エピソード3 私もエミィちゃん、あなたもエミィちゃん

「ほら、もう泣かないで」

延々とエンエン泣きじゃくるエミィを気遣い、あゆみはティッシュで滝のように流れ落ちる鼻水を拭き取ってやっていた。

エミィの手錠は繋がれたままで、自由が利かないためである。

「う、ううっ……人間共、侮辱っ……いつの日か後悔させてやる……ズズッ」

そんな風に尚もグズグズと小言を漏らしながら、鼻に押し当てられたティッシュ・ペーパーと言う未知の代物にエミィはがむしゃらになり、思いきり鼻をかんだ。

本能的に吸水性の良い、使い捨ての綿のようなものだと思ったのである。

「……ずいぶんと替えの利く綿の如き紙だな、我が国には無いものだ……」

この柔らかく、そして幾らでも代わりが利くティッシュ・ペーパーにエミィは感心を示し、なおも泣きじゃくっていた。

「……どういう世界で暮らしてたのやら」

あゆみには彼女が古代人のように見えたのである。


ふと、あゆみは疑問に思った。

「そういえば首長、あたしが『魔人』とって仰ったじゃないですか」

「ああ」

「……ひょっとしてこのエルフ、レベル2級の『魔人』なんですか?」


「は?」

コンラッドは眉をひそめた。

「いやあ、レベル2級の指導教官なんて、別にあたしじゃなくても他に代わりがいるんじゃないかなって……どうして、あたしなんですか?」

あゆみがまた何か誤解をしているとコンラッドはすぐに察しがついた。

「あゆみちゃん」

「はい」

「そのエヴァレンティアは『魔人』じゃなくて『魔神』だ……ゴッドのほうの」

そう聞かされた途端、あゆみの表情はみるみるうちに青ざめ、状況の理解がようやく周囲に追いついたのだ。

「あ”あ”あ”! めちゃくちゃヤバい奴じゃないですか!」

「……話、聞いてた?」

首長コンラッドはあゆみに物事を理解させる為にいつも手を焼いていた。

エミィには、この間の抜けた小娘が自らの教官役とは到底理解しがたく、ヤレヤレと思っては次第に涙が引いていくのを感じていた。



あゆみは営業所の離れにある宿舎まで単身、エミィを連れて歩いていた。

エミィはと言うと、事務室で取り繕った適当なコートを肩から覆いかぶさるような形で羽織らされているだけであり、実質半裸の状態が続いていた。

「そろそろこの手枷を外して欲しいのだが。痺れが酷くて仕方が無い」

「ダメだよ、この手錠でエーテル抑制してるんだから。抑制のせいで痺れてビリビリ痛むんだろうけど、もうちょっとだから我慢してね」

「ふん、規定だの対策だの面倒くさい連中だ……」

エミィは不服そうに了承した。


通りすがりの作業員達が声を掛けてきた。

「おっ、エルフだ」

「噂の赤髪エルフだ」

もの珍しく、かつ不健康な視線で彼等はエミィを見ている。

「もー、見世物じゃないんですよ」

「噂通りだあ。美味しそうなメロンがも並んでいると壮観やで。ガハハ」

「ちょっと~、やめて下さいよ! セクハラ親父は首吊って亡くなって下さいね!」

あゆみは満更でもなさそうだった。

ただでさえ会話の理解力が乏しい癖に、こういう冗談に関しては察しが良いのだ。

エミィはメロンという果物を知らない為、冒険者ギルドの人間共が有難がって装備脱着するスキルのひとつだと思い込んでいた。



そうして、エミィを営業所宿舎の更衣室に連れてきたあゆみは、エミィにとりあえずの衣服を与えようと衣装ケースの中から適当なセーターとロングスカート、補給品の無個性な下着を調達してきた。

「とりあえず、こんな服しか無いけど着ておいて。下はジーンズとかの方が良かったかもしれないけど、うちって作業着のズボンしか無くてさ」

「衣服など何でも構わん。早いところ手枷を外してくれ」


手錠の取り外しについてあゆみは再三確認するように、エミィに問いただした。

「……あんた、レベル5級の魔神なんだってね。正直言って、あたしは首長のあんたを味方にする作戦にはあんまり賛同してない。ナディシャからは実質レベル2級の能力しか引き出せないから、ダイジョーブっていうお墨付き貰っているけどさ」

「何が言いたい?」

「あんたがあたし達を裏切らないっていう確証、無いじゃん」


エミィは無言になった。

「あんたのその偉そうな態度、信用できないよ。絶対裏切るヤツだ」

「……ほう」

あゆみはこれまでの経験則に従うまでもなく、エミィを信用していなかった。

「裏切らないで、あたし達の味方するって約束出来る?」

「裏切ったとして、何だ?」

「あんたの事ボコボコにするし、処刑場送りにする。それは覚悟しておいて」

「小娘、ずいぶんな物言いだな。威勢だけは認めてやろう」

煮え切らない態度を取り続けるエミィに、あゆみは段々と苛立ちを覚え始めてきた。

「そういうとこだよ。手錠外してやんない」

「何だと! 馬鹿にするのも大概にしろ!」

エミィは頑として態度を変えなかった。


「こんなことなら、もっと強力な拘束具持ってくるべきだった。本営から言う事聞かない相手にビリビリ流す痛いヤツだって、要請出来るんだよ。それまでそのまんまで居たらどう?」

