第9話 冬の森の出会い
ディアンの家を出てからも、成人の儀式後の進路のことが頭から離れなかった。
幼馴染みの二人とはこれからも同じ時を過ごすと、根拠もなく思い込んでいた。大人になり好きなように生きて行くならば、当然その道は分かれていくというのに。
マーリャは胸によぎった不安を打ち消したい一心でセルマの自宅へと足を運んだ。彼女は村唯一の二階建ての家屋の傍らで、おっかなびっくり薪割りを行っていた。
振り下ろす速度が遅かったせいか薪材は断ちきれず、斧の刃の部分にくっついてしまっている。揺さぶって地面に落としたところで、ようやくマーリャに気が付いた。
「マーちゃん、どうしたん? 顔色悪いわ」
失敗を恥じて斧を後ろ手に隠し、照れ笑いを浮かべている。
愛嬌あふれる見慣れた姿に少しだけ平常心が戻ってきたが、会ったからには尋ねなければいけない。
「いきなりやけど……アンギナムに行った後、どうするかって考えとる?」
毎日のように会って話していながら、不思議なほど話題にのぼっていなかった。
セルマは斧を壁に立てかけてから腕を組み、あごに手を当てて考え込む。
「とりあえず、もっと勉強したいき都市学校やらに入るつもり。パパはお婿さん見付けて跡を継いで欲しいち言うとるけど、うちは商売人になりたいんよ。手に職つけとったらどこでも生きてけるち思うし……あっ、他意はなかよ?」
言葉尻で急に赤面し、首を横に振ってみせた。言外に含みがあるようだが、マーリャは小首を傾げるばかりだ。
セルマが誰かについていきたがっているのでは、という推量は浮かばない。
単純に、村ではない見知らぬ土地に住みたいのだろうと当たりをつけた。
「分かるわ。セルマは吾よりずっと器量がええし、何でもやれそうや」
相手の気持ちを考えて動き、誰とでも当たりよく和やかに過ごす。言うのは簡単だが簡単には真似できない。ごく自然にそれが出来るなら一種の才能と呼べるだろう。
店頭に立ち賑やかに接客を行う店主も似合うし、商品を買い付けて街から街へ移る旅商人でも活躍しそうだ。
賞賛を受けたセルマは更に恥ずかしがり、熱くなった頬を冷ますように手を当てた。
「そ、そないなことなかよ……マーちゃんも、何かしたいことあるんやろ? うちはよう道具やの壊してしまうけど、マーちゃんはなんぼでも上手にやれるもん。難しことでも上手くいくわ」
確信を持った質問だったが、マーリャはそれに対する答えを持っていなかった。
言葉に詰まり、しばし押し黙った後でぽつりと呟く。
「……吾は、まだ決めとらんの」
「えっ、そうなん? 何か意外やわ……まぁ、アンギナムで働いとる人たち見たら、何がしたいんかきっと見えてくるよ。こういうのは焦らんでええことやき」
目の前に選択を提示されて初めて、自分が何をしたいか理解する人は多い。猶予があると思えば、言いようのない緊張感も薄れていく気がした。
マーリャはセルマの助言に心から感謝しつつ、彼女と別れて森のゲートへ向かう。
雪化粧をまとった森を練り歩き、雪の下にある山菜を摘む用があった。
冬の間は動き回る野生動物が少なく、太い根を切る小型ナイフと持ち運び用のバスケットさえあれば事足りる。
大多数の野草は食用に適さないが、丸い葉を持つ柔らかいノヂシャと尖った細長い葉が特徴のピサンリは別だ。
摘んでから三日程度しか保たないものの、ドロッとしたスープばかり口にせざるを得ない中でサラダを食べられるのは大きい。目を凝らして種類を見極め、手早くバスケットに入れていく。
ひとまず今日分は確保出来ただろうかという時、前方の木陰から大きな物音がし始めた。
秋に見た獣が脳裏に浮かび、とっさにナイフを身構える。
しかし現れたのは、よくよく見知った顔だった。
