七.天上界へようこそ①
スラウは城の地図を片手に石造りの廊下を歩いていた。
長たちの講義を受けるのは明日からだ。
今日は既に城での訓練を積んでいる先輩に敷地内の案内をしてもらったり、光の長コウルに会って話を聞いたりすることになっている。
スラウは予定と集合場所の書かれた紙をもう1度見直した。
ある程度能力の使えるラナンとは違い、スラウは全てにおいて1から学ぶ必要がある。
「まずは城の施設から覚えなきゃ……」
待ち合わせ場所は城の入り口だった。
城の前の広場には新入生たちがそれぞれのローブの色毎に集まっていた。
楽し気に話している彼らの間をすり抜け、入り口の階段を上る。
上り切ったところで振り返ったスラウは思わず目を見張った。
おもちゃのような石像や木造の建物が緑豊かな丘に点在している。
その奥には地平線をなぞるように続く城壁が見えた。
ふと我に返ると広場に居た人たちは皆居なくなっていた。
スラウは懐中時計を取り出した。
「もう30分経ったのに……」
その時、少女が1人階段を駆け上がってきた。
艶のある黒髪に細い茶色い目をしている。
背丈はスラウよりも少し小さいくらいで緑色のふんわりしたワンピースを着ていた。
「ハァッハァ……ごめんねぇ、待ったぁ?」
わざと息を切らしたような声で叫ぶ彼女にスラウは首を振った。
「ジリーって言いまぁす! 木の天上人でぇす! よろしくぅっ!」
「あ、私……」
「うんうん、分かるぅ! 光の天上人でしょぉ? 白いローブを見れば誰でも分かるからぁ!」
ジリーは歩き出しながら話し続けた。
「光の天上人って滅多にないんだよねぇ。だからあなたのことすっごーく有名よぉ? 地上から来たんだっけ? 地上界出身の人ってほとんどが特殊能力の天上人になるのにそれ以外とか、すっごーく珍しいしぃ……何か珍獣みたいよねぇ。あはははっ!」
「珍獣って……」
「冗談よぉ! もしかして本気にしちゃったぁ? じゃあ、近くの建物から紹介しまーっす! はぐれないでついてきてねぇ! えっと……アニーちゃん?」
スラウは大きく溜め息を吐いた。
「……スラウです」
初めにスラウが案内されたのは、歴史学や気象学をはじめとする座学の講義が行われる石造りの建物だった。
歴史学の教室には分厚い本や黄ばんだ羊皮紙が無造作に突っ込まれた棚が壁いっぱいに並び、薬草学の教室の天井からは色々な草花が盛ってある籠が吊り下げられていていた。
ジリーは次から次へと城内を案内したが、中でもスラウの興味を引いたのは城から少し離れた木立の中に位置する図書館だった。
図書館の前には渓流があり、その上に架けられた橋を通って行き来が出来るようになっていた。
ステンドグラスの装飾が施された扉を開けると広大な空間が広がっていた。
所狭しと並ぶ本棚だけでなく、調べ物や勉強が出来るようなスペースも設けられていた。
磨き上げられた長机や座り心地の良い椅子、窓際にはついたてで仕切られた個人用の机もあった。
オレンジ色のガラスの覆いのランタンが机を優しく照らしていた。
「……って聞いている?」
ふとジリーが振り返り、厚ぼったい唇を尖らせた。
スラウは図書館の一角を囲う金属の格子に寄り掛かり、その奥に目を凝らしていた。
「向こうには何があるんですか?」
ジリーは大げさに溜め息を吐いてみせた。
「この柵の向こうは禁書棚! 立ち入り禁止でーす! 何があるかはしーらないっ! ……ていうか、私の話を聞いていたぁ?」
「……すみません」
「ここではぁ、大きな声で私語をしないでと言ったのぉっ! 飲食も出来ないんだからねっ!」
ビシッと指を突きつけるジリーの声に本を読んでいた近くの人が迷惑そうに顔を上げた。
聞き覚えのある声にスラウが振り返ると、ちょうどグロリオが臙脂色のローブを着た新入生たちを連れて図書館に入ってきたところだった。
「ここは世界でも有数の図書館です。長い歴史を誇り、所蔵書物は世界一と言えるでしょう」
笑顔を浮かべて話す彼をジリーはうっとりと見つめた。
「あの人、ちょぉイケメン……」
スラウは改めてグロリオに目を向けた。
くしゃっとした赤髪と日焼けした肌。
何かを訴えかけるような明るい茶色の瞳。
確かに彼が案内している少女のほとんどが彼をうっとりと見つめている。
グロリオがこちらを指差しながら近づいてきた。
咄嗟にジリーはスラウの腕を掴むとずんずと図書館の出入り口へと向かった。
「どうしたんですか?!」
「どうしたも何もぉっ! 今日はぁ、そんなにめかし込んでいないからぁ……声掛けられたら困っちゃうしいっ!」
「……そう」
スラウは照れている厚化粧のジリーの顔を一瞥した。
2人はそのまま長たちのいる城へと向かった。
城の前に着くや否や、ジリーはそそくさと去っていった。
急いで化粧を直して図書館に行き、グロリオに声を掛けてもらうそうだ。
スラウは彼には恋人が居ることを黙っておいた。
城内の見学の後は光の長コウルに会うことになっていた。
彼に指示されていた場所は数ある中庭のうち、スラウも気に入っていた白い天然石で造られた噴水があるところだった。
スラウが近づくと、木陰のベンチに腰掛けていたコウルが顔を上げた。
「スラウ、色々なところを案内してもらえたかね?」
「はい、コウル様」
彼は隣に座るよう手を振った。
「よろしい。今日はちょっとした話をしよう。天上人にはそれぞれ自分に適した能力があるのは分かるね?
