紙世界のペン

さかした

第1話

山脈連なる数多の山を背景に据えて、その道はあるひとつの聖山の周囲に、脇に沿ってか細く続いている。

少し気を緩めて外側に足を踏み出せば、そのまま下へ、奈落の底へと真っ逆さまに落ちてしまう、そんな難所だ。

そんな道をひたすら頂に向かって進んだ先に、草木を外観にも生やすほどに手入れの行き届いていない、一軒の古びた家があった。


扉を開けると、完全なる別世界が広がっていた。

すっぽりと一面が紙の、白い世界が広がっている。

全てが文字で書かれた不思議な世界。

さながらただひたすら、文字だけが書かれて白黒の世界地図のようだが、根本的にただの地図とは異なる点があった。

それは時間の経過とともに、文字がさまざまな地点から

生成と消滅を繰り返す点である。

この山の頂の周辺は、「斜面」やら「小石」やら「山」といった文字が連なり、

「日光」という小さな文字が刻一刻と生成されてそれらに降りかかっているが、

「木」々が集って茂みの深い森の奥には届いていない。

山を下りた先には「町」が大の字で構えており、その中に「家」が垣間見える。

ここにも刻一刻と増殖している文字があるが、新種の文字なのかそれが読めない。

構えた「町」の外側では動物たちが未開の林の中を駆けているのか、「鹿」やら「猪」、「狐」などの文字が右に左へと蠢くように移動している。

そんな不思議な紙の地図の世界にあって、唯一文字に属さない存在が、

一本のペンであった。

そのペンは宙に浮いたままあちこち移動しては何かを書いたり、

二重線で消し込んだりしていた。

今は「空」の近くで何やら文字を書いている。

「雲」だ。「雲」は、自らその数を小さくしながらしだいに内側に

「雨」を生成増加させていく。

「雲」の数がそれを支えきれなくなった時、地上の世界に降り注がれるだろう。

二重線で消し込んでいたのはバグだ。

通常ならありえない文字が雨あられのように続出することがある。

先ほどは何のバグか、「空」に「溶岩」などが生成されていた。

そういう場合は、それが偉いことを起こさぬうちに、次々に二重線で削除する。

初動対応のあとは誤動作の原因を調査する。

透き通るような色をした文字で織りなされ、記述された生成のシステム体系。

そこにメスを入れることで、システム不良の原因となった

文字列を書き換えるのだ。

そのとき、このペンはただの黒インクではなく、透明インクを出す方向に

自らギアチェンジをする。インクの不足は心配無用だ。

消滅したインクやその残滓は、全てこのペンの方へと

目に見えぬ粒子となり、一本の流れる滝のごとく注がれているからだ。

その不可視のエネルギーに支えられて、ペンは自動生成では不足する

事態を予測、その地点に赴いては追加の書き込みを不断に続けている。

そういえば、「人」がある気配がない。

隠れ潜んでいるのであろうか。

いや堂々と外にいる「人」が、ある地点に一カ所だけあった。

その「人」は今、この険しい山を越えて、すぐそこまで来ている。

ガラアア、と扉が開く音がした。

一面の白い世界が、開いた扉の先の方を照らし出す。

そこから一介の青年が現れた。

「ごめんください、町に巣食う新種のウィルスがもたらした疫病を、何とか止めてもらえないでしょうか。」

真剣な面持ちで言い放つと、姿勢を正してペンに向かって土下座をした。

「この通り、お願いします。神様。」

青年が眺めるそのペンの背中には、白い小さな羽が二本生えて、ぱさぱさと飛んでいた。

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紙世界のペン さかした @monokaki36

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