七人の妹 第一章 七人目の妹 3
* 3 *
「じゃあ行ってくる」
玄関で靴を履いた俺は、振り返って軽く手を上げた。
見送りに出てきてくれたのは、元気に手を振ってくれる羽月と紗月、眠そうに欠伸をしているバーシャ、寝不足で目の下に隈をつくってる姫乃の四人。
四人は俺と違って、すでに学校を卒業してるし、それぞれ仕事を持ってる。
バーシャと姫乃の仕事の内容は把握しているが、羽月と紗月についてはどんな仕事してるかは知らない。自治体経由の仕事だから信頼については問題はないし、デリケートな内容らしいから、あんまり話せないらしいが。
美縁とユニアは、俺と一緒に学校に行く。
それから、制服を着てる栗色の髪の子も、俺の横に靴を履いて立ってる。
「行ってらっしゃーい」「行ってらっしゃーい」
「行ってきます」
「行ってまいります」
「行ってきますね」
挨拶を交わした俺たちは、玄関の扉を開けて外に出る。
「あれ? 兄さん、どうしたの?」
「んー。今日はちょっとな。たまにはこいつも動かしておかないといけないし」
家の敷地内にあるシャッターつきのガレージから引っ張り出してきたものを見た美縁の問いに、俺は曖昧に答えた。
俺たちが住んでいるのはISN(イズン)という名前の都市。略称が正式名称になる前は「イケブクロ・サンライズ・ノヴァ」という名前だった、イケブクロ自治区の都市だ。
通っている学校はイズンにほど近い、ネオナカノ自治区の都市ネオナカノにある、CNG(セントラルナカノ学園)。
学校まではそう遠くないからホウキとかの飛行具で行くことも多いけど、駅まで空を飛んでいって、その後は都市間を繋いでる列車を主に使ってる。飛行具は風よけや雨よけの魔術を張ってても、荷物が多いときや大雨のときはつらい。
濃紺のビスチェスートと白のブラウスに薄手の上着を重ねた、お揃いの制服姿の美縁とユニアの手には、駅まで行くための魔導ホウキが握られてる。
俺がガレージから引っ張り出したのは、スカイバイク。
地上を走っていた時代のと違ってタイヤはなく、わずかに地面から浮いているこれは中型の、ふたりまで乗れる飛行用の魔術具だ。俺が買ったものじゃなく、親父のものだが、もう半年以上帰ってきてないから、乗る人がいなくてガレージに置きっ放しになっていた。
当然バイクは列車に持ち込めないから、そのまま空を飛んで学校まで行くことになる。
「乗ってくか?」
「……はいっ」
辺りを見回して不安そうにしていた栗色の髪の妹にそう声をかけると、ぱっと表情を明るくして近くに寄ってきた。
「とりあえず行くぞ。遅刻しちまう」
「……うん」
納得していないらしく表情を曇らせてる美縁には気づいてないことにして、俺はバイクを引っ張って敷地プレートの上に形成された街並みを歩く。
俺たちが住んでいる家の他にもたくさんの家が建っているこのプレートには、もちろん多くの人が住んでいて、朝だけあって道では出勤や登校のために出歩く人たちとすれ違う。
そう遠くないプレートの端、発着場まで着た俺は、バイクにまたがった。
長くないスカートを気にしつつ、後ろに乗り込んだ栗色の髪の子が、腰にしっかりと腕を回しててきたのを確認した俺は、スカイバイクのセレクターを操作してここまで来るのに使ってた浮遊魔術から、飛行魔術へと切り替えた。
ハンドルを捻ってエーテルアンプに流れる電圧を上げ、アクセルをゆっくりと開けた。
ふわりと浮き上がったその先は、もう空中。
ホウキはもちろん、ジェットを噴き出す翼状のスラスターや、旧世代のスケボーから車輪を取ったようなスカイボードを操る人、大きいのではバイクや車が空を行き交うそこは、イズン内を巡っている空路だ。
