第3話 実り多き森
携帯しやすさを考慮すると草刈り鎌や包丁などを思い浮かぶが、農具は借りられない。
日々の糧を生み出す道具を獣の血で汚してしまうのは罰当たりだとされている。
精神的な問題を抜きにしても、鍛冶屋がないこの村にとって金属製の品は貴重かつ高価で、簡単には替えがきかないのだ。
手に入る範囲の素材とにらみ合った結果、マーリャとセルマは長く取った縄の両端に石をくくりつけた投擲武器を腰紐に備えた。森で居場所を示せるよう、高い音が鳴る笛も借りた。
カゴを背負って共有林まで駆けていき、焦った豚の鳴き声を頼りにディアンたちを見つけ出す。
まだ追い立ててはいないのに、豚から警戒されてしまっているらしい。本能的に危機を感じているのかもしれなかった。
「……来たんやったら、ソレルを見といてくれ」
「吾かセルマが一緒に追うた方がええんやない?」
食用に適した大きさに成長した豚は力が強く、下手に突進を受ければ大怪我をしかねない。
マーリャの忠告は心からのものだったが、ディアンは不機嫌そうに眉をひそめた。
「いらん。一人でせんとあかんのじゃ」
きょろきょろとしてばかりのソレルを二人の前に連れ出すと背を向け、鬱蒼とした草むらへと紛れていく。
手にある太い縄を握りしめているのが印象に残った。
「男ほど力はのうても、頼った方がええやろうに」
横からセルマの嘆息が聞こえてくる。
「兄ちゃんどこ行くと?」
ソレルは無邪気に兄を追っていこうとしたが、気を取り直したセルマが彼の手を握って引き留めた。
膝を折り、目線を合わせた上で微笑みかける。
「ソーちゃん、うちらと居ろ。木に甘い実がなっとるし、クルミやどんぐり集めたらおやつにするよ」
砕いた木の実と小麦粉に蜂蜜を混ぜて焼いたクッキーは村で作れる数少ない甘味だ。
パンよりも日持ちしないため、あまり食べる機会に恵まれないが、小麦の収穫と採蜜が重なる秋ならこっそり焼くことが出来た。
自宅に窯を持つセルマの言葉であれば、なおさら信憑性がある。
「おやつ食べていいん?」
「そそ。拾った分だけようけ作れるけ、うちらと競争しよ? 近くにおって貰えたら嬉しいわ」
腰に提げていた布袋の一つを渡され、ソレルはたちまち表情を明るくして頷いた。
弾んだ様子で椎の木を探し始めた彼を暖かい目で見つつ、セルマはスカートの裾を端折ってしゃがみやすくする。
下に脚衣を履いてあり、素足を晒すような不作法ではない。
親友の話術の巧みさに舌を巻きながら、マーリャも彼らに準じて木の実集めに励んだ。
収穫にあたっては、護身用に作ったボーラが役に立った。木に投げて枝に絡ませ、下から縄を揺らせば高い位置の果実を振るい落とせた。
仮に落下して皮に傷がついても支障はなかった。森に自生しているこれらの実は熟してもなお酸味が強く、生食に向いていない。
皮をむいて煮たり、すり潰してからパン生地に混ぜて焼いたり、加工を前提とした食べ物なのだ。
何かしら手を入れた方が甘さが引き出されて美味しい。幅広い用途を思い浮かべながらボーラを振り回すうち、マーリャのカゴの中は木の実で満たされた。
持ち運べる程度におさえていたがそれなりに重く、よろめきそうになる。
太い木の幹に手をつき、一息ついたところでセルマの笛の音が聞こえてきた。
マーリャも笛を吹いて応え、互いに草むらをかき分けて落ち合う。
「もうカゴいっぱいになったと? 相変わらず目がええね」
よいしょ、とかけ声を出して背負っていたカゴを地面に置く。マーリャもいったんカゴを置いて、大きく背伸びをした。
セルマのカゴの中身は地面に転がる硬い木の実だけで、同じ時間歩き回ったにしては量が少ないように感じる。
「さっき作った奴、使わんかったん?」
「やー、使うたら一回目で背ぇ届かんくらいのとこに引っかかって、そこいらに落ちてた枝で取れんかなってつついたら千切れて……せやけ、落ちとったのばっか拾うとったんよ」
言われてみれば確かに腰のボーラがなくなっており、すねと手指がやけに汚れていた。言葉通り、使い慣れない道具を扱いきれなかったのだろう。
村人にとって当然の労働となっている農作業も、彼女は要領を掴むまで苦労していた。
「大変やったね。吾のカゴのん分けよか」
もとより実りを独占するつもりはなかった。
「いいと? ありがとう、残うたらジャムにしたるき! マーちゃんの分のお菓子、えらい大きいのん作るね」
セルマは華やかな笑顔をまっすぐに向けてくる。返礼を当然と考える姿勢は見習うべきものだ。
偽りない明るさを浴びると、たとえ同性であっても照れくさい。
満杯のカゴから木の実を移し終わった頃合いで、布袋にどんぐりとキノコを詰め込んだソレルと合流した。
めぼしい作業は終わったとばかりに三人で揃って笛を鳴らすと、獣道の先からふごふごと鼻を鳴らす音が聞こえてくる。
「終わった」
ディアンは丸々と肥えた二頭の豚を縄で引っ張ってきた。一度突進を受けかけたのか腹部や足下に泥が跳ねていたが、目立った外傷はない。
意に反した方向に歩くのが嫌なのか、豚はときおり後ろ足で土を蹴っている。
「二頭もかて思わんやった。お疲れさん」
「よう無事やったね」
マーリャとセルマがそれぞれ労りの言葉をかけると、ディアンは小さな頷きを返した。
ただし表情は硬く、言いしれぬ緊張がにじんでいる。
「親父は祭りの前日にゃ四頭連れて帰るとじゃ。まだまだ要領が悪ぇわ。それに……村に着くまで気ぃ抜けんぞ。獲物持っとうたら獣が騒ぎよるけな」
危険性は承知の上だったが、改めて外敵の存在を指摘されると気が急く思いがした。油とランプは持ってきているものの、なるべく夜が来る前に帰っておきたい。
目の良いマーリャが先頭に立ち、豚を連れたディアンとソレルがその後ろを歩き、最後尾にセルマがつく運びとなった。
見張りとして立ち回り、いざという時にも身軽に動けるよう、ディアンがマーリャのカゴを担う。
「重たげなやろ」
「お前にしちゃ軽い方じゃ、おおかたセルマにやったんじゃろ。よいよ下手やき」
「も、もらったんは確かやけど悪口混ぜんでもええやないの……」
セルマの語尾が弱まっているのを珍しく思いながら、マーリャは先陣を切った。
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