ミステリーサイン

鵜川 龍史

ミステリーサイン

 うち高校の農芸科が持っている広大な畑の片隅にミステリーサークルを見つけたのは、もちろん西村だった。

 興奮した様子で教室に入ってきた西村はタブレットの画面を俺の鼻先に突き付けながら、俺の手の中のポカリを奪い取った。

「相良! 宇宙人だ!」

「ああ、映像は安定してる。メンテナンスの必要はない」

「カメラの具合じゃなくて!」

 西村が薬品撒布用のドローンにカメラを載せて、教室やら近所の家やらを覗き見したいと言い出したのはひと月前のことだ。即刻、断った。工芸科で学んだことを、そんなくだらないことに使われたんじゃたまらない。誤算だったのは、農芸科の西村には粘り強さという美徳が備わっていたことだ。西村は、ネットで取り寄せた超小型カメラをテグスでドローンに括り付けた。画面酔いして吐きながら、カメラの安定性を求めて改良を重ねる――生育条件を変えながら、植物の生長を観察するように。

「俺ならカメラを括り付けたりしない」

 思わず口にした一言に振り向いた西村の笑顔を見て、観察されていたのは俺だったと悟った。翌日、寮に届いた本物のカメラの受取人は俺になっていた。虹彩認証で荷物を受け取る俺の後ろで、西村は鼻歌交じりにドローンを磨く。聞こえよがしに溜息をついてみるが、陽気な鼻歌に合いの手が入っただけだった。

 手持ちの道具を工夫すれば、ローターの振動を逃がす仕組みを作るのは難しくない。それでも、積載量に合わせた軽量化には十日かかった。その間、西村はドローンを磨きながら、俺の追加注文を認証し続けた。

「ドローン磨いても、意味ないからな」

 その言葉自体、西村にとって意味がない、というのは百も承知だが、俺にもストレスのはけ口が必要だ。いや、そう考えると、西村のストレス解消はドローン磨きだったのかもしれない。

 二週間後完成したカメラ搭載型ドローンは、薬品撒布の役割を離れ、あちらこちらを飛び回った。得られた収穫は、北校舎五階の女子更衣室のカーテンの柄が花ではなく豆だったことと、近隣の住民に若い女性が一人もいないことぐらい。それでも、初めてのアングルから見る構内には、新たな発見がたくさんあった。風になびく緑の稲が生み出す波模様、山に手をかけて立ち上がる巨人のような入道雲、夕日に照らされて炎の壁さながらの威容を示す校舎の壁面――どれもこれも、創作意欲を掻き立てる風景ばかりだ。

 と言っても、そんな感動に浸っていたのは俺だけで、西村は肩がそぎ落とされたのかというくらい、あからさまに肩を落としていた。

 だから、これは西村の新しい遊びなのだと思った。

「ほら、見てくれよ。きれいな円形だろ。きっと、円盤が着陸した跡なんだよ」

「規模は小さいが、確かにミステリーサークルだな。――西村、大変だったろう」

「違うって、俺じゃないよ!」声が上ずっている。

「真ん中、何かある」ポカリのお返しにタブレットを奪い取り、動画を一時停止にして、画面を拡大すると、倒れた草の中心にボールペンに似た細い棒が落ちていた。「もう少し、注意深くあるべきだな」

 タブレットとポカリを交換すると、西村は何か叫びながら教室を飛び出していった。後ろ姿があまりにも青春していて、思わずスケッチブックを開いた。


 その日の夕食は西村の好物のカツ丼だった。いつもなら、食事の一時間前から寮中に触れ回り、厨房を覗いては油の香りに目を細めているはずだが、一向に食堂に姿を見せない。食事を終えて部屋に戻り、蒔絵の図案に取り組んでいると、ノックと同時に西村が飛び込んできた。

「これ、なんだと思う?」

 西村の手には、透明な軸のボールペンが握られている。ミステリーサークルの真ん中にあったものだ。時間に余裕があれば、西村のいたずらに付き合うのも悪くない。しかし、今は課題の最中だ。

「懐かしいタイプのボールペンだな。今時、役所でも見かけない。どこで買った? ネットか?」手と目はスケッチブックから離さない。片手間で十分だ。

「落ちてた」視界の端で、西村が鞄をひっくり返す。乾いた音と共に、床にはボールペンの山が出来上がった。「いっぱい、落ちてた」

「おい、いい加減に……」

「それにこれ、ボールペンじゃないんだ」西村が棚から紙を一枚引っ張り出した。

「ちょっと待て。それ、高いんだからな」そう、紙は高価だ。無料配布のタブレットなどとは、比べ物にならない。しかし、そんな俺の注意など聞こえなかったかのように、西村はボールペンを紙に当てがった。「マジでやめてくれ!」