ちらりと下に目を向けると、厚みのある敷地プレートがずっと下の方にも何層も浮かんでいるのが見え、それぞれの空路にも車やバイク、個人用の飛行具で人々が行き交っているのが見える。
細めた目を俺の方に向けてきている美縁とユニアと併走し、俺はイズンの外に向かうため、バイクを飛ばした。
街中の朝ラッシュを安全運転で抜け、イズンとネオナカノを繋いでいる青梅空路に入ると、視界が開けた。
空。
元々スカイバイクで空を飛んでいたわけだけど、イズンから出たそこは、本当に空だ。
イズンで一番高い建物であるサンシャイン六〇〇ビルの高さは、トウキョウの中でも中心都市のひとつだけあって、五〇〇〇メートルを超える。敷地プレートが積層している街並みは二〇〇〇メートルほどまでで、俺の家がある中層辺りがメインストリートとなっている青梅空路は一〇〇〇メートルくらいのところを走ってる。
横を見ると、イズンに隣接し、一部は都市の拡張によって接合してしまっているシンジュク自治区の都市ヘブンズピークスの、一〇〇〇〇メートルを超える超々高層ビル群が見え、正面には上から強く押しつぶした卵のようなネオナカノがある。
イズンとネオナカノの間の地上には、広い記念公園と、草原と、森と、畑と、それから去年発生したある事件によって荒れ果ててしまっている窪地が広がっている。
いまの時代、人々のほとんどは自治体が建造したイズンやヘブンズピークス、ネオナカノのような都市に住んでいて、地上に住んでいる人はごくわずかだ。
だから地上は整備された畑や、自然に街が飲み込まれる形で広がる森があるばかりで、建物なんかはほとんど見えない。
空路の端を示すビーコンと、標識のエーテルモニタだけが浮かんでいる空を、俺は他の車両や人々とともに、飛んでいた。
マナとエーテル場の実証は、魔導世界とそれ以前の旧世界という、大きな隔たりをつくるほどの変化を生み出した。
人がホウキに乗って空を飛び、宇宙人やファントムやスフィアドールが闊歩し、積層するプレートで構成された都市が数多く建設されている。魔導と科学の発展により地球人類の寿命はいくつもの手段で大幅に引き延ばされ、一世紀ほど前から平均寿命なんてものが集計されることはなくなった。
いまでは、常識も生活様式も大きく変化し、いろんな面で旧世界の様相は消えつつある。
そんな発展した地球人類はけれど、あと一〇〇〇年で滅びると予言されている。
まだ一五年しか生きてない俺には実感なんてできないが、ただの予言というわけではなく、現実を帯びてきているのだそうだ。
まるで創作世界のようになったこの地球を、ある人はメルヘンの世界だと言ったという。
そして終末が近づきつつあるこの時代を、ある人はパンクな世界だとも言った。
メルヘンでパンクな世界、メルヘニック・パンクが、いまの地球の様相。
そんな世界では、旧世界の常識では考えられないようなことが、けっこう当たり前のように起こる。
例えば、ある日突然、妹が増えてるとか。
「お前は、何だ?」
俺は振り向くことなく、後ろからしがみついてきて、柔らかい胸を背中に押し当ててる女の子に、そう声をかけた。
彼女が身体を強ばらせたのは、背中越しにも感じられた。
「わたしは……、その、結――」
「お前が、結奈と名乗ることだけは許さない」
静かに、でも強い声で、もう一度同じ名前を名乗ろうとした彼女の声を制した。
結奈。
それは俺のもうひとりの、実の妹。
俺のふたつ下、美縁のひとつ下の、本当の妹。
マナは、どんな物質からもごく低確率で放出される、魔法や、魔術といった奇跡を起こし得る素粒子。エーテル場に本体を持つファントム以外でも、この世界には他よりも多くのマナを放出する存在がいる。
