紙とペンと平成

舞島由宇二

梅宮市、街の花は梅の花。

 なんてことはない、ユザワヤで買ってきたいつもの画用紙に、

なんてことはない、ユザワヤで買ってきたいつもの黒いペンで、

なんてことはない、私達が生まれ、そして過ごしてきた’’いつもの’’時代の名前、

’’平成’’と文字を書き、どう思うのさ君は?とでも言うかのような挑発的な眼差しでそれを私に見せつける貴女。

平成がなんだって言うの?

私の顔を見て貴女はいつもの口の形をして微笑む。


なんてことはない、平成の始まりを再現したまでだよ。

もう終わるからこそ、そしてそろそろ春がやってくる頃……だからね。

などと、何か深い含みをもたせるかのように、貴女はそう言うが、それもまた、いつものように特に意味は無いのだろうと思う。


 いつの日からか学校に通うことをやめた貴女と私は、それでも夜になるとこうして通ってもいない学校の教室で二人で遊ぶことにしていた。2ー3組、それが私達のお気に入りの教室。この教室の窓の外に広がる街の景色が好きだった。ただでさえ小高い丘の上に立っている学校なので、基本的にはどこから見ても眺めは良いのだけど、他の教室から見る景色とは街の表情が変わってくるんだもんねと貴女。

私はそこまでは思わないよ。

それでも貴女にそう言われてからは本当に表情が違うように見えてくるから不思議。

他の教室に比べて、この教室の窓の外の街は寂しくて虚しくて仕方がないね。

そうだね睫毛の下にちゃんと影を落としているね、静かだね、そうだね、これがこの街本来の表情ね、そうだね。


 私達は、私達の住む、この街についてよく話をした。

私も貴女もこの街が大好きだった。

まるで日本の外側にいるかのようなこの街は、この国で巻き起こるあらゆる事柄に対し、関係を持たない。

無関心とは違う、関心は恐らくあるのだが、関係を持つ術を持たない。

この街自身がそうであるから住んでいる人も自ずと街に似てくるんだね。

 なんだか歯がゆいね。

 もどかしいね。

 その様が可愛いね。


 私達が知らないだけで、もしかしたら外の街では既に車が空を飛んでいるかもしれないわ。


「そんなことは私達にだって出来るじゃないか。」


貴女は歌うようにそう言って掃除ロッカーの中のホウキを取り出しそれに跨り、ふわり宙を飛ぶ。

先を越された、と思った私は焦って貴女のカーディガンを引っ張り制止する。

行くなら言ってよ、私も一緒に連れて行ってよね。

非難を浴びせる私を見て貴女は可笑しくて仕方ないといった感じにケラケラと笑っている。

貴女の後ろ、そこに跨がると、いつもの貴女の香り。

私たちは廊下に飛び出した。


 誰も居なくなった学校の敷地の中だけは私も貴女もホウキの力を借りて宙を飛ぶことが出来るって気づいたのはいつのことだろう。詳しいことは覚えてないけれど、それでも飛べた瞬間のあの衝撃――恐怖と驚きのナイマゼが胸に、うわおんって広がった感覚だけは覚えている、うん忘れない。

校庭で何度も練習して、思わず校庭の柵を越えた私は墜落して泣いたんだよ。

それを見た貴女も目に涙浮かべてどうやら飛べるのは学校の敷地だけらしいね、なんて言って大笑いしていたね、ううん笑ってないよ泣いてたの、いいやケラケラしてたね、そうだったね。


 「そろそろ屋上に行く?」

下駄箱を過ぎて校庭に飛び出て、途端に夜の少し湿った空気が身体を包む。

そういえば、もう春が近いし、そろそろ街の空も赤くなる頃だよ。

そっか、もうそんな時季なんだね。

私達はグラウンドをゆったりと旋回しながら、空を見上げる。


 5月になると、この街の空は赤くなる。


春にもなると、すでにその兆候が見えたりもするのだが、今はまだそこまでだね。

私たちはいつも通りに屋上を目指す。

校舎を這うように飛ぶのが、貴女のお気に入り。

毎回それをやる度に、まるでカベバシリだよーって言いながら馬鹿みたいに貴女は笑って私もつられて馬鹿みたいに笑うの。


 屋上からはこの校舎の何処よりもこの街がよく見えるけれど、街との距離が遠すぎるのが残念で、やっぱり2−3組の教室には敵わないねって。でも2−3組からは見えないものが一つ、ここからだとよく見える。

タタラ山、それは私達の街のシンボル。

私達の街を見守るように街の西側にそびえ立っている。

タタラ山には神様が住んでいて、この街で一番大きな神社はタタラ山がご神体だし、この街が大昔偉いお坊様に霊場として認定されたのも全てはこの山の存在のお陰みたいだし、つまりは私達の街のお母さんってわけだよね。


 屋上に到着するなり貴女は早速ホウキの先っちょに縛り付けたトートバックの中からいつものように紙とペンを取り出した。

キュッキュッキュッと文字を書いてタタラ山に向かって画用紙を掲げる。

「こんばんは」

私と貴女はタタラ山に向かってお辞儀をする。

これが私と貴女が毎夜屋上で行う儀式の始まり。


 いつだったか私のお父さんが話をしてくれた。

タタラ山にはアリアという神様が住んでいて、楽しいことは何処かに転がっていないかいつも双眼鏡を覗き込んで探しているのだそうだ。見事アリア様の目に留まったあかつきにはなんでも願いを叶えてくれるのだとか。


だから私と貴女は、アリア様に気がついてもらうために毎夜ここで歌を歌い、踊りを踊って、お祈りを捧げて、お願いごとをすることにしている。それが私達の儀式。


 今日は貴女のお願い事の番だね、何をお願いするの?

