エピソード2 傲慢の極みエルフ

交易線エリア36号の脅威として被害が多く報告されていた人食いモンスターの討伐に成功し、大氷河警備隊営業所に星野亜佑美(以下、あゆみ)は帰還した。


朝もやがだんだんと晴れゆく中で、あゆみは眠い目をこすりながらプリンセス・シスター号などと名付けた愛車のスノーモービルの車庫入れを済まし、討伐の結果報告の記録と、勤怠報告のタイムカードを押しに営業所の事務室へと向かっていた。


その矢先、事務室から鳴り響く首長コンラッドの怒り声を聞きつけたあゆみは、本能的にとんでもない事態が事務室の中で起こっていると察知し、戦慄した。

あの温和な首長コンラッドが怒鳴り散らしている場面なんかに遭遇したい訳がなく、それでも事態を把握する為にこの事務室に入るか入るまいか、あゆみは事務室の扉を前にして迷い込んでしまった。

そんなあゆみの困惑を知る由もなく、首長コンラッドが事務室の扉を殴り飛ばすかのように出てきた。


「はひっ」

「……あ、ああ、あゆみちゃん。帰ってたのね」

「は、はいっ! 星野亜佑美、モンスター討伐を経て只今帰還しました!」

あゆみは即座に敬礼した。

「あゆみちゃん、左手。左手で敬礼しちゃダメよ。利き手なのは分かるけど、無理に敬礼なんかしなくたっていいんだから……」

「ご、ごめんなさい」

「ごめんなさいも違くて、この場合は失礼しました、それかスミマセンかね。別に俺相手にそんな気を遣わなくたっていいよ。落ち着いて」

首長コンラッドは緊張するあゆみをしたため、こう続けた。

「それよりね……仕事から帰ってきたばかりのとこ悪いね。話さなきゃならないというか……あゆみちゃんにも見せなきゃならない子が居てさ。事務室、見てもらってもいい?」

「え、ええ? 何でしょ」


あゆみが恐る恐る扉越しに様子を覗くと、事務室のソファでバスタオルに包まり、血の気の引いた表情で虚空を見つめる、全裸かつ正体不明のエルフがそこに居た。

「……誰?」

「俺もよく知らないんだけど、ウチに迷い込んだんだ。先に言っておくけど、ヤバイ案件だよ」

首長コンラッドはあゆみに耳打ちするように囁いた。

「きゅ、急にそんな事言われても……あたし、あたしは一体どうしたら?」

「んー、ともかく入って入って」

首長コンラッドにポンと背中を後押しされるあゆみ。

「ちょ、ちょっと首長」

半ば強引なコンラッドにあゆみは困惑するも、生気の抜けた表情のエミィと邂逅するがいなや、あゆみは身構えた。

ぽかんとしたエミィは一言も放つ事なく、只々あゆみの様子を見ている。


「ドーモ……」

それが咄嗟に出たあゆみの挨拶だった。

ヤバイ案件というコンラッドの余計な前情報と、バスタオル一枚の全裸のエルフを前にして状況が飲み込めず、あゆみは混乱し、すぐ側にいたナディシャに『何がどういうこっちゃ』といった視線で助けを求めた。

