第2話 幼馴染

家に着いてすぐ蒸し風呂に入ったおかげか、マーリャは幸運にも風邪を引かずに済んだ。

しかし農業は暇がない。明くる日、牧草地の横の畑でカブの収穫に追われた。

民家の家庭菜園とは違い、そこに実った作物は荷車に乗せて都市へ届けられる。村の貴重な収入源だ。

青々と葉が広がったものを選び、赤紫がかった白いカブを丁寧に掘り出し、根割れを起こしていないか吟味する。

欠けのない美しいカブはよく売れるが、状態が悪ければ安く買い叩かれてしまう。下手に扱って傷でもつけば最悪、売り物にならなくなる。

余り物は自分たちで消費しなければならない。売れ行き如何で食卓のレパートリーが左右されるかと思うと、余計に真剣みが増した。

他の村人と同じく満杯にした収穫カゴを背負い、街道沿いに停めてある荷車へ向かう道すがら、マーリャは昨日の巡礼者を見かけた。

隣には村の神父がいる。一夜の間に打ち解けたらしく、朗らかな様子で村の中の案内をしていた。

巡礼者は白い祭服の代わりに神父と揃いの簡素な平服に着替えており、クロブークを被っていない。そのため横に長い耳と、腰下まで届く麦の穂めいた三つ編みがよく目立った。

村人はほとんどが黒か茶系の髪色で、金髪はまれにしか見ない。

「着いたんなら、良かったわ」

独り言と共に安堵の息をつく。距離と人混みの関係で向こうはマーリャに気付いていないようだ。

彼の主目的は分からないが、巡礼の旅であるなら数日後にはリジー村から旅立つだろう。

親しく話しているところに用もなく割って入るのも気が引ける。

マーリャは軽く頭を下げるだけにとどめて、再び歩き出した。

なんせ、こちらは荷物を運んでいる大勢の中の一人だ。あまり立ち止まっていては渋滞を引き起こしてしまう。

停車地に着いて、荷台の木箱にカブを詰め終えると不意に肩を叩かれた。

「ん?」

横を向けば、マーリャよりいくらか背の高い少女がにこやかに笑んでいる。

細く結った栗色の髪に、丸く大きなヘーゼルの目が印象的な美人だ。

村の女性の例に漏れず頭巾に裾の長い上衣といった出で立ちであるが、堂々とした佇まいには他にない華やかさがある。

「マーちゃん、ディアンとこに行って手伝いに行こ!」

セルマ・リジー。村長の一人娘で、マーリャとは幼なじみの関係にあった。ちなみにディアンも幼なじみである。

小さい頃からの付き合いとあって、成長した今も三人の距離は変わりない。

彼の一族は代々養豚を営んでいて、林間放牧と冬用の保存食作りを行う秋は特に忙しくしている。

畜産が主でない他の住民も、相伴にあずかる身として協力を惜しまない気風だった。

「大変そうやもんね、ええよ」

マーリャは畑側の農具置き場にカゴを戻し、セルマの後に続いた。

動物小屋と放牧柵の管理をする分、ディアンの家は他より少し離れた位置にある。それでも、歩きながら雑談をしていればあっという間だ。

セルマは村の行政担当者である村長を見て育ったためか大変な噂好きで、次々と話題を提供してくれる。彼女の口を介すと、どんな些細な出来事も不思議と楽しいものになる。

まくし立てる早さに相づちが間に合わないこともあれど、マーリャは彼女の話を聞くのが好きだった。

「そういや、マーちゃん。新しく来た巡礼者さんのこと知っとる? 長い耳しとる人」

「あ、見かけたよ。ここらじゃ目立つけね」

「そーそ。うちもあない耳初めて見た。うちに挨拶に来とってね、名前、ジョサイアっていうんて。聖地巡りの休息っちゅうやつで、しばらく教会におるらしいわ」

村長も神父もかのエルフを気に入り、滞在認可を出したそうだ。

「へえ」

「へえ、って……マーちゃん、反応が薄いわ。さぞキャーキャー言う思とったんに」

振り向きざまの顔は落胆がにじんでいたが、マーリャはその理由を推し量れない。黄色い声と悲鳴を同一視しているからだ。

「何でそうなるん? 背え高いし、首痛うなるやろけど、別に嫌いやないよ」

エルフを見ただけで悲鳴をあげるような差別意識は持っていない。そう主張したかったのだが、セルマは苦笑するだけだった。

色恋沙汰というものは、興味がなければそもそも発生し得ない。恋愛対象としての意識を持っていないと始まらないのだ。

「まあー……確かに、エルフやと生きとう世界が違いすぎるけ。遠くから見るんが一番やね」

セルマの言葉に諦めや妥協といった雰囲気を感じつつも、マーリャはウンウンと頷きを返した。


家の近くまで来た時、ちょうど小屋から子豚を連れたディアンと弟のソレルが出てきた。

ディアンは茶褐色の短髪に灰色の目といった風貌で、成人間際にしては大人びた雰囲気と体躯をしている。

ソレルは目の色こそ兄と同じだが柔らそうな鈍色の癖毛であり、まだディアンの腰程度の背丈しかない。

二人は丈こそ違えど、同じ造りのウールの上衣とブレーを着ていた。

「何じゃ、来たんか」

「マーねえちゃん、セーねえちゃん!」

兄弟同時に声を発したが、ソレルの嬉しげな声の方が大きかった。

「手伝いに来たとやけど、今日は放牧なん?」

セルマの問いにディアンが頷く。子豚の首輪と繋がっている革紐は彼が握っていた。

「こん子豚を森に連れて行って、代わりに大豚を捕まえる。親父もおふくろも加工で手ぇ回らんし、今回は俺らだけや」

「……大丈夫かね?」

マーリャは兄弟と子豚に視線を配り、正直な心配を口にする。

村からほど近い場所にある森は村人が自由に使える共同林となっており、多くの恵みをもたらしてくれるが、野生動物が多く棲みついてもいた。

ウサギやシカといった草食動物のみならず、オオカミなどどう猛な肉食動物の目撃例もある。護衛役がいた方がいいのではないか。

そんな懸念を感じ取ってか、ディアンは首から提げた細長い縦笛を示してきた。

「そろそろ俺も大人んなるし、修行やて。一応、獣の対策はしとる」

腰紐に繋げてある短剣もその一環らしい。

横にいるソレルも兄の行動を真似して、首飾りめいた短い笛を見せてくる。ディアンの笛に比べて簡素で、実用には適していそうにない。

おそらく、兄と同じ品を欲しがったがゆえに与えられたおもちゃだろう。

「お前らは森についてこんと、干し肉作りに回った方がええ。豚の扱いなんか慣れんやろし、そうすっと肥料とどんぐり集めくれえしかなかとじゃ」

「あっ、待たんね!」

説明を終えたとみなしてか、二人はマーリャとセルマの脇を通っていった。セルマのとっさの制止など、どこ吹く風だ。

セルマはそれに納得がいかない様子で軽く地団駄を踏んだ。地面が湿っているおかげで土ぼこりは舞い上がらない。

「こっちは心配しとるんに! 追うよ、マーちゃん! 縄と小さいカゴ持ってこ!」

「ほんまについてくと?」

「当たり前やち! 修行や言うて死んだら何にもならんもん!」

言うが早いか、セルマは早足で畑近くの農具置き場へ向かった。

ただの放牧に大げさな、と思わないでもないが、万が一ということもある。幼い子との二人連れで、装備が短剣ひとつではいかんせん頼りない。

「せやったら、追い払えるようなん要るわ」

非力でも扱える武器の調達についてマーリャは思いを巡らせた。

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