第8話 世界への眺望

祭りが終わってそう経たないうちに、季節は冬へと切り替わった。森の木々は葉の落ちた枯れ木になり、越冬する生き物は巣や地中にこもって姿を消す。

この季節、食料は貯めていた備蓄に頼るほかない。売り物にならない質の悪い麦を煮込み、乾物や干し肉の欠片を加えたスープが連日食卓にのぼる。

材料が同じだと味付けもどこか似通ってきてしまって飽きが生じやすかったが、汁物は身を暖めるには有用だ。乾かした薪を暖炉で燃しながら、寒いとごねつつスープを手に家族と団らんする一時がマーリャは好きだった。

反対に寒空の下に出るのは嫌で、なるべく外出を控えたく思っていたが、村の働き手である以上細々とした雑務はいくらでもやってくる。

その日は、ディアンの家の小屋掃除が回ってきた。繁殖用に残した数匹の雌雄を病気などで死なせないよう常に注意を払い、点検して糞尿を片付ける必要があるのだ。

小屋は屋根付きのしっかりとした建物だが換気用に隙間が広く取られており、入り込む外気は身を凍えさせた。

実用性を重視した結果、冬の間のマーリャは比較的安価な毛皮を内張りに使ったコートの下に裾の短いシャツを着て、分厚い脚衣に革靴を履いている。

少年めいた見た目ではあるが動きやすく、万が一汚れても洗い落としやすい。

大ぶりなピッチフォークで新しい干し草を運んで地面に敷いていると、少し重たげな足音が近付いてきた。

「顔拭いとうけ、マーリャ」

似通った衣服のディアンが、かすかな含み笑いをしつつ薄手の布を差し出してくる。

作業に没頭していて汗をぬぐうのも忘れていたために忠告を入れたのだろう。

だがマーリャは、その布が真新しいものでないと知っていた。

「……せめて汚れとらん布くれんね。そい、豚の背を拭いた奴やないの」

「ははは、よう見とったな」

布の正体が雑巾であると看破された途端、ディアンはあっさりと手を引っ込めた。

豚の鳴き声も聞こえていたし、同じ室内にいる相手の行動に気が付かないはずはない。おそらく冗談のつもりだったのだろう。

いつも必要以上に話したがらない彼にしては意外な行動と言えた。

物珍しく思ったマーリャが手を止めて様子を伺う中、ディアンは不意に天窓へ視線を移す。「あぁ……また雪ぞ来るわ」

言葉通り、曇り空の灰色に紛れて白い綿雪が降り出していた。

風の勢いがさほどでもないせいか雨のような勢いはなく、風まかせに揺れながら少しずつ積もっていく。

雪が小屋の中に入り込むのを避けるため、二人で屋根に上がって窓蓋を落とした。

清掃と餌遣りを終えた頃合いだったこともあり、次の仕事に取りかかる前に庭で焚き火を作って休憩を取った。

間食として長細く割った木串に干し肉を刺して焼き、立ったまま噛みついて食べる。

肉はディアンの母親から振る舞われた。いつも食べているものより脂が少ない代わりに質が高く、塩だけでなく香辛料もまぶしてあり倍ほど美味しい。

串から落としてしまわないよう注意を払って咀嚼(そしゃく)していると、先に食べ終わったディアンが木串を火の中に投げ入れた。

「マーリャ。お前、大人んなってもここに戻るんか?」

唐突な問いだったが、マーリャはさして悩まずに答えた。

「そりゃ、ここで暮らしてけるんやったらここにおるわ。あんたかて長男やき、同じやろ」

「オレは帰らんつもりじゃ」

「え?」

思いもよらぬ断言に驚き、反射的にとなりを向いた。

ディアンはマーリャの方を向かず真剣な面持ちで燃えさかる火を見つめており、灰色の目にも迷いは感じられない。

自分の中の何かを抑えるように、こぶしを握りしめてすらいる。

「毎日毎日動物の世話焼いて、畑じゃ何じゃして……朝っぱらから夜中までずうっとじゃ。そない暮らし飽いたわ。外い出て、自由に旅がしてえ。雇われの兵士でも用心棒でもええ。とにかく、ここやないとこに行きとうてならん」

