第26話 消えた遺言状

「『消えるインク』について今更説明する必要はありませんよね? 温度によって消えたり発色したりする不思議なインクです」


 リスカが言うには僕は「消えるボールペン」しか知らなかったが今は普通に「消えるマーカー」なるものが売っているらしい。


 そのマーカーと原理はボールペンと全く一緒で、コンビニですら買えるような一般的な代物なのだと言う――そして当然、色は黒だけではなく赤色もある、と。


「それでは脱線はこれくらいにしておいて、落書きの話に立ち戻りましょうか」


 と、リスカは歩道の縁石の上を歩く小学生のような怪しい足取りで掛け軸の元まで行くと、


「ボクが最初にこの落書きを見て思ったのは『インク薄いなあ』でした」


 と、全員に語りかけるように言った。


 消えるインクについては(企業努力で昔よりは濃くなったらしいが)どうしても薄くなってしまうという回答を聞いたことがある。


 温度変化によってインクの発色を変化させる為にはどうしても混ぜ物をしなければならないらしく、その薄さはそれ故だとか。


 僕も確かに少し薄いとは思ったが、そこまでだ――足りなかったのは僕の発想である、筆で書かれていると言うだけで「消えるインクで書かれているのでは?」なんて疑問を持つことはしなかったのだから。


 リスカの言う通り少し考えれば――少し考えなくともよく見れば分かることだった。


 他七日リスカとは病的なまでに、前以てた子女である、


「つまり、お前がその紙に『消えるインク』で字を書いただけでなく…………『犯人』は『消えるインク』で掛け軸に落書きをしたんだな」


「そう言うことですね、ふふっ、『犯人』ですか。しかし、『消えるインク』とは言っても『犯人』にとって重要なのはことでは無かったんでしょうけどね」


「ああ……」


 僕は項垂れるようにリスカに同意した。


 「消えるボールペン」という言葉が浸透しきってしまっているが、熱によって透明になってしまったインクは一般的に知られているように冷やすことで再び色付くのだ――つまり正確に言えば「消えるボールペン」とは「消えてまた出るボールペン」なのである。


 そして、リスカも言っているように犯人にとって重要だったのはことではなくことだったのだ。


「『消えるインク』で落書きしたとは言いましたが、犯人が本当に使ったのは熱処理して既に透明になっている『消えたインク』だったんでしょうね」


 リスカは確信を得ているように淀みなく言う。


 「ロジャー・ラビット」作中でロジャー自身が遺告状を持っていることに気が付かなかったのは「消えてまた出るインク」だったからだ。


 作中最終盤まで真っ白な紙だったからロジャーはクライマックスまでそれに気付くことが出来なかった。


 それと同じで六分魅住職は透明な落書きを見ていたかも知れない――いや、あえて断言するが見ていたのだろう。


 でなければ奈良の高校生のような愚かしさでも持ち合わせていない限り、わざわざ消えるインク――透明なインクで落書きする意味がない。


 六分魅住職だって落書きが無いかとは中をチェックしたのだろうが、透明な落書きが無いかと思って見ていないのだろうから見落としても仕方あるまい。


 いや、やはり「見落として」はいないのか「見てない」だけ――「見えない」だけで。


 女子中学生にしては拙い小学生相当の字も筆を使い、壁面に文字を書く難しさから来るものだと思っていたが透明で自分が何を書いているのか分からなかったのもあるのだろう。


 犯人が黒板に書く文字は中々達筆だった筈だったし、もしかするとそれで定規文字なんかにせずとも筆跡をごまかせた――というのは考え過ぎか。


「そして、『消えたインク』で六分魅住職をやり過ごした犯人は今度はインクを浮かび上がらせたというわけです――低温に出来ればなんでもいいんですけどボクが今やったように犯人が使ったのもやっぱりこれですかね」


 と、リスカはさっきどこからともなく取り出した、冷感スプレーを見せびらかせるように軽く振った。


 さっきの噴出音はリスカが今持っている冷却スプレーの音だったのだ。


 リスカがそれで文字を浮き上がらせたように、それで事足りるのは証明済みである。


 もう夏は過ぎ去ったとはいえ、この時期の京都はまだ暑い。汗っかきだと言っていた犯人にとって暑さ対策の冷感スプレーは必需品である――というより彼女の場合冬のスキー合宿でも持って来ているとか言っていたっけ。


「総括すると、透明な落書きを一度見せてアリバイを作ってその後落書きを浮き上がらせる――とそんな感じです」


 「全くボロいトリックですよ」なんてリスカは言った。


 聞かされてみれば確かになんてことは無いような気がするが、なんてことないようなことにすら思い当たらなかったのはこの僕である。


 まあ、負け惜しみを言わせてもらえるならば、僕が言っていた「消えた凶器」も「氷の万年筆」も当たらずとも遠からずと言ったところだったのだろう。


 そして、そんな僕にすら凶器のありかくらいは分かる。


 流石に赤い塗料が有れば僕だって気づくが、予め透明になっている液体を、化粧水だの除光液だのに紛れ込まされては流石に分からない。


 化粧なんて当然したことがない僕が化粧ポーチの中を見せられて、透明な液体が有ったとしてもそう言うものだとまず間違いなくスルーするだろう。


 リスカが言っていたように、犯人は心優しくも掛け軸を綺麗にしてあげたのだろう――ちょうど化粧品を使って自分の顔をメイクアップするように。


 そこに来てようやく六分魅住職も合点がいったのか、三人を睨みつけている。


「まあ、先の事件に影響されて方位さんが見てない間にわざわざ消しもしないのに『消えるボールペン』で誰かが落書きしたという可能性も無くはないですけどね」


 まあそれもこれも、もう一度化粧ポーチの中を改めさせて貰えばわかることである。


 嫌われる先生になるのは痛いが、しかしその強権――というか本来の職務に則り校則違反品を没収するのは僕にとって実に容易いことだった。



「ま、こんなところですかね――それじゃあ、これにてお終い」



 リスカのそんな言葉で、「人為掛け軸落書き事件」は見事幕を閉じた。


 そうやって終わってしまったのだった。

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