第1部
第1章 小さな魔女クウ
王都アルディアス 中央通り
一つの影が王都の広い通りを、大慌てで駆けていくところだった。
「あわわわわっ、急がないと急がないとーっ!」
移動し続ける影の主は、行く先々で通行人にぶつかってしまいそれぞれの人物に謝罪するのだが、それでも足は止めないで走り続けていく。
「す、すいませんっ。ボクっ急いでるんで。ほんとごめんなさい。あわぁっ、ごめんなさーいっ!」
影の主がそうしている今も、世界は危機的状況に陥っている。
グランリーフに生きる者達は日々汗水流しながら、危機感や、焦燥感を抱きつつ、研究だの実験だのに明け暮れている事だろう。
けれども、そんな難しい事情などは十になったばかりの子供、走る影の主……フェネリー・シティリスには関係のない事だった。
「早く戻らないとぉー!」
フェネリーは夕暮れに染まる王都アルディアスの中を、今しがた通って来たばかりの道を逆走して戻っていく。
「はぁー、もうっ。最悪だよぅ。門が閉まる前に間に合うかなぁ、忘れ物しちゃうなんて……っ!」
日の暮れかけた頃。
王都の学校に通っている魔技使いの卵であるその子共は先程一旦帰宅したばかりなのだが、忘れ物に気づいて、こうして取りに戻っている最中だった。
フェネリーは大通りを駆けて、角を曲がって、見知った通学路を駆け足で進行。
そうして進んで行けば、街角のところどころにいる魔技使いが目につく。
彼らは杖を持ち、ローブを来た者達は、術を披露して幻影で見世物で小銭を稼いでいたり、店の仕事やら何やらで炎で食べ物を炙ったり、水で清掃していたりと様々な仕事に従事している。
町の中では、彼等が杖を振るたびに、自然現象では説明のつかない奇跡が起きていた。
奇跡を起こす者、魔技使い。
その傍には、姿は見えないがおそらくその近くには契約聖霊がいるのだろう。それは必然の事柄だ。
なぜなら彼等魔技使いは、何の苦労も対価もなく超常の現象を起こしているわけではない。見えざる存在……聖霊の力を借りて、奇跡の起こしているのだから。
通りにいる普通の人々はその様子を見て歓声をあげたり、感心したりで大忙しといった様子で魔技使いの周囲を取り囲んでいる。
実はフェネリーもそんな彼等と同じ魔技使いであるのだが、観客の前に立ったとしても、同じように華々しい活躍をする事はなかった。
「はぁ、うらやましいな……」
魔技使いでありながらも、どちらかというと一般人寄りである。……という矛盾した立場のフェネリーは、ため息をついて足早にそれらの景色から遠ざかった。
その場にいる者達は見ていて楽しい光景だろうが、一人の子供にとってはあまり面白くないものだったからだ。
そんな風に途中でテンションを下げながらも、十数分かけフェネリーは学校に到着。
王都アルディアスの、期待の魔技使いを育成する教育機関。
第三王立魔技学校にたどりついた。
よく言えば歴史を感じさせる立派な外観、悪く言えば古臭く時代遅れである見た目の校舎へと、急ぎ足で近づいていく。
フェネリーが気にしていた刻限には間に合ったらしく、門は開かれたままだった。くぐって校舎の中へ。
(誰もいないや……)
入った建物の内部は静かだった。
「やっぱり皆もう、帰っちゃってるよね。ちょっと不気味だよぅ」
帰宅時間を大幅に過ぎているせいで、内部に人影はない。ガラガラだった。
夕暮れの明りが窓から入って、真っ赤に染まった校舎内をフェネリーは歩いて進む。
目当ての場所は、忘れ物が置いてあるだろう教室だった。
「はぁ、この学校に入学して四年かぁ」
ため息交じりの言葉と共に、どこか空いていたらしい窓から夏の生ぬるい空気が入ってきた。
季節は初夏だ。学年が変わって少し経った頃。
冷たくも熱くもない中途半端な温度の風に吹かれながら、フェネリーは初等部の校舎の四年の教室が並んでいる区画へ移動。
学年事の教室が、それぞれ対応した回数に並んでいるので、四年生である少女が向かうのは四階だった。
