第10話 生まれた所以
「取り替え子って……何のことや」
和やかな空気が一変する。聞き慣れない単語ながら、妙な胸騒ぎを覚えた。
不快そうに眉をしかめるマーリャをよそに、ジョサイアは貼りついた笑みを崩さない。様子そのものに変わりはないのが、逆に恐ろしく感じられた。
「人の群れにいて目立つから自覚していると思ってたよ。人間同士の間に産まれた子が尖り耳を持つはずはないんだ。僕よりは耳が短いから純血ではないだろうけど、混ざってそうだなあって」
人間(ヒューマン)とエルフは外見こそ違えど近い種であり、混血が発生する。産まれた子は総じて小ぶりな尖り耳を持ち、俗にハーフエルフと呼ばれる。
ハーフエルフは人間よりもわずかに短命でエルフほど魔力を持たず、人間ほど筋力を得られない。
差別的に中途半端な新種と扱われてしまう場合もあり、どちらの種族にも歓迎されないどころか場所によっては話題にすることさえ忌避される傾向にあった。
「……吾が拾い子やち言いたいんか?」
マーリャは種族間で起こりうる問題はおろかハーフエルフという単語も知らずにいたが、ジョサイアの言い回しに婉曲(えんきょく)的なトゲを感じていた。
生まれを疑って暴き立てようとしているのか、けちをつけて村から追い出そうとしているのか。どちらにせよ極めて失礼だ。
静かな怒りをたぎらせるマーリャにジョサイアは面食らい、片手で軽く頭を掻いてみせる。
「あー、悪口のつもりじゃなかったんだけど……言葉が足りなかったね。もうちょっと説明していい?」
今までの円満な付き合いがなければ、黙って立ち去っていただろう。
マーリャがバスケットの持ち手を強く握りしめながらも場に留まっているのを確認して、ジョサイアは再び口を開く。
「両親のどちらかがエルフなら何にもおかしくないんだ。でもこの辺りは人間の土地だし、エルフが移住したって話も聞かない。だったら幸せな出会いがあったと考えるのが自然でしょ? 血の繋がりがなくたって親子の絆は芽生えるわけだし……それを掴んだ君はすごいっていう話をしたかっただけだよ。君の居場所をなくそうなんて、これっぽっちも考えてないさ」
弁明は推理の披露に限りなく近かった。当然、マーリャの憤(いきどお)りを晴らすには至らない。
善意を主張されようと、一方的な決めつけが論点となっていることに変わりはなかった。
相手が混血かどうかなど、指摘しても得るものなどないだろうに。
意図を掴めないままに苛立ちだけを味わったマーリャは、キッとジョサイアを睨みつけた。
「耳の形なんか人によって違うやろ。髪も目も死んだ父さん譲りやち聞いとる。吾は人間や、あんたとは違う!」
このままいては彼の顔の横にある長い耳を見るのも嫌になりそうだ。
ジョサイアの返答を待たずに何度か強めに頭を振り、村への道を駆けて行った。
降りしきる雪は更に粒を大きくして、音もなく視界を覆っていく。
「怒らせちゃったな。それから……嫌われた」
マーリャの後ろ姿がすっかり見えなくなった頃、ジョサイアはぽつりと呟いた。
施錠の仕方が甘かったのか、手にした状態のままバスケットが真二つに開く。中に入っていたのは宣言通り食用の草花だった。
ただしそれらの合間に、小動物のものと思しき前脚や内蔵の類いが混ざっていた。
フタが開く音がしただろうにジョサイアは動揺せず、内容物を全て落としてしまってもなお拾い上げようとすらしない。
無表情で村の方を見続けていたが、やがて思い出したように首元の円形のペンダントに触れる。
「……大丈夫。約束は守るよ、ヴェアト」
目を閉じたその佇まいは、左手のバスケットの有様を除けば敬虔な祈りを捧げる聖者に似ていた。
ジョサイアの疑問を突っぱねたマーリャだったが、当然落ち着けるはずはなかった。長さの揃った髪により常に半分ほど隠れている自分の耳が急に怖いものに思えた。
怒りに任せて啖呵(たんか)を切ったものの、父親についての記憶は薄い。