この状態はさしずめ、緊箍児(きんこじ)で頭を締め付けられ、三蔵法師の支配下に置かれる孫悟空といった所だが……エミィからすれば、人間達が伝記として語り継いでいる魔術師ノーグの不出来な詩の一節を彷彿とさせ、忌々しきノーグの策に堕ちた義姉バルムロアを思い出しては、胸糞悪くなっていた。


エミィは義姉バルムロアのように堕落する訳にはいかなかったのだ。

何としてもこの拘束は解かねばなるまい。

「わ、分かった……分かった。お前の言う通りにしよう……」

「ホントに言う通りに出来る?」

「裏切らなければ良いのだろう。裏切る行為と言うのは、お前の命令に背く事か?」

「それだけじゃない。調子に乗ってあたし達に攻撃を仕掛けたりしないように」

「……分かった。約束しよう」

エミィ自身も、今の自分が本来引き出せるはずの魔力を失い、弱者となった今は彼ら大氷河警備隊にさえ太刀打ち出来るはずもなく、命令に背く行為がいかに愚策か理解しているつもりだった。


「じゃあ、約束だよ。手錠解いてあげる」

あゆみがポケベルのような専用端末を操作し、設定された番号を押下すると、エミィを拘束するエーテル封印型手錠はガチャリと音を立てて床に落ちた。

こうしてエミィはようやく解放されるに至ったのだ。

「……このような扱いを受けた事は未だかつて無い。不愉快極まりないものだ」

エミィは自由になった手首をさすり、不服そうにしている。

「あたしも、あんたの事をまだ信用した訳じゃない。少しでもウチの警備隊に楯突くような真似したら、タダじゃ済まさないからね」

「ふん。それならお前も然るべき態度と誠意を示すべきだな」


流石のあゆみも『これは何言ってもダメな相手』だと気付き、こちらから引き下がらなければ彼女が軟化を見せる事など無いと思い始めてきた。

「……はいはい、分かりました。イバリンティア様。あなた様の力をお貸し下さいますようお願いします」

「我が名はエヴァレンティアだ。一言一句間違えるな、小娘」


エヴァレンティアという妙に長過ぎる名前に対し、あゆみは提案した。

「名前が長すぎる。覚えられないよ。エヴァレンティアだから……んー。そうだ、『エミィ』だね。エミィって呼んでいい?」

「……は!? 愛称のつもりか!?」

「似合ってると思うけどな。コールサインにしよう」

「百歩譲っても普通は『エヴァ』だろう! マレボルギアの盟友はみなそう呼んでいたぞ! 変な呼び方なぞせずに『エヴァ』と呼べ!」


あゆみは意見を聞き入れること無く続けた。

「あんた、『エヴァ』って感じじゃないよ。『魔法つかいラブリィエミィ』のエミィちゃんに似てるし、悪くないと思うよ。可愛いじゃん、ピッタリだ」

「あ”ぁ”! むず痒い呼び名にも程があるぞ!」


獄炎姫エヴァレンティアの『エミィ』というあだ名の名付け親はあゆみであった。

エミィは無論不服だったが、向こうが勝手にそう呼び続けるので仕方なしに定着してしまっていたのだ。


あゆみは、手探りながら少しずつエミィとの距離感を掴んでいった。

「服、ちゃんと着れた?」

「チュニックぐらい我でも知っておるわ。こんな庶民の服を着用した事は無いがな」

「セーターだけど……あ、パンツ履き忘れてる。一応履いときなさい」

「必要性に甚だ疑問を感じるな。まあ着用しておいてやろう」


やはりあゆみには古代人と会話しているように思えた。

このキャラ作りに徹底しており、設定にボロを見せない様子を見ると……あゆみからすれば、エミィは死海特有の瘴気に頭をやられてしまった亜人でしかなかった。

死海特有の瘴気は体を蝕むのみならず、人格も崩壊させるという報告が出てるのだ。

この自らを古代の王族だと思いこんでいるエミィを相手に、自分がどこまで対応出来るか不安ばかりが募ったのである。



「トイレに行きたいのだが」

「へ?」

エミィの突然の申し出だった。

「トイレは何処にある」

「はあ……ここを出て左手にあるけれど。にしても、トイレの呼び方自体はうちらと変わらないんだね」

「は? トイレはトイレだろう」

「厠とか」

「それは武尊国の連中の呼び方であろう。何が言いたい?」

「ええ……?」

お互いに『何を言っているんだ』といった状態だった。


「ともかく、トイレならココを出てすぐ隣にあるからね。案内する?」

「結構だ」

黙々とトイレへ向かうエミィの後ろ姿を見て、あんな奴でも自分たちと同じように生理現象があり、人間らしい一面があるんだと、あゆみは少しばかり感心していた。


そうしてしばらく経った頃だろうか。

「済ませた? 部屋まで案内するから、早くしてねー。あたしもう眠いんだから」

あゆみはドア越しに呼びかけるが、エミィからの返事は無い。

長過ぎるのだ。

「……おーい、長すぎるよお。ばーかばーか」

煽っても返事は無く、嫌な予感しかしなかった。

そう直感で感じるやいなや、あゆみは鍵の掛かったトイレの戸を蹴破った。

その窓の無い、換気扇しかないような密室にやはりエミィの姿は無く……もぬけの殻と化したトイレを見てあゆみは青ざめた。


「に、逃げられた! あのエルフ、ここからテレポートしたのか……!?」

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