わしらの選考によって示された能力がそうじゃ」
スラウはコウルの横に遠慮がちに腰かけ、頷いた。
「じゃが、実を言うと天上人には6つの全ての能力を操る力が潜在的に備わっているのじゃ。
能力を水に例えよう……わしら自身のことは水を溜めているタンクと考えてくれ。蛇口をひねると水が出る。
パワーストーンがその蛇口の役割を果たすのじゃ。天上人が能力を使う時、パワーストーンは天上人の内なる力を引き出す手伝いをしているともいえる。
しかし、能力の中にも簡単に使いこなすことが出来るものと、なかなか出来ないものがあるのじゃ。
6つの蛇口の栓の固さが違うと考えてくれ。ここまでは分かるかね?」
「はい。つまり……私は光の天上人ですが、木や水の能力も使うことが出来るのですよね?」
「そうじゃ。但し、それには訓練と相当な努力を必要とするがの。
例えば、木の天上人サギリは光の能力の使い方も既に修得しておる。つまり、木だけでなく光のタンクの蛇口のひねり方を習得しているということじゃ。
これは誰にでも当てはまる。どの能力がどの程度得意で苦手なのか、には個人差があるがの」
スラウは考え込むように頷いた。
「さて、話を続けよう。先ほど能力は水のようだと言ったが、スラウ、蛇口の水を開け放したままだとタンクの中の水はどうなるかね?」
「減っていきます」
「その通り。通常、水を少しずつ使っていくなら、水の補給も十分に行われてタンクが空になることはない。しかし、1度に多くを使ってその補給が間に合わないと……どうなるか分かるかな?」
「……タンクの中の水が枯渇する、ということでしょうか」
「そうじゃ。しかし、力の場合は水よりも顕著に影響が表れる。自分の許容限度を超えた力を使ってしまうと、その分生命力が削られるのじゃ。時には死に至らしめることもある。危険な行為じゃ」
「……」
「スラウ。君は既に体験済みじゃろう? こちらの世界へ来る際、君は自分の許容限度を超えた能力を使ってしまった」
「すみません」
「謝ることはない。知らなかったのじゃから仕方あるまい。
しかし……くれぐれもこのようなことは繰り返してはならないよ。蛇口の役割を果たすのがパワーストーンだと言ったな?
じゃが、この石は決してわしらの所属物ではない。意思を持つ生き物と同じじゃ。それも、絶えずワシらとの主従関係を覆そうとする厄介ものでな……パワーストーンは君により強い力を与えると甘い言葉を囁くかもしれん……じゃが、その誘惑に負けて己の力を抜き取られてはならぬ」
スラウはしっかりと頷いた。
「能力の許容限度のことじゃが……訓練を積めば、今より格段に増やすことができる」
「つまり、訓練を積めば光以外の力も使えるようになるし、自分の能力を使える容量も増やすことができるのですね?」
「その通りじゃ。明日からは具体的に光の能力の使い方を教えよう。
それと同時に他の長からも学ぶことがある。木の長タイトンからは薬の調合を。
火の長リアからは飛行技術及びドラゴンの育成を。ドラゴンは気高く、怒らせると手に負えない動物じゃが、一緒に過ごすうちに愛着も湧くじゃろう。
水の長ヘラルドからは歴史を。
風の長ラークスからは気象学を。『空を駆る者、天を知れ』という諺もあるがな……空がどのような状態にあるかを把握することは大切じゃ。
特殊能力の長ソニアからは防壁の張り方を学ぶことになる。
一通りの基礎知識を身につけたら昇格試験を受け、それを合格すれば正式に天上人としての任務に携わってもらう」
「はい」
「おっと……言い忘れるところじゃった。君はこの他に剣術を学ぶことになっておる。師範、直々のご指名じゃ。場所は競技場じゃが、行けるかね?」
「はい」
「よろしい。ここでの学びには天上人たる誇りを持って取り組みなさい」
「はい。ありがとうございます」
「何か質問しておきたいことはあるかな?」
「いえ……今はありません」
「そうか。気になることができたらいつでも聞きなさい」
「はい」
「よろしい。では、行きなさい……ああ、そうだ。スラウ」
腰を浮かせかけていたスラウはコウルに顔を向けた。
燻んだ灰色の瞳と目が合った。
「改めて……天上界へようこそ」
「……はい! これからお願いします!」
スラウは笑顔を浮かべるとベンチを立った。
残されたコウルは杖を頼りに立ち上がり、スラウの去った方にじっと顔を向けていた。
ふと雲の隙間から光が漏れ、彼はもはや何も映せない燻んだ灰色の瞳を空に向けた。
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