……実はね、今日は提案があって。

いつになく深刻そうな顔の貴女。

どうしたの、提案?


さっき教室で見せたけれど、もうじき元号が変わってしまうね。

うん、平成はもう終わるね。

私たちは平成しか知らないね。

そうね……私は心の何処かで死ぬまで平成だと思ってたよ。

うん、実は私も。現実的に考えればそんなことはないって分かるのに、ずっとこのままを望んでしまうね。

……うん。

貴女の言葉を聞いて、私は何故だか悲しくなってくる。

貴女も同じだったことを知る。

私もずっとこのままを心の底で望んでいた。

貴女も私と同じだったことを、知る。

そんなことは有り得ないって分かっているのにね。


貴女は続ける。

私は漠然と不安なの。私にとって何かが変わることはいつも不安。これまでは辛うじて生き延びて来れたけど、次大きな変化が来たら無事でいられるかわからない。

私は思わず貴女の手を握る。


……だからね、

うつむいていた貴女、そこでようやく顔を上げ私の目を見つめ、

新しい時代の名前を私達二人で決めて、それをお願いしましょう。

そう言って貴女は、いつものようにケラケラと笑った。

私も思わず、いつものようにつられて笑った。



 私が持ってきた音楽プレーヤーに屋上の入り口に隠しておいた音楽室から拝借してきた巨大なスピーカーにケーブルを繋ぐ。

再生ボタンを押すと音楽が流れ、私も貴女も目をつむり空を仰ぐ。

私達なりの奉納の舞、踊ることの究極は自分を失くすこと。

ゆらりゆらりゆらり、身体と頭を揺らす度に余分な私は消えていく。

空気がウネルこと、空気をウネラすこと、私達自身がウネリの発生源となり、タタラ山にそのウネリを放射するイメージで、

歌を歌うこと、それも空気を震わすこと、空気中のミクロの神様を震わせる、その震えをタタラ山に伝えるイメージで。

「変わり行くこの景色の彼方をじっと見つめれば……」

かつて私と貴女が合唱コンクールで歌った歌。

私も貴女も好きな歌。

貴女の歌声と私の歌声が重なって、どうか山に御わすアリア様気がついてください。


 踊り、歌い疲れた私は屋上の柵にもたれた。

貴女も私の隣で息を切らし柵に顎をのせてタタラ山を見つめていた。

アリア様、お願い叶えてくれるかしらね?

多分大丈夫だよ。


 

 一息ついて、私と貴女は乱れた服をただし、タタラ山に向かって一礼する。


 アリア様、アリア様、アリア様。

今日は私達二人からお願いがあります。

もう少しで私達が生まれ、そして生きてきた一つの時代が終わります。

それは平成と言う名の時代。

先程教室で貴女が書いた画用紙を掲げる。


そこで今回私たちは新しい元号を考えてきました。

願わくば、どうかこの元号の名にしてください。してください。

私と貴女は先程二人で考えた新しい元号の名が書かれた画用紙をタタラ山に向かって大きく掲げた。

考えるのに大した時間は要らなかった。

最初から決まっていたみたいに、二人の意見は一致していた。


 大昔の人達は自分たちの理解の範疇の外側にある奇々怪々な現象に対し、名をつけることで克服をしてきたんだって。

名がないものは未知のもので、それは恐怖の対象なのね。

’’このまま’’を心から望む、人類の進歩の反逆者の私たちにとって、まだ名のない新たな時代は怖いものね。

それでも、新たな時代は嫌でも、やってくるね。

だから私と貴女は来る新たな時代を私達自身の手で名付けることにしたんだよね。

それで私達の’’このまま’’が続く保証はどこにもないんだけど、

それでも名をつけて願うことで、新たな時代を少しでも私と貴女の傍に引き寄せることが出来る気がしたんだね。



10分間私達はその状態のまま立ち尽くした。

どこからか鳥の鳴き声が聞こえる、空に青が混じり始め、

もう朝がやってきている。

なんとなく貴女の方に視線を向けると同時に貴女もこちらに視線を向けた。しばらく目を見合わせ、それがなんとなく可笑しくて二人して笑った。


これで大丈夫でしょう。

大丈夫かな?

多分無理かもね。

日本の歴史の何処を見てもこんな名前の付いた時代はないもの。

そうだね、でも少しだけ期待することにする。

うんあとは待つだけね。



もうじき完全に日が昇って人々が街に出てくる。

でもまだ空は青黒いよ。あと僅かな時間だけは私と貴女の場所。

今日はいつになく名残惜しいが、いつものように学校をあとにして、いつものようにコンビニで’’わた僕コーヒー’’を買って飲みながら歩いて帰ることにしよう。


さようなら、また明日。

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紙とペンと平成 舞島由宇二 @yu-maijima

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