静かな校舎に足音を響かせながら歩いていると、そこにやけに軽い足音が混じってくる。
音は、人間のものとしては、少し小さく、軽いものだった。
「?」
不思議に思ったフェネリーが、疑問を解消すべく己の背後を振り返るのだが……。
「っ!」
瞬間に、息を詰めた。
フェネリーの振り返った先。
そこにいたのは、犬の様な姿をした精神生命体……中級聖霊だったからだ。
王都アルディアスは聖霊の住まう町として有名だ。
町の至る所に聖霊が住んでいるらしく、姿が見えないながらも王都に住まう住人達は、聖霊の気配を感じながら生活している。
だが、それらのほとんどが初級聖霊で、人の目には映らない。
視認できるような力の強い中級聖霊など王都の中では、滅多に見られるものではなかった。
しかも、いたとしてもそれらは魔技使いに飼育されている場合しかない。
眼の前のそこにあるように、誰も付き添わずに聖霊だけが出歩いているなどと言う事は、ありえない光景だった。
(わああ。何かいるよぅ。いらっしゃるよぅ)
犬の姿に似た、四つ足の生物。その中級聖霊は振り返ったフェネリーを、うつろな目で見ている。
そこに、理性や感情の存在を窺わせる色はない。
ちなみに犬の姿の聖霊と普通の犬と見分ける方法は簡単である。
うっすら光ってる。
聖霊とは皆そんなものだった。
フェネリーはそんな中級聖霊を見て、(なるほどこれは分かりやすい、特に夜とかは)などと思った。
……思って、すぐにそんな場合ではない事に気が付く。
「……はっ、ひぃっ!」
遅まきながら、危機を感じたフェネリーが距離を取るべく元々の進行方向へと駆け出すのだが、相手は当然のようにその姿を追いかけていく。
人間と同じように聖霊も、通常ならば相手が何もしなければ特別何かをしてくる事はない。そのはずなのだが、フェネリーの目の前にいる聖霊の様子は明らかにおかしかった。
(目が危ないって言うか、よく分かんない勘だけど、食べられちゃうぅって思った! 襲われてそれ正解だって思った。うわわわあああっ!!)
とにかく離脱するべきと判断したフェネリーは、その場から少しでも離れるべく一生懸命に走るのだが……相手は動物の姿をした聖霊。姿が犬の形をしているのならば、運動能力もそれに準じる事になる。
……ので、逃げる子供が追いつかれるのに数秒もかからなかった。
背後、すぐ傍で聞こえる獣の息遣いにフェネリーは鳥肌を上げて、悲鳴を漏らす。
「ひぃぃっ!」
そして、あわや校内で発生した詳細不明の聖霊襲撃事件の犠牲者に……、と誰もが思うだろうタイミングで、その場に鈍い音が響いた。
ボゴォ……ッ!
と、文字に起こせばそんな表現が似合いそうな鈍い音が。
「っっ! ひぇぇっ!」
突然の音にフェネリーは反射的に体を震えさせる。
その拍子に、足をもつれさせ地面に自ら飛びつく様な見事な姿勢で転んだんだが、いつまでたっても来るべき襲撃が来ない事に首を傾げた。
「えっと……。ふぇ、ボール?」
そして、恐る恐る振り返ったそこには、何故かボールが転がっていた。
結果、自然とその事実を見て、さらに頭の中が疑問符で埋め尽くす事になる。
フェネーが視線を周囲へと巡らせれば、中級聖霊は壁に叩きつけられでもしたのか、その壁のすぐ近くに倒れていた。
「ふぇぇ?」
どこからか飛んできたボールが聖霊に当たったらしい。だが、フェネリーにはそれが一体どこからなのか分からなかった。周囲には人の姿はない。
呆然としたままの様子で何が起きたのか分からないでいると、まだ息があったらしい聖霊が身を起こそうとする。
当然だ。相手は聖霊。聖霊は、ボールをぶつけられたくらいで死にはしない。物質で構成される動物とは違って、聖霊は純粋なエネルギーが凝縮してできたものなのだから。
「!」
少女は慌ててその場から離れようとするが、実際にその場から離脱する必要はなかった。ボールが一人でに浮き上がって物凄い勢いで聖霊に激突。吹き飛ばしたからだ。
ドゴォ……!
