エピソード5 異世界キャンプ(核戦争後)
「あんた、火の使い手じゃなかったの? 雪ぐらいどうって事ないと思ってたけど」
あゆみは非常用ランプに火を灯した。
暗闇が照らされ、この薄暗く不案内な廃墟が数十年前までは商業施設の一画であった事を思わせる名残が見えてくる。
「……エーテルさえあればこのような失態、冒してないわ」
「エーテル頼みでやってけるもんか。大氷河はそう甘くないよ」
背負っていたエミィを降ろすと、あゆみはスノーモービルのトランクから燃焼剤一式とアルコールを持ち出して即席の焚き火を作り、側にエミィを横たわらせた。
尚も体温低下によるエミィの衰弱は止まず、腕を抱えてはガタガタと震え、鼻水は留まる事なく流れ続けていた。
それは魔界を統べる王族、崇高たる姫君にあるまじき様相だった。
「エミィ、服脱いで。ひとまず乾かさない限りはずっと寒いままだよ」
「……は? 馬鹿を言うな」
心を許した者以外の前で脱衣するなど以ての他であり、ましてや今朝のエーテル検査で既に裸体を晒したのもあって「これ以上は勘弁してくれ」といった面持ちでエミィは渋っていたが、体の芯から冷え切るようなこの寒さが耐え難いのも事実だった。
「ちゃんと毛布もあるから、火の側で包まってて」
あゆみはワガママな子供をたしなめるように、エミィの服を脱がそうとする。
「う、うう……」
エミィは相変わらず不服だったが、無抵抗だった。
凍りついたセーターの中から顔ほどに大きな胸が露呈すると、やはりエミィは恥ずかしがって両腕で胸を抱えるように覆い、あゆみから顔を背けた。
「恥ずかしがってる場合じゃないでしょ……首長からあんたを絶対守るように言われてるんだから。ほら、毛布羽織って暖かくしてて。下も脱いでおいてね。ちゃんと乾かしとくから」
「下も、か……?」
「当たり前でしょ。ほらさっさと脱いで」
エミィは渋々あゆみの指示に従った。
「畜生……また服を脱ぐ羽目になるなんて……」
「自業自得でしょーが。最初っから脱走なんてしなきゃ良かったものを」
煌々と焚き火が燃える。
「……お前たち人間にひれ伏すなど、魔神として死を選ぶようなものだ」
「なんでそう思うのさ」
「―――我は、我が一族は永きに渡って人間と争ってきた。連中はマレボルギアの領地を侵攻し、同胞を殺めたのだ。また同じくして……我も多くの人間を葬り、英雄などとされる者共を手に掛けてきた。そのような我が今にして、お前達のような人間に降伏出来ようものか……?」
あゆみは焚き火から沸かしたコーヒーを水筒に注いでいた。
「……プライドたっか。あんたも飲む?」
熱々のコーヒーを差し出すあゆみは、エミィの話に興味ないといった素振りだった。
「ふん。興味無さそうだな」
「そりゃ興味ないよ。あんたの言う魔界をあたしは知らないし、聞いたこともない。だからあんたがその魔界で何をしてようが、信じないし、どうでもいいよ」
「ど……どうでもいい、だと……?」
エミィはこの恐れ知らずに怒りを通り越して、呆れさえ覚えていた。
「あんたがうちの警備隊で勤める以上、そのナントカ王族だった頃の強さとか、たくさん人を殺したとかの証明する必要、ないでしょ。なんかの役に立つの? あたし達が知ってるのは、あんたがレベル5級の魔神で野放しに出来ないって事だけ。だからもうそんな証明出来ない過去の事なんか放っといて、体力の回復に務めなよ」
あゆみの言う通り、エミィには過去の名声を証明できるものが無かった。
また、証明する必要が無いのも事実であり、エミィは複雑な気持ちになっていた。
「……まるで転生したかのようだ。何も持たされず、知らぬ領域に」
「マンガみたいな事言わないでよ。笑えてくる」
あゆみは吹き出す笑いを堪えていた。
「マンガとは誰だ。何がおかしい?」
「……だって漫画の登場人物みたい。あんたの立ち振舞いったら。あたしも転生もののライトノベル読んだ事あるけどさ、もし、何も与えられないで別世界に飛ばされたりなんかしたら……その、不憫過ぎない? いっひっひ……!」
あゆみは笑い転げた。
「一体何なんだ! 笑い所など無いではないか!」
「ごめんごめん、もし仮にあんたが別世界からやって来たとしたら、何となく辻褄が合うなー、って思っただけ」
「意味が分からん。端的に言え」
「……あんたさ、テレポートしてきたんじゃない? 地球に」
エミィはその地を知らない。
「地球……この地の事を指しているのか?」
なかば思惑通りの回答に、あゆみは笑いを隠せなかった。
「んふふふ……、やっぱりあんた転生して来たんだ。しかも、よりにもよってこんな厳しい世界に飛ばされるなんて、あんたってツイてないね。よっぽど悪い事をしたに違いないよ」
