八.失われし翼 ①

青々とした芝生の上を大きな影がよぎった。

顔を上げると青く澄みきった空を巨大な生き物が飛んでいるのが見えた。

真っ赤な鱗が太陽に照らされて輝き、その甲冑のような鱗に包まれた胴体の横からは巨大な赤い翼が広がっていた。

頑丈そうな骨格が翼の縁を囲い、翼の先には真っ黒な鉤爪がついていた。

翼が上下に動く度、空を切る風の音がする。

眼前を見据えるその眼は鋭く、獲物を探す猫のような眼をしていた。


「ドラゴンだ!」


何人かが手を止めて空を指差し、競技場にどよめきが広がった。

最近はドラゴンが通り過ぎる度に騒然となる。


「最近、みんな賑やかだね」


スラウは隣に座るエリンに話しかけた。

いつからか彼女が稽古を見てくれるようになった。

エリンは剣の刃に息を吹きかけると太陽に翳した。


「あ、知らないんだっけ? もうすぐドラゴン選びなの」


ドラゴン――

かつて天上人がまだ翼を持っていた頃、天上人とドラゴンは空の覇権を巡って互いに対立していた。

しかし翼を失い、空を飛べなくなった天上人たちはその戦いに終焉を求め、当時絶滅に瀕していたドラゴンたちと契約を結んだ。

天上人はドラゴンを守り、育てることでその存続を確約し、その一方でドラゴンに天上人の翼としての役割を求めたのである。

水の長ヘラルドが講義の中でそう言っていた。


「好きなドラゴンを選ぶってこと?」


「うーん……実際は少し違うらしいけど、そんな感じ」


いまいち理解できていないような顔のスラウにエレンが肩を軽く叩いた。


「それより! また手合わせ出来るように早く稽古しましょ!」


***


 ドラゴン選びの日、城の前には多くの新入生が集められた。


「俺の家では代々、緑色のドラゴンと組んでいるんだ」


「黄色い鱗のドラゴンが良いな、可愛いし」


「卵の殻のヒビの入り方で性格が分かるらしい」


誰もが上気した様子で話している。

その中をスラウはあてもなく歩いていた。

ドラゴンについての知識はほとんどない。

耳に入ってくる情報を聞き逃さまいとしていると、ざわめきがぴたりとやんだ。

城の扉から数人を従えて火の長リアが現れたのだ。

彼女は階段下に集まる生徒を見回した。


「諸君、今日ここに集まってもらったのは言うまでもない。お前たちの生涯のパートナーとなるドラゴンと引き合わせる為だ」


ドラゴンと聞き、みな口々に騒ぎ出した。


「静粛に!」


リアは赤い髪を掻き上げ、目を細めた。


「『ドラゴン選び』。そう呼ぶ者もいるようだが……

勘違いするな。ドラゴンは気高い動物だ。我々が彼らを選ぶのではない。彼らが我々を選ぶのだ」


驚きを隠せない皆の様子に彼女は愉快そうに笑った。


「何だい、あんたたち。そんな考えじゃ、ドラゴンに選んでさえもらえないよ。ドラゴンにも様々なタイプがある。火の能力と相性の良いヤツや、水の能力との相性の良いヤツ。その中でも同じ性格は1つとしてない。本当に自分と相性の合うドラゴンを見つけな。

ドラゴンは火の領域付近の舎で飼われている。この者たちが案内してくれるだろうからついていきなさい。では幸運を」


リアはそう言うと手を広げた。

後ろに控えていた上級生たちが階段を駆け下りてきた。

彼らが飛び上がった瞬間、下で見ていた者たちから驚きの声が上がった。

ドラゴンの巨大な影が地面を覆ったかと思うと主人を掬い上げるように背に乗せたのだ。

一糸乱れぬ動きに再び歓声が上がった。

尊敬の念の篭った視線を送る新入生たちに引率のリーダーが声を掛けた。


「君たちもドラゴンとの信頼関係を築けば出来るようになりますよ。見失わないよう、ついて来て下さい」


***


ドラゴン舎の中は糞の臭いや生まれたばかりのドラゴンの甲高い鳴き声で溢れていた。

連れてこられたスラウたちは舎の中に所狭しと並ぶ棚を覗き込んでいった。

棚には藁で鳥の巣のように作られた籠が並んでいた。

その1つ1つに赤、青、緑、黄、銀、白などの色とりどりの鱗のドラゴンが座っていた。

中にはまだ孵化しておらず、卵が置いてある棚もある。


「ここにいるドラゴンは全て生まれたばかりの幼竜です。この時期のドラゴンは急激な温度変化に弱いので小屋の中で風から守り、藁の上で育てなくてはいけません。光にも慣れていないので暗い部屋で育てる必要があるのです」


