五.選考①
スラウは冷え冷えとした空気に思わず身を縮めた。
歩きながらサギリがこの世界の大まかな地理を説明してくれた。
中心部に長たちの住まう城があり、そこから各領域に向かって放射状に大きな街道が通っているのだという。
彼の家は城と光の領域を結ぶ街道脇にあったが、多くの人はそれぞれの能力の領域に家を建てて住んでいるのだそうだ。
その為か、周囲にはチラホラと見える小さな家の他には何もなく、城に行くまでには幾つもの森や丘を横切らねばならなかった。
「着いたぞ」
サギリの言葉にスラウは目の前にそびえる城壁を見上げた。
家を出た時はまだ昇っていなかった太陽も、今は天高くから光を注いでいる。
城をぐるりと囲う石造りの壁はどこまでも続いていて目を凝らしても終わりは見えなかった。
スラウたちの歩いてきた街道はいつのまにか他の街道と合流して、横幅の広いレンガの道に変わっていた。
道は、滑らかな螺旋を描いて互いに絡み合う門へと続いていた。
サギリが門の脇に作られた小さな木の扉を叩いた。
徐ろに扉が開いて眠そうな顔の門番が顔を突き出した。
彼は慌てて欠伸をこらえると居住まいを正した。
「サギリさん! おはようございます! えっと……後ろの人は誰ですかい?」
「おはよう。こちらはスラウ。選考前だから属性は不明だ。それから、特殊能力の天上人ラナンだ」
門番は急いで台帳を捲った。
「へい! スラウさんと……ラナンさんですね……それではどうぞお入り下さい」
彼はそう言うと扉の向こうに顔を引っ込めた。
門が低く重い音を立てながらひとりでに開いた。
門をくぐり抜けた3人は石造りの壁に囲まれた小さなドームに辿り着いた。
青々としたツタが生えている壁を伝い、天井に丸く切り取られた空は青く澄んでいた。
サギリは幾手にも分かれる通路の1つを進んでいった。
通路を抜けると芝生が茂っている広場があり、大きな噴水があった。
数人が広場のベンチに腰かけて話していた。
3人は噴水を周りこみ、更に奥へと進んだ。
石造りの建物が整然と立ち並ぶ通路や広場を通り抜けると、白い石畳みの大きな広場に出た。
そこには上へ続く長い階段があり、その先に巨大な城がどっしりと構えていた。
朝日に照らされた城は鈍く銀色に輝いていた。
「ここに長達がいる」
サギリは言うと階段を上った。
数段上がって振り返き、城を見上げたままのスラウを振り返ると笑って手招きした。
「ほら! いつまでもそこに突っ立ってないで早く来い!」
***
任務の報告書を提出しに行くラナンとは城の入り口で別れ、スラウとサギリは応接間に案内された。
案内してくれたのは女性の着ている白い丈の短いベストに施された金の刺繍は、天上人の6つの力を象徴していて、城で働く者の証なのだとサギリが小声で教えてくれた。
皺ひとつない丈の長いワイン色のスカートの隙間から磨き上げられた焦げ茶色のブーツが覗き、石床に固い靴音を響かせていた。
応接間に入った途端、飛び込んでした眩い光にスラウは思わず目を細めた。
大きな窓から射し込む陽の光が磨き上げられた床の幾何学模様を揺らしていた。
入り口とは反対側の壁には大きな木の扉があり、扉の上には不死鳥のレリーフが施されていた。
「そちらにお掛けになってお待ち下さいませ」
彼女はスラウたちをえんじ色のソファに案内すると優雅な仕草で一礼した。
彼女が部屋を出るや否や、新たに誰かが入ってきた。
「あら! やっぱりサギリじゃない! 休暇は今日でおしまい?」
そう笑顔で話す女性は先ほどの応接係と同じ格好をしていた。
この人も城で働く人か……
スラウがぼんやりと考えていると、彼女がこちらを向いた。
後ろで1つに束ねた明るい茶髪が揺れ、大きな黒い目がスラウの顔を覗き込む。
「この子がサギリの言っていた子ね」
「ああ」
「今日はこの子を送りに来たの?」
「ああ」
サギリの声がどことなく上ずっている気がする。
「スラウ!」
サギリをぽかんと見つめていたスラウは突然名前を呼ばれて飛び上がった。
「……ふ、ふぁい?!」
「こちらはカトレアだ。この城で応接係をやっている。カトレア、こちらがスラウ」
「こんにちは。よろしくね」
優雅に差し出された小麦色の手をスラウはそっと握った。
「あ、こ、こんにちは……スラウです」
しどろもどろになるスラウにカトレアが微笑んだ。
「もうすぐでお呼び致します。もうしばらくお待ちくださいね。それじゃ、また後で」
カトレアは、最後はサギリの方を向いて言って去っていった。
それから間もなく、応接係が現れてスラウを更に奥の部屋へと案内した。
ここまでサギリはついてこられない。
恐る恐る扉を開けたスラウは部屋の中を見回した。
窓はカーテンが閉められていて外の光は全て遮断されていた。