あゆみはニコニコしている。
勿論、冗談のつもりだったがエミィには伝わらない。
「おい、一体さっきから何を言っているのかサッパリ理解出来んぞ!」
「冗談、冗談だよ。あんたがマンガの登場人物みたいだって思っただけ。もちろん本気にしてないし、あんたが瘴気に頭をやられたエルフだって事は変わらないから」
「頭をやられているのはお前だ! さっきから我がマンガから出てきただの、理解不能な言葉を羅列するのは止めにしろ!」
エミィが顔を真っ赤にして反論すればするほど、あゆみのエミィには到底理解出来ない可笑しさが増す一方であった。
*
「さて、そろそろ体温も戻ってきたでしょ。警備隊の救援も来る頃だろうし、帰る準備しようか」
焚き火を囲んで1時間も経った頃であろうか。
煮え切らない様相のエミィをよそに、あゆみは帰り支度を始めていた。
すると、警備隊からの無線通信が入る。
「こちらしろいし営業所。救援は無理そうだ。ひどいブリザードでヘリを飛ばせずにいる。無理に帰還せず、キャンプを張って天候の回復を待つように」
首長コンラッドの声だった。
「えぇ……!? そんなに天気ひどいんですか」
「ああ……そっちは屋内かな。ごめんね、ここまで悪天候になるとはね。数メートル先も見えない。天候が晴れ次第すぐに救援向かわせるから、何とか持ちこたえて」
やむを得ないとはいえ、コンラッドのあんまりな対応にあゆみはげんなりとした。
「エミィ、あたし外の様子見てくる」
あゆみは悪天候ぶりを確かめたいといった様子で、外へ向かった。
そうして天候を確認するなり、あゆみはすぐに戻ってきた。
「ダメだこりゃ、ひどすぎる。あの吹雪の中で帰ろうってんなら、モービルを転倒させかねないし、モンスターに遭遇したらひとたまりもない」
「そんなに酷いのか? さしてお前達の拠点から離れていないだろう」
「まずあんたが持たない。この吹雪の中で十数キロも飛ばせないよ。こうやって足止めを食らうのはいつもの事だし、寝泊まりして天候の回復を待つしか無いね」
エミィは小馬鹿にされているようでムッとした。
だが己の冷気耐性の低さを思えば、あゆみの提案を飲むほかに無く、言い返す言葉が無いエミィは黙り込んだ。
「食べるものはあるからまだいいけど、火のほうが心配だ。今日の一晩は燃えるようなものでも探しに行こうか」
あゆみは立ち上がった。
「ああ、頼んだぞ」
「あんたも行くの。逃げられちゃ適わないでしょ」
火の側でうずくまり、断固として離れたくないエミィ。
そんなエミィを引っ張り出し、あゆみは嫌でも連れて行こうとする。
「嫌だ~……こうしてエーテルを回復させてるのだから、一人で行け~」
「何でもいいから早く服を着て、ほら」
「嫌だ~、全然乾いてないじゃないか……」
エミィは生乾きにも届かない、ずぶ濡れの服の着用を強いられた。
*
そうしてエミィは、モール跡の探索に渋々同行する羽目になった。
外界からの光は差さず、カンテラの灯りが無ければ何も見えなくなるほどの闇。
そんな廃墟の奥深くまで潜るというこの体験は、エミィにとって冒険者達のダンジョン攻略のようであり、魔神が勤しんで参加するようなものではなく、陳腐に思えた。
「岩壁とガラクタばかりだ。探索するだけ無駄ではないのか?」
「こうやって探索してみると結構、大戦前の遺物が出てくるもんなんだよ」
「遺物?」
「テクノロジーともいう」
エミィには聞き慣れない言葉だった。
「そうだ、エミィ」
「誰がエミィか。エヴァレンティアと言え」
「あんたって火の使い手でしょ。目印にたいまつなり作れない?」
「……作れてたら火起こしに困らないと思うが」
「それもそうか……あんたって本当に火の使い手?」
「エーテルが足りないんだ。謂わせるな」
「始まった。またエーテルだ」
二人はそんな雑談を交わしながら、モール跡の深部まで潜っていった。
「ほらエミィ。あれ見て」
あゆみが指し示した方向には、エミィにとって未知の産物が眠っていた。
それは破損した家電用ドロイドであり、エミィにはそのヒトを象ったような無機質な鉄の塊は、物事や概念を超越した得体の知れない何かに思え、畏怖の念を覚えた。
「な、なんだあれは……?」
「ドロイドだよ。戦前末期のドロイドはすごい高性能だったみたい。炊事洗濯から日用品の発注備蓄までオートでこなせるスゴい奴だったんだって。その当時のドロイドの技術がみんな欲しくて、リバースエンジニアリングが進められてるんだよ」
あゆみの不可解な未知の観光案内に、エミィは困惑していた。
