五.選考②

「ねぇ、ラナン。宿舎にはまだ着かないの?」


高く昇った太陽をスラウは恨めしそうに見上げた。

ラナンも額に浮かんだ汗を拭い、手にした地図を睨んだ。


「……まだ先だな」


スラウは着ていたボタンシャツの袖を捲り上げた。

焦げ茶色のズボンは汗で肌に密着しているし、ブーツの中も湿っている。


「あっつぅ……」


天上人は黒か焦げ茶色の長ズボンや短いパンツを履き、ボタンシャツの上には自分の能力の象徴となる色のローブかベストを着ることが義務付けられている。


火ならばえんじ色、水ならば紺色、木ならば緑色、風ならば水色か黄色、特殊能力ならば紫色か灰色、そして光なら白色といった具合だ。

女性にはさらに選択肢が与えられており、ワンピースタイプのふわりとした服を着ることもできる。


「本来ならもう少し身軽だから移動は楽なはずなんだが、今日はこんだけ荷物を持っているからな……」


選考の後、すぐに城から天上人の隊に加わるよう通達があった。

これからは共に任務を果たす隊員と同じ宿舎で暮らすことになる。

2人はサギリから天上人は家には休暇以外は戻らないということを告げられた。


――『この家に戻るのは休暇をもらった時だけだろう。ここは長いこと空けることになる。大事なものは全部持って行けよ』


「1度で運べってのは流石に無理があるよなぁ……あ!」


ぼやいていたラナンの鞄が手から滑り落ちた。

訓練は能力の使い方を学ぶだけではない。

歴史や薬学、気象学まであらゆることを学ぶ。

その為に必要なものが全て詰まっている鞄は村を出た時よりも重くなっていた。


「あちゃー……」


ラナンが散らばった本や羽ペンを拾おうと手を伸ばした。


「あっ! いた、いた!」


その時、前から少女が軽やかに走ってきた。

緩いカールがかかった金色の髪の毛を水色の太いバンドで纏めている。

バンドに水色の石がはめ込まれていて少女が走る度にそれがキラキラと光を放っていた。


「風の天上人か……」


淡い水色のふわりとした服にラナンが呟いた。


「初めまして!」


少女は2人の目の前で止まると笑顔を見せた。


「風の天上人フォセです。えっと……スラウとラナンだよね? 迎えに来たよ!」


突然名前を呼ばれた2人は思わず顔を見合わせた。


「待ってよ、フォセ!」


後ろから小柄な少年と少女が現れた。

2人とも息を切らしていている。

少年は灰色のベストに黒いズボンを履いていて、少女は深い緑色のワンピースを着ていた。

少年はスラウたちを見上げると、唾を飲み込んだ。


「は、初めまして……えっと、き、君たちの加わる隊の、えっと……チニです」


「は、初めまして」


スラウたちも釣られて緊張気味に返すと、緑色のワンピースを着た少女がチニの肩にそっと手を置いた。


「ふふふふ……緊張し過ぎよ、チニ。宿舎までの道は長いから迎えに来たの。荷物、重かったでしょう? 手伝うわ」


「あ、ありがとうございます……えっと……」


「アイリスよ」


「ありがとうございます、アイリスさん」


「さんづけしないで良いわ。あまり年は変わらないと思うから」


アイリスは淡い青色の瞳を細めた。


「ねぇ! また地面を走るのは疲れるし、ひとっ飛びで帰ろうよ!」


フォセが大きな茶色の瞳を輝かせて言った。


「疲れるって………フォセが走って競争しようって言ったんじゃないか」


チニが呆れたように突っ込んだ。


「そうだっけ? ま、良いでしょ! それに、こんなに重そうな荷物、持ちたくないもん! 風で運んだ方が絶対に楽だって!」


「でもね、フォセ」


アイリスが三つ編みした暗めの茶色の髪を撫でつけた。


「丁寧に運ばないと……」


「だーいじょーぶっ!」


フォセがアイリスの言葉を遮った。


「えっと? どういう……?」


「とにかくあたしの手をしっかり握って!」


ラナンが遠慮がちに口を開いたが、有無を言わさずフォセが手を差し出してきたので、彼は恐る恐るその手を取った。