説明する声が聞こえる。

新入生たちは窓から射し込む光のみを頼りに床に散らばっている藁を足で避けながら進んだ。

人懐こくて恐る恐る手を差し出す者に首を伸ばして甘えてくるドラゴン。

好奇心旺盛で大きな黄色い目を動かし、往来する者たちの動きを追うドラゴン。

攻撃的で差し出された手に噛みつくドラゴン。

どれ1匹として同じドラゴンはいなかった。

怪我をした者は引率者に手当をしてもらっていた。

なかなか卵の殻から出てこなかったり、鼻からチロチロと炎を吹いたりするドラゴンに新入生たちは次第に惹きつけられていった。


「抱いても良いですよ。重いので気をつけて下さいね」


ドラゴンは二の腕くらいの大きさなのにずっしりと重たかった。

皆、次々とドラゴンを抱き始めた。


「見てみて! この子、あたしに懐いているみたーい!」


「いってぇ! こいつ噛みやがった! うわっ! 手が血だらけだ!」


「このドラゴン、翼広げているよ? もう飛べるんじゃない?」


「あ! こいつっ! 手の上で糞しやがった!」


最初は糞の臭いに鼻をつまんでいた者も、今は当然のようにドラゴンを抱いている。

試しにどれかを抱いてみようと覗き込むと、棚のドラゴンはパチクリと目を瞬いたが、突然鼻から煙を出したのでスラウは慌てて首を引っ込めた。

その拍子に後ろの人とぶつかった。


「すみません! ……って、エリン?」


「スラウ! どお? 合いそうなドラゴン見つけられた?」


スラウは首を振った。


「全然だめ。そっぽ向かれたり威嚇されたり……このドラゴンなんか、鼻から煙を出すからびっくりしちゃったよ。エリンは?」


エリンは首を傾げた。


「うーん。まあ、候補は絞ったよ。2匹かな?」


「えっ? もう選んだの? 見たい!」


「そう? 結構あたしの友だちは決めてるみたいだけど」


スラウが見回すと、早い人はもう決めたようで引率してきた人にドラゴンを見せている。


「まず、このドラゴンね」


そう言うとエリンはドラゴンを抱え上げた。

淡い青色の鱗のドラゴンは黄色い瞳をキョロキョロと動かしていた。

淡い乳白色の翼はまだ小さく柔らかかった。

スラウが屈んで視線を合わせようとすると、ドラゴンは赤い舌を出して威嚇してきた。


「あれ? 攻撃的なのかな、この子?」


「多分、君のことを気に入ったんだろうね」


引率者の1人が話しかけてきた。


「ドラゴンは自分のパートナーを認識すると、他の人を威嚇することがあるんだ。それもドラゴンの一時的な反応なんだけれど、成長すれば威嚇することはなくなるよ」


「へぇ……あ! さっき見せて下さった演武、感動しました!」


「ありがとう。あれはね、陣形の中でも難易度の高いもので……」


エリンと青年が会話している間、スラウは何気なく彼女の腕の中のドラゴンを見つめた。


『スラウ』


突然聞こえた声に思わず目を見張る。

慌てて周りを見たが、誰もスラウに注意を払っていない。

気のせいかと思っていると再び名前を呼ばれた。


『スラウ』


かつてラナンが初めて話しかけてきた時にも似たような経験をした。

お前が呼んでいるの?

そう問うてドラゴンを見たが、幼竜は真っ赤な舌を出しているだけだった。

スラウは頭を押さえてそこから離れた。

頭に直接響いてくる声は聞き慣れない声だった。

スラウは誰もいない方へ歩いて行った。


『スラウ』


まただ。

周りを見回したが、やはり誰もいない。

振り払おうと頭を振ったが、次第に高い音が頭に響いてきた。

耳を塞いでいるのに止まらない。

舎の中を歩き回ってどのドラゴンが話しかけているのかと棚を覗いてみたが、どれも相変わらずスラウに見向きもしなかった。

お前は誰だ?