普通の人ではエーテルアンプを使わなければカテゴリー一の魔術すら発動できないのに対し、人間の中で大量のマナを放出し、エーテルアンプを使わずに奇跡を起こし得る人のことを、魔法使いと呼んだ。
魔術は技術としてマナを扱えるようにした科学。
魔法は、高い魔法力を持つ人だけが使える、本当の奇跡。
魔法使いには、極端に大きなマナ放出量、魔法力を持つ人が、古来から少数ながらいた。
どんなに大きな魔法力を持っていても、その魔法力を活かせるマナジュエルがなければ魔法を発動させることはできない。
けれど古より地球の平穏を守るために活動する、巨大な魔法力を活かし得るマナジュエルを組み込まれた魔法の道具、魔法具を受け継ぐ、魔法少女と呼ばれる人々がいた。
結奈は、魔法少女だった。
彼女は去年、イズンとネオナカノの間の森林地帯に突如発生した時空断層という、魔導科学的には想定されてはいたが、現実に発生する可能性が宇宙レベルで低い現象が発生したとき、それを打ち消すために、その身を投げ打った。
自分の魔法具であるユニアを俺に託し、時空断層の向こうに姿を消した。
世界を、俺を、そして家族を守った結奈の名を、俺の妹だと騙り、他の誰かが名乗ることなど許すことなんてできない。
俺の後ろに座る彼女がそう名乗ったことを、俺は許しはしない。
「たぶん、催眠能力か何かがあるみたいだが、お前はいったい何なんだ?」
バイクの前面に張られた風除けの魔術でも防ぎ切れない風を受けながら、首だけ振り返った俺は、困惑した表情をしている彼女のことを睨みつける。
「わたしは……、この星ではハルーナと呼ばれいてる生物です」
「ハルーナ?」
聞いたことも、記憶にもない。
たぶん宇宙から飛来した地球外生命体であろうハルーナ。
朝の様子を見る限り、たぶん俺以外の、妹たちは彼女のことを妹のひとりとして認識してる。彼女が持つ催眠能力かなにかの効力だろう。
少し考えて、俺は彼女に提案する。
「だったらとりあえず、俺はお前のことはハルナと呼ぶことにする」
「ハルナ、ですか?」
バイクが揺れないよう気をつけながら、エーテルモニタをひとつ開いてそこに「遥奈」と書いて見せてやる。
「……はい、わかりました」
「それと、妹たちの認識上の名前を、そっちに切り替えることはできるか?」
「えっと、それは可能です。視線を合わせることで、認識に影響を与える能力があります。もう一度視線を合わせれば、わたしの認識を書き換えられます。ですけど――」
「だったらとりあえず、名前の訂正だけは頼む。詳しい話はまた後で、放課後にでも」
「はいっ」
そろそろ幹線空路からネオナカノに入る。そうすればCNGまではすぐだ。
だから俺は話を打ち切って、不思議そうな、心配そうな顔をしている美縁に微笑みかけてから、ハンドルを切った。
*
「それじゃあまた放課後に」
「はい、兄様」
「また後で」
別のクラスのユニアと教室の前で別れ、俺は美縁と、遥奈と一緒に自分の教室に入る。
今日はいつもより遅めに家を出たからだけど、教室にはもうあらかたのクラスメイトが登校してきていて、俺が入った途端、一斉に不審そうな目を飛ばしてきた。
遥奈に向けて。
「おはようございます、皆さん」
そう言って遥奈がニッコリ笑いながら教室内を見回すと、訝しむような表情が笑顔に変わり、ぱらぱらと挨拶が返ってきた。
――凄いな、遥奈の催眠能力は。
彼女に対してはいろいろ思うところはあるが、いまは事を荒立てないことにする。
手を振って美縁が自分の席に向かって行った後、俺も一番後ろの自分の席に向かった。
見ると、微妙な表情をしたクラスメイトの男子が教室に入ってきて、列の空いてた場所に抱えてきた机を置いた。彼はそこを自分の席にしたようだ。
本来、彼の席は俺の左隣。
――これも、遥奈の催眠能力の効力なのか?