彼女は反対側の手で突っ立っていたスラウの手を掴み、3人を挟むようにアイリスとチニが手を握った。


「さぁ、行くよ!」


フォセが叫んだ途端、5人の周りに大きな風の渦が現れた。

突風は周りの木々をなぎ倒しながら上昇気流を作り、次の瞬間には5人の姿は見えなくなっていた。


「……っててて……」


ラナンは茂みから身体を起こした。

早くもベストが汚れてしまった。

土と草を払い落とし、隣の茂みに頭を突っ込んでいるスラウの救出に向かう。


ほんの数秒前――気がつくと宿舎の立ち並ぶ森の上を飛んでいた。

身体を風が前に、上に押していた。


だが、フォセが着地点を決めた途端、風が突然止み、5人は真っ逆さまに落ちた。

チニが地面に向かって青く薄い膜のようなものを広げてくれたおかげで地面に叩きつけられることはなかった。


「大丈夫か、スラウ」


スラウは茂みに頭から突っ込んだまま伸びていた。


「ううーん……」


「大丈夫?」


チニがラナンの肩越しに顔を覗き込んだ。


「う……ん……目を回した……かも……」


顔を腕で覆っているスラウにフォセはにっこり笑いかけた。


「ま、すぐに慣れるから!」


チニが呆れて突っ込みを入れた。


「「慣れるよ」じゃなくて少しはこっちにも合わせてよ……」


「あ!」


「どうしたの、ラナン?」


「俺たちの荷物……」


ラナンは空っぽの両手をアイリスに見せた。


「あら大変。探さなきゃ」


彼女はそう言うと高い音で口笛を吹いた。

茂みの奥から鮮やかな青色の鳥が彼女の手に集まってきた。

アイリスは鳥を見つめてしばらく口笛を吹いていたが、両手を掲げて鳥を再び羽ばたかせた。


「今、手伝ってもらえるようにお願いしたわ。私たちで探しましょ、フォセ、チニ」


「え? 俺たちは?」


そう尋ねるラナンにチニが答えた。


「宿舎はもう目の前なんだ。だから君たちは先に入って休んでいて。隊長が迎えてくれるはずだから。僕らもすぐに荷物を持っていくよ」


「任せて!」


フォセがにっこり笑って答えた。


「フォセ、「任せて」じゃないのよ。みんなの為にも、もう少し力を制御できるようにした方が良いわ」


アイリスはむくれるフォセを諭しながらスラウたちに軽く頭を下げると、茂みの向こうへ消えていった。


「……俺らも行くか」


「うん」


日はすでに傾き始めていた。

2人は道を辿って森を抜けると目の前に現れた階段を下りていった。

丘の向こうに明かりの灯った家々が立ち並んでいた。

2人はしばらく立ち止まってオレンジ色の草に覆われた山肌と家々の穏やかな風景を見つめていた。


階段を下りきってすぐのところに木立に囲まれるようにして立つ1軒の家があった。

部屋の中の灯りが漏れ、外からの客を優しく招き入れているようだった。


「ここ?」


スラウは目の前の扉を見上げた。


「多分な」


茶色い大きな扉を囲うように金の装飾が施されていた。

扉の上には青銅でできた羽をゆったりと広げた美しい鳥の像が飾られている。

数回扉を叩いたが、応答はなかった。

スラウは首を傾げると思い切ってドアノブを回した。


「何だ、開いているじゃん」


「スラウ! こういうのは向こうの応答を待ってから……」


「大丈夫だよ。チニも中で休んでいてって言っていたし、もうくたくたで……」


スラウはラナンが制するのにも構わず扉を押したが、2人は部屋の様子を見て言葉を失った。


「……す、す、すみません……は、入る場所を……間違えました……」


しどろもどろに言うとスラウは慌てて扉を閉めた。


「ちょっと、ちょっと! どういうこと?!」


扉を背にしてスラウは小声でラナンを小突いた。


「し、知らねぇよ! お、俺に聞くなっ……」


ラナンはそこで言葉を切った。

小声で言い合う2人の横を長い黒髪を揺らし、切れ長の目の青年が通り過ぎたからだ。

彼は紺色のローブを翻して宿舎の中に入っていった。

この人はさっきの様子を見ても動じないのだろうか?

