――ある教師の胸の内――



 職員室

 自分のデスクで、溜まっていた書類の消化にとりかかっていた教師リコットは疲れに負けて意識をぼんやりとさせた状態だった。


 デスクの周囲はかたずいていて、使い主の几帳面な性格を如実に表していたが、本の一点だけ印象の異なる所がある。


 デスクの片隅、目につかないような脇の方におかれている小さなペンだった。

 古びたそのペンは、もとは金属製だったのだろうが、よく見なければ素材が分からないほどに変質してしまっていた。


 錆がひどく、傷もひどい。

 ペンの側面には、申し訳程度に持ち主の名前が刻まれているのだが、それも判読するのが困難なほどだった。


 仕事の合間にそんなペンを見つめていたリコットは、日ごろは人に見せないぼんやりとした様子で考え事をしていた。

 というのも多くの仕事を振り分けられたせいで、疲労がたまっていたのだ。


 彼は霞む意識の中で、視界に映ったペンを通して昔の事を思い出していた。


 それは、世界の果て、辺境にある施設で、とあることに関わっていた過去の事だ。


 その施設では、リコットはそれなりの身分を与えていた。

 ひいきや七光りなどではなく、能力が正当に評価されたゆえの立場。


 優秀な成績をいくつも残したがゆえに、名前が有名になった彼の周りにはいつも多くの人間がいた。


 素直に賞賛する物や、下心のあるもの、ただ己の精進の為に技術的な指導を欲するもの、または妬み陥れようと画策する物。

 

 ありとあらゆる思惑の物達が、集まった。

 だが、そんな者達のやる事は皆同じであった。

 誰もかれもが、リコットの行動一つを賞賛し、その行動が生んだ結果一つに感嘆するばかりだった。


 だれも、一人も。

 その行為が間違っていると指摘する者はいなかった。


 彼はその施設では明らかに間違った事をしていた。

 周囲にいる者達も同じく、明らかに間違っていた。


 けれど、だれもその間違いを咎めるものはいなかった。

 それは彼等のしていることから考えればある意味当然の事で、味方を変えればその間違いすらも正しくなってしまう事情があったからだろう。


 話は変わるが。

 世界には、常識から考えても、どこからどうみても間違った事がよく転がっている。

 一片の同情もできないような、良心的に解釈できないようなそんな間違いが。


 リコットは、その事について別に思う事はなく、間違っていると主張するだけの熱意も興味も持ち合わせていなかったが、そんな間違いを正当化して誤魔化してうやむやにするような事を、なぜなのかひどく嫌っていた。


 彼はただ、日々間違った行員加担して過ごす自分が、ひどく疲れていく事だけを自覚していて。そしてあり日、唐突に限界がきた。


 それは、たくさんの成果を出して、物理に還元すれば山となるほどの功績を積み重ねた頃の事だった。


 自分がしている事のごまかしに嫌気がさした彼は、その場所から去る事を決めていた。

 後に残される者の事はまるで考えずに、その後の事にはまるで関心を示さずに、ただ自分が楽になる事だけを考えて。


 けれど、そうして選んだ道の中で、リコットは満足を得られないでいた。


 彼は思う。


 結局、どこに行っても変わらないのだと。

 嫌な現実から逃げていては、また同じことの繰り返しなのだと。


 だから、嫌なら、本当にどうにかしたかったのなら、立ち向かう事が正しかったのだと、そう気が付いていた。


 視線の先で、昇進祝いに最初にもらったペンが室内灯の光を反射して鈍く光る。


 ため息をついたリコットは、疲れを癒す為に席を立った。

 職員室から出て、気分を変えるために外へ出ようとする。


 彼は痛感していた。

 立ち向かう事にかけては、自分は落ちこぼれであるフェネリーより確かに下であると。


「それが分かった所で、どうすればいいかって所が分からないけどな」


 あの小さな少女にはクゥという導き手がいたが、リコットにはそんな存在がいなかった。


 現状を変えようとするのならば、自分で何とかするほかなかったのだ。


「……ら……そこに、……るのよ。魔女が」


 そんなリコットの耳に、女子生徒の声らしき言葉が聞こえてくる。


 声の方へと視線を向ければ、そこにはフレディと言う女子生徒がいた。

 向かいに立っているのは他の教師。


 少女と教師は、話をしながらその場を立ち去っていく。

 その後姿を見ながらリコットは、なぜだかひどく嫌な予感がしていた。


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