を吐いたユニアは、新たに開いたエーテルモニタを見せてくれる。

 そこにまとめられていたのは、高宮家の家内事情。

 親から送られてくる仕送り、姫乃やバーシャや羽月と紗月が入れてくれてる仕事の報酬、俺たち学生連中に自治体から支給されてる金額といった経済状況はもちろん、使ってない空き部屋とそこに必要な家具類の予想、当面必要な生活必需品とか、食材の買い出し量の変化とか、当面の課題や問題とか、俺がこれから考えて、ユニアに相談しようと思ったことが全部まとめられていた。

 ユニアには、俺が細かいこと言わずとも何を考えてるのかがバレバレだ。

 モニタから顔を上げると、ユニアの睨みつけてくるような鋭い視線とぶつかった。

 けれどその鋭さは、俺に向けられたものじゃない。

「遥奈。わたくしは、たった一度とは言え、結奈の名を、我がパートナーの名を騙った貴女を、許すことはできません」

 俺から遥奈に視線を移し、彼女を射貫くほどの強い視線で睨みつけたユニア。

 遥奈は身体を硬くし、大きく息を飲む。

 それについては俺も同意見だ。

 ハルーナの本能に従い、俺の生体情報から結奈のことを知り、一番高宮家に入り込みやすい立場として選んだんだろうが、遥奈は騙る対象を間違えた。

 俺にとっても大切な妹の結奈。

 魔法少女の魔法具として、苦楽を共にしたユニアにとって、結奈は俺以上に大切な存在であるはずだった。

 許せないという気持ちを、俺が否定することはできない。

 それでも、俺は遥奈を睨みつけているユニアの横顔を見つめる。

 俺の視線に気づいたユニアは、不快そうに顔を歪めながら、こっちに向いて盛大なため息を吐いた。

「本当に、兄様は……。妹という立場の女の子に対して甘すぎる!」

「済まないな」

 いつもはキリリとしているのに、いまは何故か可愛らしく口をすぼめ、諦めた表情で目をつむり、天井を仰ぐユニア。

 彼女が俺の妹になってからまだ一年にもならないが、つき合いはもう八年以上になる。

 最初、結奈を魔法少女に選び、個性を持った魔法具として家にやってきたユニア。

 話せば喧嘩と言い合いの記憶ばかりが思い出されるが、俺もユニアも、お互いの性格についてはよく把握している。

「けれど、そんな兄様だからこそ、わたくしはいまここで、貴方の妹として存在していられるのですからね」

 小さくため息を吐いたユニアは、その緑のメカニカルアイに、懐かしげな色を浮かべた。

「姫乃や、羽月や紗月のように、結奈と直接縁があった妹とは、わたくしやバーシャは違います。兄様、貴方が受け入れてくれたからこそ、わたくしはいまこの立場で、この家にいることができています」

 ユニアは、結奈が時空断層の向こうに消えた後、本当は他の魔法少女によって回収されるはずだった。

 魔法少女の魔法具は、地球に余るほどあるわけじゃない。

 たとえ結奈の死が確認できず、パートナーであるユニアには彼女の生存が認識できていても、地球の平穏を守る魔法少女が減ることは大きな問題だ。

 回収され、強制的に契約を解除されるはずだったユニアの、結奈の帰りを待ちたいという望みを叶える方法は、唯一スフィアドールになることだった。だから俺は、ユニアにスフィアドールになることを提案し、俺の妹になって結奈の帰りを待ちたいかと問うた。