という、文字に起こせばそんな驚異的な音がした。
「ひぃぃ!」
ボールは、そのままもう一度、二度、三度……聖霊をぼっこぼっこにしていって。
「や、やめたげてよぅ。さすがに可愛そうだよぉ」
なんか見てられなくなったフェネリーが声を上げた。
そうするとその声に反応した様にボールの動きが止まって、代わりに上空から何かが高度を下げ降りてくる。
それは人だった。唐突に出現したものではない。堂々とした態度のそれは、最初からそこにいたらしい事を窺わせた。
その何者かは宙に浮いたままの状態で、下で襲われそうになっていたフェネリーを見つけ、ボールを操ったらしい。
「はぁ……」
その何者かは、ため息をついて非力な子供をまっすぐに見つめる。
そんな人物を見てフェネリーは心の中で、魔女だとそう思っていた。
だが、別におどろおどろしい形相の、大我麻の前に立っているような老婆の様な人だと思ってそう言ったわけではない。
(目の前に小さ可愛い魔女がいる……)
その人物は、背はフェネリーと同じくらい、年も同じくらいの小さな魔女だった。
だが、幼いながらも魅力は隠せない。フェネリーが今まで見たどんな者も敵わない圧倒的な美人であった。
その唐突な第三者は、完全降り切らずに床の数センチ上に浮いたまま。
果たして何者か。
可愛らしく愛らしい小首を傾げてフェネリーの様子を見つめる魔女の正体は……。
絵本の中から抜け出てきたかのようにその容姿は、童話などででよく語られる魔女そのもののようだった。
それも当然だろう。ふっくら膨らんだ三角帽子を頭に乗せて、白いワンピースの上に子供用にサイズ調整されたマントを、肩上だけを覆うように羽織っているのだから。
全体の色は紫でまとめられており、顔にはあどけなさしかない少女だが、容姿にミスマッチな外見を合わせる事で逆に神秘的な雰囲気を作り出していた。
「……」
その魔女の少女は、フェネリーを見下ろしたまま口を開く。幼い声で、舌足らずな口調で。
その途端、良くできた絵画の様だった風景は掻き消え、停滞していた時が流れ出していった。
「
「ごみ屑!?」
「男のくしぇに、ぶるぶるしちゃって、意気地なしなのね」
「ふぇぇ!」
目を白黒させて耳を傾けていた少女は、情けない表情を作る、
予想外の罵倒、辛辣な評価にフェネリーはハートフルボッコになった。
だが、それでも一つ言い返しておかなければと思ったらしいフェネリーは、数秒の躊躇いの後に口を開いた。
「あのっ」
「何かしら、意気地なし。文句でもあるの?」
そうではなく、と首を振るフェネリー。
そそっかしくて、おっちょこちょいである彼女は、身辺に気を遣う事があまりなく一人称がボクであるのだが、れっきとした少女だった。
「ボク、男の子じゃなくって女の子なん、だけど……」
尻すぼみになっていく訂正の言葉に最初は怪訝な顔をしていた魔女だが、よほどその言葉が意外だったのか、口を開けたまま数秒見つめて、じっくりと間を置いた後に反応を返した。
「へ? えぇぇぇぇぇぇ!」
校舎中に響くかと思えるようなそんな大声を上げた魔女は、なおも信じがたいのかフェネリーの所まで降りて来てまじまじと見つめるしかなかった。
フェネリーはそんな不思議な少女の行動に、身をのけぞらせる。
そのときはまだ少女は思いもしなかっただろう。その小さな魔女との出会いが自分の運命を大きく変える事になろうとは。
……この時はまだ。
ただ一つだけ言えるのは、今までとは少し違う日々が訪れる事を、フェネリー自身がほんの少しだけ期待していた事だ。
窓から暮れる夕日の光が差し込む校舎の中、二つの少女の影がその場に揃い、言葉を交わす。
燃えるような真っ赤な光は、痛みと共に流れ出る血のように、野を吐き払う炎のように、鮮烈に世界を己の色で染めていた
そんな赤い赤い景色の中、フェネリー・シティリスと小さな魔女クゥ・エル・インプランタは出会ったのだった。
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