七.天上界へようこそ②
足早に競技場へと向かうスラウの耳に剣がぶつかり合う音が聞こえてきた。
剣や槍などが保管されている武器庫の前を通り過ぎると芝生が広がる場所に出た。
太陽の眩しさに目を細めながら辺りを見渡すと、何組かが稽古をしているのが見えた。
みんな額に汗を滲ませながら剣を振るっている。
少し離れた所では剣の素振りなどの自主トレーニングをしている人やベンチに腰かけて休んでいる人もいた。
スラウは壁に寄り掛かって話している2人の青年を見つけて近づいていった。
「サギリさん!」
サギリは振り返るとにっこりと笑って手を振った。
「おう、来たか!」
彼が話していた相手はハイドだった。
ハイドとは初めて宿舎に着いた日以来、会っていなかったのでスラウはおずおずと頭を下げた。
ハイドも黙ったまま軽く会釈した。
サギリは笑いを堪えられなかったようで勢いよく吹き出した。
「お前ら同じ隊だよな?! 何て堅苦しい挨拶してんだよ!」
「あ、あまりお話ししたことがなくて……」
「まじかよ」
「うん……あ! そうだ! ここで剣術を習うことになっているんだよね。先生に挨拶したいんだけど」
ハイドが形の整った細い眉をひそめた。
「言っていないのか?」
「あぁ。楽しみは当日にとっておこうと思って」
悪戯っぽく笑ったサギリはスラウに向き直った。
「挨拶なんていらねぇよ。「先生」は目の前にいるだろう?」
「ふぇ? どこに?」
「だから……ここだよ! 俺が剣術を教えているんだ」
「えぇっ!? だって、サギリさんは城で働いているんでしょ?!」
「そうだ。剣術の先生だって立派な城の仕事だぞ?」
スラウは未だにキツネに包まれたような顔をして突っ立っていた。
「顔見知りだろうが、ここでは手を抜かねぇぞ。覚悟しろよ!」
「は、はぁ……」
「ほら! 突っ立っていないで! 荷物はそこらへんに置いておけ。早速お手並み拝見といこうか」
サギリは手にした剣を頭上でくるくると回した。
スラウは急いで鞄とローブを置き、薄黄色のボタンシャツの袖をまくった。
サギリは少し開けた場所にスラウを連れていくと剣を押し付け、壁に寄り掛かったままのハイドに声を掛けた。
「ハイド! 相手をしてくれ!」
「断る。女は斬らない」
「そう言われても困るんだよ、ハイド。それと、相手が男でもぶった斬るのはやめてくれ……俺がこれから教える生徒だぞ?」
「お前がやれ」
「ダメだ。俺は客観的に見ていたいんだ」
「他を当たれ」
「そう言わずにさぁ……」
「あたしじゃダメですかー?」
背後で聞こえた声に振り返るとクセの強い黒髪の少女が片手を腰に当てて剣を担いで立っていた。
小麦色の肌に深い藍色の大きな瞳が印象的だった。
「お、エリンか。じゃあ頼む」
「はーい」
少女が小麦色の手を差し出してきた。
「あたしは水の天上人エリン。あたしは昨日から訓練を始めたの。よろしくね!」
「私は光の天上人スラウです。今日からよろしくお願いします」
スラウも彼女に倣い挨拶をするとサギリが満足そうに頷いた。
「よし、始めよう!」
互いに稽古前の正式な挨拶を済ませると、エリンが剣を構えた。
その瞬間、スラウは感じ取った殺気に思わず息を呑んだ。
エリンが細い身体をひねりながら軽やかなステップで飛び込んできた。
スラウの剣がそれを受け止め、高い鐘のような音が響いた。
どうにか勢いをいなしたスラウが飛びかかったが、エリンはひらりと身を躱してしまった。
「へぇ……案外やるわねっ!」
エリンは微笑むと、更に強い力でぶつかってきた。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
スラウは額に汗を滲ませて肩で息をしているのに、エリンは涼しい顔をしていた。
でも……スラウは唇を噛んだ。
絶対に負けたくない!
エリンの攻撃を躱したスラウは地面を転がって間合いを取った。
腕は上だとしても彼女も昨日訓練を始めたばかりだ。
まだ基礎は固まっていない。
剣を払う時に手元がふらついているのがその証拠……
そこをついて剣を跳ね飛ばせば勝てるかもしれない!