彼女の催眠能力によって自分の席をズラしたんだと思うけど、自分の存在を記憶に刷り込むどころじゃない、かなり強力な効果を持つようだった。
――でもこの後はどうするかな……。
CNGに入学するにはネオナカノ自治区か、イケブクロなど近くの自治区で住民登録をしてる必要がある。そもそも入学には基礎インプリンティング学習という、旧世界にあった小学校から高校までに習う勉強の内容を、脳内に書き込む施術を行ってる必要がある。
基礎インプリンティング学習で勉強すべき内容を書き込んだとしても、大量の本を買っただけの状態。買った本は読まなければ内容を知ることも、理解することもできない。
自治体に住民登録をした人間は学校に通うことが義務となっているが、その期間は三年。書き込まれた情報を思考につなげるための、習熟学習が行われる。
一歳年下の美縁が同じクラスなのは、義務教育を受ける年齢がある程度自由だからだ。
通常、地球人類の場合は六歳以上、たいてい一〇歳までには受ける基礎インプリンティング学習の後、すぐ学校に通う奴もいるし、時間が経ってから入学する人もいる。標準的な入学年齢は、一二歳から一五歳くらいだ。
CNG一〇五期生一年目の俺が一五歳で学校に通っているのは、結奈の消失と、その後に妹になったユニアとバーシャのことがあったからだ。
基礎インプリンティング学習については、最悪ごまかせるとしても、遥奈は住民登録なんてしてるはずがない。出席確認機能がある椅子に座ると、彼女は登録のない部外者として判定されるはずだ。
どうするか考えつつ自分の席に座る間に、何も知らない遥奈も、空席となった俺の左隣に座った。
「……あれ?」
思わず俺は小さく声を上げてしまっていた。
机の天板の端にあるインジケーターが、遥奈が座ったことで赤から青に変わった。出席確認が取れた証拠だ。
――どういうことだ?
遥奈の朱い瞳に催眠能力があるのは、もう疑いようのない事実として理解してる。でもそれは生物に対して効果を持つものであっても、視線を合わせることができない電子情報にまでは、効果がないはずだった。
――もしかして、電子情報にも干渉する能力があるってのか?
遥奈の顔を見てみると、ニッコリとした笑みを向けてきてはいるが、その朱い瞳にはわずかに影がある。
何か思うところがあるのかも知れないが、いまここで問い質すことはできない。
「よぉ、佳弥。……相変わらず遥奈ちゃんは美人だねぇ。こいつにはもったいない妹だな」
「ふふふっ。ありがとうございます」
放課後にでも詳しく聞いてみようと思ってるとき、そんな軽薄な声が掛けられた。
クラスメイトで、幼馴染みでもある北野友康(きたのともやす)だ。
俺の机に手を着いて、遥奈に愛想笑いを向けている軽薄な友康と遥奈のやりとりに、何となくいけ好かない気持ちになるが、悪意や下心があるわけじゃないのはわかってる。
幼い頃に美縁に告白してこっぴどく振られて以来、軽薄な声をかけてくることはあっても、それ以上のことはない。友康は友康なりに、線の引き方をわきまえてる奴だ。
「はぁ……。お前はいいよなぁ、可愛い妹たちに囲まれてて」
「なんだよ、いきなり」
突然友康はそう言って、がっくりと肩を落とす。
幼馴染みのこいつは、事情が特殊なユニアとバーシャを除けば、結奈を含めて俺の妹たちのことはよく知ってる。姫乃や羽月や紗月が妹になった理由も、ある程度話していた。
そんな奴にいまさらなことを言われても、反応に困る。
「お前にだって姉弟はいるだろ?」
「そうだけどよぉ。妹がほしいんだよ。お前にはわからないだろうがなぁ」
友康は二卵性の双子で、姉弟は姉としてこいつと同じく幼馴染みだ。同じクラスの姉の方をちらりと見ると、なんだか美縁と話し込んでいる。
「だがオレにも妹ができる可能性がある!」
復活した友康は拳を突き上げながら、決意を籠めてるらしい表情で言った。
「……妹でも生まれる予定になったのか?」
「いや、そうじゃない!」
「なんだそりゃ?」
魔導医療により身体の若さを保つのは難しくなくなった現在、最高齢の出産は三〇〇歳なんて記録があるほどだ。子供をつくる方法は懐妊以外にもあるし、年の離れた兄妹なんてのも珍しくない。