「あれ? カーバンクル。こんなところでどうしたの?」
フード付きのシンプルなコートを着たジョサイアが、とても意外そうにしながら草木をかき分けて側へ来る。
会ってすぐにフードを脱いだため、三つ編みを高い位置で結い上げて動きやすくしていると分かった。
コートの隙間から覗く簡素な造りの上衣は、彼が職務外の時によく着ている私服だろう。
「そっちこそ……何でここにおるん?」
「そりゃあもちろん、山菜摘みだよ。神にお仕えする立場といっても食べ物は限られてるからね。健康的な生活を送るにあたって、野菜は大切だよ」
肩にいつも掛けている鈍器と薬入りのカバンはそのままに、マーリャが持ってきたものより大ぶりなバスケットを右手に持っている。
留め具の部分に細かな草が引っかかっている点からして、森にいる理由は偽りではないようだ。
「……なんだか、あまり機嫌が良くないみたいだね。ひょっとして雪が嫌いなの?」
ジョサイアは低い位置にあるマーリャの顔色を伺おうと背を丸める。マーリャは逆に、見上げながら首を横に振った。
「雪は好きでも嫌いでもなか。友達とアンギナムに行って何すんか話したとよ。そいで……行くのは興味あるけど、行ってどうするかち思ったら、何も浮かばんで少し嫌(や)んなった」
先ほどまで頭の中で言語化しきれずにいたのが嘘のように、さして滞(とどこお)らずに口から言葉が滑り落ちた。
「行きたくないのかい? 良かったら話してよ」
簡潔な問いに答えるべきかどうか、マーリャは一瞬迷った。相談でもない感情の吐露は、相手にとって迷惑にしかならないのではと考えた。
だが、他に言えるような相手はいない。
慣れ親しんだ村人に打ち明ければ、たとえ秘密にしておいて欲しいと前置きしていてもどこかで広まってしまいかねない。それだけは避けたかった。
ーージョサイアは神父だ。告白して念押しをすれば、教会での懺悔に似た扱いをしてくれるだろう。
神職の守秘義務を思い出せば迷いは短かった。マーリャは、ジョサイアを不安を明かす相手に選んだ。
「……吾は、外がそないにええとこと思うとらん。農作業しかやったことねし、文字も最低限しか読めん人が行って暮らせるもんやろかって心配でならんと……なして皆、自分は出来ると思うとるんか分からん」
未来への希望を語る者の前で、このような消極的意見をぶつけるのはためらわれた。
自分にしろ他人にしろ、未知の場所で成功を収める姿が想像出来ないのだ。だからこそ、儀式を終えてすぐ村へ戻る以外の発想が浮かばなかった。
マーリャを指して保守派だと言ったディアンは、そういった本質を見抜いていたのだろう。
決して明かせない心情を晒してマーリャは長い息をつく。
ジョサイアはバスケットを左手に持ち替え、動きを止めたマーリャの頭に降り積もる雪を右手で軽く払った。
「初めの行動に必要なのは根拠よりも勇気かもしれないよ、カーバンクル」
「勇気?」
「住み慣れた場所を離れるのは誰だって怖い。けれど知らないことを知れば、より心地良い居場所を見付けられるかもしれない。将来の展望って奴? 何にしろ、最初から一つの道しかないと狭めてしまうのは勿体ないよ」
寒さから赤らんだ鼻を小さく鳴らし、へらりと気安い笑顔になる。
あごが細く、鼻筋の通った顔は博学めいて取り澄ました印象を与えるのに、目尻や口角の具合で非常に愛想の良いものに感じられた。
しかし直後、何でもないことのように告げられたのは思いも寄らぬ可能性の提示だった。
「実際に君は、もう自らの立場を変えていると思うよ。君は多分、
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