 西村は制止を無視してボールペンを走らせた。その紙を俺の目の前に突き出すが、何も書かれていない。笑顔もないまま、ボールペンを差し出す。いたずらじゃない。

 受け取ってはみたものの、実は、使ったことはほとんどなかった。俺にとってボールペンは、父親の書斎を飾るコレクションだった。あらゆる手続きが生体認証で行われるようになってから、ボールペンは急速に使われなくなっていったと、父親がよく愚痴っていた。彼は生体認証反対派だった。

「義眼の人間は虹彩認証ができない。手のない人間は静脈認証ができない。生体認証は、健常者を前提としたシステムだ」

 そんなことを言っていても、生活のあらゆる瞬間に認証が入り込んでくる。小学校卒業以来、父親のサインは見ていない。太くて力強い線は、あの頃の父親の姿に重なる。だからこそ、ガラスの棚に大人しく収まったコレクションは、反抗ではなく、ノスタルジーとしか思えなかった。

「それ、ボールペンに見える、よね」

 西村の言う通り、見た目はボールペンそのものだ。芯には黒いインクが残っているし、ペンの先を見たところ、インクが乾いて詰まっている様子でもない。爪で引っ掛けると、ボールは確かに回転する。しかし、指先にインクが付くことはない。

 西村がぶちまけたボールペンの山から、何本か拾って確かめるが、やはりインクは出ない。そもそも、工芸的価値の認められているボールペンを、大量に廃棄する意味も分からない。使えるか使えないかは、関係ないのだ。

「これ、どこにあったんだよ」

「あの近くにもミステリーサークルがいくつかあって、そこに」

 いたずらの主は、西村じゃないってことか。ふと目を落とすと、スケッチブックには無意識に描いた大小いくつもの丸印が並んでいた。ありきたりな模様だ。俺は西村を座らせると、消しゴムを手に取った。


 ネットを見ると、学内SNS上に同じような話と写真がいくつか上げられていた。

「うちの生徒のいたずらってこと?」西村が不安そうな声を上げているのは、それじゃ面白くないから、というだけの話。

「いたずらと言うには手が込みすぎている。工芸科の生徒だとしても、このクオリティのボールペンもどきを量産するのは、正気じゃない」

 SNSでもボールペンもどきの写真は上げられているが、やはり書けるものはないらしい。それより気に掛ったのはそれぞれの出来栄えの方で、ペン先のボールが再現されていないものもあれば、芯の部分がプラスチックで固められてしまっているものもある。鋳型にプラスチックを流し込んで固めただけにしか見えない代物もあった。

「これ、偽物を作ってるんじゃなくて、本物を作りたいんじゃないのかな」自分のタブレットを凝視しながら西村が言った。「投稿を日時でソートするとさ、だんだんクオリティが上がってきてるんだよ。一番最初は、十ヶ月前」

 言われるがままに投稿を遡ると、銀色の筒の写真に行き着いた。場所は近所の小山にある公園の芝生。草が短すぎて、ミステリーサークルには見えないが、目を凝らすと円形に草がつぶされているのが分かる。投稿主は、「#落し物」を付けてSNSに上げていた。

 その後は、二週間から三週間ごとに新しい投稿があったが、それぞれは情報としては繋がらず、ただ流れていくだけだった。その流れを、今、俺たちが堰き止めたというわけだ。

「やっぱり、宇宙人じゃないかな」西村が嬉しそうに言う。

「何のために、宇宙人がボールペンを作るんだよ」

「そりゃ、地球人と契約したいからじゃないの。相良の親父さんの話、前にしてくれたじゃない。宇宙人だって同じだと思うんだ。彼らがどんな姿かたちをしているか分からないけど、生体認証はきっと無理でしょ。それなら、紙にサインをして契約を交わすしかないよね」

 荒唐無稽な話だが、西村は真剣そのものだ。

「でも、ボールペンのサンプルが手に入らない。だから、きっとネットの写真情報から再現しようとしてるんだ」西村の目が、きらきらと光を放ちながら、俺の部屋を物色している。目的があからさま過ぎて、かえって気持ちいいくらいだ。

「持ってるよ。親父の愛用の一本――餞別に貰った」

「ミステリーサークルに置こう!」

 どうせ、この先の人生でサインをすることなどない。一本のボールペンで、西村の気がしばらく俺からそれるなら、そっちの方がいくらかましかもしれない。

「ほら、宇宙人でもなんでも、くれてやれ」机の奥から引っ張り出して、西村に放ってよこす。

「これ、ちゃんと書ける?」

 止める間もなく、西村は紙を一枚無駄にした。


 二週間後、地元紙の片隅に、地域の町工場が宇宙人と技術的互恵関係を締結、との見出しが躍った。と言っても、ほとんどの人にとっては、くだらない冗談か、あるいは何かの隠語としか受け取られなかっただろう。俺も、これが文章だけの記事なら、同じように流していたかもしれない。

 その記事の片隅には、今となっては懐かしい、紙の契約書の写真が載せられていた。その末尾に書かれた工場長の名前と宇宙人らしき存在のサインは、どちらも太くて力強い、俺にとっては懐かしい線で書かれていた。

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