第2章 悪戯という名の気遣い



 王都アルディアスの中心部に建てられた、歴史を感じさせる古めかしい学校。

 第三王立学校の図書館には、魔女が住むという噂が広まっている。


 紫の服を身にまとった魔女がいて、夜な夜な学校に悪戯を仕掛けまわっているとかいう。


 それは例えば、教室に。

 あるいは音楽室や理科室に。

 または保健室やトイレ、準備室などにも。


 一つ一つ、悪戯を仕掛けて言っては不気味に笑っているのだ、とか……。


 魔女の好物は人間の不幸だ。

 そして魔女の活動は不幸収集。


 昼の間には、魔女はその学校に通っている生徒達を罠にはめ、不幸に落とし、夜になると罠を張るついでにその不幸の力を回収してまわっているらしい。

 ……と、そんな具合に、生徒達からは不気味な存在として囁かれていた。


 それは事実だ。

 第三王立学校に在籍するフェネリー・シティリスは知っている。


 ただし、「前半のみが……」となるが。






 第三王立学校 初等部校舎 図書館


 ぼろ雑巾を片手にしながらフェネリーは、「クゥ様は可愛いいたずら好きな少女だ」と、そう思っていた。


「まったく、掃除もできないなんて、役に立たないボロ雑巾じょうきんね、フェネリー」

「うう、クゥ様ぁ。ボク、もうできません。勘弁してください」

「今日は図書館の前の廊下をピッカピカにして生徒達をすべらせるのよ」

「ひーん」

 

 図書館の前の廊下。

 宙を浮く小さな魔女……クゥ・エル・インプランタは授業後の生徒……フェネリー・シティリスを捕まえて、清掃作業をさせていた。


 クゥと知り合ったボクっ子少女のフェネリー。

 あの日以来、魔女の住み家にしている図書館に顔を出す様になると、授業後は毎日のように悪戯の片棒を担がされるようになっていた。


 ちなみにクゥの正体は、正式には魔女ではなく上級聖霊となる。

 魔女を自称し魔女として振る舞うクゥだが、それは外身だけの話で、区別的には魔女でも何でもなかったのだ。


 長い年月を生きた聖霊は人の姿になれる。

 初級精霊のように人から見えないと言う事もなく、中級聖霊の様に動物の姿である事もない。

 パッと見ただけでは、普通の人間と何も変わらない姿になるのだ。


 だが、そんな事実はフェネリーにはさほど関係なかった。

 どれだけ長く生きていようとも彼女にとっては、ただの悪戯好きで女王様気質なだけの女の子だったからだ。


 フェネリーの雑巾掛けが終わると、クゥから新たな指示が発せられる


「しょれが終わったら、学校中の窓という窓を開けて換気しゅるの。忘れるんじゃないわよ。ごみくじゅ、分かったわね?」

「ふぁーい、空気が淀むと風邪ひく人が多くなるからですよね」

「違うわよ! 悪戯なんだから、冷たい風を送り込んでびっくりしゃしぇるの!」

「ふぇぇっ、はいっっ! 違いますぅ!」


 物凄い剣幕で怒鳴られたフェネリーは飛び上がる様にして、返答。

 図書館に住み着く魔女は、生徒をこき使って人を困らせる悪戯としている……見せかけて、実は健康的な悪戯をするのが日課だった。


 フェネリーは、そんな所も可愛いと思ったのだが、口を開く事はない。言わないままだった。


 フェネリーは思った、自分ごときが命の恩人をからかってはいけないのだ、と。

 こういうのは温かい目でそっと見守ってあげるに限る、などとそんな具合に。


「……(クゥ様いい子いい子)」


 そんな具合の生暖かい視線が注がれている事に、幸いにもクゥが気づく事はなかった。


「ねぇ、クゥちゃん」

「クゥちゃんじゃないわ。クゥしゃまと呼びなしゃいって言ったでしょう!」

「は、はいぃぃぃ! クゥ様!」


 思考のゆるみが言葉のゆるみとなって表面化。

 親しげに呼びかけたフェネリーに、クゥは雷を落としながらお怒りの感情を表明した。


(ひぇぇぇぇ、怖いよぅ)


 クゥは外見は愛らしく誰もが可愛いと認められる容姿を持っているのだが怒る時は激しく、その様は嵐の最中の稲妻の様。同年代の少年少女から見ればかなり恐ろしく見えた。


 比較するに、フェネリーの家族のとある一人……ユーリィ・シティリスのする説教の様に、恐ろしかった。


 ユーリィがフェネリーにする様に、実際にその場に雷を召喚しているのではないかと錯覚する程ではないが、クゥはそれくらいの剣幕を見せる事も度々にあったのだ。


「窓の喚起ですよねっ。今やりますっ!」


 ウェネリーは心の中でも悲鳴を上げながら、言われた通りの指示を即実行。

 慌てて窓を開けていく。


(急いで急いで……、でもしっかりやって、と)