「何を言っているか分からんが……そうだな、オートマタのようなものか?」
「あんた知ってるんじゃん。あれ、『オートマトン』ってブランドのなんだけど」
「は?」
エミィは
「いい加減そのキャラ作り、止めたらどうかな。ボロが出てますよ」
「……なんかよく分からんがバカにしてるな、貴様?」
キャラ作りという単語が理解できないエミィでも、バカにしているというニュアンスだけは伝わってしまっていた。
「ごめんごめん、冗談だよ」
あゆみはエミィにヘソを曲げられるのを避けようと謝った。
「……それにしても、我はあのような鉄で構築された機械人形、目にした事はないぞ……。一体どうなっているのだ? 動くのか?」
エミィはドロイドという物が気になって仕方がなかった。
「いや、動かない。ああまで損傷してると再利用出来る部品がほとんど無いよ。あの時代の代物はほとんど生きてないから貴重なんだ」
「……そうか、動かないのか」
エミィは生きた未知なる産物を見る事が出来ず、口惜しそうに呟いた。
あのような鉄の塊が炊事洗濯をするという現象自体、信じられない事だったからだ。
*
燃料の確保はさほど手間取らなかった。
瓦礫に埋もれた資材はどれも湿気って使い物にならないが、地下に行くほど建物の損傷は控えめになり、そして倉庫跡からは乾燥した木片が多く見つかった。
「エミィ、お腹空いたでしょ。今日はカレーでも作ろうか」
本来なら携帯糧食の乾パンでも良かった所だが、エミィの教育の為に少しは振る舞ってやろうという計らいもあった。
「ほー、こんな劣悪な環境でもカレーが作れるのか。見ものだな」
「カレー、好き?」
「好物の類だ。アルトリッド風レモラの煮込みカレーは特に好きだぞ」
「へえ(不味そう)。普通のレトルトのカレーだけど、それでもいいなら」
あゆみは湯の沸いた鍋の中にカレーのレトルトパウチと、保存食の白米を投入した。
簡素な調理だが、銀色の包装物を湯に投下するという調理法はエミィにとって目新しく見えた。
「この袋の中にカレーが入っているのか……?」
「そうだよ。やっぱり目新しく見える?」
あゆみはいたずらっぽく返した。
「目新しいも何も、この地で目覚めてから見知らぬ物ばかりが目に入る。お前の言うように単独で行動するには早計だったかも知れんな。案内役が必要だ」
この期に及んでもエミィの横柄な態度は変わらなかった。
「誰がお前じゃい。あたしの事は『教官』と呼ぶように」
「教官? どう見てもそんな柄じゃなかろう。粋がるにも程があるぞ、小娘」
「……エミィのほうが背、小さくない?」
「背丈の話などしてないだろう」
「ホビットじゃん」
「誰がホビットか! あのような種族と我を一緒くたにするな!」
エミィはかつて、夜魔の宴の場でマンキュバス卿にホビットの姫と間違われて以来、同席した盟友達はしばしば、エミィのその背丈の低さを指して『ホビット』などと愚弄する事があり、その度にエミィは腹を立てていた。
そのような過去を明確にではないこそ、何となく察したあゆみは大爆笑した。
「うっくくく……ホビットだ。エルフじゃなかったんだ。イーッヒッヒッヒ!」
エミィは顔を真っ赤にして反論した。
「ほ、ホビットじゃないと言っておろうが!」
あゆみは一人でにツボに入り、地面を叩いては溢れる笑いを止められずにいた。
「ホビット……!? イーッヒッヒッヒ!」
「ホビットじゃない! 我はホビットなどでは……我は魔神、獄炎の化身エヴァ……ううっ……ビャ~~~!!」
エミィは叫び、しまいには泣いてしまった。
「ああ悪かった悪かった! ホラ泣かないで」
あゆみにはエミィが哀れにさえ思えてきた。
「ほら、カレーも出来てるから機嫌直して。食べなよ」
あゆみは温めた即席ゴハンにカレーを掛けたものを取り繕い、泣きじゃくるエミィに差し出した。
エミィにはやはり物珍しい物に見え、カレーのその芳醇な香りは涙さえ止める。
「……これが、この地のカレーなのか?」
「そうだよ。食べてみな」
エミィは銀色のスチール容器に入ったカレーライスとスプーンを受け取ると、そのカレーライスを辿々しくスプーンでよそっては、おそるおそる口に運んだ。
「あ、美味しい」
それがエミィから漏れた、あっけらかんとして率直な感想だった。
「よかった」
「この穀物が特にカレーと調和しているな」
「それさ、ご飯って言うんだ。ぴったりっしょ」
二人揃って、カレーを口に含みながらのだらしない会話を交わしていた。
そうしてこの大氷河の夜を暖で囲み、二人は過ごしていくのだった。
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