 俺とユニアの縁を繋いだのは結奈であることは間違いないが、確かに彼女が言うように、いまここにいるのは俺の提案を受け入れたからと言えなくもない。

「そんなわたくしが、いま兄様が考えていることを、拒否できるとお思いですか?」

 優しく笑んだユニアにそう言われ、俺は苦笑いを返すことしかできなかった。

「……えっと、あのぅ」

「遥奈」

「は、はいっ」

 俺とユニアのやりとりに困惑してる遥奈に声をかけ、椅子から立ち上がって彼女の方に近づいて行く。

 開いた右手を伸ばすと、ベッドから立ち上がった彼女は不思議そうな顔をしながら、俺の手を右手で握る。

 握手。

「最終宿主が見つかるまでの、もしかしたら短い間かも知れないが、よろしく」

「あ、はいっ。よろしくお願い、します?」

 まだわかってないらしい遥奈は、目を忙しなく瞬かせながら首を傾げてる。

「本当は八人目だが、いまはまぁ六人しかいないからな。遥奈、君は俺の、七人目の妹だ」

「兄様がそう決めた以上、わたくしはその意に沿うだけです」

 理解が追いついていない遥奈は、小さく口を開けている。

 それでもだんだんと言葉の意味が頭に染み渡ってきたのか、朱い瞳が輝きだし、抑えきれない笑みが口元から零れた。

「ありがとうございます!」

 言って遥奈は、俺に抱きついてくる。

 綺麗な栗色の髪からは、彼女自身のものと、緊張していたからだろう、微かに汗の匂いが漂ってきた。制服越しでもわかる女の子らしい柔らかい身体と、それ以上に柔らかい胸を密着されて、俺は動けなくなってしまった。

「兄様?」

「はははっ」

 ユニアの冷たい視線に曝されて乾いた笑いを返しつつも、俺は胸に顔を埋めて肩を細かに震わせている遥奈の髪を、優しく撫でる。

 こうした可愛いところは、ハルーナの本能がつくり上げた、中間宿主の俺に取り入るためのあざとい性格なのかも知れない、なんてことも考える。

 けれども遥奈が妹として俺の前に現れたのは、何かの縁だろうとも思えた。

 だから俺は、彼女が最終宿主を見つけるまでの、短いかも知れない、長くなるかも知れない間、兄でいようと決めた。

「ようこそ、高宮家に。遥奈」

「はい!」

 胸元から顔を上げた遥奈の満面の笑みに、俺も一番の笑みを返していた。



            *



 木製の重々しい扉をノックもせずに開いたのは、黒装束の者たち。

 気を失ったままの三人を豪奢な絨毯が敷かれた床に投げ出すように寝かせ、自分たちも膝を突いたり座り込んだりして、荒れた息を整えている。

「失敗したか」

 感情の籠もらない冷たい男の声は、応接セットや調度品が置かれた部屋の奥、ベッドにしても充分なサイズの執務机の向こう側から響いた。

 本革製だろう、まるで王座のような椅子に座る男は、黒装束たちの方を見ることなく、椅子の背を向けたままだった。

 六人に遅れて入ってきたのは、どこかの民族衣装のような、しかし黒一色に染め上がられた服を身につける者。

 黒い手袋を填め、首までを黒い布で覆い、頭には金属製の黒い仮面を被っている。

 髪も、肌もひと欠片も見えない仮面、というより兜には、視覚以外の感覚を使っているのか、カメラでも仕込んであるのか、外界を通し見るための穴すらない。

 薄暗く点けられた照明の下で、執務机の脇を通り、椅子の脇に立ったその者は、まるで底の見えない穴のように黒かった。

「やっかいな奴を中間宿主に選んだものだな」

 椅子に座る男は、誰に言うでもなくそうつぶやく。

「他の者ならばまだやりようはあると言うのに……。しかし、せっかくのハルーナだ。この幸運を逃すことなどできまいよ」

 そんな男の言葉に、黒仮面は椅子の方に顔を向け、頷いて見せる。

「あのハルーナは早めに確保しなければならないが、奴とその家族を相手にするならば、こちらも相応の準備をしなければならないな」

 その言葉に応えて、黒仮面は懐から小型の刀を取り出した。

 飾り気はなく、実用性を重視したような造作の脇差ほどのサイズの刀は、使い込まれている痕跡があった。

「そうだな。あれのことも呼び出しておいてくれ。こちらはこちらで、捕獲したあれを使えるように準備する」

 そう言った男は、小さく含み笑いを漏らしていた。



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