だけどそんな様子じゃない友康に、微妙にイヤな予感を覚えつつも、どういうことなのか問うてみる。
「何か妹ができそうなことでもあったのか?」
「あぁ!」
キラキラと光る、純粋そうな、でも下心満載の目をしている友康。
こういう目をしてるときのこいつは、よくないことを考えてる。
「先週の事件、知らないか?」
「先週? んー?」
先週と言えば、流星群があるってことで、イズンから少し離れた場所に妹たちと見に行ったことは憶えてる。そのとき隕石じゃないか、ってほど強い光に包まれたのが事件と言えば事件だけど、地上まで達しなかったらしく何もなかった。
友康が言ってる事件ってのは、そういう俺の家族の中でのものとは違うだろう。
――他にあったことと言えば……。
「宇宙怪獣の出現警報があったな」
宇宙怪獣は、地球外から飛来する宇宙に生息する知的でない生命体の総称だ。
地球を侵略してこようとする宇宙海賊や他星の軍隊と違い、たいていの場合交渉の余地はなく、捕獲ないし駆除の対象となる。
古来から度々地球に飛来していた宇宙怪獣は秘密裏に、もしくは公になった場合は人々の認識を操作して隠し、魔法少女たちが処理してきた。
いまでは魔法少女は秘密の存在ではないから、宇宙怪獣が飛来する可能性が高まった場合には、自治体が警報を出して対処に乗り出すようになってる。
一〇〇年ほど前に発生した宇宙怪獣雨は、宇宙竜族とその取り巻きの怪獣が一週間のうちに一〇〇〇匹以上も地球に飛来し、魔法少女はもちろん、各自治体やそれ以外の多くの人々が地球壊滅の回避のために集まったと言う。
歴史に刻まれてるその事件は、数十億年、数百億年に一度しか発生しない事態だから、いまはそんなことが起きることもないが。
先週は宇宙怪獣の出現情報があって、結局発見できなかったために被害はなく、世間が騒がしかったのは憶えてる。
「そっちの問題で紛れてるが、オレやお前のような妹スキーには重大な事件があったんだ」
「……俺は別に妹スキーってわけじゃないが」
なんでか同類のように扱ってくる友康にため息を吐く。
ちらりと遥奈の方を見てみると、わざとらしく素知らぬ表情で俺から目を逸らしていた。
「とにかくだ、宇宙から希少な寄生生物が飛来した可能性が高いんだ」
「寄生生物? そういうのは自治体の衛生局とかの管轄じゃないのか? ってか、妹とどう関係するんだ」
「宇宙史の中でも十数例しか報告のない、希少な寄生生物らしくて詳しい生体はわかってないんだが、そいつは寄生虫みたいに生物の身体に寄生するんじゃなくて、知的生命体の生活に寄生するらしい」
「生活に?」
「あぁ。それでいま飛来した可能性が高いトウキョウ周辺には、そいつの捜索のためにいろんなところから人が集まってるんだよ」
「そう思えば、ここのところあんまり見かけない服の奴とか車両とかをよく見かけたな」
他の星系との交流が盛んないまは、大きな都市であれば宇宙人だったり、明らかに地球製じゃない車両を見る機会はさほど珍しくない。
でもここ数日は、そうしたものがずいぶん多く見かけたような気がしていた。
――生活に寄生する、か。
その言葉で思い浮かべるのは、悪い男や女が名目上の恋人に依存して生きる、いわゆるヒモだったりするが、魔導科学によって食糧事情も、エネルギー問題も概ね解決したいま現在では、ヒモ生活をする人はほとんど絶滅している。
身体や精神的な障害も発達医療では直接、間接的な手段でほとんどどうにでもなるし、最低限の仕事をしていれば、我慢できる程度の住居は自治体から貸してもらえるし、食感の飽きさえ我慢できるなら、味つけだけは無数のバラエティがあるゼリーフードやスティックフードも支給してもらえる。
夢や希望や趣味や物欲を持たなければ、人間は最低限の生活が保証されているし、好きこのんで絶食でもしなければ飢えて死ぬこともない。
それがいまの、メルヘニック・パンクの世界だ。
「ん?」
そこまで考えて、俺は思い当たることがあった。