浮かぶ疑問を呑み込み、完全に扉が閉まるのを待ってスラウは口を開いた。


「どうしよう?」


スラウが扉を開けた時、すぐ目の前で青年と少女が熱烈なキスを交わしていたのだ。

ここでぐずぐずしているわけにもいかないが、かといって入るのも……

2人は頭を抱えて座り込んだ。


「あれ? もしかして鍵開いていなかった?」


ふと聞こえた声に顔を上げると目の前にフォセが首を傾げて立っていた。

後ろに続くアイリスとチニの手には枝が刺さった2つの鞄がぶら下がっている。


「いや、開いていたけれど……」


「その、あの、入れなかったというか……」


語調が尻つぼみになる2人に彼らは揃って首を傾げた。


***


宿舎の2階から青年が本を抱えて降りてきた。

くせのある暗めの金髪と緑色のローブが階段を下りる度に揺れている。

淡い緑色の瞳が1階に向けられた。


「そろそろ満足しただろ、グロリオ? そっちに行きたいんだが……」


青年の言葉で、きつく抱き合っていた2人がぱっと離れた。


「ライ、いたのか……」


グロリオと呼ばれた赤髪の青年が気まずそうに頭を掻いた。

大きく開いた黄色いシャツの首元から日焼けした小麦色の肌が覗いている。

ライと呼ばれた青年は抱えていた本を机に置いた。


「そう言えば、今日新しい隊員が来るって言っていたよな? いつ頃来るんだ?」


「うーん……そろそろじゃないか?」


「今にも客が来るかもしれないって時に……仕方ないか。あ、ハイド。おかえり」


ハイドと呼ばれた長髪の青年は壁にもたれたまま、手を挙げて返した。


「お、お前! いつ帰ってきたんだよ? 「ただいま」くらい言えよな!」


グロリオに指差されたハイドは片眉を吊り上げた。


「……俺はガキじゃねぇ」


「なっ!?」


言葉を失うグロリオを他所にハイドは部屋の中央に置かれたソファに沈むように座ると長い脚を組んだ。

金髪の青年も彼の隣に腰かけると口を開いた。


「それで? 新しい隊員ってどんな人だ?」


「あれ? 言ってなかったか? 以前の任務で天上界に連れてきた子がいただろ?」


「それなら」


ふとハイドが口を出した。


「さっき見た」


彼が尖った顎をくいっと向けた瞬間、3人の視線の先で扉が勢いよく開いた。


「グロリオ!」


玄関口で腕を組んだフォセがこちらを睨んでいる。

その後ろのアイリスは手を口元に当てて笑っていた。

声を押し殺してはいるものの、楽しげな雰囲気は伝わってくる。

チニがもの言いたげな表情でグロリオを見つめた。


「見られていたのか……おかえり……」


頭に手を当てて低く唸るグロリオをフォセが遮った。


「何がおかえり、よ! グロリオったら! 本当に信じられない!」


フォセは頬を膨らませて宿舎に上がり込み、その後ろに土だらけの荷物を抱えた2人が続いた。

チニが振り返って入り口で突っ立ったままのスラウたちを手招きした。


「どうぞ入って」


足を踏み入れた途端、スラウは思わず目を見張った。

玄関を開けてすぐにあるのは大きな談話室で、正面の壁には天井までの高さのガラス窓がはめ込まれていた。

幾筋もの直線で切り取られ、それぞれの区画には赤や緑などで鮮やかに色づけられている。

ステンドグラスの下の床には臙脂色のカーペットが敷かれていて、その両側から壁に沿うようにして階段が続いていた。

天井が吹き抜け構造になっているため、2階の細い通路と等間隔に並ぶ木の扉が丸見えになっている。

談話室をぐるりと囲む左右の壁には棚がぎっしりとひしめき合っていて、棚の高さはどれも上の階の通路のすぐ下まであった。

左手の棚には分厚い本が所狭しと詰められており、本の間から幾つか丸まった羊皮紙が無造作に突っ込まれていた。

一方の右手の棚の中にはクリスタルの瓶が並んでいて中には様々な色の液体や草が入っていた。

談話室の中央には大理石の長机が置いてあり、それを挟むようにソファが向かい合わせに置かれていた。


「もう到着したのね」


ぽかんと佇む2人の後ろで扉が開いて1人の少女が入ってきた。

彼女は肩まである長い黒髪を揺らしながら2人の脇をすり抜けた。

あれ、この人どこかで……

スラウが考えていると、赤髪の青年が小さく咳払いした。


「さて、と……全員揃ったようだから自己紹介をしよう!」


彼は明るい茶色の瞳を輝かせてにっこりと笑った。


「俺は火の天上人グロリオだ。この隊の隊長をやっている。ええっと……さっきは、その……驚かせちまったみたいで……悪かったな。こちらがアキレア。同じく火の天上人だ」


アキレアはグロリオとちらりと視線を交わすと小さく頭を下げた。

