紙に書かれたダイニングメッセージ
猫屋 寝子
第1話
私は長年刑事をやっているが、今日、初めてダイニングメッセージというものを見た。
この目でダイニングメッセージを見るまで、私はダイニングメッセージなど小説の中のものだけだと思っていた。死ぬ間際の人間が犯人に繋がるものを残す余裕があるのか、否、あるわけがない。そう思っていたのだ。
しかし、実際にそんな余裕のある人間がいるらしく、今回の事件の被害者はその一人であった。
「ダイニングメッセージなんて書く人間、本当にいるんですね」
後輩の荒川が血痕のついたテーブルを見て言う。私も彼の視線をたどり、テーブルを見た。
テーブルの上には被害者と女性が写っている写真と血で汚れた紙とペンがある。ダイニングメッセージが書かれているのはその紙であった。
その内容はとても不思議で、前半に手紙のような内容、後半に犯人を仄めかすような内容が書かれていた。
私は手袋を嵌めた手で紙をとり、内容を声に出して読む。
「なになに……?
『マリへ
元気にしているかい?
僕は変わらずやっているよ。
そういえば、イギリスの方に今月行けることになった。
お金のことなら気にしないで。
今月、収入が入る予定なんだ。
君に会えるのが楽しみだよ。』」
「遠距離中の恋人に宛てた手紙みたいですね」
荒川が顎に手をあてながら言う。荒川は顔が整っているからか、その様子が様になっていてなんだか腹が立った。
そのため、私はなんとか奴の足を掬ってやろうと細かいところを突っ込んだ。
「どうして手紙の相手が遠距離恋愛中の彼女だって言い切れるの?友達っていう可能性もあるじゃない」
「テーブルの上には被害者と女性の仲良さそうな写真が飾ってあります。彼女にしないにしても、写真からただの“友達”にしては二人の距離が近すぎると思うんです。それに、『マリへ』と書いていることから相手は女性だと思われます。だから、写真に写る彼女ではないかと思いました」
あまりにもスラスラと答える荒川に思わず瞬きを繰り返してしてしまった。しかし、はっと我に返ると、負けじと新たな疑問をぶつける。
「じゃ、じゃあなんで遠距離恋愛中だと分かったの!?」
「だって、手紙に『今月、イギリスの方に行けることになった』って書いてあります。そのあとの言葉からも、彼女はイギリスに住んでいるだろうことが分かりますよ」
またしても平然と答える荒川に私はガックリと項垂れた。
いつもこうなのだ。私の方が先輩なはずなのに、彼の方が頭が回る。
悔しいけれど、顔面偏差値も高く頭もいい彼には勝てる気がしない。
「それで、肝心のその下に書かれているダイニングメッセージはなんですか?」
荒川は項垂れる私など気にもとめず、さっさと次を促した。
私は舌打ちをしながらも、紙へと視線を戻す。
「えっと……『カ山』?カ山って人が犯人?」
死に際に書いたからか、字が震えていてとても読みにくい。山という字なんか二画目の横棒が斜めだし、三本の縦線がどれも同じくらいの長さで、ものすごく読みにくい。
そのため、私は目を細めて色んな角度からダイニングメッセージを読んでいた。
その様子が面白かったのか荒川がブッと吹き出し、一枚の紙を私に見せた。
「『加川』さんじゃないですか?」
それは借用書で、『加川正良』さんが被害者に金を借りていることが分かる。
机の引き出しが開いているので、そこから勝手に拝借したのであろう。
人に読ませておいて自分は他の証拠探しだなんて、失礼な後輩だ。
ここは『人の話をきちんと聞く』ことをきちんと先輩として教えなければいけない。
私は少し得意気な顔をして、荒川の顔を見た。
「ちょっと、私の話聞いていた?『カ山』ってダイニングメッセージには書いてあるのよ?どう考えても違うでしょ。山と川を間違える馬鹿なんて聞いたことないわ」
私は荒川を馬鹿にするように笑う。