思い当たる相手である遥奈を見てみると、複雑な表情で俺のことを見つめてきていた。
「その寄生生物ってのはかなりいろんな生物に寄生できるらしくってな、目的は最終宿主に寄生して子孫を残すことらしいんだ。たぶんいまは飛来したまま発見されてないか、中間宿主に寄生してると思うんだが、ぜんぜん情報なくて、見つからないんだよなぁ……」
「厄介な寄生生物なのか?」
「いや? いやいやいや」
俺の問いに、友康は何を言ってるんだとばかりの表情で、顔の前でぶんぶんと手を振る。
「そりゃあ生活に寄生されたら、多少の負担にはなるけどよ、いまどき人ひとり養うのなんて難しくないだろ? 知的レベルもその星の文明レベルに準じたものになるって話だし、必要なら自分で稼ぐこともできるだろ」
「じゃあいったいなんで、みんなそいつを探してるんだ?」
「ふっ。それこそが、俺の最大の目的なんだ」
悪い笑みを浮かべた友康は、大げさに胸を反らして言う。
「そいつは中間宿主の生体情報から身体を生成して、記憶から生活の情報を入手するらしいんだが、宿主の家に入り込むとき、庇護対象となる立場を選ぶんだよな。んで、恋人や結婚相手だったり、子供だったりって場合もあるが、たいていは女、雌型で、中間宿主相手には庇護されやすく離れやすい立場の場合が多い。つまり、妹」
「妹?」
「そう。知的生命体の男、ってか雄に寄生して、そいつに庇護されやすい妹って立場で家に入り込むことが多いんだ。それも、宿主にとって理想の性格や姿で、ってことらしい。だからそいつの通称は『寄生生物「妹」』」
顔の前で指を立て、キラキラした瞳でそんなことを言う友康。
ここまで説明されれば、もう疑いようもない。
何かを言おうとしてる遥奈は、震える手を上げて口をぱくぱくさせているが、いまここで説明するような愚を犯す気はないんだろう。慌ててるだけで何も言ってくることはない。
俺はそんな彼女の、何て言うか可愛らしい様子に、思わず苦笑いを浮かべて、ため息を漏らしていた。
「まだ最終宿主を見つけてなければ、中間宿主は乗り換えることも可能! 見つけることができればオレにも理想の妹ができるかも知れない!!」
「でも最終宿主を見つけたら、出て行っちまうんだろう?」
力説する友康にそう指摘すると、絶望に顔を強張らせた。
「いや……、ほら。別にいまの時代、妹との結婚だってできるんだし、中間宿主からそのまま最終宿主になる可能性ってのもないわけじゃないらしいし……」
がっくりと肩を落とした友康に思わず噴き出してしまう。
可愛い妹を手放したくない気持ちは、シスコンのつもりはないが、わからなくはない。
ただ恋愛対象ってのはまた違う話だ。
けれども友康の言うように、妹との、と言うより近親者との結婚は多くの自治体で認められているのも確かだ。
一〇〇〇年後には滅びると予言されてる地球人類は、すでにその兆候が現れつつあって、出生率は徐々に低下している。
たいして仕事をせずとも最低限の生活ができ、子供を持つことに関するサポートも過剰なほど充実しているいまの世の中で、出生率の低下はまだそれほど大きなものではないと言っても、重大だ。
魔導世界となって飢える人も死ぬ人もほとんどいなくなり、生活が安定した魔導暦一世紀頃には、地球人類は爆発的に増えた。増えた人口を吸収するために各所でイズンやネオナカノのような立体的積層都市建造のピークを迎えたのもその頃。
一〇〇歳どころか二〇〇歳の人も珍しくない世の中だから、出生率の多少の低下で人口が大幅に減ることはない。けれども、人は様々な理由で減る。
過剰なほどのサービスによって、いまより向上させる余地がなくなった出産関係の補助はもう打つ手がない。
小さな低下でも、それを止めることができなければ、いつかは地球人類が新たに生まれることはほぼなくなる。予言では、五百年後の出生率はほぼゼロになるとされている。
その出生率の低下の対策として、日本ではイズンが先陣を切り、世界各国の自治体で近親婚や同性婚が完全に認められた。地球人類以外では、ルーツを一緒にすると思われる月下人との間で子供を持つことは、異性はもちろん、同性者や近親者でも推奨されている。
