四.故郷②

遠くで名前を呼ぶ聞き慣れた声にスラウは目を瞬いた。

ぼんやりとした視界の向こうで誰かが顔を覗き込んでいる。


「おじさん!」


スラウは嬉しくなって飛び起きた。

ロナルドが手を伸ばしてきたので、スラウはそのがっしりとした腕に飛びついた。

彼は笑いながらスラウの頭を撫でると腕を組んで歩き始めた。

彼の家族が温かいスープや焼き立てのパンの並ぶテーブルを囲んで待っていた。


しかし、スラウがそこへ向かって駆け出そうとすると、足が深い沼にはまったように沈み始めた。

もがきながらスラウは白い靄の中へ沈んでいった。


身体が重くて動かない。

声も掠れて自分でも腹立たしいくらいだ。

徐々に周りの靄が薄れてきた。

そこに広がる光景にスラウは息を呑んだ。


すぐ目の前で巨大な炎が家を焼いている。

木片が音を立てて崩れ、思わず後退りした時、ふと脚に何かが当たった。

振り返ると、ロナルドが倒れていた。

真っ赤な血溜りが徐々に大きくなっていく。

手を伸ばしたが、ロナルドは粉が舞うように消えてしまった。


思わず手を引っ込めたスラウはつと顔を上げた。

彼の妻子が固く抱き合っているのが見えたのだ。

2人の顔には恐怖が浮かんでいた。

視線の先には焼け落ちる家々と迫りくる炎があった。

スラウは足を踏み出した。


「逃げてぇぇっ!」


どれほど手を伸ばしても、大声で叫んでも、彼らに届かなかった。

足がもつれて転んだ。

肘をついて顔を上げると2人の姿が靄と陽炎の中に消えていった。


「―――!」


スラウは声にならない叫び声を上げた。


***


「……っ!」


涙が一筋、頬を伝っていた。


「夢、か……」


スラウは目を擦って起き上がった。

窓の外はまだ暗く月も見えなかった。

不意に階段が軋む音が聞こえた。


「……スラウ?」


遠慮がちにドアを叩く音がしても何も答えなかった。

ラナンはしばらく呼びかけ続けていたが、やがて小さな溜息が聞こえて足音が遠ざかっていった。


 1階ではサギリが片手でお茶を淹れていた。


「だめだった……」


俯くラナンに彼はそうか、としか返さなかった。

ラナンは机の上に丸められている地図を指で突いた。


「お前がもっと気を使ってくれれば良かったのに。言っても無理か……こいつは聞かれた場所の説明しか出来ねぇもんな」


地図は相変わらず沈黙していた。

サギリはしばらくそれを見ていたが、徐ろに口を開いた。


「ラナン、それをくれ。処分しよう。見ていると辛い」


ラナンは言われるままに地図をサギリに渡した。

すぐさま暖炉の中に投げ込まれた地図には火が移り、紙の上に現れていたミレーの村が炎に包まれた。

2人はしばらく舞い上がる灰をただ見つめていた。


***


 スラウは枕を抱えて胡座をかくと壁を見つめた。

自分の言葉が耳の奥で木霊していた。

――『やだよ! 1人で行けって言うの?! おじさんが居ないのに?!』


スラウは唇を噛んで頭を抱えた。


「くっ……!」


あの時、ロナルドはこのペンダントをスラウに託して言った。


――『奴らが戻ってくる前に……行くん……だ』


励ますように微笑んで息を引き取った彼の顔が瞼の裏に焼き付いている。


「私、どうしたら良いの……?」


掠れた声で呟いて膝を抱える。


――『君はこの石で天上人にならなきゃいけないんだ。分かるだろ?』


サギリの言葉が蘇る。


――『助けを求める人たちを助けられないなんて……天上人が存在する意味なんか無いじゃない!』


サギリやラナンにぶつけた言葉も。

彼らがどんなに傷ついた顔をしていたのかも。


シャツの袖を強く握りしめた白い手に細い血管が浮かび上がる。


――『今、自分が出来る精一杯のことをしてごらん。きっと何かが変わるはずだ』


ロナルドの口癖が聞こえた気がして、ふとスラウは我に返った。

部屋は相変わらずの静寂に包まれている。


スラウは空を見つめた。

何であんなこと言ってしまったのだろう?

