第11話 とかげの変調
懸念(けねん)が消え去って安心し、寒気がぶり返してくる。
マーリャはとっさにクシャミをして身体を震わせた。
「風邪引くき、早う行っといで」
苦笑したカミラから替えの服と細長い亜麻布を渡され、素直に蒸し風呂小屋に向かう。
入ってすぐに低い棚と木桶のある脱衣所があり、更に奥へ進めば風呂場だ。
泥と雪のついた革靴を脱ごうと紐を緩めて素足になった時、マーリャは思いがけないものを目にした。
足の甲が左右とも赤黒く変色していたのだ。
「何ね、これ……」
椅子に脚を組んで座り、よくよく眺める。
指で触れても硬い感触がするだけで特に痛みは起きず、かゆみなども感じられない。
霜(しも)焼けにしては色が悪く、皮膚(ひふ)の表面が乾いた樹皮のようにヒビ割れてしまっていた。
どことなくトカゲの鱗に似ている気もする。
「……虫でも付いたとやろか?」
原因が分からずに気味が悪いものの、ひとまず入浴を優先させなければ体調そのものが悪くなってしまう。
マーリャは急いで肌に張りついたシャツと脚衣を脱ぎ、風呂場で汗をかいた。
動物の脂と灰を混ぜた柔い石鹸を木桶に溶かし、そこに亜麻布を浸して身体を擦るために使う。泡を洗い落とす分の水は脱衣所のタルに備えてある。
足についてはどうすべきか迷ったが、頻繁に歩く以上は衛生を保ちたく思い、力を込めずに擦った。
かさぶたのように薄皮が剥(は)がれることはなく、鱗状になった部分に若干のツヤが生まれただけだ。
無理やり手で剥がそうとすると血がにじんできてしまって、弄(いじ)るのは止めざるを得なかった。
すり傷を負った時に倣(なら)い、蒸留酒(エール)を掛けて清潔な布で包めば少しは良くなるだろうか。
何度も亜麻布を絞りながら全身を拭き終え、着替え終わった頃に小屋の戸が叩かれた。
夕食を作り終えたカミラがわざわざ呼びに来てくれたのだ。
マーリャは慌てて革靴を履いて対面し、足の異変には気付かせなかった。
親しい者、ましてや母親には決して見せるべきではないと自分の中の何かが訴えかけていた。
夕食は麦と刻んだノヂシャのスープに加えて、蒸留酒で戻した干し肉に茹でたピサンリを添えたものが出された。
葉がもたらす歯ごたえの変化と時間をかけて柔らかくした肉の旨味は珍しく、あっという間に平らげてしまった。
満腹感に嬉しくなりながら、母に代わって皿やフライパンを片付ける。
皿をしまおうと食器棚に近付いた時、席で蒸留酒を口にしていたカミラが顔を上げた。
「マーリャ。そこにある箱、開けてみ」
「箱?」
棚の近くに見慣れない縦長の木箱が置かれている。
かがんで蓋を開けてみると、青染めの外出着が畳まれていた。
胸から腰にかけての部分は深い藍色の布を使い、少し膨らみを持たせた袖はくすんだ青い布を使って上品に仕立ててある。
縫い合わせの部分に小さく刺繍が入っており、丸い矢車沢菊(マーシャリア)の花が描かれていた。
服の隣には外套(マント)と新品の革靴まで揃っている。
「これ……どうしたん?」
異国の花の模様で彩りを添えた服が偶然手に入るはずはない。
思わず手に取りながら尋ねると、カミラは得意げに自分の胸へ手をあてた。
「大人になる時くらい、ええ服着とかんとあかん思うてね。布買うて、こっそり縫っといたんよ。それやったら普段着とってもええし、無駄にならんやろ?」
染料を確保しづらい田舎で、これほど発色が良い布を買い付けるのは至難の業だ。
言われてみれば、旅の行商人となにやら込み入った話をしていた気もする。
マーリャが眠った後や手伝いで家を開けた時などを見計らい、少しずつ縫製していったのだろう。
「ほらほら、着てみんね」
促されるままに袖を通すと、細かく計ったように袖まできっちり寸法が合った。
余さず黒い短髪に冴(さ)えた青が映え、清々しくも颯爽(さっそう)とした印象を与える。長く取った外套を身につけると、冒険譚に登場する何某(なにがし)かの賢者のような見栄えになった。
刺繍の模様といい、これが自分のための品だと思うと胸がいっぱいになる。
「ありがとう、母さん。ぴったりや」
マーリャは襟や裾をしきりに触りながら満面の笑みを投げかけ、カミラも満足げに頷いた。
家族との絆を形にしたこの青い服は、必要な時が来るまで見せびらすべきではない。
春までは幼馴染みにも秘密にしようと決めて着替え、元通り木箱にしまい込んだ。
その日以降も、冬をしのぎつつ着々と都市行きの準備を整えていった。
乗り物は普段アンギナムに卸す野菜や加工品を山と積んでいる荷馬車。新成人となる三人に、セルマの親である村長のダーチェスが保護責任を担う者として同行する。
万が一に備えて用心棒か医療の心得を持つ者を加えるべきという話が出たものの肝心の選出に迷い、やがて村長の家では連日話し合いが行われるようになった。
マーリャは普段通り働きに出て大人たちの決定を待っていたが、身に起きた異常は少しずつ悪化の一途を辿っていた。
足の鱗状のひび割れは消毒をしても薄皮を削いでも治らず、それどころか膝下全体に及ぶようになり、足指の爪は硬く尖って容易には削れなくなった。
革靴を破きたくない一心でナイフを持ち出し、伸びた部分を乱暴に切ってしまうことさえあった。
誰の前でも素足を晒さないよう気を張っていたが、とうとうある日の未明、右手にもその症状が現れ始める。
手袋を作って隠すのは容易(たやす)かったが、自力での限界が見えてしまった。
「……聞くだけ聞かんとおれんわ」
マーリャは手に布を巻いて覆い、意を決して家を抜け出す。
怪しい発言をしつつも、かつて窮地に陥ったソレルを救ってみせたジョサイアに解決法を尋ねに行くべきだと判断した。
またしても虚言を聞く羽目になるかもしれないが、何もしないよりは随分とましだ。
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