――いつか憧れた正しさを再び――




 リコットが正しい事をする人間に憧れていたのは、子供の頃の事だ。


 きっけは些細な事。


 小さかった頃、まだ十にもなっていなかった頃に、途方に暮れた一人の少女を助けて、無事に家へと送り届けた時に、感謝されたという……たったそれだけの事だった。


 ありふれた事であり、世界のどこにでも転がっていそうな、そんな小さな親切心の物語。


 けれど、まだ世界を知らずに小さかったリコットにとっては、それは特別な出来事だった。


 自分の手で正しい事をして、誰かを助ける。

 そして、その誰かから感謝される。

 それはなんて素敵な事なのだろう……そう、幼い頃のリコットは思った。


 小さな優しさが産む温かさは、かけがえのない宝石の様に煌めいていて、心のにある空を星のように彩り続ける。


 大切な宝物を得たリコットは、だが大人になって、それを手放さざるを得なくなってしまった。


 正しさは簡単に捻じ曲がる。

 


「素晴らしい成果だ。これで多くの人間が救われるだろう。我々の未来は安泰だ」

「……」

「どうしたんだね。何か不満でもあるのかね?」

「……いいえ、別に」

「まあ、実感がわかないのも無理はない。君の出した結果は、前代未聞なものであるし、その素晴らしさを測る定規もまだないのだから。しかし時期に多く者達が気が付くだろう。堂々と誇っていたまえ」

「……(年端もいかない小さな少女を、犠牲にしていることも堂々と誇って言えることなのか?)」

「何か言ったかね」

「……いい、何でも」


 はた目から見て正しいとされる行いの裏に、どれだけの犠牲や残虐な行為が隠れているか、それを知ってしまった。


 どんなに人から称えられる偉人であっても、才能だけに胡坐を掻くどうしようもない人格の人間だって存在するのだと知ってしまったからだ。


 だからリコットは、見方で容易に変わってしまう正しさを捨て、より確実なものを求めるようになっていった。


 それは成果と結果だった。


 感情を交えないそれらは、確かに何事にも揺らされずに泰然といつまでもそこにあり続ける。


 だが……。


 リコットの心は満たされぬまま変わらずに、息苦しさばかりが募っていくのだった。






 王都からアイスブルー監獄へはかなり距離がある。

 新しく開発された最新の空飛び乗り物……飛空船を使うならともかく、徒歩で向かおうとすれば何カ月もかかる道のりだった。


 現在は王都から出て数週間。

 勤めていた学校で行方不明扱いになった生徒の事を考えながら、リコットは一つため息をつく。

 おそらくは徒歩で、己のはるか後方を歩いているだろうその生徒の事を。


 彼が歩いているのは、枯れ地の街道だ。

 周囲に人一人どころか、獣の影一つすらないそんな荒廃した道。


 その途中で遠くの空を行きかう飛空艇を見上げるリコットは、胸のポケットに手をあてる。

 彼の指には、予想と違わず硬質な物が入っている感触が伝わってきた。

 それも当然だ、底に入っているのは古びたペンだからだ。


 見渡す周囲の様子は、今までのものとはまったく違うもの。

 草も木も、花も全く生えない不毛の大地だった。


 世界中のどこを探しても、ここより他に枯れ果てている場所はないだろう。

 だが、少し前までのリコットが最も慣れ親しんだ景色でもあった。


 リコットは、感傷的になっている心境を自覚していた。

 まったく自慢ではない、と彼は思う。


 少し前までは、そんな問題についてどうにかしようとしていたのがリコットであったというのに、人間の心変わりというものは、本当に読み切れないものだ、と。


 これからリコットがしようと思っている事を、彼が人に話そうものなら、気でもおかしくなったかと言われる事は分かり切った事だった。


 それほどまでに、彼がこれから起こそうとしている行動は、自慢にできない行動だ。


 だが……。


(別にあいつらの為じゃない。俺の為だ。向き合う時が来たからやるだけ)


 リコットは、そんな状況にいる自分の事が以前より、それほど嫌いではなくなった。


 ポケットから手を離し歩き出す。

 立ち止まっている間に、飛空艇はかなり遠い空まで移動していた。


 これまでの旅の疲れが溜まっているのだろうが、彼の体を動かす足は、予想よりは軽い。


 そんな風に物思いにふけりながら歩くリコットだが、誰一人出会わないはずの場所に、人影がある事に彼は気が付いた。


 それは、遥か後方にいるはずで、ひょっとしたらとっくの昔に野垂れ死んでいたとしてもおかしくもないはずの人間で……。


 リコットから見て、友達思いで、努力家なところだけは評価できる、あの学校では才能のない落ちこぼれの中の落ちこぼれ、その代名詞であったフェネリーだった。

 

 ここまで無事だったという事は、運もそれなりに良いのだろう、とリコットは思った。


(すぐ、やられそうなキャラしてんのに。わりとしぶといな)


 そして彼は、歩く足を速めながらそんな風に思ったのだった。



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