壁際には間隔を開けてキャンドルが置かれていて、部屋を仄暗く照らしていた。
部屋の奥に大きな長テーブルが置いてあり、6人が並んで座っていた。
それぞれの顔はスラウのいる所からははっきりと見えなかったが、1人が手招いたように見えた。
スラウはゆっくりと足を前に出した。
静寂に包まれた部屋に靴音がやけに大きく響いた。
テーブルに近づくにつれ、長たちの顔がはっきりしてきた。
スラウが彼らの向かいに立つと、1人が音もなく立ち上がった。
緑色のローブに身を包み、茶色い長い髪は顎まで伸びている。
皺の刻まれた顔に優しげな深緑色の瞳が光っていた。
「掛けなさい」
優しく低い声だった。
穏やかな表情の老人に向かって一礼するとスラウは席についた。
「これから我々が君の能力が何に属するのか判断するということは知っているね? その前にまずは我々から自己紹介をしようか。わしは木の長タイトンだ。木の能力は動物や草花などと心を通わせ、操ることができる。だが勿論、彼らの意思を尊重した上でね……我々天上人は自然の法則に逆らうことはしない。このことを胸に留めておいてくれ、良いね? じゃあ次は……」
タイトンはそう言うと一番右端に座っている女性に視線を送った。
細身の彼女は長い脚と腕を組み、赤みがかった癖のある長い髪をきつくまとめていた。
細い顔に神経質そうな橙色の瞳が光っている。
えんじ色のローブを身に纏った彼女はハスキーな声で口を開いた。
「あたしは火の長だ。名前はリア。これで良いかい?」
「おう」
のぶとい声が返ってきた。
がっちりした体格の男性で真っ青なローブの下の白い麻のシャツの袖を捲り上げていた。
剥き出しになった筋肉質の腕には濃い毛が生えている。
癖のある黒い髪に日焼けした肌。
透き通るような青い瞳と白い歯が輝いていた。
「俺のことはヘラルドと呼んでくれ。俺は水の長だ。一口に水の能力と言っても海や川、氷、霧……様々な種類の水を操る。これは他の能力でも言えることだがな。その能力でどんなことができるのかは性格によるんだぜ。次はラークスかな?」
彼の隣の席には淡い青色のスカーフを首に巻いた小柄の女性が座っていた。
半袖のドレスからは細い腕がのぞき、幾つもの個性的な色合いの輪をつけていた。
彼女が動く度に腕輪は互いに当たって賑やかな音を立てた。
大きな緑色の目がスラウに向けられた。
「ヘラルドに紹介された通り、私はラークス。風の能力の長よ。どうぞよろしくね」
可愛らしく彼女が片目を瞑ってみせ、タイトンやヘラルドは下を向いて苦笑した。
「次は私の番かしらねぇ……私はソニア。特殊能力の長って言って分かるかしら? そうそう。この属性の子たちは本当に色々なことができるのよ……あ、そう言えばこの間、猫に化けた子がいてね……私ったら「あら、可愛い猫ちゃん」とか言って餌まであげちゃって教室に連れていったのよね。その子は授業を休みたかったから変幻してたみたいなんだけど……それで授業って、やっぱりずるをして休んだらいけないでしょ? そこでね……」
こう話すのは紫色のローブを羽織るふくよかな体型の老婆で、優しく光る小さな黒い瞳が輝いていた。
「ソニアや……お前さんの話し好きはよぉく分かったから話を進めても宜しいかな?」
尚も話そうとするソニアを木の長タイトンが制した。
「あらごめんなさいね……新しい人に会うとつい……良くない癖だわ、本当に……」
ソニアは顔を赤らめて小さくなった。
彼女の横に座っていた老人が申し訳なさそうに口を開いた。
「すまんなぁ、ソニア……初めましてスラウ。わしは光の長コウルじゃ。ほれ、タイトン。全員の紹介が済んだぞ」
コウルは長たちの中で最も高齢の男性だった。
長い髪は白く輝き、真っ白なローブを纏っていた。
深い皺の刻まれた顔は彼がいかに長い間生きてきたのかを物語っているようだ。
灰色の燻んだ瞳がゆっくりとタイトンの方に顔を向けられ、彼は頷くと口を開いた。
「さて……天上人に関してはサギリから何か聞いているかね?」
「はい」
「そうか。それでは、おさらいも兼ねてもう1度説明するぞ。我々は天上人と呼ばれる種族だ。天上人は使命を負っていてその為に力を使うことができる。天上人たちには、6つの能力の中で自分の力を最大限に引き出してくれる石が与えられるが、これをパワーストーンと呼ぶんだ。スラウ、これの扱いには気をつけなくてはならないよ。石は持ち主を選ぶんだ。そして石に認められた者しかそれに触れることは出来ない」
スラウは固い表情を浮かべて頷いた。
「よろしい。では、続けよう。この城はこの世界の心臓部を担っている。契約書に関すること、新米の君たちを育成も全てここで行われる。我々長の役割は城を統括し、天上人たちを育成することだ。だが、それでは各能力の源を司る領域を守ることができない。だから、その領域を守る役割を果たすのが王たちだ」