物心ついた時から病に伏せており、幼い我が子が感染してはいけないと部屋への立ち入りを断られていた。
娘の出生の秘密を握ったまま、父は墓の下に眠ったのだろうか。それとも母が言い出さずにいるだけなのだろうか。
マーリャは思い悩みながら家のドアを叩いた。すぐさま母ーーカミラが出迎えてくれる。
結べないほど切り詰めた栗色の髪に、ぱっちりとした焦げ茶色の目をした女性だ。調理途中であったのか、腰に白いエプロンを巻いていた。
「おかえり、マーリャ。寒かとやろ、早う入り」
身体の雪を軽く落としてから、促されるままにドアをくぐる。
湿ったコートを脱ぎつつバスケットを渡すと、カミラは労をねぎらいながら陽気に笑った。
「せっかくやし、炒めもんにでもしよか。帰った時ちょうど入れるようにしといたき、先にお風呂で暖まっておいでな」
普段なら喜んで着替えを持ち、外の蒸し風呂小屋に向かうところだ。
しかし今はどうしても先に聞いておきたいことがあった。
「母さん。吾が産まれた時のこと、話してんか」
キッチンへ向かおうとしたカミラは娘の声に足を止めて振り返る。
「いきなりどうしたん?」
「聞きたいだけや。今すぐやないとあかんの。教えて」
いつになく急いた様子のマーリャに何ごとかを感じ取ったらしく、カミラは台の上にバスケットを置いてから立ち戻ってきた。
せめて風邪を引かないようにと、二人で暖炉の前まで移動する。
「そういや、父さんのこともあんまり話しとらんかったかね? ……もう、ずうっと昔んことみたいに思えるわ。あんたももう大人んなるし、教えとこうか」
両親の長いなれそめを除くと、話はこうだ。
カミラの夫、マーリャの父親の名前はユン。武功を立てた貴族の分家に生まれながら成人するまでに両親や親類が次々と鬼籍(きせき)に入り、結果的に没落へ至った不幸な男。
管理しきれぬ屋敷と残り少ない家財を差し出す代わりに領主からリジー村の粉挽き小屋を拝領し、そのまま定住して所帯を持った。
「結婚して何年も経ってから、ようやくあんたがお腹に来たとやけど……」
歯切れが悪いどころか一度、ぷつりと言葉が途切れた。
カミラは続きを待つマーリャの顔を見据えてから、自分の下腹辺りに手をあてる。
眉をひそめた苦しげな表情は、共に生活を送ってきた中でも極めて稀(まれ)なものだった。それでも言うと決意したらしく、重い息を吐いた。
「あんた、産まれたのに動かんかってん。揺すっても何してもあかんで、産婆さんからもサジ投げられて……あたしは宝物なくしたみたいな気持ちんなって、そんまま失神してしもた」
「死んでしもとったん?」
マーリャの、まるで他人事のような言い方にカミラは少し吹き出した。
「まさかぁ。そんなやったら、今ここにおられんやろ。あたしがも一回起きた時には、ユンの腕の中でうるそうて敵わんくらい泣いとった。しわくちゃの顔ば赤うしての。産婆さんからは窒息が治ったって言われたわ」
産湯に浸からせて初乳を与え、一段落してようやく子の耳介の形に気が付いた。両親どちらの家系にもエルフやハーフエルフは居なかった。
疑問に思わないでもなかったが、目や鼻といった基本的な顔の造形がユンと類似しており、輪郭などにはカミラと似た部分が見受けられたため実子以外ありえないと判断した。尖った耳も単なる個性と受け取ったのだ。
「あんたが歩くか歩かんかって年に、あん人は病気になった。あんたの晴れ姿が見たいち言うて頑張っとったのに保たんかった。今思えば、もっと会わせたら良かったわ」
「移したくなかったとやろ。仕方なか」
「せやね……葬儀の後、粉挽き小屋はあたしが引き継いだ。村の人も何かと優しゅうしてくれた。そいで今に至るっちゅうとこやの。満足したき? マーリャ」
「うん。ありがと、母さん」
おぼろげな姿でしかなかった父の姿が、妙にはっきりと感じられた。
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