「ああ、あゆみちゃん、お帰りなさい。あゆみちゃんもそこに座って貰えるかな」

「あっはい」

ナディシャの言われるがままにあゆみは処分予定だった雑誌の山に腰掛けた。

「そこじゃなくて、こっち……。こっちのソファに来て貰える?」

呆れた半笑いのナディシャは手招きした。


「ひゃっ、すみません……って、あ”ー!これ全部あたしの『月刊りんぼ』復刻号じゃないですか!すっごい貴重なんだから、ゴミと一緒にしないでくださいよ!」

あゆみは自らが座った雑誌の山を見て半狂乱になり、目的を見失っていた。

「あゆみちゃん、それPDAでも読めるでしょう!それよりも今はコッチに来てもらえる!?」


ナディシャの母親の如き叱咤に驚いたあゆみは、おそるおそるソファに着席した。

顔を伺えば虚ろな目でこちらを見続けるエミィに気付いたのか、あゆみはエミィと対面しないように少しズレて、腰を掛けた。

しかしその苦肉の対応も虚しく、『そっち座って』と言わんばかりに首長コンラッドはあゆみを奥に押し込んで、隣に腰掛ける。

結局エミィと対面するように座ることを強いられたあゆみは、目下のテーブルに視線を落とすほか無かった。

だが視線を落としても、バスタオル1枚のエミィのまったく隠れてない陰部が却って見えるだけで、あゆみは余計に気恥ずかしくなり、目のやり場に困る一方であった。


「紹介するよ。うちのエースだ」

首長コンラッドはエミィに向かって紹介した。

エースとはあゆみの事であるが、あゆみ当人にはそんな自覚など無いようだった。

「……それで、何だと言うのだ?」

エミィが問いただす。

「ウチだってね、出来る限り君の処刑は避けたいと思っている。君のことをウチのお偉いさんに報告しようものなら即刻始末しろって言うだろう。役員の全員が口を揃えて言うだろうね」

「はっ! 人間風情が我を殺すなどと謂うその自信、一体何処から湧いているのか不可思議なものだな」

拘束されている分際で言う台詞か!……と、警備隊一同は互いに顔を合わせては、そんな風に思うのだった。


「うーん……ともかくだ。俺は君にチャンスを与えたいと考えている。君が生き延びたいと考えるのならね。はっきり言って、その全否定的な態度を取り続けるようじゃあ処刑に掛ける他ないんだ。君が選べる選択肢は、君が思っている以上に少ないぞ」

「端的に申せよ」

「俺達に協力するか、死ぬかだ」


エミィは黙り込んだ。

コンラッドの言う通り、拘束されている以上は服従する他になく、数多くの敵対者を葬り去ってきた火炎術さえ、今や満足に駆使する事も出来ないでいる。

エミィに与えられた選択肢は、この人間達への服従か、獄炎姫エヴァレンティアとしての崇高な死のどちらかだった。

しかし、この未知なる極寒の地においてエヴァレンティアを知る者は無く、その眷属も、恐れる者さえも居ない。

誰にも悟られる事のない犬死だけが待っているのは明白だった。

死後もなお後世に語り継がれる生涯設計を夢見てたエミィにとって、それはあるまじき終焉でしかなかったのだ。


「あ、あの……一体、何があったんですか?」

あゆみだけが唯一、状況を理解出来ずに置いてけぼりにされていた。

「言わずとも、あゆみちゃん何となく分かるでしょ。この子が何者なのか」

コンラッドはいたずらっぽく、はぐらかした。


「『魔法使い』……ですかね。あたし、さっきから言おうと思ってたんですけど、とんでもない類のヤバい何か? ……を、感じてたんです。う、うまく説明出来ない」

あゆみは語彙力の貧困さのあまり、言葉に詰まっていた。

ナディシャがあゆみに説明する。

「あゆみちゃんのインスティンクトほんのうがそう感じてるのなら、間違いないわ。こちらはエヴァレンティアさん。訳あってウチが捕獲したの。彼女の脅威度がいくつを示したか……あゆみちゃんなら分かるでしょう」

「う、うーん。レベル……1?」

「八つ裂きにするぞ貴様!」

流石のエミィでもレベル1という概念が、如何に平凡なものか容易に想像ついた。


「まあ、ともかくだ……エヴァレンティアちゃん。俺達への協力を拒むくらいなら、潔く死を選んだほうがマシかね。君の率直な意見が聞きたい」

「……一体何を企んでいる。何を協力するのだ?」


「企むも何も、我々大氷河警備隊のパトロール活動を手伝ってほしいだけだよ。

単純に人手が足りないんだ。特に『魔法使い』はどの環境・職場・戦場においても必要とされるんだけど、魔力持ちの人材は貴重だからね……そうそう居ないんだよね。だから君を処刑場送りにしたり、ましてや他の大手企業に『悪用』されるぐらいだったら、ウチで鍛えて、貴重な人材を有効活用出来ればって思ったんだ」