淀みなく口にしているところを見るに、突発的な思いつきではなく前々からの考えなのだろう。

実家や農家の手伝いを淡々とこなす勤勉な性格と勝手に考えていたが、見当違いな意見だったらしい。

あえて言わずにいただけで、ディアンは誰よりも外に焦がれていた。

「……母さんや、父さんはどないするん?」

彼の両親は先祖の養豚法を踏襲(とうしゅう)しつつ、より生産性を高めるべく慎重な管理を目指している。

ついさっき肉を受け取る時、秋に起きた獣による被害の甚大さを受け、ある程度放置の出来る林間放牧を止めて小屋から一切出さない密飼を試してみたいという考えを聞いていた。

上手くいくかは分からないが、両親が養豚に手間を厭(いと)わず骨を折っていることは事実だ。

しかし、その努力を最も近くで見て育ったディアンの答えはそっけないものだった。

「知らん。家のもんだけでずっと続けなあかんこともないわ。どっからでも働きたい奴をみつくろえばええやろ。うるそうなったら最悪、縁が切れても構わん」

「そりゃ、やりたい人にやって貰うてもええやろけど……」

なるべくなら赤の他人ではなく、手塩にかけて育てた子供に後を任せたいと思っているのではないだろうか。

可能性の高い憶測が浮かんだが、その場で口にするのはためらわれた。

当人でない者が、未だ見ぬ世界への憧憬(しょうけい)を否定し閉塞的な暮らしを強いる権利はない。

「お前は、外に行きたいち思わんとか?」

旅立ちに否定的な態度を示すマーリャに、ディアンは怪訝(けげん)そうな表情をする。

意思を曲げそうにない精悍(せいかん)な目に射すくめられるようで、マーリャは若干の緊張を覚えた。

小さく息を呑み、視線をさまよわせる。

「……興味がない言うたら嘘になるわ。でも、あすこから帰って来んなんて考えもせんかった。ディアンが自由にしたいんはよう分かる。止めんし応援するよ。吾は……正直、決められん。ここの暮らしも好きやけ」

畑仕事は嫌いではないし、粉挽き小屋の経営は母が一手に担っている。マーリャは水車と製粉装置の手入れを任されていた。

水車にゴミが詰まった時は抜き出すのに手間取るし、何人も列を作って挽きに来られた時などは粉掃除が面倒だった。それでも、手放したくなるほどの負担とはみなしていなかった。

道具を使いやすい状態に保つのは、なんだか気分が良かったのだ。

曖昧(あいまい)な胸中を正直に打ち明けると、ディアンは一度、深く目を伏せた。

意味ありげな長いため息をついてから、再び顔を上げた時には表情が格段に柔らかくなっていた。

頬を緩ませて笑っているのだが、どこかに寂しさが含まれている。

「お前を無理に何かに誘う気はねえ。旅なんぞしとったら盗賊やら魔物に襲われて、あっさり死ぬかもしれんしの。ここにおって、のんびりしとっても悪う言わん。会いたくなりゃ、居るとこに寄りゃあええんじゃ」

「なんや、上から言われとる気がするわ」

言いしれぬ緊張が消え、雰囲気が良くなったのを察して気安い笑みを返す。

ディアンはマーリャの顔をよくよく見ながら、彼女の頭にポンと手を乗せてきた。

「オレは冒険がしとうてならんき。保守派のお前とは相容れんとじゃ」

成長期を経て筋張り、節くれ立った大きな男の手だった。

今し方まで平然と並び立っていたのに、思いがけず性差の違いに気付かされた。

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