四.故郷①
2階建てのサギリの家は1本の大樹の中に作られていて、太い幹の内側が抉られて部屋を区切り、青々しい葉が天井を覆っていた。
玄関ホールの右手の部屋の階段を上がると3人のそれぞれの寝室があった。
「2階はあまり見る所が無いなぁ……」
スラウは呟くと階段を降りた。
さっきまで3人でお茶を飲んでいた部屋に何となく戻ってきた時、ふと暖炉の上に丸められている紙が視界に飛び込んできた。
「何だろ、これ?」
手に取りそっと台所を覗くと、ラナンはまだ床を拭いていた。
この家の間取りを示した図だろうか?
隠し部屋が見つかるかもしれない。
スラウは唾を飲み込むと使い古された羊皮紙を机の上に広げた。
「何だ、何も書かれてないじゃん」
溜め息を吐いた時、紙の中央がゆっくりと盛り上がってきた。
「……?」
見守っていると紙は山の形を作った。
スラウは固唾を呑んで、次々と伸び縮みする紙を見つめていた。
至る所で小さな盛り上がりや凹みができ、凹凸は徐々に見覚えのある、あの三角屋根の建物へと変わっていった。
手前の部分の紙は緩やかに盛り上がったり窪んだりしていて、波止場に打ち寄せるさざ波のようにも見える。
気がつくと紙の上に小さな町が出来上がっていた。
まるで空から見下ろしているかのように立体的な紙の町が机の上に広がっている。
建物の間にゆっくりと黒い文字が浮かび上がってきた。
――『イリオンの港』
そして山の頂上にも同じような文字が浮かび上がった。
――『フィルメイ山』
「これ、もしかしてあそこの地図?」
ポカンと口を開けて地図を見つめるスラウの耳に抑揚のない女性の声が聞こえてきた。
『イリオンの港。東西の海を繋ぐ本港では各地から様々な海産物が集められます。領主クタイトの元で栄え、国を支える重要な町の1つです』
天上人はこの地図で地上界の様子を把握するのか……
スラウが閉じようと紙に手を伸ばした時、地図から再び声がした。
『どこを調べますか?』
スラウは思わず動きを止めた。
「どこでも良いの?」
ふと自分の育った村の様子が見たくなった。
あそこを出て3年……
海を目指してあちこちを転々とした。
もうしばらくは帰ることの無い場所だと思っていた。
皆はどうしているのだろう。
想いに耽るスラウをよそに地図は淡々と答えた。
『地上界の場所ならどこでもお見せできます』
スラウは目を輝かせた。
「じゃあ、ミレーの村を見せて下さい!」
地図はしばらく沈黙した後、盛り上がっていた部分を次々と沈めて白紙に戻った。
しばらくすると紙の中心が黒ずみ始め、そこを中心に黒く細い煙があちこちで立ち昇った。
何が起こっているのか理解できなかった。
地図が正しく機能しなくなってしまったのかとさえ、思った。
「何……これ……」
『ミレーの村。獄焔により焼失。かつて行商人の集まる中継地として栄えた村は全て焼き尽くされ、今はその面影すら残っていません。繰り返します。ミレーの村……』
「どういうこと?」
頭が真っ白になる。
思わず地図を掴んで叫んだ。
「う、嘘でしょ?! 村が無くなるわけがない! ついこの間まで私たちが住んでいたんだよ?! こんなの、ありえない!」
だが、地図が反応することはなかった。
『……焼失。かつて栄えた村は全て焼き尽くされ……』
「もういい……」
『その面影すら残って……』
「もういいよ! やめてよ!」
声が震える。
だが、地図は相変わらず淡々と説明を繰り返していた。
手の中で地図が音を立ててひしゃげる。
「聞きたくないって言っているでしょ……」
スラウは掠れた声で呟くと地図をぐしゃぐしゃと丸めた。
説明文を読む女性の声が次第に小さくなっていく。
自分の鼓動はやけに大きく聞こえた。
「村が焼き尽くされたって言うなら……あの人たちは? どうなっちゃったの?」
「スラウ?」
名前を呼ばれ、スラウは我に返った。
ラナンが台所から怪訝な表情でこちらを見つめていた。
「どした?」
「あの、ね……村……が……」
そこまで言うのがやっとだった。
スラウはそのまま崩れ落ちるように膝をつくと堰を切ったように泣き始めた。
「お、おい! どうしたんだよ?!」
ラナンは慌てて持っていたモップから手を離してスラウに駆け寄った。
ちょうどその時、サギリが部屋に入ってきた。
「ただいまぁ……ん? どうした?!」
スラウはポカンと突っ立っているサギリにすがった。
「サギリさん!! 今すぐ地上界に帰らせて!」
「え……? いきなりどうしたんだよ?」
「村が……!」
サギリはスラウの指差した先に目をやった。
机の上に広げられたひしゃげた地図から黒い煙が立ち上っている。