エミィは鼻で笑った。


「……フッ、所詮は貴様も我が力を欲する愚かな人間に過ぎんようだな。綺麗事ばかりを述べているようだが、いくら御託を並べたところで貴様も醜い生存競争を繰り広げる愚かな連中と何一つ変わらん。魂胆が見え透いているのだ。実に馬鹿馬鹿しい」


警備隊一同はエミィの思い上がりに腹を立てた。


「ギャーー! 痛い痛い痛い! は、離せー!」

我慢の限界に達したナディシャが片耳を思い切りつねり、そしてもう片方の耳をコンラッドが引っ張り、エミィは悲鳴をあげた。

「エヴァレンティアさん、いい加減になさいよ! 黙って聞いてたら貴方さっきから偉そうな事ばっかり!」

「全くもって融通の効かないエルフだな!」

エミィはじたばたと暴れて抵抗するも、引っ張られた耳は離されない。

やがて顔が紅潮し、涙で目が充血した頃合いにエミィの両耳は解放された。

その顛末をあゆみは只々、静観するばかりでいた……。


そうしてコンラッドはエミィを諭すように話した。

「誤解するなよ。君の言うそのご自慢の火炎術に我々は期待していない」

「……え?」


「我々にはレベル5級の魔神様の生体を分析・研究・解体の後に兵器転用、そして戦争をおっ始めようみたいな、星間旅団の『未来人』共みたいな考えなどさらさら無くてね。目的はあくまで君みたいな無知で傲慢な魔神が、悪いヤツに捕まり、さらに大量破壊兵器の量産などへのわるーい事へ利用されるのを防ぐ為だ。分かるな?」


―――エミィは不服そうな顔でコンラッドの話を聞き続けた。


「はっきり言うけど、今の君じゃあ何処に行っても、ウチなんかよりもよっぽど酷い扱いを受けるぜ。そもそも言ってしまえば、『俺達は悪い連中から君を匿ってやる』と言っているのに……君は戦争だの、血を流せだのと言って、勘違いも甚だしいぞ。こんなに良い提案をしているんだから、もうちっと素直になってくれよ」


―――何処へ行っても酷い扱いを受ける。

そのような処遇など受けた事のない魔界の獄炎姫エヴァレンティアは、何処へ行っても自分の力が通用しない、そんなおぞましい光景を想像しては涙が溢れてきた。


「……ウチで、この人の訓練をするんですか? 教官なんて本部にしか居ないのに、いったい誰が……」


あゆみは疑問に思った。

「あゆみちゃん、今日から1ヶ月の間は営業所拠点内での内勤に回ってもらう。外勤及びモンスター討伐などの力仕事はレーネと七瀬に頼んで、あゆみちゃんにはこのエヴァレンティアの指導教官に就いてくれ。魔神相手なら君がだろうし、これほどの適任は居ないと思うね」

あまりの唐突な押し付けに、人見知りの激しいあゆみは困惑する一方だった。


「ちょ、ちょっと首長! あたし教官役なんてやった事ありませんよ!」

「まあまあ、難しく考えないで。最初の1週間のうちはそうだね……んー、彼女と友達になってみるとかでもいい。外勤のモンスター討伐よりかはよっぽど簡単だろ?」


「え、ええ……」

そんなこと言われても、と言いたげな表情を浮かべるあゆみ。

一連の横柄な態度を思うと、果たして自分のような人見知りがましてや、エミィのような傍若無人の化身を教育(ないし調教)出来るのかと不安しか無いのだった。

このように目の前で、肩を落としてグズグズとくやし涙を流した後、赤子のように泣き出したエミィを見てしまえば……この先行きはとてつもなく不穏であり『泣きたいのはこっちだ!』と思う他なく、あゆみはガックリと肩を落とした。


「うっ……うぐぐ……人間共が、侮辱しおって……ビャ~~~~!」

(ああもう何なのこのエルフ! 討伐でただでさえ疲れてるのに、寝かせてよ!)

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