突然、自責の念が湧き上がってきた。

自分の感情をぶつけるだけぶつけて、2人の気持ちなんて少しも考えていなかった……


「私に……出来ること……」


無意識にペンダントに手が伸びた。

石の冷たさが心地良かった。

スラウはぼんやりと光を放つ石を握り締めて俯いた。


「スラウ、起きてるか?」


ふと扉の外で静かな声が聞こえた。


サギリは扉に背中を預けてしゃがんだ。

相変わらず扉の向こうは沈黙したままだった。


「悪かったな。お前の気持ち、踏みにじるつもりはなかったんだ。寝ているならそれで良い……俺の独り言だから」


サギリは月光にくっきりと床に刻まれた木の葉の影を見つめて口を開いた。


「天上人の6つの能力が均衡を保つことでこの世界は保たれるって言ったの、覚えているか?」


「……」


「今の天上界は不安定だ。光の天上人がほぼ全滅してしまったから……」


その事件は突然起こった。

光の領域で突如、魔界に巣食う異形の生物が現れ、平穏に暮らしていた人々を襲ったのだ。

魔物たちは兵士でない女性や子ども、老人にさえ、誰彼構わず襲いかかった。

平和の象徴であったこの領域が何者かに脅かされていることは天上界中にすぐに知れ渡った。


他の力の領域を治める王たちは加勢の軍を送り込んで光の天上人たちを救おうとし、長たちも城を離れて戦いに加わった。

次第に戦いは天上人の世界全体を巻き込む大きなものになっていった。


しかし、彼らは闇の勢力を負かすことは出来なかった。

その原因の1つが光の天上人の中に裏切り者がいたからだとされている。


それがゾルダーク・エリオットだ。

彼は光の領域を治める王からも信頼を寄せられていた人物でもあった。

それだけに天上人たちは大きな衝撃を受けた。

ゾルダーク・エリオット、彼の目的はこの世界の崩壊だった。


一夜にして余りにも多くの生命が失われた。

その間にも闇の勢力は止めどなく光の領域に送り込まれた。

このままでは他の領域へ闇の勢力が及びかねないことを悟った光の天上人たちは領域の奥、光の源に向かった。

彼らは残された全ての力を振り絞り、瘴気しょうきに侵された領域を浄化した。

お陰で天上界から闇の勢力は消えたが、援軍がそこへ辿り着いた時には光の天上人たちは皆、力尽き、息絶えていたという。


「そうして光の天上人が居なくなり、この世界の均衡はゆっくりとだが……確実に崩れ始めた」


サギリはそこで言葉を切った。


「昔な……俺は大事なもんを1度に……全部失っちまったことがあるんだ……」


サギリはでもな、と呟くと天井を仰いだ。


――『そこにしがみついていれば失ったものが帰ってくるのか?』


「動けなかった俺に喝を入れてくれた人が居た。確かにこのまま何もしなければこの世界は崩壊するだろう。だが、もし……もし全ての天上人が複数の能力を使えるようになれば? 光の能力も再興して世界は元に戻る。その為にはスラウ、お前が必要なんだ。だから……過去を殺してでも良い。俺と一緒に前に進んでくれないか?」


サギリはひとり小さく笑い、青い瞳を細めた。


「あくまでも俺の独り言だ……聞いてないなら、それで良い」


そう呟くとサギリは反応のない扉を後にして階段を下りた。


「サギリさん!」


その瞬間、扉が勢いよく開いたかと思うとスラウが階段を転がるように追いかけてきた。

うたた寝をしていたラナンも飛び起きた。


彼女はサギリを見つめたまま、言葉を探しているようだったが、ふと頭を深く下げた。


「あの、昨日はごめんなさい! 私、決めた。もう後ろは振り向かない。そして……誰も死なせない。そういう天上人になります」


「そうか」


サギリはふと微笑むと右手を差し出した。


「ん」


「え?」


「ほら、仲直りの握手だ」


「怪我はもう良いんですか?」


「全然平気だ。大したことない」


ラナンは包帯を巻いた方の手をさりげなく背中に隠すサギリに呆れた目を向けた。


「あ……夜明けだ」


ラナンの言葉に釣られてスラウも窓の外を見た。

空がオレンジ色に染まり、金色の光が地平線に現れた。


「行くぞ!」


いつの間にかサギリが玄関ホールに立っている。


「どこに?」


スラウとラナンの声が重なった。


「城だ」


「え?! こんな早くに?」


ラナンが驚きの声を上げた。


「善は急げって言うだろ? 長たちもスラウの選考は楽しみにしているはずだ」


「で、何で俺も行かなきゃいけないんだよ?」


「お前はこの間の任務報告がまだ済んでねぇからやってこい」


「まじかよ……」


「さぁ行くぞ!」


サギリはにっこり笑って扉を開けた。

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