頭の中で問うてみたが、返答が得られるわけでもない。


『来い』


今までよりも一段と大きく声が響いた。

耳鳴りも止まる気配がない。

痛みの余り、壁に背中を預けて座り込んだ。

そこからだった、意識が突然霧に包まれたようにぼんやりとし始めたのは。


***


「あれ? そう言えば、君の横にいた子は?」


エリンはそう言われて初めてスラウが居ないことに気がついた。


「ケスター!」


エリンと話していた青年が振り返った。

引率者の1人が息を切らして走ってきた。


「ちょっと来て!」


エリンも後を追った。

舎の一角が騒がしくなっている。

何事かと他の者も集まってきた。


「この扉が開いていたの! 誰か通ったのかもしれない!」


彼女の指差す先には古びた木の扉があった。

扉の枠にはチェーンが掛けられていて、通行禁止という張り紙が張られている。

それにも関わらず扉が開け放たれていた。

扉の向こうに続く道は霧の中に消えていた。

エリンはケスターの表情の変化から、何かとんでもないことが起こったことに気がついた。


***


「くそっ、ここもか!」


ケスターが荒々しく扉を蹴った。

天に向かって鉄の柵が伸びている。

舎を出た彼らは扉から続く道を辿っていた。

道中には幾つもの柵があったが、どれも開けられていた。


「鍵はお前の持っているそれしかないはずだろ?」


「ああ! だが、こじ開けられた形跡がない。どうなってんだ?」


尋ねる同僚にケスターは苛立たし気に返すと扉を閉めた。

事が大きくなる前に何とかしなくてはならない。


「ええ、はい……よろしくお願いします」


他の1人が通信を切った。


「何だって?」


「出来るだけ早く侵入者を捕獲せよ、と」


ケスターの顔が険しくなった。

やや遅れをとって歩くエリンを振り返る。


ドラゴン選びを中断し全員を集めたが、エリンの隣にいた少女だけは見つからなかった。

聞けば、彼女はどのドラゴンとも触れ合うことができなかったという。

彼女がパートナーを求めてここに立ち入った可能性も考えて連れてきた。

他の者は既に城に引き上げさせてある。

混乱は最小限に抑えられるはずだ。


「ねぇ。ドラゴンを探している間に迷い込んだのかもよ?」


「いや、流石にそれはないだろ。流石に立ち入り禁止だってことくらい分かるはずだぜ? それに全ての柵をご丁寧に開錠している。こりゃ、盗人のセンスがあるな」


「ちょっとー。何、感心してんのよー」


後ろで呑気に話している同僚たちにも苛立ちが募る。


「あの、すみません。中断されたドラゴン選びはどうなるのでしょうか?」


この事態に自分の心配かよ。

エリンの言葉にケスターは拳を握りしめた。


「うーん、日を改めてやることになるね」


「でも、明日は風とか特殊能力の子たちが舎に行くんですよね? その間に別の人にドラゴンが取られないか心配……」


「気楽なもんだな」


「え?」


「いや、別に」


「あの、ごめんなさい……」


謝る声が聞こえたが、無視した。

足を止めて目の前の開け放たれた扉を睨む。

1つ門を潜る度、気分を逆撫でされる。


「ここもか……急ぐぞ!」


ケスターが走り出したので皆、彼の後を慌てて追った。

エリンは走りながら引率者の1人から説明を受けた。


かつて光の天上人のほとんどが絶滅した戦いにおいて、多くのドラゴンが殺された。

しかし、王族のパートナーであったドラゴンが1匹だけ生き残ったのだという。

天上人たちはそのドラゴンを守る為にその縄張りの周りに幾つもの柵を作り、その中で生かしていたのだ。

王族のドラゴンをやましい目的で我が物にせんとする者が出ないように……


気がつくと草や土に覆われていた道が赤茶けた土と岩の転がる道に変わっていた。

先を行くケスターが足を止め、何事かと肩越しに覗いたエリンは霧の中から浮かび上がる巨大な影に思わず息を呑んだ。

全身にきらめく金色の鱗、先の鋭い大きな鉤爪。

黄金色の目に宿る鋭い眼光と全身から発せられる熱気。

そして何より……見る者を委縮させるような威圧感。


「これが……王族のドラゴン……」


脚が竦む。

ドラゴンが飛んでいる姿は幾度となく見てきた。

どのドラゴンも近づけば威圧感は感じる。

だが……エリンは胸に手を当てた。

これは格が違う。

目の前のドラゴンに圧倒されていたケスターはそれに向き合うようにして立つ少女に気が付いた。


「そこから離れろ!」


彼女は聞こえていないのか、ドラゴンの鼻に手を伸ばした。


「スラウ!?」


エリンが息を呑み、ケスターは素早く印を結んだ。

王族のドラゴンは王の血を継ぐ者しかパートナーになるべきではない。

少なくとも彼女には不釣り合いだ。

彼の手から赤い閃光が奔り出た瞬間、ドラゴンが顔を上げて咆えた。

大地を轟かすような咆哮に閃光は打ち砕かれ、その場にいた全員が後ろへ飛ばされた。


あれ……?

スラウはぼんやりと目を瞬いた。

頭の靄が晴れていく。

ふと気づくと目の前には巨大なドラゴンがいた。

その姿に圧倒され、思わずへたりこんだ。

冷たい岩が火照った身体を冷やしていく。

ここはどこだろう?

それに、これは一体……?


「立て!」


考える間もなく荒々しく腕を掴まれた。


「何をした?!」


「……え?」


「ここで何をしたのか聞いているんだ!」


確か舎まで引率してくれた人だ。

答えようとして途方に暮れた。

頭痛が酷くなったから端の方で休もうと思った。

だが、その後の記憶がない。


「あくまでもシラを切るつもりだな。だが、ただで済むと思うなよ」


何がどうなっているのか分からないままスラウは小さな籠に押し込められた。

牢屋みたいだ。

籠につけられた格子から外を見ると、ドラゴンが数人に押さえつけられていて、それを振り払おうと荒々しく首を振っていた。


「そこから動くな。脱走は出来ないと思え」


知らないうちに犯罪者扱いだ。


「あの……」


「黙れ、下等身分かとうみぶん」


一方的に声がしたかと思うとピシャリと窓が閉められた。

スラウは完全に暗闇の中に取り残された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る