スラウは再び頷いた。
「さてと……以上で説明は終わりだ。質問があればいつでも我々に聞くと良い」
タイトンがそう結ぶとラークスが高い声ではしゃぐように言った。
「いよいよね!」
「一体、あなたは何の能力に秀でているのかしら?」
ソニアも楽しそうに笑った。
その一方で、リアは小さく鼻を鳴らした。
「あたしは別に何だって構やしないんだがね」
「まあまあ。そんなこと言うなよ、リア。お前も気になるんだろ?」
ヘラルドがなだめたが、彼女は彼を一瞥するとそっぽを向いた。
タイトンは苦笑交じりに言った。
「すまないね。みんな自分の教え子になってもらいたいと思って待ちきれないんだよ」
スラウは緊張気味に頷いた。
「それで? 貴方はどんなことが出来るの?」
ラークスが尋ねてきた。
考え込むスラウに彼女は手をひょいとふって見せた。
「例えば、風の能力だと……こうすると風が巻き起こるのよ」
それを見たヘラルドも負けじと口を開いた。
「水なら……ほら!」
彼は机の上に置いた手を上に持ち上げた。
すると、氷で出来た小さな城が現れた。
「どうだ? 驚いただろう? こういうことは君も学べばすぐに出来るようになるさ」
へラルドが白い歯を見せて笑った。
リアは特に反応しなかったが、タイトンは氷の城を笑顔で見つめて頷いた。
「心当たりは無いかい?」
スラウは残念そうに首を横に振った。
「いいえ、すみません……私は地上界の村の出身ですから……そういうことは……」
それを聞いて長たちは沈黙し、それぞれ物思いに耽った。
スラウは何だか気まずくて下を向いて膝の上で固く握った拳を見つめていた。
「光は……どうだね?」
不意にコウルが沈黙を破った。
彼の静かで力強い声にスラウは思わず顔を上げた。
「指先にほんの少し光を灯すだけでも良い」
「ですが……」
躊躇うスラウにコウルは微笑みかけた。
「やってみなさい」
長たちの期待に満ちた面持ちが自分に向けられた。
スラウは大きく息を吸うとゆっくりと腕を伸ばした。
幼い頃から目を閉じて空を掴み、手を動かすだけで不思議なことが起きた。
あれを見せれば良いだけだ。
スラウは胸の前で重ねた両手をゆっくりと開いた。
目を開けると両手から小さな光の粒がゆっくりと、そして次第に激しく花火のように天井に向かって溢れ出した。
ほの暗かった部屋が照らされ、天井に施されていた装飾が綺麗に映し出された。
石造りの装飾が金色の光に照らされ、あたかも金で作られた物かのようにすら錯覚された。
光の粒は勢いよく噴き上がると今度は雪が降るように机のゆっくり舞い落ちてきた。
次第にスラウの手から放たれる光が弱くなり、室内も再び暗くなった。
しばらく誰も動かなかった。
長い沈黙の後、ヘラルドが溜め息を漏らした。
「……素晴らしい」
それを聞いたコウルは何だか満足そうだった。
「スラウよ。光の天上人として役割を果たしなさい」
「はい」
タイトンの口調が改まった。
スラウは席を立ち上がると長たちに深々と一礼した。
そしてコウルと握手を交わした。
皺の刻まれた手は暖かく、スラウの手を強く握っていた。
「それではわしが出口まで君を送ろう」
コウルはそう言うと椅子に立て掛けていた白い杖を手にした。
その杖は彼の肩までの高さまであり、先端で絡まり合う枝の中には白く輝く石がはめ込まれていた。
彼は反響する杖の音を頼りに歩き出した。
その様子に気がついたスラウにタイトンが言った。
「彼はかつて光の天上人が絶滅した戦いの中で視力を失ってしまったんだ。彼こそ、その戦いに生き残った唯一の光の天上人だ」
コウルの背中がキャンドルの灯りの中に浮かび上がった。
この人があの戦いの生き残り……
スラウはこれから師となる彼の後ろ姿をしっかりと脳裏に刻んだ。
スラウはもう1度長たちに礼をするとコウルの後を追った。
扉の前まで来た時、彼は振り返ってスラウに小声で囁いた。
「スラウ。パワーストーンの話があったが……その石には特に気をつけなさい」
ローブの下に慌てて手を伸ばすスラウにコウルは微笑んだ。
「わしには他の人には見えないものが見えるんじゃよ」
彼は再び深刻そうな表情を浮かべると続けた。
「その石には他の石と異なるものがある。石の持つ力が他に比べて強い、強すぎる程にじゃ……強大な力は絶えず君を誘惑するだろう。誘惑に負けて己を失わぬよう、用心せよ」
「……分かりました」
スラウが頷くとコウルは微笑んで頷き、扉を開けた。
応接間の灯りが一気に射し込んできて眩しかった。
スラウはコウルに一礼すると部屋を後にした。
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