『ミレーの村』。
サギリは荒野の上に浮かんだ文字に思わず息を呑んだ。
「天上人とか、そんなことはどうでも良い! 地上界に戻らなきゃ!」
スラウの言葉にサギリは反射的に返していた。
「どうでも良い訳ないだろう?!」
「何でよ?!」
「天上人の立場を捨てるということは力を捨てるだけじゃない! 今までの記憶も全て消すということだからだ! スラウ! お前が今、地上界に戻ったところでお前は何もできないんだ! 自分が何者かも分からなくなるんだぞ!」
「じゃあ、どうすれば良いって言うのよ?!」
スラウの言葉にサギリは言葉に詰まった。
「そもそも、みんな「助けて」って願っていたはずでしょ?! 何で?! 何で、その「声」はここに届かなかったの?! 何で誰も助けてくれなかったの?! 何で守ってくれなかったの?!」
「すまない。でも……っ!」
「言い訳なんて聞きたくない! 何でこんな目に合わなきゃいけないの?! 奇跡を起こすのが天上人でしょ?!」
「スラウ!」
鋭い声にスラウは思わず肩をビクつかせた。
「天上人のやれることにだって限りはあるんだ! 全ての人を救うことは出来ない。分かってくれ……」
それを聞いたスラウは数歩あとずさった。
「そう……」
呟くや否や、首からぶら下げていたペンダントを外し、床に叩きつけた。
石が床に当たって音を立てた。
「スラウ! バカなことはよせ!」
ラナンが叫ぶ隣でサギリは息を吸って冷静さを保とうとした。
「スラウ。これは君のだ。この石があるから天上人は力を使うことができる。君はこの石で天上人にならなきゃいけないんだ。分かるだろ?」
「分かんないよ! 分かるわけない! 私は天上人なんかにならないから! 助けを求める人たちを助けられないなんて……天上人が存在する意味なんか無いじゃない! この石なんて要らない!」
「その石を乱暴に扱うな! 天上人の命だぞ!」
「サギリさんは! 故郷に戻るよりも天上人になる方を選べ、って言うの?! あんまりだよ! 村にはおじさんの家族がまだいるんだよ?! あなたには私の気持ちなんて分からないんだ!」
「もういい!」
声を荒げたサギリはスラウのペンダントをむしり取った。
「サギリ! よせ!」
ラナンが止めた時にはもう遅かった。
石はサギリの手の中で赤い閃光を放ち、煙を上げ始めた。
「サギリ! 石から手を離せ!」
叫ぶラナンを目で制し、サギリは顔をしかめならがも口を開いた。
「よく見ろ、スラウ。この石が君を天上人として認めている証拠だ。君が心から信頼する者でない限り、この石は誰もを焼き尽くすぞ」
スラウは唇を噛むと、サギリの手からペンダントをひったくった。
石はスラウの手の中であっという間に熱を失い、元の透き通った石に戻った。
スラウは震える手でそれを握り締め、階段を駆け上った。
扉が勢いよく閉まる音が階下に響いた。
「スラウ!」
後を追おうとするラナンをサギリが制した。
「今は……1人にしてやれ……」
ペンダントを握っていた彼の手は腫れ上がり、血が滲んでいる。
ラナンは慌てて冷やしたタオルを当てた。
「このバカ! なんて真似をするんだ!」
「大したことな……いてっ……そこは触んな……」
「ほら、腫れてるじゃねぇか!」
「大丈夫さ……これくらい寝たら治るって……」
力なく笑うサギリにラナンは眉を寄せた。
「お前、ほんっとうにバカだよ……スラウが止めなかったらどうするつもりだったんだ?」
「利き手とは逆の手で掴んだから日常生活には支障無いさ。どうだ? ちゃんと考えているだろ?」
茶化すサギリの頭をラナンは叩いた。
「少しは自分のことも考えろ、って言ってんだ! このバカ!」
***
スラウは扉に寄りかかるようにして膝を抱えた。
故郷を失ったことの悲しみとやるせなさ、その感情を2人にぶつけたこと……
様々な感情が湧き上がって止められなかった。
今はもう何もしたくなかった。
冷たい月の光が部屋に射し込んできた。
見上げると窓の外はもう夜だった。
ふと枕元に飾られた小さな木の額縁が目に入った。
この肖像画は育ての親ロナルドが家を新しく建て直した時の記念に描いてもらったものだった。
スラウはゆっくりと立ち上がるとそれを手に取った。
家の前でにこやかに笑っている彼の家族とスラウの表情が胸を締め付ける。
スラウはそれを抱き締めるとベッドに身を投げ出し、絵を月光に透かした。
青白い肖像画を眺めながらスラウは眠りに落ちていった。
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