スラウは地面を軽く蹴り、彼女の懐に飛び込んだ。
エリンの剣が狙い通り、スラウの剣を薙ぎ払おうと斜めに振り下ろされた。
「今!」
スラウは剣先を引っ込めると今度は彼女の手首に向かって剣を突き出した。
再び鐘のような音と共に剣が宙を舞った。
「負けた……」
スラウは小さく歯をくいしばると地面に落ちた自分の剣を睨んだ。
剣は確かにエリンの剣に当たった。
だが、スラウの仕掛けたことを見抜いた彼女は逆にその勢いを利用して剣を弾き飛ばしたのだった。
スラウはきゅっと唇を噛むと黙ったままエリンに一礼した。
鳴り止まない拍手にスラウは初めて周りを見渡した。
いつの間にか新人同士の手合わせを見ようと多くの訓練生たちが集まっていたらしい。
皆、2人の健闘を労ってくれたようだった。
「今日の稽古はこれで終わりだ! 解散!」
サギリが大きな声で言うと、見物していた者たちはめいめいに去っていった。
ハイドもローブを翻し、彼らに混ざって去っていった。
競技場に残されたのはエリンとサギリ、スラウの3人だけだった。
夕陽の射す競技場を見回していたサギリが口を開いた。
「お疲れ様。良い手合わせだった。エリン、もう帰って大丈夫だ。付き合ってくれてありがとな」
エリンはスラウに手を振ると去っていった。
その背中を見送っていたサギリがふと口を開いた。
「剣は……誰かに教わったのか?」
「……うん」
「そうか……明日も来い。待っている」
スラウは黙って頷いた。
サギリは勝敗については何も言わなかった。
スラウは剣を彼に返すとローブを羽織り、鞄を担いだ。
「じゃあ、また明日」
サギリの言葉にスラウはもう1度頷くと競技場を後にした。
口を開くのも億劫だった。
スラウは疲れを紛らわせるように頭を振った。
宿舎へ向かう道中、頭の中にあったのはエリンとの手合わせのことだけだった。
***
翌日から苛酷な生活が始まった。
午前中は歴史学、薬草学、気象学などの座学の講義。
昼過ぎからはドラゴンとの飛行訓練を見据えた身体術、防壁術、光の能力の使い方などの実戦の講義。
夕方からは剣術の訓練……
休む時間などなかった。
中でも剣術は一際厳しいものだった。
競技場へ向かう足取りは重かった。
既に何人かは自主トレーニングを始めていたが、サギリはスラウを見つけると手招いた。
「よし、始めよう」
サギリはがそう言って取り出したのは、歪な形の木の棒だった。
――『いきなり剣を使えると思うなよ。
まずは基礎からみっちり叩き込んでやる。
体力作りをしつつ、腕の振り方を直せ。
妙な癖がついている。剣はその後だ』
サギリがいとも簡単に手本を示したが、到底真似できるものではなかった。
ここ数日、棒を振り下ろす度にダメ出しをされるということが繰り返されている。
ただ無心に振っているだけで腕がひりひりと痛む。
一瞬だけ棒を持つ手を緩めると腕を叩かれた。
「自分を甘やかすなよ」
いつになったら真剣を使った稽古ができるのだろう?
周りの練習を見ると思わず焦りを感じてしまう。
競技場の端で未だに木の棒を振っているのはスラウだけだ。
同時期に入った新入生たちは真剣での稽古を始めるか、訓練が厳しいと音を上げて止めていった。
――『サギリはここで1番強い剣士なの。
だから相当の覚悟を持って稽古にのぞまないと……
新入りの中でもついていけなくなって剣士を断念する人が何人もいるんだよ』
前にエリンがそんなことを言っていたっけ?
他にも剣術を教えてくれる人はいるが、サギリの稽古が1番厳しい分、上達も著しいものらしい。
気がつくと陽はとっくに沈みかけていた。
棒を持つ手が痺れ、球のような汗が目に入っても拭えない。
ふと顔をゴシゴシとタオルで拭かれた。
「今日はこれで終わりだ。帰って良いぞ」
サギリの言葉にどうにか頷くとマメのできた手のひらに薬を塗り、足を引きずるようにして宿舎に帰った。
部屋に入るや否や、そのままベッドに倒れ込んで泥のように眠った。
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