倫理的と言うより、人の感情的には完全に認められていない部分は残っているものの、近親者や同性者での結婚はいまでは割と普通だ。ただ、認められなかったからこそ気持ちが盛り上がるってのはあるらしくて、認められたものの思ったほど同性婚、近親婚は増えていないらしいが。
現在その周辺の問題は、いまのところ認められていない、宇宙人やファントム、スフィアドールとかの地球人類以外との婚姻を認めるかどうかが自治体や国で議論されている。
いくら可愛いからって、俺は妹と結婚したいという願望はないが。
「まぁ、頑張って探してみてくれ」
「あぁ」
肩を落としたまま、友康は自分の席へと向かっていった。
それを見送った後、立ち上がった俺は遥奈の机に手を着き、彼女に顔を近づける。
他の奴らが聞き耳を立てないのをちらっと見回して確認してから、言う。
「だいたいの事情はわかったけど、さっきも言った通り放課後に詳しく聞かせてもらうぞ」
何とも言えない、気持ちを顔に出し切れない表情で俺を見つめてくる遥奈は、その朱い瞳を伏せる。
けれどももう一度俺の瞳を見つめてきた彼女は、決意を込めた色を瞳に浮かべていた。
「えっと……、はい。わたしにも全部がわかるわけではありませんが、話せることは全部お話しします」
「あぁ、頼む」
息がかかるほどの距離で見つめ合い、俺は遥奈と頷き合った。
美縁は眉根にシワが寄るのを感じていた。
彼女が見つめる先にいるのは、佳弥と友康、それから、遥奈。
なにやら楽しげに話す佳弥と友康に混ざっているわけではないようだが、遥奈もいろんな表情をして一緒に楽しんでいるように見えた。
友康の話が終わり、彼が離れた後、何故か遥奈に近づいて、佳弥は彼女に顔を寄せる。
もう少しでキスしてしまいそうな距離。
――何やってるの? 兄さんっ。
「人が話してる途中に、何見てるわけ?」
「あ、ゴメンッ。七海(ななみ)」
心の中で佳弥に悪態を吐いているときに声を掛けられて、美縁は我に返った。
美縁の席の前に立ち、目では睨みつけてきているのに、口元に笑みを浮かべているのは、親友の北野七海。先ほどまで佳弥が話していた友康の双子の姉だ。
「また佳弥のこと? こんなところで見つめなくても、家に帰ればいつだって見ていられるんじゃないの?」
「見つめたいわけじゃなくって……。妹のこと甘やかしすぎないか、監視してただけっ」
「そんな悠長なこと言ってると、佳弥の隣を奪われちゃうよ?」
「え?」
また佳弥の方に向けてしまっていた視線を、その言葉に驚いて七海に向けていた。
「べっ、別にそんな気持ちは、兄さんに持ってないし……」
「ふぅん。そう?」
ニヤニヤとした笑みを浮かべる七海に、美縁は強く言い返すことができなかった。
「基本、あんたん家の妹たちって、佳弥にベッタリじゃない。羽月ちゃんと紗月ちゃんはそっち方面疎そうだし、あいつもストライクゾーンから外れてると思うけど、活発だからねぇ。そういう方面に目覚めちゃったら、結構怖そうじゃない?」
「うっ」
「ユニアさんはそんなに話したことないからよくわからないけど、佳弥のこともの凄く信頼してるよね? あれってなんでだろ。スフィアドールと結婚はできないけどさ、事実婚してる人だっているし、いくつかの自治体じゃ子作りは認めてないけど、スフィアドールとの結婚認めようって議論が進んでるの、知ってる?」
「ううっ」
「バーシャちゃんはあれ、反則だよね。うちらよりひとつ年下なのに、あの胸はねぇ……。顔だって凄く可愛いし、佳弥って胸派だと思うんだよね。あの子に迫られたら、佳弥の奴、理性保てるかな?」
「ううううぅー」
「姫乃さんは滅多に部屋から出てこないけどさ、佳弥と話してるときのあの人って、なんて言うか、古女房の雰囲気あるよね。それに姫乃さんって、実はもの凄く美人じゃない?」
「いや、あの……。あのね? 七海」
日々感じている現実を七海に言われて、美縁は焦ってしまう。
確かに妹たちはみんな魅力的であることは、よく知っていた。