しかし、荒川は余裕そうな笑みを浮かべると、自分の推理の解説を始めた。
「死にそうなとき、『川』っていう字を書いたらどんな感じになると思いますか?」
「そりゃあ、三本の線を引けばいいだけだから、『川』ってちゃんと書けるでしょう」
「本当に?自分の体力がつきかけて、上手くペンが動かせないときですよ?しかも、出来るだけ早く書き終えたいときです。普通、三本の線を繋げて書いてしまうんじゃないですかね?こんな感じに」
荒川はそう言うと『川』の書き順で三本の縦線を引く。
「あれ……『山』に見える……」
私は驚いて荒川の顔を見た。
確かに、慌てて書くと筆記体みたいになって、字が繋がるかもしれない。
荒川はさらに言葉を続けた。
「『加』の方は、ただ省略するために『カ』だけ書いたんだと思います」
「なるほど……。じゃあ動機は?お金を返せなくなったとか?」
「おそらく、そうだと思います。先ほど、ちらっと被害者の手帳を見たんですけど、亡くなる当日のところに『返済日』って書いてありました。返せなくなって殺しちゃったって感じですかね」
荒川は少し悲しそうな顔で言う。
彼はこんな表情もするのか。
私は彼の新しい一面を知れた気がして少しだけ嬉しかったが、慌ててその気持ちを閉じ込める。
荒川はライバルだ。後輩だけれど、私にとってはライバルみたいなものなのだ。
自分に言い聞かせて、事件のことを再び頭に戻す。
「て、手紙に書いてあった今月入る収入っていうのは返してもらうお金だったのかな」
「そうでしょうね。だから被害者もどうしてもお金を返してほしかったんだろうし、色々それで揉めたんじゃないですか?」
荒川はそう言うとため息をつき、部屋の出口へと向かった。
「とりあえず、『加川』さんのところに行きましょう。彼は事件当日に被害者と会う約束をしていたみたいだし、何かしら事情を知っていると思います」
私は頷くと、部屋を出ていく荒川の背中を追った。
今回も荒川に負けた気がする。
私は荒川にバレないよう小さくため息をついたのだった。
そうして、『加川』さんに話を伺うと、怯えたような表情ですぐに自分の罪を認めた。
どうやら、殺す気はなかったようで、衝動的な犯行のようだった。
なんでも、いつまでも金を返さず返済の約束を破ってきた『加川』さんに被害者が説教めいたことを言ってきて腹が立ったそうだ。
いつもは笑って期限を伸ばしてくれるのに、今回は呆れたように自分を見て色々と言ってきたらしい。その様子が自分を馬鹿にされていると『加川』さんは感じてつい頭を殴ってしまったのだとか。
そんな理由で殺されるだなんて、私は被害者とイギリスにいる被害者の彼女に哀れみを抱いた。
「人を殺す理由って、案外単純ですよね」
荒川が隣に座る私に言う。その表情は少し暗く見えた。
「そうだね。人が誰かを殺すのは『喜怒哀楽』のどれかの感情が爆発してしまうから、だと私は思っている。その爆発を押さえているのが『理性』じゃん?殺人犯って、皆『理性』をなくした獣だと思うんだよね。私達はそれを捕まえる、謂わばハンター。本当は獣化する前に止められたらいいんだけど、それが中々難しいから、犯罪が起こってからしか動けない。もどかしいよ」
私はそう言うと眉を下げて小さく笑った。
そんな私を荒川は意外そうな顔で見つめている。
「なんか、先輩がまともに見える」
「失礼な!」
真顔で失礼なことをいう後輩に突っ込みながらも、彼のお陰で事件を早期解決できたので、今回は軽く睨むだけにしておいた。
彼はそんな私を笑っていたが、先ほどより表情が明るくなったように思い、安心した。
そして、人間的には私の方がまだ強いな、なんて思ったのは秘密である。
紙に書かれたダイニングメッセージ 猫屋 寝子 @kotoraneko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます