第25話 ロクデナシ

 『ロクブンミ』。


 六分魅住職が言うように、リスカが取り出した紙に書かれていたのは「ロクブンミ」というカタカナの五文字であった。


 六つ折にされていた紙の折り目で丁度区切られるように、左上から一文字ずつ。


 黒いマーカーか何かを定規に沿わせて引かれたかのか、その文字達の病的にまでに真っ直ぐな線はリスカの几帳面さより猟奇さを(あるいは事故性を)際立たせているが、判別不可能という程ではない。


「『ロクブンミ』ですか、ははあ、なるほど、方位さんにはそう見えるんですね。なるほどなるほど」


「何が言いたい?」


 声色の端々から苛立ちを感じる六分魅住職にリスカは「いえ、何も」と軽い調子で返した。


「人間なんて見たいものしか見ないというだけの話ですよ」


 なんて思わせぶりなことを言うリスカ。


 何がしたいのか今度は上樵木、函谷鉾、直違橋にも順番にその紙を見せ、六分魅住職と同じように確認していく。


 「ロクブンミ」と、それぞれ別々の口が全く同じ単語を口にしたのだ。


 そして最後、僕にも同じ確認して彼女は満足気に頷いた。


 こんな確認になんの意味があると言うのだろうか、僕は他七日リスカに全幅の信頼を置いているが流石に行動が難解すぎる。


 だから僕が「おい、リスカこれになんの意味があるんだよ」なんて彼女に尋ねようとして時、


「じゃあ――あむっ、?」


 なんて彼女は(行儀悪くも)「ロクブンミ」と書かれた紙の上辺をむように咥えた。


 その突然の奇行には場にいる全員が一瞬目を見開いたが――なんてことはない、右腕が諸々の事由で塞がってしまっている彼女が手を使いたかったというだけだろう。


 だから――


「あん!?」「え!?」「ええっ!?」


 なんて、六分魅住職と函谷鉾、それから直違橋の三人が驚きの声をあげたのはリスカがいきなり奇怪な行動に出たからではない。


 三人は驚きの声をあげた、なんて言ったところで僕も驚いていなかったわけではない――むしろ逆である。


 僕は目を見開いてその不思議な現象をマジマジと見ていた。


 不思議な現象――その紙に文字が浮き上がってきたのだ。


 いや、文字が浮き上がって来たのではない――文字が変遷したのである。


 僕達の目の前でカタカナの「ブ」の文字は上辺が横に突き出したばかりか、そのすぐ上に線が一本加えられた。


 「ン」の文字は点の部分が水平に左右に伸びることで折れ線的なカーブを描いている字画の上部を貫き、「ミ」の字の一番下の画からは「ン」の字と全く同じようなカーブをが生えていく――


 そんな僕の驚きをよそに、リスカは口に咥えていた紙を再び手に持つと、心底楽しそうに僕に、


「さて、お兄ちゃん、ここでさっきのヒントですよ」


 なんて言ってきた。


 ――ヒント? ……ヒントだって?


 心優しくも意地が悪い彼女の優しさを有効活用出来ない僕はさらに頭を悩ませてしまうが――それを見かねたリスカは愚か者にも分かりやすいように噛み砕いて教えてくれたのだ、


「ええ、さっき出したでしょう、『ロジャー・ラビット』って」


 ヒントは「ロジャー・ラビット」と、さっきのように。


 他七日リスカという子女は持って回ったようなことは言うが、狂信的にまでに自分の言葉に責任を持つ女の子である。


 そんな伏線めいた彼女がここで「ロジャー・ラビット」なんて単語を出すからにはそれは大層意味のある言葉だった。


 「ロジャー・ラビット」その単語とつい今しがた僕の目の前で起きた事象を見れば――彼女が言っているのはほぼ答えのようなものだった。


 ……ああ、全く、そういうことだったのか。


 僕は暫し自らの愚かさを痛感した後、呟いた。


「……『消えてまた出るインク』、か」


「はい、そういうことですよ、三十年前の映画のファンタジーな小道具が現代なら現実で再現できるんですから技術の進歩には感動しますね――まあ厳密に言えば違うものですけど」


 僕の呟きに、にっこり笑ってリスカは彼女なりの見解を述べてくれた。


 それはやはり彼女なりの視点なのだろう、僕は「ソレ」をそんな風に見たことは無かったんだだから。


 少し補足しておくと「消えてまた出るインク」とは「ロジャー・ラビット」の劇中で登場する小道具だ。


 ネタバレになるが――作中の中盤から終盤にかけて主人公のロジャーとエディは殺人現場から無くなった遺言状を探すことになる。


 その過程で紆余曲折あるのだが……それはさておいてもその肝心の遺言状はなんと主人公の一人ロジャーが後生大事に持っていたことが最終盤で明らかになる。


 ロジャーは確かにコミカルなキャラとして描かれてはいるがそこまで抜けているわけではない、しかし最終盤まで遺言状を遺言状と気づかなかった理由があったのだ――さながら六分魅住職が落書きを落書きと気付かなかったように。


「さあ方位さん、もう一度この紙に書いてある字を読んでみてくださいよ。ん? ほら、早く早く、ねえ耄碌してないって言うんでしたらさ! あれ? そう言えばさっきなんて言ってましたっけー?」


 なんて、リスカは勿体つけた動作で六分魅住職にカタカナが書かれている紙を見せつける。


 定規文字で「ロクデナシ﹅﹅﹅﹅﹅」と書かれている紙を。


 さっき僕たちの目と鼻の先では「ロクブンミ」と書かれていた紙の文字が「ロクデナシ」へと変わっていったのだ。


 いや、厳密に言えば変わっていったのではなく戻ったのだろう、リスカが最初にその紙に書いていた文字は「ロクデナシ」だったのだ。


 それを一部分を消す﹅﹅ことで「ロクブンミ」に変えたのだ。


 つまり、この「ロクデナシ」の文字は――


「実は『消えるインク』で書いてたんですよね」


 六分魅住職を弄ることに飽きたのか、リスクは僕たち全員に向き直ってそう言った。(当の六分魅住職はまだ事態の把握を出来ていないようだが)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る