顔も平凡で、胸も普通くらいで、料理をつくることくらいはできても、特別な能力や才能を持っているわけではない美縁は、他の妹たちに勝てる要素がないのを知っていた。
うつむいてしまった美縁は、小さくため息を漏らす。
「美縁以外の妹の誰かと、佳弥がくっついちゃってもいいの?」
「それはダメ!」
反射的に答えてしまって、美縁は七海に誘導されていたことを意識する。
口元を押さえても、出てしまった言葉はなかったことにはできない。
にんまりした笑みを向けてくる彼女に、美縁は反撃とばかりに尖らせたままの口を開く。
「七海だって、兄さんのこと好きなんじゃないの? 小さいときからずっと言ってたよね?」
友康とともに幼馴染みである七海は、佳弥とのつき合いももちろん長い。
本人に言うことこそなかったが、幼い頃から七海は佳弥のことが好きだと、美縁に何度も言ってきていた。
「……まぁ、それは、ねぇ。好きだったよ。うぅん、いまでも好きだよ? でもさぁ」
疲れたように息を吐きながら、苦々しげな顔になった七海は言う。
「一年近く前、美縁の小父さんと小母さんが遠くに出かけることになったタイミングでさ、告白したんだよ。佳弥、いまと違って結奈ちゃんのことでまだぜんぜん復活してなかったし、支えられるかな、って思ったんだよね」
「――そうだったんだ。知らなかった」
「そりゃ言わないよ。だってさ、あいつ、なんて言ったと思う?」
「それはわからないけど……」
げっそりとした顔になった七海は、肩を落としながら言った。
「『いまは妹たちのことを見ていたいから、誰かとつき合うつもりはない』だって」
「兄さん、そんなこと言ったんだ……」
「くわぁーーっ。あの兄莫迦がーーっ! 妹のために女の子の一生懸命の告白を振るとか、あり得んっ!!」
両手で髪をくしゃくしゃにしながら文句を言う七海を見ながら、けれど美縁は暖かい気持ちが胸に溢れてきていた。
まだ一年の四月半ばだから、積極的な行動に出ている男の子はいないけれど、七海のことを狙ってる人がいるという話は、聞いたことがある。幼い頃から隠していても抑えきれない七海の気持ちを感じ取ってるはずなのに、そんな彼女の告白よりも、自分たちのことを優先してくれる佳弥に、嬉しさを感じずにはいられない。
こっそりと彼の方を見てみると、自分の席に座って、何かをずっと考えているらしく、顔に手を当てて難しい顔をしていた。
いま彼が何を考えているのか、美縁は知りたくなる。
「んで、美縁はどうなのよ?」
「え? 私?」
「佳弥のこと、どう思ってるわけ?」
「それは、その……」
怒った顔の七海に詰め寄られて、美縁は言葉を濁すことしかできない。
佳弥はずっと自分の兄で、大切な人であることは確かだけれど、彼への気持ちがどんなものであるかは、考えたことがなかった。
考えることを、避けていた。
――それに……。
「やっぱり、結奈ちゃんのことが気がかり?」
「……うん」
七海の指摘に、美縁は小さく頷く。
家の中でしか魔法少女をやっていたことは知られていないが、厳しい戦いを経ていたりしたからか、結奈は幼い頃から大人びた妹だった。
それでも佳弥に対しては甘えていたし、彼も一番結奈のことを気遣っていた節があった。
「何か考えるにしても、結奈が帰ってくるまでは、結論は出したくないんだ」
「そっか」
「うん。それに、たぶん私以外も、そう考えてると思うから」
美縁を除く妹たちは、直接だったり間接だったりするけれど、全員が全員、結奈の縁で家族となっている。
結奈の存在は、いなくなってしまったいまも、家族の中ではとてつもなく大きい。
「でも、警戒した方がいいと思うよ?」
「どう言うこと?」
七海が視線を送っているのは、遥奈。
いまは佳弥と楽しそうに話をし、綺麗な栗色の髪を揺らしながら笑っている遥奈のことは、確かに気がかりだった。
「勘だけど、たぶん遥奈は、結奈ちゃんのこととか、気にしてない気がするから」
「ん……」
そんな七海の言葉に、同意することはできなかったが、美縁もまた不安を覚えずにはいられなかった。
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