 今は春だが、季節外れの寒さが残っていた。第三王立学校では、最近風をひく者が続出していたので、少女の行いは病気の流行を防ぐ予防行為になるだろう。

 本人はあくまで悪戯と言い張っているが、一連の行為の目的はおそらくそんな所だった。


「春になっても、ずっと寒いですよね。ねぇ、クゥ様。これも土地枯れの……枯れ果てる大地が迫ってきているせいなのかな」


 枯れ果てる大地、それは世界の西側から徐々に広がってきている土地枯れの現象を受けた領域の事だ。

 その浸食を受けると、大地は水が枯れて、木々やら花やら植物やらの緑が一切生えなくなってしまう。


 この世界に生きる者達は、当然その現象に困らされており、どうにか防ごうと努力しているのだが、なかなか上手く行っていないのが現状だった。


(ボクなんかには分かんないけど、皆大変なんだよね)


 フェネリーが通っているような大きな学校をいくつも建てて、聖霊と契約して奇跡を起こす優秀な魔技使いを育ててはいるものの、未だ土地枯れを何とかできる人は存在していない。


「全く、人間は戦争しぇんしょうをしていた大昔から何にも変わってないわね。何かあればすぐ、大きな事のしぇいにする」

「えっと、すいません」


 とりあえず、それについては自分のせいではないようなとフェネリーは思うのだが、小さなその少女は事なかれ主義だたので、さっと頭を下げて謝罪。


 大昔から……、と何かにつけてお年寄りの様な事を言うクゥは、見た目はただのちいさ可愛い魔女だが、実年齢はフェネリーにも分からない。

 彼女がたまにが思うのはそれよりも、精霊が魔女を自称すると言う奇妙な点の方。


 フェネリーが昔読んだ絵本などでは、魔女は大抵悪い事をする人に書かれていて、昔起こった戦争なども魔女の力が原因だと書かれていたのに、と。


(本当に、何でなんだろう)


 そんな嫌われ者の名前をなぜクゥが名乗っているのか、フェネリーは不思議でたまらなかった。


「クゥ様って一体……」


 戦争が起こったのは千年前、魔女のせいで枯れ果てる大地がさらに広まり始め、最初に被害を受けた国が、生き残るために無事な国へふっかけた争いだと言われているが……。


「何をしてるの? しゃっしゃと手を動かしなしゃい!」

「はいっ!」


 可愛らしく舌足らずな口調でプリプリ怒っている様子を見て、フェネリーは慌て作業を再開。


 考え事をしていたら、窓から入って来た冷たい風が少女の鼻を刺激した。


「くしゅん」


 寒いかったが、吹き込んできた空気は室内にあった、どことなくもやっとした風を掻きまわして新鮮に変えていった。喚起をしたかいがあった事は、一目瞭然だった。


 そこに人が通りかかる。


「あっ」


 クゥが慌てて宙へ飛び上がり、通りがかった人の視界に入らないようにした。


 学校の生徒でないクゥは図書室を不法で占拠している身だからなのか、彼女は人に見られないようにしているのだった。


「おい、そこのチビ」


 通りがかった人間は、不愛想でなおかつ不機嫌そうな様子でフェネリーへ声をかける


 それは彼女にとって見慣れない人物だった。


 緑色の制服を着た者で、その服は王宮軍の軍服だ。

 フェネリーにとっては見た事のあるものだった。


(だけど軍人さんが何でこんな所に……?)


 正体が判明したものの、軍人が学校にいる意味が分からずフェネリーは首を傾げる。


「何でお前こんな所で、窓開けなんてしてんの?」

「ええっと、風邪の流行を防止しようかと」

「は? で、お前が風邪ひいてるわけ? 馬鹿じゃないの?」

「……ばっ!」


 軍人の男は、フェネリーのくしゃみを聞いていたのだ。


(初対面の人間に馬鹿にされるなんて! なんてひどい人なんだろう)


 フェネリーのその人物への印象は、初対面で最悪となった。


「さっきのは、ちょっと出ちゃっただけだもん。寒かったわけじゃないもん!」

「あっそ」


 訴えかけるフェネリーだが、対する軍人ら式院物はまったく信じてない様だった。

 気のない返事を一つするだけ。


 しかし、その人物は唐突に話題を変えてフェネリーへと投げかけた。


「なあ。最近、中級聖霊が校舎で目撃されたらしいけど、何か知んない?」

「へ、ええと……」


 フェネリーは言いよどむ。


(出会ったけど、魔女みたいな女の子に助けてもらいました。……って言っていいのかな)


 言葉を探しながらフェネリーは、男の人の顔を見つめる。

 かなりきつそうで怖そうな顔の人だ、と少女は感じていた。


 灰色の髪にの中に一房だけ赤く染めている髪の毛があって、それがまた不良を連想させて、恐ろしい……という具合に。


「……すいません、知らないです」

「そ」


 しかし、フェネリーが建てた予想に反して、罵倒される、けなされる、悪口を言われる、貶められる、殴られる、何て事はなく聞きたかったことだけを聞いて男の人は去って行く。


 何だったのか、とその後姿を見送りながらフェネリーは首を傾げる。


(不審者っていうわけじゃなさそうだったけど……)


 そんな風にしえいると、角を曲がって行って、姿が消えたのを見計らい、クゥがこちらへとやって来た。


「まったく、所員が何でこんな所をうろついてるのよ」

「しょいん?」

「何でもないわ。こっちの話よ」


 唐突な人物の消えて行った方角をじっと睨みつけるクゥ。その様子が、苛立ちとそしてほんの少しだけ怖がっている様にフェネリーには見えていたのだが、多分気のせいだと少女はそう結論付けた。


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