グロリオが必死に弁解したところによると、彼らはカップルでさっきの事も2人の情熱的な性格によるものらしい。

今日は2人の大事な記念日だったらしく、ちょうどグロリオがアキレアにプレゼントを渡し、彼女が感極まって抱きついた時にスラウたちが部屋に入ってしまったようだ。


「戯けが」


ハイドが小さく吐き捨てた。

ほとんど表情の変化もなく、寡黙な彼は水の天上人だ。

ハイドと同じ水の天上人のランジアもまた、グロリオやアキレアとは様々な面で対称的だった。

情熱的で感情をすぐ露にするグロリオたちに対してこの2人は沈着冷静で何事にも動じないように思えた。


ランジアの従姉弟のライオネルはアイリスと同じ木の天上人でフォセは風の天上人。

チニは紙に命を吹き込んで自在に操ることができる特殊能力の天上人だった。


一通り紹介が済むとグロリオはスラウたちに手を差し出してきた。


「スラウ、ラナン! ようこそ!! 今日から宜しくな!」


スラウも彼の手を力強く握り返した。


「あなたたちの能力についても知りたいわ」


アキレアに尋ねられ、スラウとラナンは顔を見合わせた。


「俺は空間を操る特殊能力の天上人だ。あと、動物変幻もできる」


ラナンはそう言うとソファから立ち上がり、誰もいないところに向かって走った。

飛び上がった彼の身体は黄金色の毛並みの動物に姿を変えて地面に降り立ち、床を蹴ってテーブルの上に飛び乗った。


「すごい!」


フォセが思わず歓声を上げた。


「ラナンは副次的な力を持ってるってことか……」


グロリオの言葉にスラウは首を傾げた。


「副次的な力?」


「長に選考される力の他に未来を予見したり、遠くまで見ることができる力を持つ人もいるのよ。これが副次的な力と呼ばれるものね。この力の多くは遺伝によるものだとされているの」


アキレアの説明にスラウは頷いた。


「因みにどっちの姿の方が居やすい?」


身を乗り出して尋ねるグロリオは好奇心を抑えきれないようだ。


「まあ、こっちの方が五感もより敏感になるんだが、人間の姿の方が能力は引き出しやすいらしい」


「へえ、そうなのね。それでスラウの能力は何なの?」


アキレアが尋ねた。


「私は光の天上人で……」


「……っ?!」


スラウが言った途端、その場の空気が凍りついた。

グロリオとライオネルが一瞬視線を交わし、ランジアの顔は明らかに不愉快そうだ。

他の隊員たちも困惑した表情を見せている。


「え? あの、私、何か変なことを言ったかな?」

「い、いや! 何でもない、何でもない!」


グロリオは慌てて手を振った。


「そ、そう言えば、ずっと重い荷物を持って歩いて疲れただろ? アイリス、スラウを部屋に案内してやれよ。ラナンの部屋は……」


「僕が案内するよ。同じ部屋だし」


チニが手を挙げた。


「スラウ、こっちよ」


アイリスが早くも荷物を持って階段の上に立っていた。


案内された部屋に入ったスラウは目を輝かせた。

黄緑色のカーテンの隙間から半円形の白い柵のついたバルコニーが見える。

部屋の中には、ベージュ色のベッド、木で出来た丸い小さな机と椅子が二脚。

それに焦げ茶色の衣装棚。


「ここが……」


「あなたの部屋よ。本当は相部屋で、2人で1つの部屋を使うんだけれど、隊の女子は5人だから……何か分からないことがあればいつでも私の部屋に来て」


「ありがとう。アイリスの部屋は?」


「この部屋のすぐ隣よ。ランジアと同じ部屋なの」


「じゃあ、もう1つの部屋にアキレアとフォセが居るんだね」


「そうよ。私たちの部屋は静かで良いけれど、アキレアたちの部屋はいつも騒がしいの。この間はフォセがベッドの下に入り込んだペンを取ろうとして部屋がめちゃくちゃになっていたし」


アイリスは手を口に当てて笑った。


「あなたもすぐに仲良くなれると思うわ。これからよろしくね」


「こちらこそ」


スラウも笑顔で返した。


***


「ちょっと! どういうこと?!」


スラウとラナンが部屋に入るのを待ってアキレアが口を開いた。


「彼女、本当に私たちの隊に入るの? 何かの間違いじゃないでしょうね? 長たちは何を考えているのかしら」


そう言うとランジアはスラウの部屋の扉を睨んだ。


「ランジア」


ライオネルが彼女を窘めたが、彼女は構わず続けた。


「私は反対よ。別の隊に移らせましょ」


「いや」


グロリオが遮った。


「あの子が悪いわけじゃねぇ。それに、光の天上人をここに入隊させたのは長たちの意思だ。どっちにしろ、変更はできねぇよ」


彼の言葉に部屋は再び重い沈黙に包まれた。

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